第十一話 準備
グランディニア大陸歴 1075年 カレスト教国 廃村
現在の時刻は、 かつて神界にてゴーレムにまで才能が無いと評されたリュート=ヴァン=トゥールーズと、 その彼が知りうる中で最弱の使い魔であるハチ……彼等がグランディニア大陸の南東の果てであるトゥールーズを飛び立ってから三日目の午後である。
ただ漫然とハチの背中に乗って運ばれただけのリュートの感覚からすれば漸くと言った所で、 二人――と表記する――は今回の任地となるカレスト教国の地方都市であるデレーヴ……から程近い位置にある廃村へとたどり着いた。
近いと言ってもそれは直線距離で考えた場合であり。 目的地のデレーヴとこの廃村の間には文字通り一山、 昼夜を問わず歩き続けても丸一日はかかるだけの物理的な障害がある為に、 実行前の最後の夜営地として選ばれた場所である。
「くぅー。 ハっちゃんハっちゃん、 そのデレーヴって町はこっからすぐなの? 」
大鷲の背から降りるやすぐ。 道中ではほとんどすることの無かったリュートは、 凝り固まったその小さい体のあちこちを伸ばしながら彼へと尋ねた。
「お前……ほら、 とりあえずこれを見ろ 」
道中を苦労知らずで過ごしたリュートの、 軽薄とも見える態度や仕草に軽い苛立ちを覚えながらも……今の彼が見た目通りの年齢だった事を瞬時に思い出したハチは、 この場で追及する事を避けて話を進めようと……これまたヌルっと人間形態へと戻った後、 ウエストポーチから二通の丸められた羊皮紙を取り出した。
「へぇ~、 羊皮紙何か持ってたんだ? 」
「地図はこの世界じゃ、 一応機密事項だからな。 ぶっちゃけ雰囲気に合わせただけだ。 んなことより―― 」
ハチの持つ羊皮紙に書かれている内容は二点。 現在地とこれから目指す町、 デレーヴの位置関係。 それと、 これから侵入することになる“修道院”なる建物のデレーヴ内での所在……これだけである。
これらの情報は、 実際に何度かデレーヴや修道院に何度か訪れた事のあるフォンタナの証言を、 ざっくりとまとめたものである。 本来であればデヴォリと言う、 より詳細を知る人物がトゥールーズには居るのだが……彼はラグナに土下座した後、 気絶するように倒れて以降、 未だに目覚めていない。
その原因は勿論、 リュートが彼の右腕のから先を刈り取った事から来る失血である。
ちなみにグランディニアでは現代には到底及ばないが、 それなりには“紙”が普及している。 使い分けとしては、 先に挙げた重要文書――公文書等――には羊皮紙を用いる風潮がある程度であり。 ハチがここで羊皮紙を用意したのは、 彼の言う通りで雰囲気以上の意味は無い。
「――ここまで来たら、 後は周囲が寝静まるのを待ってから魔術でひっそりと潜入。 デヴォリとフォンタナの家族とやらをサクっと攫ってFly Awayだ。 良いな? 」
「オーケーBossって言いたい所だけど……拉致はともかく、 その潜入とやらはどーすんのさ? 」
今回、 抗いがたい経緯があったとは言え、 リュートは敵対勢力であるカレスト教国に密入国してしまっている。 来てしまった以上は盗るものを盗って、 なおかつ無事にトゥールーズへと帰還しなければならない。 そして、 ここまでの空の旅の行程の中で、 リュートの役割は要救助者の発見と説得に割り振られたのである。
全く経験の無いリュートに一応ながらも仕事が割り当てられた理由は勿論、 今回の遠征がデヴォリとフォンタナの家族を救い出すと言った建前から来ている。
つまり、 リュートがこれから考えなければならない事は二点。 どうやってデヴォリの家族の居場所にまでたどり着き、 彼女をどうやって説得して連れ出すか、 に尽きる。
対象が女性と断言出来るのは、 勿論デヴォリやフォンタナからの証言もあるのだが。 カレスト教国が他国に勝る唯一の要素である“神託”を受ける事が出来るのは“巫女”、 つまりはその巫女の候補には女性である事が求められるからである。
もっとも、 内情は――伝聞や推測の域を出ないが――アルフレッドを他国の領主館を焼いてまで拉致しようとした辺りから考えてもかなり困窮、 または閉塞感に苛まれているのかもしれない。 いくら銀髪で【地属性】持ちで珍しいとは言え、 アルは立派な男子であり。 しかも教国の民が蛮族と見下す所のエルフであるのだから。
或いは蛮族だからこそ、 弄くり回して壊したとしても彼等の良心が痛まないのかもしれない。
「リュート、 お前が気を付けるべきなのは監視者がいるならその動向。 あとは修道院とやらの防犯設備がどんなもんかって所だな 」
「……潜入って言ったらもうあれだわ。 ダンボールに包まれるやつしか思い付かねぇわ 」
脇道に逸れた話を元に戻そう。 魔素のある世界――所謂ファンタジー世界――における潜入、 と言うよりは敵対勢力下の拠点における非合法的な活動――要はスパイ活動――には当然ながら、 現代のそれとは異なる注意点がある。 まずは、 敵側がどのような手法で侵入者の存在を感知しているかを知らなければならない。
「あれは……きっと未来の光学迷彩だ。 まぁ、 ぶっちゃけて言うなら今ここにあのダンボールがあったとしても、 見張りや施設の床なんかに魔素系のトラップがあればアウトなんだわ 」
「あぁ……へぇ、 そうなんだ 」
眉毛をしかめながら説明を始めたハチを見やるリュートだったが、 今更ながらにハチが人間形態へと変化していた事に気が付いてしまった為に気もそぞろ。 寧ろハチの眉毛の存在が……と考えた辺りで再度、 話の途中でハチの眉毛がつり上がり始めたのを見て慌てて相づちを打つ。
「いいか? もっかい魔素について説明してやっから、 ちゃんと聞けよ? 」
「……あぁ、 うん、 お願いします 」
ハチがウエストポーチから、 どう考えても容量以上の大きさをもつパイプ椅子を二脚取り出した後、 片方に着席する。
まさにファンタジーな光景を目の当たりにしたリュートの脳裏には、 パイプ椅子は神界で座って以来だとか、 そう言えばギルドカードにインベントリが付与されていた事実だとか、 そもそもこんな廃村のど真ん中に着地しておいて家屋の陰に隠れもしないのか……等と様々な事が高速で駆け抜ける。
しかしながら、 向かい合うハチの様子がこれ以上の茶々や逡巡を許可してくれそうになかったので、 おずおずとパイプ椅子を開いて対面へと着席した。
「魔素が何なのってのは、 ここで説明し尽くすには到底時間が足りん。 だがな、 魔の素と書いて魔素だから読んで字の如く、 ファンタジー世界の根幹を成すって訳だ。 つまり―― 」
ハチの口――或いは鳥なので嘴――から出た言葉は、 ある意味ではリュートにとっても馴染みのある事柄から始まった。 ファンタジー世界の住人と地球に住まう現代人を馬鹿真面目に比較した場合、 最も顕著な違いを挙げるとするならば……やはり、 その身体能力であろう。
自身の身の丈より大きな剣を振り回し、 大地を跳ね、 野を山を、 そして草木の生い茂る森林を縦横無尽に駆け巡る。 このファンタジー世界にとっては当たり前とも言える事象を可能としているのが、 魔素の存在である。
これまた当たり前に大気中に散布されたそれは呼吸によって酸素と共に体内に取り込まれ、 食物連鎖の波に乗って人体へと蓄積されていく。 目には見えないものの、 体内の隅々を巡った魔素はあらゆる活動において人々の糧となり、 細胞レベルで効果を発揮する。
そしてこのミノ◯スキー粒子並みに万能な魔素は、 体内から体外へと出る際に顕著な働きを持つ。 リュートが転生したファンタジー世界であるグランディニアでは、 この働きに一定の法則性と再現性を持つものを“魔術”と呼称している。
「――んでもって、 ここからが本題だぜ? 魔術ってのは何も科学技術だけに縛られるもんじゃねぇ。 何せ、 大元が魔素っつう不思議物質だからな 」
「……それは良いけどさ、 今回の件と何の関係があるのさ? 」
滑らか口上を進めるハチに対して、 はっきり言ってリュートは殆んど着いていけていなかった。 しきりに両腕が動き回っている点からしても、 興が乗ってきたのかとにかく興奮しているのが見てとれるが……リュートが知りたいのは学術的な視点では無くもっと即物的な、 言ってしまえば魔素トラップとやらの仕組みや、 それを無効化する方法である。
学者としてならハチは優秀なのかもしれないが、 セースルマンなら話の途中で玄関扉を閉じられているに違いない。
「あぁ……ったく教えがいのねぇ生徒だなぁ、 お前は 」
「へいへい、 悪かったねぇ不勉強で 」
一方でハチのほうも、 会話の中身が本筋から逸れてしまった事に気が付いたのか、 或いはリュートの退屈な心情を読み取ったのか。 リュートにとっては漸くと言って良い時間を経てから、 魔素トラップの件を語り始めた。
「まぁ要は、 見張りの目を光学迷彩で。 熱探知や振動検知を魔術の水のヴェールや霧なり、 浮遊なりで回避しても……だ。 お前の体の中にある魔素を感じ取る能力なり、 これから行く施設の周囲の魔素の変化に気付く相手や設備があったら……リュート、 お前ならどうする? 」
魔術についての講義が終わりを迎え、 簡単な食事と休息を廃村の、 今にも朽ち果てそうな家屋の中で過ごしたリュートとハチの二人は……太陽が山の向こうへと姿を隠し、 辺りが夜の闇へと包まれた時点でここへ来た痕跡を消し去ってから行動を開始した。
結局、 ハチにの問いに対してリュートは全うな回答をついぞ用意出来なかったのだが。 実の所、 問うた側のハチからしても今回の潜入工作はあくまでも演習でしか無かった為に、 リュートが現時点で答えを持っていようがいまいが……それこそ、 夜が来るまでの暇潰しが出来ればそれで良かったのである。
幾ら親しい友人同士だとは言え、 三日三晩も語り合えば話したい事柄など尽きてしかるべきである。
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