表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴブリンに助けられて  作者: くろきち
幕間
103/110

外伝:英雄へと至る part 1 5/5

一年も経ってしまいました…。

 化け物がその大きな口を開けて笑う。視線の先には赤鎧を身に着けた女戦士。二本の斧を構え跳躍する彼女を迎え撃たんと、化け物もまた棍棒を片手に構える。化け物が女戦士の動きに合わせて棍棒を振りかぶる。その刹那、視界の端に光る飛行物体を認める。咄嗟に棍棒で防御してみると、亀裂が入るほど深々と刺さった矢が一本。スキルで強化された射撃。ちらりと視線を黒弓の弓師に向けて、再び女戦士へと向き直る。ほんの数瞬で、反撃のタイミングをズラされ、彼我の距離を詰められた。顔面目掛けて繰り出される双斧の一撃を、化け物は身をよじると同時に無手で叩いて防ぐ。攻撃を横から弾かれてバランスを崩しながら、しかしその勢いを利用して体を回転。浅く化け物の腕に傷をつけて、無事地面に着地した。


「《低鎧ロウアーマー》」


 禿頭の神官が呟くと共に女戦士の体がほんのり青く光る。その事象に対して反応することもなく、女戦士は動きを確かめるように数度腕を動かし、眼前の化け物に睨みをきかせる。


「あぁー精霊術か鬱陶しい!」


「否。これは奇跡。神の御業なり」


「ふんっ、自ら行使する力の正体すら知らぬ憐れな奴隷よ。貴様らの祈りが届くことなどないというのに」


 化け物の言葉に応じることなく、神官はぶつぶつと祈り始める。それを皮切りに女戦士は疾走を始める。狙いは化け物の足。攻撃を最大限避けられるように、無手の方へと走る。


「《三射尾トレスディスパーロ》」


 緑の光を纏った三本の矢が放射状に広がって化け物を襲う。巨体を揺らし三本の内、二本を躱すと、化け物は棍棒を弓師目掛け思い切り振り上げた。圧倒的なリーチで繰り出された棍棒は突風とともに土埃を巻き上げ弓師の視界を奪う。


「ごほっ・・くそっ」


 腕に刺さった矢をへし折り抜いて、化け物が走らせた視線の先には自身の足元に迫る女戦士の影。蹴り飛ばそうと放った蹴りを、素早い身のこなしで避けると、女戦士は両手の斧で一斉に足を斬りつけた。切り口から吹き出る血。しかしその見た目とは裏腹に、化け物は何の痛痒も受けた様子がない。


「浅い・・?いや、皮が厚い」


 傷口を訝しげに観察する女戦士の頭上から迫る棍棒。さながら落石のような迫力のその攻撃を間一髪後方に飛んで回避。続けざまに放たれた薙ぎ払いも身を転がし躱す。


「≪強射マイティーショット≫」


 強い緑の光を纏った矢が真っ直ぐに化け物を目掛けて進む。女戦士に向けられていた瞳が迫りくる脅威をわずかに認めると、化け物は追撃を止めて咄嗟に身をよじるも躱しきれず腕への着弾を許した。


「《無色力アンシームパワー》」


 化け物と十分に距離をとった女戦士に奇跡の力が加わる。先程の青い光に似た赤い光が彼女の体を包む。物理的な攻撃力が上昇する攻崩の奇跡である。礼の代わりにぐるりと腕を回すと、女戦士は再びの突進を始めた。彼女に追随して走る二本の矢。光を纏わない普通のものだ。


「小賢しい!!」


 少し怒気のこもった声で叫びながら、化け物は飛来する二本の矢を棍棒で薙ぎ払う。薙ぎ払いの風によって威力の弱まった矢はあっさりとへし折られ、地面へと落ちる。化け物の視線は既に次なる脅威、女戦士へと定められている、が、一歩、彼女のほうが速い。返しの棍棒を躱し、斧を二振り。化け物に確かな傷を負わせる。


「ふっ・・・!」


 初めて確かな傷を負わせることに成功した女戦士は、無意識に息を吐く。同時に、一段深く集中した。それは戦士としての癖、ともすれば本能とも言うべきもの。自分より大きく悍ましい見た目の化け物に、効果的な手傷を負わせたことにより、彼女は本能的に理解したのだ。「決して勝てない相手ではない」、と。そして無意識下で選んだ。今こそ全力を注ぐべき時であると。体力の温存、技の出し惜しみ、敵の様子見。それらを一切考えず、ただ戦う。そのための吐息。そのための集中。女戦士は全身に力が漲るのを感じた。


 双斧を体を軸に振り回す。独楽こまの様に回って放たれる回転斬り。流麗な動きは隙を生まず、流れるように化け物の肌を斬りつける。勢いそのままに右斧の斬り上げ、左斧の袈裟斬り。着実に化け物の肉を削いでいく。僅かに漏れる痛痒の声。苛立ちを載せた棍棒の叩き潰し。しかし女戦士は目もくれず次の攻撃動作へと移る。


「《光盾ホーリーシールド》」


 神官の声が木霊すと、女戦士の頭上に光り輝く盾が現れ化け物の棍棒を防ぐ。輝く盾の下で、力を溜める姿勢をとる女戦士。赤い光を纏い出す双斧。化物が隙を与えたと理解した時にはもう、女戦士は既に斧を振るっていた。


「《双十字斬》!!」


 十字を描くように振るわれた二本の斧は化け物の太腿に、その刃を深く食い込ませる。攻崩の奇跡とスキルの加護によって最大限に強化されたその攻撃は、その威力の高さを証明するように強く赤い光を放つ。


「貴様ああぁああ!!」


 たまらずよろける化け物。次いで出た怒りの叫び。感情そのままに棍棒を振りかぶる化け物の腕に走る痛み。意識外より飛来した黒弓の矢。自然に向けた視線の先で微笑を浮かべ二の矢を番える弓師の姿。


「はっはっはっは!!いいだろう!よいよい!面白くなってきた!!かかってこい人間ども!束になって殺しに来い。一人でも欠ければ勝機はないぞ!!」


\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


 視線の先の苛烈な戦いに、ザインはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。ただの重りと化した片手剣ハンドソード円盾ラウンドシールドを持ちながら、震える足で地面をとらえる。着慣れたはずの革鎧がやけに重く感じる。女戦士のリベラが二本の斧を華麗に捌き、弓師のルドーが放つ矢が的確に敵の肉体を射て、神官のララドの祈りが奇跡を起こす。化け物、ディランバスと一進一退の攻防を繰り広げる彼らの間にザインの入り込む隙はない。というより出来ない。ディランバスが現れてから今まで、彼に出来ることは何もなかった。精一杯立ち続けること。震える足で直立し続けること。ただそれだけのことしか出来なかったのだ。銀級シルバーに上がったとはいえ、どんな敵とも渡り合えるようになった訳ではない。上には上がいるということはザインの承知の上だ。慢心もしていなかった。ただ格上と相対したとき、こんなにも自分が何もできないのだということを、彼は知らなかった。視界に金級ゴールドの戦いを収めながら、ザインは冒険者になった日のことを思い出していた。魔獣と遭遇し逃げ帰ったあの日。自信と夢を砕かれた屈辱的な日。二年もの間、自分をやる気もなにもない空っぽにした悪夢の日。闘技場で出会った選手の言葉に奮起し、努力を重ねて得た銀級の認識札は、彼の首で木陰に隠れながら鎮座している。登った階段の高さが想像以下だったことに気づいて、ザインは歯噛みした。


「おい!何ぼうっとしてんだ!早くこいつを持ち上げろ!!」


「・・・あっ、はい」


 気のない返事をしてザインが向かったのは、今回の仕事仲間、ダインの所だ。ディランバスが現れた際、一人逃げようとした彼は、そのディランバスが放り投げた大核猪アボージャンの死体の下敷きになっていて身動きがとれないでいた。されどそれを責める気はザインにはなかった。誰だって自分の命は大事だ。ザインは剣と盾を地面に置くと大核猪アボージャンの死体を持ち上げようと踏ん張る。歯を食いしばって力を込めるが、全長二メートルある魔獣の死体はそう易しくは持ち上がらない。発破をかけるダインの声を聞きながらザインは奮闘する。ならばとダインを引っ張ろうとするが、やはり大核猪アボージャンの死体が重く、体格差の激しい彼を引っ張り出すのはザインでは無理そうだった。


「・・・ちっ、もういい!やめろ」


「え?でも・・」


「いいってんだよ。お前は早くここから離れろ」


 不意に諦めたようにダインはそう言うと、深くため息をつく。彼の意図がわからずザインは困惑した。


「何してんだ。さっさと逃げるんだよ!あいつらが戦っている内にな」


「いや・・そんなこと・・・」


 出会ってすぐにダインに殴られたザインは彼の言葉を強く否定できず、声は小さい。そんな彼の態度に苛立ちを募らせたダインは大核猪アボージャンの死体から逃れた両手で地面を強く叩いて声を張り上げた。


「逃げるんだよバカ野郎!あいつらがあの化け物に勝てる保証はねぇんだ!!お前は戦闘に参加するには力不足だろうが!!だったら、とっととトンズラこきやがれ!」


「そんな・・!な、仲間を置いて自分だけ逃げ出せませんよ!」


 言ったあと、ザインはそれが先のダインの行動を責めていることに気づいたが今更取り繕えはしない。ダインの声量に引っ張られて上がった自身の声量に後押しされるように、ザインはダインに対峙する。


「仲間?なに馬鹿言ってやがる!俺たちはたまたま同じ依頼を受けただけの同業者だ!依頼のために力を合わせることはあっても命張ってまで助け合う間柄なんかじゃねぇよ新人ルーキー!お前が居てもいなくても状況は変わらねぇ!命張れば無条件で褒めてもらえるわけじゃねぇんだぞ」


 何もできることがない。そんなことは分かっている。逃げ出したい気持ちももちろんある。ただそうしてしまえば冒険者になった日の挫折。魔獣に怯えて逃げ出した三年前のあの日の焼きましになってしまうではないか。エリート・レントの闘技場でショウ・ツダの試合を見た時に得たあの情熱を、その後の一年の努力を無駄にしてしまうのではないか。それは人生の否定だ。もし逃げ出すことで命を拾っても、それは銀級冒険者、ザイン・フェルベルを殺すことと同義だ。誇りが逃走本能を制して今ここに立っている。何があっても逃げる気は無かった。


「僕は―――」


 ビュンっと風を切って何かがザインとダインの間を通り過ぎる。と、同時にザインの頬に何かが付着した。言葉を切ってザインは頬に手をやった。血だ。心臓の鼓動が速まる。思考することなくザインは顔を飛んできた物体の方へと向けた。そこにあったのは、筋肉質な褐色肌の、ちぎれた腕だった。一瞬でそれがリベラのものだと悟った。心臓の鼓動が速まる。見るのを拒絶するようにゆっくりと顔を向ける。そこにあったのは膝をついて無くした腕の付け根を押さえながらうずくまるリベラと、それを見ながら笑うディランバスの姿だった。


「はっはっはっはっは!!どうした人間!痛いか?腕を無くしたのが惜しいか?あっはっは!」


「《治癒の光》」


 リベラが押さえる腕の切断面を、ララドの奇跡が治していく。といっても彼が起こせる奇跡では腕の再生までは出来ない。痛みを和らげ、出血を止め、失った血液をある程度取り戻すだけだ。額に汗を滲ませて弓を構えながらルドーはディランバスを睨む。戦いは一進一退だった。毛が硬く攻撃は通りにくかったが、スキルとララドの奇跡を使えば十分ダメージを与えられていたはずだった。だが突如としてディランバスの脇に当たる位置から左右二本ずつ、合計四本の人間のもののような腕が生えてきて、一瞬にしてリベラの腕を吹き飛ばしたのだ。自分たちは一番強力な攻撃手を失った。その事実がルドーに焦りをもたらす。


「不思議そうな顔をしてるな?・・くっくっく我はな、喰らった生物の特徴を再現できるのだ。この腕はな、かつて我が下した人間たちの腕だ。貴様らを食えば丁度四十匹目になるな」


「何・・だと?」


 ルドーの訝しげな顔が段々と恐怖の色に侵されてゆく。その様子を喜悦の表情を浮かべて楽しみながら、ディランバスはその不快な声で話を続けた。


「人間の腕は扱うのが難しいなぁ?その分精密な動きが出来るが・・慣れるのに手間取ったわ。まあ貴様らのおかげでもう問題ないがな」


「練習・・だったとでも言うのか?この戦いは」


「他に何があるというのだバカめ」


 ルドーの言葉を一笑に伏すと、ディランバスの脇下の腕が伸びる。物を取ろうと腕を伸ばしたのではない。文字通り、その腕の全長が延びたのだ。突然のことにルドーができたのは腕を交差させ防御姿勢をとることだけだった。彼は腕に押されるまま背後の木に叩きつけられた。肺を圧迫されルドーは苦しそうに息を漏らす。咄嗟に彼の名前を叫ぼうとするララドには反対側の手によって棍棒が振るわれた。衝撃が頭蓋からつま先まで響き、ララドは白目を向いて伏した。ピクピクと体が揺れる。


「・・・まだ戦う意志はあるか?」


「・・・っはぁ・・はぁ・・」


 捻りとったルドーの頭からココナッツの実の要領で血を飲みながら、ディランバスはリベラにそう問うた。互角の戦いのはずだった。しかしそう思っていたのはリベラたちだけ。ディランバスにとってこれはただの遊びに過ぎなかったのだ。一瞬にして苦楽を共にしてきた仲間を二人失った。自分は片腕をもがれて重症だ。絶え間なく口からは息が漏れている。このタイミングで戦意の有無を聞くなんて相当に趣味が悪い。いや、相手は魔物だ。何が期待できようか。膝立ちになっていると敵のデカさがよく分かる。今思うとどうして戦いに挑んだのだろうか。


「・・・逃げな英雄志望」


 ゆっくりと立ち上がりそうリベラは呟いた。声量と距離からその言葉は後方のザインには届かない。それでも彼女が立ち上がり魔物と対峙するその後ろ姿は彼の目にしっかりと映っていた。


「ふっくっくっくっくっ・・素晴らしいな人間。そうでなくては楽しめん」


 合計六本の腕を大きく広げ醜悪な笑みをディランバスは浮かべる。圧倒的な力量差を理解した余裕な笑い。同じことを理解しながらも、リベラはディランバスを睨む。戦う意志はある、と言葉ではなく行動でディランバスの問いに答えてみせた。


「《狂戦士化バーサーク》」


 それは、痛覚を完全に遮断し、意識すら飛ばしてただ目の前の敵を屠る狂戦士となるリベラのとっておきのスキル。発動すれば感覚が研ぎ澄まされ筋力は増強される。普段肉体を守るために無意識にかけている肉体の制限すらとっぱらい、肉が裂け骨が折れようが構わず戦い続ける諸刃の剣だ。片腕を失い、仲間を失った彼女に残されたのはこれしかなかった。体が軋むような感覚とともにリベラの意識は遠のいていく。否、怒りに似た強烈な戦意に塗りつぶされていった。今の彼女の視界に映るのは目の前の敵のみ。失くなった腕の付け根を押さえていた手を離し、斧を握る。様子の変わったリベラを見て、興味深そうにディランバスは小さく息を吐いた。


 後方から見ていたザインからもリベラの様子が変わったのはよくわかった。背中しか見えないが、彼の目には闘気が湯気のように彼女から立ち上っているように見えた。先程までの絶体絶命の感覚が和らぐ。希望が生まれた。


「いけっ!リベラさ――――」


 さながら軍の出撃を見送る町人のように。お気に入りの選手を応援するファンのように。彼女の名を呼んで激励しようとしたザインの声はしぼんだ---目の前に倒れるリベラの死体を見て。一瞬にして命を奪われ、ここまで吹き飛ばされてきた彼女の亡骸は希望の消失を意味していた。そして思い出す。この場には町人やファンなどいないということを。自分も声援を送られる側の人間、そうたらんとしてきたことを。言葉では大層な夢を語り、逃亡を勧められれば強く否定しておきながら、自分より強い人に勝手に期待し、無意識に戦うことを拒否してしまった。それが、即ち本音だった。戦いたくない、戦うのが怖いのだ。そんな者を誰が英雄と呼ぶだろうか。


「ぼ、僕は・・・・」


 ガクン、と足の力が抜けザインは膝をついた。大きな目標を掲げ努力する日々は充実感を与えてくれた。確実に毎日進歩していると感じることができた。「夢」を見ていたのだ。ディランバスと出会い恐怖した。それと戦うリベラたちを見て実力の無さを痛感した。それでもまだ「夢」を見ていられた。「逃げる気はない」と言うこともできた。なぜならそんなことを英雄はしないからだ。だが今は――――。


「くそがっ!おい!逃げろ!おいっ!!」


 大核猪アボージャンの死体の下で、藻掻きながらダインはそう叫んだ。ディランバスは手に付着したリベラの血を舐めながらゆっくりと二人に近づいてきていた。怯えて慌てる二人を楽しみながら本当にゆっくりと歩いている。


(わかってる・・逃げたい。でも足が動かない。声も・・・)


 ダインのその必死な叫びはしっかりとザインの耳に届いていた。しかしザインの体は動かない。すくんでしまって力が入らなかった。どうしてリベラたちが戦っているうちに逃げなかったのだと今更ながらに後悔しながらも、ザインはどうすることも出来ずただただ呆然としていた。前方には恐ろしい容貌の魔物。視線を落とせば地面には愛用の片手剣ハンドソード円盾ラウンドシールド。迫りくる脅威に対して、それらはあまりに頼りなく見える。心の遠くの方でかつて英雄を志した自分が「戦え」と叫んでいる気がする。だが戦意は完全に消失していた。諦めたように両手を地面につけた。悔しくもなかった。分不相応な夢を見たな、なんて考えて心のなかで両親を想った。


 ふと、視界に何かが映っていることに気づいた。視線を向けるとそれは風呂敷だった。何かを包んでいる。中身が漏れているのか黒く滲んでいる。少し遅れてそれは商人のデラロが器に収めていたディランバスの血だと気づいた。なぜここにこんな物があるのだろうと気になったが大方リベラと一緒に飛ばされてきたのだろうと勝手に納得した。デラロはこれをポーションだと偽って売っていたのだ。銀級シルバーになって初めて受けた依頼のあまりの酷さ、そして自身の運の無さに自嘲気味に笑った、その瞬間、天啓のようにある考えがザインの脳内を駆け巡った。



――――もし、これを飲んだら?



『一瓶飲めば知覚上昇、筋力、魔力の増加、持久力も増幅されて疲れ知らずとなれる代物です』


 ドクンと心臓が跳ねる。死に体となっていた体に熱が戻っていくような感覚をザインは得た。もしディランバスの血を飲んで力を得られたなら。この状況を打開できるかもしれない。助かるかもしれない。また、「夢」を見られるかもしれない。バッと視界を上げる。ディランバスは着実に近づいてきていた。時間がない。ザインは急いで風呂敷を広げ中の器を取り出す。蓋が歪み中身が少し漏れていたが、その大半が器にしっかりと残っていた。黒くドロドロしたそれはどこか禍々しい。異質だった。数秒逡巡した後、ザインは覚悟を決めて器を持ち上げ口をつけた。異物を察知して体が吐き出そうとするも、それを意志の力で捻じ伏せて勢いよく飲んでいく。一息に飲まなければもう二度と口をつけられないだろうということをザインは悟っていた。やがて飲み干すと、ザインは立ち上がる。手には片手剣と円盾が握られている。


「あれだけの血を飲むとはな。面白いぞ、人間」


「・・・・」


 ザインからの言葉はなかった。恐怖を克服したわけでも、勝てる確信を得たわけでもない。魔物の血という不確かなものにわずかに希望を見出して、その勢いのままに立ち上がっただけだった。やれるだけやってやる、いや、やるしかない。そう自分に言い聞かせて形だけでも戦う姿勢を見せただけだ。片腕もがれてもなお闘志を燃やしたリベラとは違う。そんな状態で何が言えるだろう。余裕ぶった強がりも、相手を威圧する敵意も口にできない。それ故の沈黙。そして――――


「うわあああぁあぁぁあああああっっ!!!」


 咆哮、そして突進。その声に戦士の勇敢さはない。弱者が自らを奮い立たせるためだけの、恐怖を鈍らせるためだけの大声。それでもザインは戦うことを選んだ。向かってくるザインに合わせるようにぐるぐると軽く腕を回すとディランバスは勢いよく腕を振り抜いた。ムチのようにしなる長腕が盾の上からザインを思い切り叩いた。触れた瞬間に円盾は砕かれ、その破片ごとディランバスの拳が彼の顔面を強烈に叩く。衝撃のままザインは吹き飛ばされた。二度地面にバウンドして、ぐったりと仰向けに倒れる。破れた皮のヘルムの下で、血だらけの顔面を晒す。白目を向いているその表情からは意識は読み取れない。


「ふんっ・・つまらん。血を飲んでもその程度か」


「くそ・・だから言っただろうが」


 ディランバスは興味を失ったようにザインから視線を切ると、両側の複腕でリベラ、そして大核猪アボージャンの死体を掴むと大きく口を開けて一息に飲み込んだ。バキバキ、と骨を砕く音をわずかに響かせて、ブルッと体を震わせる。


「ふーっ。さて待たせたな・・・その足じゃ戦えまい。覚悟は良いな?」


「・・・ふんっ」


 大核猪アボージャンの死体から抜け出せたものの、ダインの足は赤く大きく腫れていた。それでは到底走るどころか歩くことすらままならない。とうに命を諦めていた彼の精一杯の強がりを見抜いて、口角を上げると、ディランバスはダインの体を掴む。目線の高さまで持ち上げられるもダインは抵抗しなかった。


「兄貴・・悪い、先いくぜ」


 そう呟いて、ダインは目を閉じた。死を受け入れる様相だった。それを見て少し不服そうな表情を作ってみせるが、すぐに気を取り直して、ディランバスはダインを口に運ぼうとして――――強烈な痛みによって手を放した。視線を落ちたダインに向けるが、彼は落とされた衝撃に悶えているだけだ。痛みの発生源は腕。鋭い切り口からは黒い血が流れ出ている。


「何が・・」


 ハッと気づいたようにディランバスは視線を送る。その先には顔を血で赤く染めながら、両足で立つダインの姿があった。割れた盾と片手剣を持ちながらこちらに視線を向けている。が、その表情からは戦意どころか生気を感じない。ふらふらと今にも倒れてしまいそうな気配で一杯だった。


「貴様・・!!」


 ディランバスが何かを言い終わるよりも早く、ザインは駆け出した。相変わらず生気を感じないが、その足取りは確かで、力強い。あっという間に彼我の距離を詰めるとザインは大きく跳躍した。空中で、ザインは円盾をディランバス目掛けて投擲する。あっさりと弾かれる円盾。しかしそれによって空いたザインの手には火が渦巻いて発生していた。人の頭大にまで膨れ上がった火の玉を、円盾と同じようにザインは投げつけた。ディランバスは両の複腕を素早く振るってそれをかき消す。そうしてる間にザインは眼前まで急接近していた。


「うぐぅう・・!」


 ディランバスの胸元を、ザインの刃が切り裂く。この戦いが始まって初めてディランバスは苦しげに唸った。リベラさえ奇跡の力で強化してようやく傷つけることのできたディランバスの肌をザインは容易に斬る。地面に伏しながらダインは瞠目した。一体何が起こっているのか。目の前の光景は明らかにダインの理解を超えていた。ザインは空中で身を翻すと、続けざまに剣を振るう。それを躱したディランバスは彼を撃ち落とすように上から伸ばした手を振り下ろすが、ザインは素早く横に移動し避けた。風だ。ザインは風に乗ることで空中を自在に動いている。


「魔法がつかえたのか・・?」


 そう呟いておきながら心中でダインは否定した。ザインという男は間違いなく銀級シルバーになりたての冒険者だ。実力もそれに準じている。断じて剣を振るいながら魔法を操るなんていった高度な戦闘が出来るわけがなかった。では、一体何が。魔物の血を飲んだからとでも言うのだろうか。釈然としないがそれぐらいしか説明がつかない。状況を飲み込めないままダインは視線を送る。突如として現れた、失ったはずの希望。まるで物語に出てくる救世主――――英雄のような男の戦いに。


「貴様っ・・!」


 自分の周りを飛び回るザインを恨ましげに睨むと、ディランバスは六本の腕を思い切り広げた。人間のものと同じ形をしたそれらは徐々に棒状に細くなっていき、やがてムチのようになった。精密な動きは出来なくなるが、速度と効果範囲は大幅に上昇する。ハエのように飛び回るザインの迎撃性において、適した形をとったのだ。風を切る、というよりは空間を切り裂くような勢いでザインを捉えんとディランバスの腕が縦横無尽に暴れまわる。さながら結界。何人も逃れようのないほどのそれの、ほんの僅かな隙間を、しかしザインは容易くくぐりムチを躱していく。風を起こし自在に空中を飛び回り、攻撃を躱して、ザインは空手で空中を撫でる仕草をする。それに合わせて地面からディランバスの背後に岩が隆起した。彼は岩を蹴って、その反動で推進力を得るとそのままディランバスの胸に刃をつきたてる。苦しそうに呻いてディランバスは背中のザインに腕を伸ばすが、突如発生した水によって流され空振る。途端、ガクッと膝がくずれた。足の健を切られたと瞬時に理解したディランバスは能力を用いて新たな足を作成し体勢を保持するが、その僅かな隙に片側の腕を全て切断されてしまった。バランスを崩したディランバスはたまらず膝をつく。低くなった体勢の目線と、空中で翻ったザインの目線が中空でぶつかる。そこでディランバスはザインの正体を悟った。火、水、風、土を操る存在。否、火、水、風、土そのものの存在。魔素の塊である魔物の血を飲んだこと、そして、この土地柄という偶然が重なることでザインの肉体に起きた事象。


「精霊に憑かれたか・・哀れな・・・」


 悲哀に満ちた目でそう言い終わると同時に、ディランバスの首はザインによって跳ね飛ばされた。剣を振るった体勢のまま静かに着地すると、ザインは力が抜け落ちたようにガクッと地面に倒れ伏した。ディランバスの血を飲んだ所から記憶が曖昧だった。夢を見ていたかのように朧気だ。徐々に朦朧としていく意識の遠くの方で、ザインは子供の笑い声を確かに聴いていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 目が覚めると、そこは見慣れた天井だった。自宅だ。すぐにそう判断したザインはいつもの通りベッドから上体を起こした。昼過ぎだろうか。窓から街の喧騒が部屋に漏れ入ってきている。ザインは体の調子を確かめるように腕をぐるりと回してみる。特に違和感はない。デラロを護衛する依頼が、リベラたちが、あの恐ろしい化け物との戦いがまるで無かったことのようだ。


「起きたか。英雄」


「ダインさん!どうしてここに・・」


 起き抜けにスキンヘッドの強面が視界に飛び込んできたことに驚きながらも、ザインはとりあえず状況の把握に務めることにした。ダインの話によると、あの戦いから実に十日ほど経っているという。リベラ、ルドー、ララド、そしてデラロの四名は記憶通り死亡。そして彼らを手にかけた張本人である魔物、ディランバスを倒したのは自分だという。魔法を操って宙を舞い、剣で首を跳ね飛ばしたのだとダインは熱く語った。しかしザインにそんなことをした覚えはなかった。記憶はディランバスの血を飲み、叫びながら必死の覚悟で突撃したところで途絶えている。気がついたらここに寝ていたのだ。そうダインに告げると、彼は頭を捻って唸った。


「そういえば・・・森からはどうやって抜けたんですか?ダインさん足に怪我を・・・」


 そう。ダインは大核猪アボージャンに潰されて足に怪我を負っていたはずだった。最初は彼が気を失ったザインを担いで森の外まで運んでくれたものだと思っていたが、怪我した状態では不可能だろう。今ではすっかり良くなっているようだが。そういえば、と自分の体に注意してみると怪我がほとんど治っていることにザインは気がついた。十日経ったというが、十日であれだけの傷が治るものなのだろうか。


「ああ。それは・・謎なんだ。お前がディランバスの野郎を斬った後、俺も意識を失った。で、気がついたら森の外に寝てた、お前と一緒にな。そこを偶然人が通りかかって助けられたってわけだ」


 ダインの説明では結局謎は解けなかった。不可解な現象であるが、答えを知るものは今この場にいない。このまま頭を捻り続けても意味は無いのだろう。


「ああ、そういえば・・・どこからかガキの笑い声が聞こえた気がしたな」


 ポツリと言ったダインのその言葉に、なぜか、ザインの心臓は少し跳ねた。



====三日後


 晴れた日の朝。マッシャルディーナ王国下の街、エリート・レントにて二人の男が旅立たんとしていた。一人は重量のあまりにない革鎧の下にチェインシャツを着込み、頭には革のヘルムを、左手には小さい―頭を守るには十分な大きさの―円盾ラウンドシールドを持ち、腰には片手剣を佩いている。装備の質や見た目は完璧に新人冒険者ルーキーの出で立ちだが、どこか他とは違う独特な空気を漂わせている。その隣には、薄い肌着の上に申し訳程度大きさの古びた革鎧を身に着け、背中に一般的なものより一回り大きい手斧を担いだ恰幅のいい禿頭の男が立っている。


「本当にいいんですか、ダインさん?僕自身もどこに向かうのかわからない旅ですよ?」


 そう言って、新人冒険者ルーキー風の男、ザイン・フェルベルは隣の男、ダイン・ホージンに声をかけた。彼の言う通り、今から彼らは行き先のない流浪の旅に出かけようとしていた。発端は三日前に目覚めてからザインに纏わりついている奇妙な感覚。まるで何かに呼ばれているような、導かれているような感覚のせいだ。無視できないし、不思議と嫌なものではなかった。ザインはあっさりとエリート・レントでの冒険者活動を諦め、まるでそうするのが当然とでも言うように旅に出ることを決めた。そんな彼に、ダインは付いていくという。ザインは今感じているその奇妙な感覚以上に奇妙な申し出だった。


「何度も確かめるんじゃねぇよ。行くったら行くんだよ」


 そう言ってダインは大きく笑い、ザインの肩をバシバシと叩いた。初対面の際に自分に殴りかかってきたとは思えないほどの変わりようだ、とザインは思った。が、同時に嬉しくもあった。旅の経験などない彼にとって、年上で経験豊富なダインのような存在は頼もしい。それになにより、ずっと欲しかった仲間ができたみたいで心強かった。


(お前の力があれば楽に稼げるに違いないぜ!ざまあみろ大家の野郎!家賃はツケだ)


「どうしました?」


 大笑いから、小笑い、というよりニヤリといやらしい笑みを浮かべるダインを訝しむザインの言葉。ダインは「なんでもねぇよ」と誤魔化すように咳払いをして、「ほら行くぞ」と歩き出した。ザインは彼の後ろ姿を一瞥して、街の方を振り返る。エリート・レントは彼にとって思い出深い街だった。夢を一度破られ、絶望の日々を過ごし、目標とする人物に出会い、再び夢に向かって歩き出したのもすべてこの街のおかげだった。「英雄になる」という夢は当然捨てていない。しかし具体的な手順など誰も知らないのだ。過去の偉人たちにあやかって同じような道を辿ろうともそれが自分にとって正解とは限らない。奇妙な感覚に従って旅に出る。それが今、自分のすべき事だと心の底からザインは確信していた。それが遠回りや間違った道だと誰が決められるのだろうか。一つ、確かなことは、「夢を捨てない」。それが夢を叶える為に絶対に必要なことだということだ。


 ザインは軽くエリート・レントに向かって手をふると、先行くダインに追いつくように歩き出した。その道が夢に向かって続くものだと信じて。















―――――――――――――きゃははははははははははは


次回、本編に戻ります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ