第十四話 帰還
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グランディニア大陸歴 1075年 トゥールーズ 仮設天幕内
指先に感じる仄かな温もりから、 朝の来訪を優しく教えられた様な気がしたハンナは。 ぼんやりとした思考の中にありながらも、 これを夢だと判断した。 デヴォリの元を離れ、 片田舎の修道院での不自由な日々を半ば義務付けられた彼女にとって朝とは。 一日の中で、 有形無形の他者の悪意を受け入れ始める時間の事であり。 このように、 穏やかに訪れるものでは無かったからだ。
夢と言えば、 昨夜――と言うのも可笑しな話だが――出会った二人組は、 夢の中の登場人物だとしても随分と奇特な存在だった事を思い出す。
自分とそう変わらない年頃に見えた少年は、 外見と内面から感じる印象が何処かチグハグで。 頼りがいがあるのか無いのか、 何とも判断に困る人柄であった。
もう一人の方は声色から男性だった気もするが、 最近では殆ど光を捉えられなくなった自分の目では、 残念ながら判別が叶わなかった。 不明瞭な視界の中で、 唯一視えた綺麗な翼からすると修道院の説教でよく耳にする、 御使いとやらなのかもしれない。
御使いとそのお供にしては、 何だか砕けたやり取りばかりでえらく気安い存在だったのだが。
「また、 逢えると良いなぁ 」
夢と現実が、 面倒な感じで絡まりあったすっきりとしない、 それでいて何故か心地の良い思考を打ち切るように呟いた後で、 ハンナは再び微睡の中へと旅立って行った。
到着に三日、 帰りは文字通りのひとっ飛びでもって、 前世を含めても初めての人質救出作戦を終えたリュートは、 軽めの食事と着替えだけを手早く済ませた後、 家屋を失った――被害を受けた――者が出た為に設けられた天幕の一つへと飛び込むと、 それはそれは深い眠りについた。
当然、 領主で村長で父親のラグナだけでなく、 村内に居合わせたほぼ全ての人間がリュートへと事の顛末の説明を要求、 もしくは逆に、 居残った側の現状を語って聞かせようと試みてはみたのだが。
襲撃事件から続いた緊張の連続、 更にはハンナの体調の回復と眼球部分への根本的な治療とを天秤にかけた結果、 トゥールーズ村への帰還をまず第一とした事による、 問答無用の強行軍は神界で様々な経験を重ねたリュートの《精神力》を以てしても、 到底耐えられるようなものでは無かった。
完徹三日目の企業戦士、 もしくは罰ゲームで周回させられた絶叫マシーンの映像が、 テープや機材の都合できちんと撮れていなかった際のお笑い芸人とはかくや、 と迂闊に刺激しようものならば何を仕出かすか分からない者特有の危ない雰囲気を纏い始めたリュートに対して強く出ようとする者など居なかった。 例外と言っても良い人物は一人居たが、 彼もハンナの治療や村の面々に助言――と言う名の指令――を出すのに忙しかったのか。 帰還したリュートに出くわしても、 特に言及をしなかった。 完全に警戒を解いて睡眠を取る事が随分と久々の事のように思えたリュートは、 心の底から全力で惰眠を貪りに向かったのであった。
食って寝て、 たまに思い出したかのように寝袋から這い出ては、 体を軽く拭うだけして再び蓑虫の妖精となる、 リュートの至福と言って良い生活は精確性には欠けるものの約三日間に亘って続き、 そして当然の如く終わりを迎えた。
ある日の朝、 食事を済ませて当然のように寝袋へと戻ろうとしたリュートを、 次兄が呼び止めたのである。
そのまま外へと連れ出されたリュートの姿は、 村の南西部、 具体的に示すのであれば村を流れる小川を工房から五分程度遡った、 居住区と荒地の境目のような位置にあった。
これまた久しぶりにゆっくりと眺める故郷の大地には、 もう根雪の欠片も見当たらない。 寒々しい空の旅が続いたからか気が付くのが遅れたが、 春はもうそこまで処か、 すでに到着していたようであった。
「もう、 寝癖くらい自分で何とかしなよ 」
「兄さんが急かすからじゃんか 」
スウェントと日常のあれこれを話しながらのんびりと歩いたその先には、 恐らくリュートを呼び足した張本人であろうロイの他に、 何やら固い表情で話し込む様子の親父とデヴォリ、 更には大人達に隠れて見つけづらかったがアルフレッドの姿もあった。 所々盛り上がったりその反対に陥没した地面を見るにあたり、 アルの魔術の寸評でもしていたのであろうか。
「んで、 こんな所まで来て何の話? 」
「まぁ、 取り合えず掛けようか。 アル、 頼む 」
「はいっ 」
開口一番、 胡乱な眼差しを周囲に向けたまま問いただすリュート。 それを取り成すラグナの指示でアルが魔術で地面を簡単に盛り上げて、 椅子の代わりを用意する。 どうやら、 それなりに時間を要する類の集まりらしかった。
揃った顔ぶれから、 疑問と言うかいまいち会合の要領を得ないリュートであったが。 ここでごねても何も始まらないので、 渋々ながらに腰を下ろす。 その際に、 デヴォリの何も無い右腕が視界に入る事で、 少し頭が冷えた気がした。
「まぁ、 お前にも関係ある話だ、 リュート。 何も世間話をしようって訳でもねぇ 」
座ったまま、 首から上だけを後方へと向ける鼠色の作業着を着たロイの視線の先には、 何時にもない人数で大森林の木々を切り倒し、 村の中心部へと運搬する人々の姿があった。 公都への遠征に行っていた面々も既に帰還を果たしており、 村内はかつてない賑わいを見せている。 その中にある見覚えの無い人員は村の誰かの親族、 あるいは知人友人の類であろうか。
「あれか……あの後、 公都の各ギルドに向けて要請を送ってな。 ちょっと久しぶりに集まってもらった 」
「なるほど、 ここを攻めた集団のメンバーが来てくれたんだ? 」
「そういう言い方をするのはどうかと思うが……まぁ、 そんなもんだ 」
リュートの抱いた疑問が顔に出ていたのか、 ラグナが殊更感情を込めないように淡々とした口調で説明を加えた。 ラグナからしてみれば、 デヴォリに対しては隔意がないとは言えない一方で、 いつまでも済んだ話を蒸し返すような真似もやりたくは無い。 である以上、 どうしてもこう言った物言いになってしまう事は避けられないようであった。 せめて戦場がトゥールーズで無かったのであれば、 また違った関わり方もあったのかもしれない。
ただ、 当の本人であるリュートにとってはその辺りはあまり気にならないらしい。 魔物の領域の開放と、 人為的な襲撃を一緒くたにされたラグナからしてみればたまったものでは無いが。 リュートの中では、 デヴォリは既に信頼できる人物となっている。 無論その事をデヴォリに伝える暇など無かったので、 今の所は一方的なものでしかないのだが。
「さて、 態々こんな所まで呼び出したんだ。 村の皆も働いてくれている事だし、 やるべき事を済ませてしまおう 」
「はい。 リュート殿、 アルフレッド殿、 この度は―― 」
ラグナからの視線を受けたデヴォリが、 間髪入れずに姿勢を正してから、 二人に対して一連の出来事に対する謝罪を始めた。 先ほどの発言からも分かるように、 リュートにとってみれば茶化す余裕がある程度にはある意味で終わった話であったのだが。 ハンナを無事に救い出してもらい、 漸く教国の柵――と表現するには随分と直接的な縛りだが――から解放されたデヴォリとその家族にとっては何よりも、 まずは謝罪から始めなければならないと言った所なのだろうか。
「――俺も、 あんたには借りがある。 だからこれでチャラで良いよ 」
放っておけばいつまでも謝罪の弁を続けそうに思えたので、 リュートはデヴォリに対して簡潔にこう告げた。
結局の所、 リュートが先ほどまで安眠を超えた惰眠を貪る事が出来た事も……その直接の原因となったデレーブでの救出劇に関しても。 先日、 故郷の生家を燃やしてくれやがった相手を丸腰で目の前にしても、 こうして平然といていられる事も。
リュートにとってみれば、 もう済んだ事なのだ。
レイラの食堂内での戦闘時、 デヴォリがリュートに対して殺さない様に手加減してくれた事も理由の一因ではあるものの。 万が一、 レイラが帰らぬ人となっていたならば……リュートは自分の全てを賭けてでもデヴォリとフォンタナの命を奪いに行っていたであろうし。 誰に何を言われても、 ハンナを助ける為の行動等、 一切起こしていなかったに違いない。
とどのつまり、 かつて神界にて自分を見つけてくれて、 グランディニアと言う異世界で生き抜く術を授けてくれた、 かの暴君が“ケツを持つ”と宣言した時点で……リュートには、 迷いや不安等は微塵も無かった。 いや、 そもそも浮かばなかったのだ。
ただ、 この雛鳥が親に向けるような無条件での信頼感を遥かに超えるこの感情を……親子や兄弟とは言え、 自分以外の誰にも理解出来ないだろうと感じた上で。 その張本人を前にして、 この気持ちを周囲に晒すだなんて小っ恥ずかしいにも程があったリュートは。
「あんたはギリギリの所で間違え無かった……いや、 正解を掴み取ったって所かな 」
こう、 取り繕う事で精一杯であったと言えるだろう。
リュートの沙汰が済んだ時点で、 この会合での残る議題は、 もう一人にして最大の被害者である、 アルフレッドの心持次第であったと言えるだろう。
何せ、 齢十歳でしかない少年が仮にも一部であったとは言え、 このグランディニア大陸に七つしか無い国家の内の一つから、 その身柄を狙われたのである。 精神面の強い者であったとしても心的外傷を抱えてもおかしくなかった。
「僕は……僕が弱かっただけだから 」
「アル…… 」
「……そうか 」
「…… 」
しかし、 この小柄なエルフの少年は俯いたままに、 この一連の出来事を、 自分の弱さが悪かったと結論付けていた。 実際に外からの襲撃があろうがなかろうが、 自分で自分の身を守れるだけの強さがあれば何も問題は起きなかった……人並外れた≪魔力≫をその身に宿している事も、 大陸でも珍しい【地属性】の単属性保持者の証たる輝かしい銀髪も。 戦う意志と、 その使い方を知らなければ何の役にも立たなかったと感じているのだ。
この、 悔恨とも呼ぶべき深い、 実体験からにじみ出た言葉を前にして。 その場に居合わせられなかったラグナやスウェントは勿論、 当事者の一人であったリュートでさえも掛ける言葉を見つける事が出来ないでいた。 実際問題、 転生した身であるリュートはともかく、 十歳の少年ならば少々の厳しい訓練をその身に課すことはあっても、 命のやり取りを伴った戦場に出る事はまず、 無い。 なので、 アルフレッドが自分自身の思い描いた姿を、 実際の行動として形に出来なかったとしても……それは、 全くと言って良いほど悪い事では無いのだが。
「まぁ、 人生なんてそんなもんだ 」
アルに釣られる形となったのか……自然と足元に生えた雑草をぼんやりと眺めていたリュートであったが。 頭の上から降り注ぐようにして耳へと届いたその言葉に、 思わず頤を跳ね上げた。
励ましは勿論の事、 まるで体中を包み込むような優しさが込められたそれは、 ロイの口から出たとは思えない程には真面目さで溢れており。 いつの時であっても不変の、 飄々を飛び越えたラインで超然とした様を崩さない……とにかく、 彼らしく無い声の響きと空気を伴っていたのである。
「つう訳でリュート、 アル。 お前達にもいよいよ教える事になった―― 」
しかしながら、 リュートの視線がロイの表情を捉えた時には既に。 彼はいつもの傍若無人が人の形を成したかの様な、 ある意味では普段通りの様相をした彼の姿しか無く。
「――戦い方ってやつをな 」
リュートはここへ来て漸く、 二度寝を妨げられた理由を告げられるのであった。
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