意外な再会
紀美とパスタ屋で食事をしてから十日がたった。
宏明が提出したレポートの教科、教職の授業の教授から、「いい出来のレポートだった」と言われた。そう言われた宏明は「そんなに大層なレポートじゃないです」と、控えめに言ったのだった。
宏明にとって、レポートを書くのはそんなに苦ではない。むしろ、好きなほうだ。難しい課題のレポートもあるが、なんとかクリアしている。
「ヒロ、レポートの件、良かった」
教職の授業の教室に向かう途中、高校時代からの友人の相川茂が言った。
「まぁな。茂はなんで教職の授業取ってるんだよ?」
「職に就けたらいいんだけど、教師にもなりたいって気持ちもあるもんだからな。ヒロみたいにちゃんとした理由はないんだけどさ」
「理由はなくてもいいんじゃないか。教えたい気持ちがあれば十分だよ。まぁ、教師になることは簡単な事じゃないけど、教員免許は持ってても損はないんだしな」
宏明がそう言うと、茂は少し不安な表情を浮かべた。
「どうした?」
「自分に生徒を教えることが出来るのかなって…」
「大丈夫だって。オレもそんなもんだし、いつも悩んでばかりだ」
宏明も自分の中にある不安な気持ちを言葉にだす。
「自信過剰のヒロがそんなことを言うなんて珍しいな」
苦笑しながら言う茂。
茂を見て、宏明も苦笑する。
「オレだって自信ない時だってあるぜ」
「そりゃあ、そうだな」
茂は胸を撫で下ろす。
茂にとって、宏明はいつも自信があるようにしか見えない。試験やスポーツなど全てにだ。
「茂にはそう見えても仕方ないか…」
ボソッと呟く宏明。
茂はえっと声をもらして、宏明のほうを見る。
「自信過剰にしてないと、自分が壊れそうでな」
「壊れそう…?」
茂が首を傾げると、校内にチャイムが鳴り響いた。
「続きは授業の後でな」
「オゥ!」
二人は教室に入ると、隣同士に座った。
「で、さっきの話の続きなんだけど…」
授業終了後、教室から出てすぐに茂が聞いてきた。
「弱く見せるのはオレらしくないって思ってさ」
「確かにそれはあるかもな」
茂は同感したように頷く。
「いつでも自信過剰にしてたいんだ」
「あまり強く見せようとするなよ。まぁ、オレもヒロのこと気付いてやれなかったのは悪いとは思うけど…」
茂はすまなそうに言った。
そんな茂を見て、宏明はふっと笑った。
「気にするな。今まで相談しなかったオレも悪いんだし…」
「そう言ってもらえると嬉しい」
すまなそうな表情から気が楽になった表情をする茂。
「それにしても、ヒロは自分を持ってるところが凄い。意見ははっきり言うし、高校の時は部活や委員会もしっかりこなしてたし…」
茂は自分を比較して言う。
「オレと比較するなよ―。茂にもいいところたくさんあるし、オレにはないものがある」
「それでもオレと何かが違うんだよな」
自分と宏明は別なんだという口調の茂。
そんな茂に呆れる宏明。
「人それぞれってことだ。なっ?」
茂の肩を軽く叩いた宏明。
「ヒロと茂!」
背後から女性の声で呼ばれた二人は振り返る。
「おっ、京子! ノンちゃんは一緒じゃないのか?」
「うん。ノンちゃんは英文科にいる友達とお昼食べるって言ってたから…」
地方から下宿して大学に通う水木京子は、息を切らしながら答えた。
「ふ―ん…せっかくだから三人で学食行こうか」
宏明はつまらなさそうに言った。
「何よ? つまらなさそうに…」
京子は頬をふくらます。
「あ、いや、別に…」
「ノンちゃんがいないからつまらないっていうのね?」
「そういうわけじゃ…」
「じゃあ、どういうわけなのよ?」
「だから…それは…つまりだな…」
あたふたしながら言葉に詰まる宏明。
「まっ、いいわよ。早く学食行こっ!」
そう言うと、京子は学食へと歩きだす。
そして、三人は学食で食事をしながら、さっきの宏明と茂のやり取りを、京子に話した。
「茂の言うとおり、ヒロは凄いと思う」
茂の意見に同意する京子。
「そうか? オレは人に凄いって言ってもらえる人間じゃないって…」
頭をかきながらの宏明。
「でも、ヒロが中学と高校の時に生徒会にいたなんてねぇ…」「中学は書記をやってたんだ。本当は副会長やりたかったんだけど、友達がどうしてもやりたいって言うから譲ったんだ。高校の時は、二年後期が副会長で、三年前期が会長だ」
宏明は自慢気に言う。
「会長なんてよくやるよ」
「その上、部活もやってたしな」
「陸上部だっけ?」
「うん。やりたいことやっとかないと後悔するのが嫌なんだ」宏明は力強く言った。
「ヒロは意思が強いね。これって思ったらこのままいくんだもん」
宏明を尊敬の目で見る京子。
京子だけじゃない。茂や紀美、学校の教師や同級生など回りの人間が、いつも宏明には感心させられていた。
宏明が生徒会に入りたいて思ったのは、二人の兄の影響だ。
中学時代、一番上の兄は文化委員長、二番目の兄が美化委員長をやっていた。そんな兄を見ていて、“自分も生徒会に入りたい”と思い始めた。
中学に入ってまずは一年の間、体育委員に入った。そして、二年からは学級委員をやり始め、後期に書記に立候補をし、見事当選したというわけだ。
高校時代、引き続き学級委員になり、生徒会に入ったというわけだ。
部活もやりながらだったので、中学と高校の六年間、辛い事やしんどい事もあったけど、すべて前向きに変えてきたのだ。
学校の成績表も中の上で、よく出来たほうだった。友達も小学校の時から多く、高校に入ると何人かの女友達と呼べるものも出来た。
学生生活の中では、充実した日々を送っていたが、一つだけ充実していないものがあった。それは家の中での宏明だ。
学校から帰ると、いつも疎外感に襲われていた。食事の時も旅行の時も、家族の前では自分をだすことが出来ずにいた。
宏明の両親は、二人の兄に期待を持ち、宏明には無関心なくらい見向きもしない。全てにおいてそうではないが、宏明の心はいつも両親の愛を感じられずにいた。そのせいか、自分は二葉家の息子なのかと思ったこともあったが、そんなことはないと思い直すことも度々あった。
――親父やお袋は、オレのことをどんな風に見てて、どう思ってくれてるんだろう?
学食の窓の外を見つめ、ふと思う宏明。
――もう一度、高校時代に戻りたい。中学時代も頑張ってたけど、高校時代のほうがよりいっそう頑張ってたような気がする。
宏明の脳裏には、高校時代の思い出の数々が浮かんだ。
一番の思い出といえば、体育祭の応援団だ。三年間やっていて、三年には応援団長を努めていた。
さすがに応援合戦の時は緊張したが、宏明にとしてはよく出来たと今でも思っている。応援団に三年間いたことは、宏明にとって貴重な体験となった。
「私もヒロみたいに意思が強くなりたいな。私、飽き性だから、何やっても続かない」
京子は宏明をまじまじと見つめて言った。
「でも、書道は続いてるじゃね―か」
「書道だけだもん」
「いつからやってたんだっけ?」
茂が聞いてくる。
「小一から高三までの十二年間。今でもサ―クルで入ってるけどね」
笑って答える京子。
「そっか。オレもバスケだけだよ。唯一、続いたことって…。もっとやりたいことやっておけば良かった。やりたいって思ってても、行動には移さなかったからな」
後悔しているような口調の茂。それは京子も同じである。
「そうそう。他の人がやったほうがいいんじゃないかって思うもんね」
京子はしみじみ言う。
「一つでもやりたいことがあったらいいと思う。やりたいことを夢中になってやることはいいことだしな」
二人を横目に言う宏明。
「そうよね。さぁ、もうすぐで昼休みも終わるし行こう」
京子はト―トバックを肩にかけ、トレーを持ち立ち上がる。
宏明と茂も立ち上がり、京子の後を追いかける。
「ノンちゃんと三限目の授業の教室の前で待ち合わせしてるんだ」
学食を出て、一歩前に歩く京子は二人のほうを見て言う。
「英文科に友達がいるなんて知らなかった」
「ヒロでもノンちゃんのこと知らないことあるんだ? 私、てっきりノンちゃんのこと全て知ってるんだと思ってた」
宏明は紀美のことならなんでも知ってるもんだと思い込んでいた京子。
「付き合ってるからって紀美のこと全て知ってるわけではないさ」
「でも、女の子とわけじゃないかもな」
茂は冗談混じりで言う。
それに対して、不安な表情をする宏明。
「嘘だよ! 冗談だって!」
慌てて否定する茂。
「当たり前だろ? 紀美は他の男と遊ぶわけないだろ」
さっきの不安な気持ちを打ち消すように、自分自身へと言った宏明。
「そうよ。ノンちゃんはそんな子じゃないもん」
京子も宏明の肩を持つ。
「京ちゃん!」
三限目の教室に着く前に、紀美が京子を呼ぶ。
「あっ、ノンちゃん!」
「三人の姿が見えたから…」
小走りで三人に書けよってくる紀美。
「ヒロが男の子なんじゃないかって気にしてたわよ」
京子は紀美の腕を肘でつつきながら言った。
「まさかぁ。高校の時の友達で女の子よ」
紀美は笑顔で答える。
「本当は外大受けたんだけど落ちちゃって…」
「そっか。ヒロ、これで不安解消だな」
「オレは不安になんか…」
「ウソつけ! 不安な表情をしてたくせに…」
いたずらな目をする茂。
「そ、それは…」
動揺する宏明を見て笑いだす三人。
「ヒロらしくな―い!!」
「そんなに笑うことないだろ?」
頬を赤くする宏明。
「宏君、そんなに心配してくれたんだ」
「あ、うん、まぁ…」
頭をかきながら頷く宏明。
「ノンちゃん、ヒロに心配されて羨ましいじゃん?」
「そんなことないよぉ」
「それだけ仲が良いってことか」
茂は宏明と紀美を見て言った。
その日の放課後、宏明は校内の書籍部によった。前から読みたいたい本があって、その本を買うためだ。
今日は紀美がバイト、茂がバスケ部、京子が書道のサ―クルがあり、宏明一人だけ予定がないのだ。
書籍部を出た後、次はどこへ行こうかと考えていた。
最近、あまり家に帰りたくない気分なのだ。
バイクの駐輪場に向かう途中、「二葉君…?」
背後から男性の声で、宏明を呼ぶ声が聞こえた。
宏明が振り向くと、背広を着た一人の男性が立っていた。
最初はわからずにいた宏明だったが、昔の記憶と合致した。
「吉田先生ですよね…?」
「そうだよ」
宏明が名前を呼んだ相手は頷いた。
「二葉君、この大学に通ってたんだ?」
「はい、そうなんです」
「そうか…」
吉田と呼ばれた男性は、宏明から大学の校舎に視線を移した。「吉田先生、なんでここに…?」
「僕もこの大学の文学部にいたんだ」
「オレも文学部にいるんですよ」
「もしかして、国文科だったりする?」
「そのもしかしてです」
宏明ははっきりと答える。
「国語の教師を目指しているのかい?」
「はい、そうです」
「じゃあ、僕と一緒だな」
「そうですね。吉田先生、これから大学に…?」
「いいや。用が終わって帰るところなんだ。そうだ! 今から夕食、一緒にしないか?」
「いいですよ。オレも用がなくて、そのまま家に買えるのも気が進まなかったとこなんで…」そう答えると、宏明はバイクを取りに行き、この前、紀美と行った駅前のパスタ屋さんへと行った。
二人は向かい同士に座ることになった。
「ところでなんで国語の教師を目指したんだい?」
「実は吉田先生が憧れで…」
照れながら答える宏明。
「そうなのか。嬉しいな」
吉田先生は微笑んで言った。
「吉田先生は今は…?」
「ちゃんと教師になってるよ。私立の高校でね。教師になったのは、大学を卒業して一年後だったけどね」
「一年後…?」
宏明は首を傾げた。
「うん。四回生に教員試験を受けたんだけど、落ちてしまってね。翌年、受け直したってわけさ」
「そういうことだったんですか…」
そう呟くと、宏明は水が注がれているグラスに目をやった。
「今日は用があって大学に…?」
「終礼が終わってから、四回生の時にお世話になった教授に会いに来たんだ」
吉田先生はゆっくりとした口調で答えた。
宏明の脳裏には、吉田先生が教育実習に来ていたことが蘇った。
「それにしても、二葉君が国語の教師を目指してるなんて…。僕が来たお陰かな?」
「そうですね。オレはあの時、夢というものがなくて…。吉田先生が来てくれたことで、夢が見つかったんです」
宏明は吉田先生の瞳をまっすぐ見つめ言った。
「そう言ってもらえると光栄だな」
「そういえば、吉田先生っていくつになられたんですか?」
「もう三十歳だ。三年半前に結婚して、三歳の息子と四ヶ月の娘の四人家族だ」
「そうなんですか」
――なんか、結婚してるイメージはないな。
答えながら、宏明は心の中でそう思っていた。
「僕の嫁も家庭科の教師だったんだ。結婚した翌日の三月に退職したけどね」
「職場結婚ってわけですね」
――結婚か…。今のオレには想像もつかないことだな。
「あの時の二葉君のクラスは、不良ばっかりだったっけ? 担任が注意しても聞かなかったのに、僕なんか全くだったよな。僕、二日目でヘコんでたんだよな、実は…」
衝撃的な告白をした吉田先生。「そんなに大変でした?」
「そりゃあ、大変だったさ。クラスの半分は不良だったな。ていうか、全校生徒の不良の数が凄かったな」
吉田先生は当時の事を思い出していた。
確かにそう言われてみればそうだ。
教師に暴言や途中で授業が中断することは、日常茶飯事であった。高校生のバイクの後ろに乗り暴走して、警察に補導されることも度々あった。
そして、宏明が二年の冬に事件が起こった。
宏明と同じ学年で同級生の不良の男子生徒が、違う中学の男子生徒に、ナイフで腕を刺してしまったのだ。不良の男子生徒が腕を刺した理由は、「自分の顔を見て笑った」というものだった。結局、その不良の男子生徒は、少年院へ送られることになってしまった。
そんな学校を少しでも改善したくて、生徒会に立候補した宏明だった。
「…そうか。そんなことがあったんだな」
吉田先生はため息まじりで呟いた。
宏明は少年院に送られた男子生徒の話をしたのだ。
「不良といえどもそんなことをするはずがないって思ってたけど、ちょっとしたことでキレてしまったんだな」
「えぇ…。校内全体が驚きの一色でしたよ」
校長が全校集会て全て包み隠さず話してくれた時の表情を思い出していた。気丈としていたが、少し疲れた表情をしていたのだ。
「中学の出来事は目まぐるしく起きたから、三年間あっという間でしたよ」
宏明は紙をかきあげながら言った。
「だろうね。二葉君、国語の教師になることは大変だろうけど頑張ってくれよ。いつでも応募してるからな」
吉田先生は力強く宏明に伝えた。
「ありがとうございます。頑張ります」
「サ―クルには入ってるのかい?」
「いいえ、何も入ってません」「今、三回生だったよな?」
吉田先生の質問に、頷く宏明。「そうか。学生生活も一年半ほどだ。四回生になると、就活で忙しくなるから、今から少しでも遊べばいいよ。もちろん、やりたいこともね」
「やりたいことがあるといえばあるんですけどね」
宏明は遠回しに言った。
「それは…?」
「前に痴漢騒ぎがあって、それの犯人を探し当てたのがオレなんです。そしたら、大学内のそのことが広まって、色んな相談を受けるようになって…。今では殺人事件の犯人を当てるほどで…」
「そうなのか?」
宏明の言葉に、吉田先生は驚いている。
「教師を辞めて、警察官を目指したほうがいいんじゃないのか?」
「よく言われるんです」
「二葉君にそんな実力があるとはねぇ…」
吉田先生は水を一口飲んでから言った。
「たまたまですって…」
宏明は笑って言ったが、痴漢騒ぎがあった時の事を思い出していた。