古典文学の展示会
「えっ? 家出てお兄さんと一緒に住む?!」
京子はカレーライスを食べていた手を止め、目を丸くして驚いた声を出す。
年明け最初の授業のこの日、宏明達四人は久しぶりに食堂で昼食をすることになった。
宏明は冬休みに兄と住むことになったことを話した。
驚いたのは京子だけではない。茂と紀美も驚いている。
「うん。今のところ、大学近くの駅に住む予定。今のバイトは続けるつもり。バイクで十五分くらいだしな」
宏明はお茶をすすりながら話す。
「なんで三人で暮らすんだよ? 実家で親と暮らすほうがいいのに…」
茂はよくわからない表情をする。
「まぁ、色々あってな。三人で暮らそうって言い出したのは、すぐ上の兄なんだ。なにげに言ったんだと思うんだけど、それが話が大きくなって、三人で暮らすってことになったわけ」
「ヒロってお兄さんと仲良いよね。男兄弟って羨ましいって思っちゃう。私、お姉ちゃんと二人姉妹だけどケンカしたら凄まじいことになるんだよね」
宏明を羨ましげな表情で見る京子。
「ケンカの時は凄まじいけど他は仲良いよ。私も男兄弟欲しかったな」
「ホント、京子って欲しい物いっぱいあるな。ついこないだは、チワワ欲しいって言ってなかったっけ?」
茂は若干引き気味だ。
「チワワはチワワよ。いいな、いいな。私も男兄弟欲しいな〜」
「そんなこと言ったってな―…」
宏明も引き気味で、なんとかしてくれという助けの目を紀美に向けた。
宏明と目が合った紀美は、宏明の気持ちを読み取り、
「京ちゃん、あんまりそんなにいいなばっかり言ってちゃダメよ。でも、思ったことをすぐにいう京ちゃんは大好きよ」
やんわりと言った。
「ありがとう。ヒロ、マンションはどうするの? 三人分の個室も必要だし…」
「そこが問題なんだよなぁ…。最悪の場合、三人同じ部屋ってことも考えないとな。多分、春ぐらいになると思う。兄貴達は働いてるし、休みの日じゃないと探せね―し。オレだって来月上旬ぐらいまで学校で忙しいからな」
宏明はいつもよりゆっくりとした口調で言った。
三人の休みがある日がじゃないと探せない。
家賃のことも考えなくちゃいけないし、兄弟といえどもお互いのプライベートを立ち入るのは嫌だし、部屋を探すのに慎重になりつつ、二人の兄の意見を取り入れなくてはいけない。
部屋が借りられるまで気が抜けない宏明は、自分達が出ていった後の両親のことが気がかりだ。自分達がいないことで、夫婦ゲンカが今まで以上に増えてしまうのではないか、と思ってしまう。宏明がそう思っていても、夫婦間の問題である。
「マンション決まったら住所教えてね。私、遊びに行く」
紀美は笑顔で言う。
「オゥ! 紀美には一番に教える」
宏明は紀美の部屋を撫でながら言う。
「羨ましいねぇ…。二人きりの時だけにしてよね、イチャつくのは…」
京子は呆れた表情をしながら、宏明と紀美を見る。
「別にイチャついては…」
宏明は顔を赤くする。
「ま、いっか。次の授業の教室行こう」
授業が始まった週の土曜日、宏明は茂と他の男友達と共に、古典文学の展示会へと向かった。必修科目である教科の教授が、“古典文学の展示会のことをレポートしてこい”と言われ、同じクラスの友達と行くことになったのだ。
受付で入場料を払い、パンフレットを受け取って中を見ることになった。
「ここの入場料高くね―?」
宏明の友達のうちの一人、辻井という一番背の低い男子が言った。
「確かに…。900円なんてオレら学生にとっては痛手だぜ」
茂も同感しながら言う。
「たかがレポート書くだけなのにな」
もう一人の友達、松川というスポーツマンタイプの男子が、かったるい口調で言う。
「そうそう。なんでこんなメンド―なことさせるんだよ?」
「テストが始まる前に、ってことだろ?」
宏明は展示物を見ながら、辻井に言う。
「テスト前にやられるよりかはマシだけどさ。レポートなんてヤル気起きね―な。書きたくないなぁ…」
松川はあまり展示物に目もくれずに、伸びをしながら言う。
「こらこら…真面目に見なさいよ!」
四人の背後から若い女性の声がした。
振り向くと、スレンダーで美人な女性が立っている。
「げっ?! 姉ちゃん?!」
辻井が声をあげる。
「姉ちゃんって…辻井の姉さん?」
宏明は辻井を見る。
「あ、うん、そうだよ」
辻井は気まずそうな表情をしている。
「ふ―ん…美人だな」
茂は辻井を肘でつつく。
「姉ちゃん、恥ずかしいから向こう行けよ」
「嫌だ。私が案内してあげるから…」
「ここで働いてるんですか?」
「そっ。少しだけなら時間あるから、案内出来るわよ。私は光恵。よろしくねっ!」
光恵はウィンクをしてみせる。
「何、ボケ―ッとしてんの? 早く行くわよ!」
サクサクと歩いてしまう光恵の後に続く四人。
「四人共、文学部の国文科だから大体のことは知ってると思うから簡単に話すわね。平安時代の男性の服装が束帯、女性の服装が十二単なの。男性の束帯は、貴族の正式な装束で、儀式に用いられていた。裾、つまり着物のすそのことだけど、官位が高くなるにつれ長くなり、大臣で約三mもなるの。袍、上着のことね。色や服地、文様など官位によって定められていたのよ」
光恵は束帯を身にまとっているマネキンの前で四人に説明する。
――授業より詳しいな…。
感心していた宏明。
「貴族にも平服ってのがあって、直衣と狩衣の二つ。直衣は天皇の許しにより参内する時も着用出来て、狩衣は直衣よりも下。元来、狩猟の際に用いられたのよ」
光恵の説明に、ノ―トにメモする四人。
「次は十二単ね。内裏に仕える女房達が用いた正式な装束。十二単は江戸時代からの俗称で、十二枚重ねるって決まってたわけではないらしいのよ」
「へぇー…そうなんだ。てっきり十二枚着てるのかと思ってた」
松川が知らなかったという表情をした。
「襲ね色目ってのが発達していて、衣の表と裏の配色のことで、四季の自然美との調和が重んじられていた。服装のことはこれくらいね」
そう言うと、光恵は次へと歩いていく。
四人も急いで、光恵についていく。
「古典文学の舞台ね。古典文学といえば平城京。右京は低湿地のためにさびれ、左京の北方を中心に発展し、人口は十五万人に達したんだけど、平安時代中期には荒廃していったの。『今昔物語』の説話に題材を求めた芥川龍之介の『羅生門』に描かれていたのよ」
一気に説明する光恵。
「ざっと簡単に説明したけど、どう? 少しは参考になったかな?」
「はい、参考になりました」
代表で茂が言う。
「良かった。私、そろそろ行くけど弟のことよろしくね」
「あ、はい」
「もういいから、早く持ち場につけよ」
辻井は照れながら、光恵に言った。
「はいはい。じゃあ、またね」
そう言うと、光恵は自分の持ち場へと戻って行った。
「お前の姉さん、綺麗だったな」
松川はニヤニヤしながら辻井を見る。まるで紹介してくれよという表情だ。
「オレらより二つ上だ。まぁ、姉ちゃんは昔からモテてたけどな」
「彼氏いんのかよ?」
「多分、いないと思う。紹介して欲しいのかよ?」
「べ―っつに…」
辻井はニヤニヤしている松川を呆れ顔で見る。
「ホント、松川は女好きだな。あまり色んな女性にテ出しすぎるなよ」
茂も呆れ顔だ。
「ヒロみたいに一途になれよな」
「オレは一途じゃないって…」
宏明は頭をかき苦笑する。
「オレはヒロみたいに一途じゃないんだよ。すぐに気が変わりやすいんだって」
松川は開き直る。
「いいんじゃない? 姉ちゃんのこと考えておいてやるよ。とにかく、ご飯食べに行こうぜ! 早いうちにレポート書こう。せっかく姉ちゃんが説明しに来てくれたんだからさ」
「そうだな。どこ行く? どうせならゆっくり出来るとこに行こうぜ!」
茂は三人に笑いかけて言った。