第89話 猿賢人の決断
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「みんな、ごめん。私もう行くね」
銀髪、褐色肌のダークエルフのリーシャはそう言い残して猿賢人の住む遺跡を去った。彼女を引き止める猿賢人の子供たちの声を聞きながら、しかし歩みを止めることなく「迎えに来た」と軽薄な笑みを浮かべるオルグと呼ばれたエルフとその仲間と共に森の中へと消えた。そんな彼女の背中を、何もできずに、声すら挙げれずに猿賢人の少年、トランはリーシャが投げ捨てた銀級の冒険者の証である認識札を強く握りしめた。
『こんなかわいい生徒を置いて帰っちゃうわけないでしょうが!トランがきっちり弓が使えるようになるまでトコトン教え込むからね?』
そう約束しながらも行かざるをえなかったリーシャは、その負い目から「ごめんね」と呟いて彼の方へとその認識札を投げ捨てた。その時の彼女の表情と、その言葉がトランの頭の中に延々と蘇る。無力な自分を励ましてくれた優しいリーシャ。そんな彼女のために何もできない自分はやはり無力だと悔しさで歯噛みしていた。
「長老!」
広場で倒れ込む猿賢人の長老に皆が駆け寄る。彼はオルグに魔法で身体を切られているのだ。傷はリーシャがオルグを止めた為、甚大には至ってないはずだが、老体にはこたえるだろう。客人は唐突に去り、長老は怪我を負った。そうして猿賢人たちは慌ただしくその日を終えた。
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「俺は反対です」
ツッパリとそう言い切ったのは猿賢人の若衆の代表格、ターニンだった。彼らが現在住処にしている遺跡の跡地、その一角で主要面子による話し合いが行われていた。議題はリーシャの仲間に彼女のことを伝えるかどうか。彼女が猿賢人の元を去ってから三日、狩りから帰ってきた若衆を加えてのその話し合いは、平和主義の猿賢人らしく穏便にしかし確かな熱をもって行われていた。「彼女の仲間たちに事の顛末を伝えるべきだ」と主張する長老をはじめとする年長組に、ターニンは首を横に振る。
「住んでいる場所も、仲間の姿も知らないのにどうして伝えに行けましょうか」
「リーシャ殿は南に仲間はいると言っておった。何人かで森角鹿に乗ってゆけば見つかるじゃろう」
「長老。それは余りに無茶だとご自身でも理解しているでしょう?」
「我らは森に住まう賢者。無茶でも無理でもないと思えるが?」
言葉はあくまで丁寧に。しかしハッキリと自分の意見を伝えるこの会話様式は傍から見ると少し歪に映るかもしれない。だが、どれだけ会話が白熱しようとも誰も声を荒げることなく、相手への尊敬を忘れないのが猿賢人流だと言えた。
「確かに、我々なら数日でその御仁のお仲間を見つけることも可能でしょう。しかし、その間誰がこの場所を、同胞を守るのですか?長老、貴方は我ら若衆が狩りに出払っていたために怪我をしたではありませんか」
「こんなものかすり傷程度。大事ではない」
「かすり傷とて怪我は怪我です。そのオルグとかいうエルフがまたやってきたらどうするのですか?今度はかすり傷ではすまないかも知れない。我々に他人を気遣う余力は今無いのは長老が一番存じているはず」
ターニンのその言葉に、長老を含む場の猿賢人たちは俯きため息を漏らした。彼らの暮らしは決して裕福とは言えないというのが現状だった。食事や衣服は十分に足りているが、人材はそうとは言い切れない。遺跡に住む殆どの猿賢人たちは老人と子供。若者の数は少なく、食料確保の為、定期的に狩りに出掛けなくてはならないため自衛すらままならない。平和を愛する彼らは争いの種を見つけると、抗うより逃げることで回避してきた。一見臆病ともとれるだろうが、何も奪わず、そして何も失わずに問題を解決するその方法に彼らは納得していた。ターニンも同様だ。ただ、仲間が傷つけられて黙っていられるほど温厚ではない。
「…俺とて猿賢人です。誇りはある。これから先、そのリーシャ殿のように森で迷われている人を助けることに微塵も反対はありません。その者に食事や寝床を与え、客人としてもてなすことは猿賢人として当然だと胸張って言えます。ただ…詳しい事情を知らないとはいえ、自分の足で去った者の為にこれ以上動くのは度が過ぎているように思えます。他人を助ける前に、まず我々が助からなければ」
ターニンの言葉に、年季の入った顔にさらにシワを加えて長老は少し唸った。この場の誰もが彼、そしてターニンの両方の気持ちを理解していた。そのうえでターニンの主張に説得力を感じていた。事実、若衆に加えて、リーシャの仲間を探す方に偏っていた年長組でさえもターニンの意見に納得する空気を纏いだしていた。しばしの沈黙。胡座をかいて、堂々と座るターニンと額に手をやってシワをつくる長老。主要面子の話し合いのはずが、実質年長組のトップと若衆のトップの話し合いになってしまっていた。自分の言いたいことは言ったと腕を組み、じっと黙って視線を長老に送るターニン。彼だけではない。その場の全員が長老が口を開くのを待っていた。
「あい、わかった」
「…」
「今回はターニンが正しい。これ以上リーシャ殿に関して動くのは無しとしよう。それでよいかの?」
長老の言葉に反対は無かった。皆がそれで納得して頷いて話し合いはそこで終わった。やがてその結果は猿賢人の皆に伝わる。嘆くもの安心するもの、悔しがるもの。各々がそれぞれの反応を見せる中、トランは一人何やら決意めいた表情でリーシャの認識札を握りしめていた。
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森角鹿に乗って森の中を疾走する。揺れる鹿の背中とリズムを合わせながら、枝を避けて手綱をひいて、とにかく南に向かって走り続ける。緊張、焦り、恐怖。身を蝕むのは身を強張らせ、足をすくませる負の感情ばかり。それでも足を止めないのは妙な使命感。「自分にしかできない」と根拠なく信じる心を原動力としているからだ。トランは森角鹿を駆りながら胸元の認識札を握りしめた。
一日目。長老がリーシャの為にこれ以上動かないと発表した翌日の朝、まだ皆が眠っている夜明け頃に無断で森角鹿を一頭を借りて遺跡を飛び出した。荷物はリーシャお手性の弓、数日分の食料、そして彼女の残した認識札だ。唯一の手がかりをもとに南へと愚直に進み続けたがそれらしい場所は見当たらず、その日を終えた。
二日目。何かの大型魔獣の咆哮で飛び起きる。鼓動の速い心臓を抱えながら、怯える森角鹿を宥めて出発する。大型魔獣はどうやら反対方向にいるようだ。一日経って群れから離れたことが、現実となって押し寄せてくる。折れそうになる気持ちを、認識札を握ることで何とか支えた。
三日目。魔獣を警戒するあまり、よく眠れなかった。頬を叩いて頭を起こして、少なくなってきた食料を森角鹿に優先的に与える。疲労で頭が回っていないのが自分でわかった。それでも進み続けることに躊躇いはない。適度に森角鹿に休憩を与えながらひたすら南を目指す。リーシャの仲間は未だ見つからない。
四日目。魔獣と遭遇した。四方を囲まれてじりじりと迫られる中で弓を射てみたが、外れるし魔獣は怯まない。パニックをおこした森角鹿に振り落とされ、森角鹿は走って逃げた。魔獣たちは森角鹿を追っていったため襲われなかったが、落鹿したせいで少し腕を痛めた。痛めた腕を庇いながら取り敢えず安全なところまで移動して休んだ。
五日目。起きてもまだ腕が痛んだ。ズキズキとした痛みを感じる度、置かれている状況を考えて恐怖と不安に襲われた。その度、認識札に縋った。帰ってくるのは無機物の冷たい感触のみだった。何も考えないようにしながら、ただ無心で南に向かう。
六日目。持参した食料が尽きた。道中見つけた木の実で空腹を紛らわせるが、大した効果はない。依然として痛む腕、終わりのない飢餓。もう状況に絶望する気力もないまま、半ば這うように南へと歩み続ける。どうしてこんなに必死になっているのだろう。どうしてこんなに辛い思いをしているのだろう。そんな考えが定期的に頭に浮かんでくるが、その度に同じ答えを返した。
「リーシャの…ためだ…!」
七日目。いつの間にか眠っていたようだった。なんとか上体を起こし、木の幹を背もたれにして座る。起きているはずなのに寝ているかのように頭がボーッとしていた。立ち上がる気力のないまま無為に時間を過ごす。遠くの方から声が聞こえている。魔獣だろうか。だとしても逃げることさえ出来はしない。胸元の認識札を痛めていない方の手で握って、たまらず意識を手放した。
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目が覚めてすぐに、トランは知らない場所で寝ていることに気づいた。森の中でも、遺跡の寝床でもない。ふわふわの肌触りの良い毛皮のベッドの上だ。辺りを見回すと、木でできた壁が目についた。やはり石造りの遺跡ではない。釈然としないまま取り敢えずベットから起きると、腕が少し傷んだ。そこで、怪我をしていたことを思い出したトランは、痛む腕の方へと視線を向ける。するとそこには何やら薬草のようなものが貼りつけてあった。誰がこんなことをしたのだろうか。というよりここはどこなのだろうか。自身の置かれている状況を考察しながら、トランは歩きだし、やがて出口のようなものを見つけた。木製の扉だ。意を決して開くと新鮮な風がトランの体毛をそよいだ。
「それはこっちに運んでくれ!」
「おうっ!」
「キャハハハっ!」
「こら!あまり走り回って作業の邪魔しちゃいけませんよ!」
「構わんだろう!子供は遊ぶのが仕事だ!ガッハッハッハ!」
「なら父さんの仕事は皆を手伝うことでしょう!昼寝ばかりしないでくださいよ!」
「捜索状況はどうなってる?」
「四番隊が西の方を捜索しておる。大長の蝙蝠も一緒じゃ。見つかったら連絡がくるじゃろう」
トランは一瞬、異世界に迷い込んだかのように錯覚した。目の前に広がるのは、木材を運ぶ獅子のような獣人、それに指示する小鬼、水やら食料やらを配る羊の獣人など見たことない亜人が見たことある魔獣と協力している光景だった。魔獣であるはずの小鬼が自分たちと同じように笑い、話し、遊んでいる。強そうな獅子の亜人はゴブリンの指示通りに木材を運んでいる。あまりに常識と隔絶した光景にトランは絶句していた。
「おはよう。尻尾猿じゃないんだよな?」
「うわっ!あぁっええ……!」
「ああ、ごめんごめん。驚いたよな。俺はショウ。名前言えるか?」
「…ト、トランです」
ショウ、と名乗った目の前の男は知ってる魔獣でも、知らない亜人にも見えなかった。人間だ。エルフのように耳が長くなければ、ドワーフのように髭が濃くもない。
「…ちなみに、人間じゃないぞ」
「ええっ!」
驚くトランを見て楽しそうにショウは笑った。未知の場所で、人間のような見た目の、人間じゃない見知らぬ人に笑われてトランは軽い混乱状態に陥っていた。
「さて、トラン。起き抜けに悪いんだけど一つ聞きたいことがあるんだ」
続くショウの言葉に、トランの混乱状態は解け――――
「これ、どこで手に入れた?」
――――かわりに恐怖することになった。




