紀美のイメチェン
ある雨の夕方、宏明はバイト先からマンションへと帰宅していた。今日は午前中から夕方までフルでバイトに入っていたのだ。この日は朝から降っていた雨は、宏明がバイトを終えて帰る頃には、さらにきつく降っていた。
――この分じゃ、明日も雨かな。ここのところ、晴れてばかりいたからたまに雨ってのも悪くないか…。
今日はバスでバイト先に行った宏明は、久しぶりの雨で気が晴れていた。いつもなら雨だというだけで、気分がどんよりするが今日だけは別だ。
それは、この前の京子の告白が、数日の宏明の気持ちをより一層暗くさせていた。
京子の涙目をしている表情が、宏明の脳裏に今でもこびりついている。忘れようと思っても忘れられない、忘れろというほうが無理なわけで、当分、京子からの告白は宏明の中から消えることはないだろう。
そして、今日の雨は宏明の中にあるどんよりとした気持ちを洗い流してくれるような気がしていた。
――みんなで買い物に行ったきりだから、どうしてるだろうな。全く会えね―ってわけじゃないけど、別に会おうと思えば会えるけどな。でも、そうすると紀美に不安な想いをさせるだけだな。
バスを降りて、マンションまでの距離を、宏明はいつもよりゆっくりと歩きながら思っていた。
――京子は彼女じゃないから、そこまで気にかける必要もないか…。それより、紀美は知ってんのかな? 京子から聞いてるかもしれね―よな。
別に紀美に知られてはマズイことではないのだが、友達の京子が彼氏の宏明に告白したなんてことになると、紀美がどう思うか、宏明にとって気になるところだ。自分が紀美と同じ立場だったら…と思う。
――複雑なことになってるけど、多分、京子のことだから紀美には言ってないだろうな…。
マンションに到着した宏明はそう思っていた。
「ただいま―っ」
宏明は自分が帰ってきたことを、家にいるすぐ上の兄・和明に言った。
家に入ろうとすると、見慣れない女性物のパンプスが、宏明の目に入った。
「お帰り。宏明、お前の彼女来てるぜ」
リビングから和明が顔を出して言った。
急いでリビングに行くと、いつもと違う紀美がいた。
「紀美…どうしたんだよ…?」
宏明は目を丸くしながら聞く。
「うん…ちょっとね…」
なんだか紀美の様子が変だ。
「とりあえず、オレの部屋に来いよ」
宏明は紀美に自分の部屋に来るように促した。
二人は部屋に入ると、向かい合わせに座った。
「紀美、アポなしでオレのマンションに来てどうしたんだよ? 何か合ったのか?」
心配になり、宏明は必死になり紀美に問いただす。
「ちょっとイメチェンして、それで…」
紀美は恥ずかしそうに答える。
「ちょっとどころじゃね―よ。かなりのイメチェンだけど…」
宏明は紀美を上から下へと見ながら言った。
今日の紀美は、グレーのワンピにカラータイツといういでたちで、髪は少し巻いている。いつもの紀美ならそんな格好をしないので、ドキリとしてしまう宏明。
「どういう心境?」
「いつもと違う私を見てもらえれば、宏君に少しでも女として見てもらえるかな―って…。やっぱり似合わないよね…?」
不安そうな目で宏明を見る紀美。
「いいや、似合ってるよ。それに、紀美のこと女として見てるって…。そんなに不安になることはないんじゃない?」
宏明は紀美の頭をポンポンと軽く叩きながら答えた。
「京ちゃんがね、“いつも同じ格好だとヒロに飽きられちゃうよ”って言われたから、思い切ってイメチェンしてみたけど、宏君に引かれちゃったらどうしようって思ってたんだ」
「京子のヤツ、紀美にいらんことばっか言って…」
宏明は呆れた表情になる。
「紀美も紀美だ。イチイチ、京子の言ったこと気にすんなよ」
「だって、京ちゃんが言ったこと、ホントそうだな―って思ったんだもん」
「まぁ、そうだけどな」
軽くため息をついてから言った宏明。
――この分だとオレに告白したこと紀美に言ってみたいだな。イメチェンしてみろっていう京子らしいアドバイスは、紀美からするとオレに飽きられてしまうっていう不安材料だったみたいだな。でも、オレは今日の紀美の服装好きだな。
思わず、可愛いなと思ってしまう宏明。
京子のアドバイスで、自分のためにイメチェンをしてくれるなんて、とても嬉しいことである。自分の彼女がイメチェンして可愛くないって思う人は、どこにもいない。紀美がイメチェンしようと思っただけで、宏明にとって嬉しい限りのことである。
「紀美、今日は雨降ってるし身体冷えてるだろ? 何か温かい飲み物いる?」
宏明は立ち上がりながら聞く。
「何があるのかな?」
「コーヒーかココアかミルクのどれかだけど、どれがいい?」
「う〜ん…ココアでいいよ」
「OK! じゃあ、今から作ってくるから待ってて」
約五分すると、宏明は二人分のホットココアを作って部屋に戻ってきた。マグカップを紀美に渡すと、紀美の隣に座った。
「紀美、まさかとは思うけど、今まで着てた服全部捨てて、新しい服買ったなんてことしたんじゃ…」
ココアを作りながら、ふと思ったことを聞いてみる宏明。
「まさか…そんなことしてないって…。今、着てる服だけよ。この前、みんなで買い物に行った時に、京ちゃんにコ―ディネ―トしてもらったの。普段から京ちゃんはオシャレさんだからね」
さっきの不安な目から、笑顔で答える紀美。
「アイツ、コ―ディネ―タ―にでもなったらいいのにな。きっと、モデルに人気出るかもな」
「それは言えてるかも…。京ちゃんて人の面倒見るの好きだから、保育士さんとかでも合いそうだと思うな」
「ああ…。京子のいいとこありすぎだな」
ゆったりとしながらの宏明をジ―ッと見つめる紀美。
「ん? どうした?」
「私ね、宏君と京ちゃんに何かあったんじゃないかってずっと思ってた」
「何かあったって…?」
「京ちゃんにも言ったんだけど、鍋パーティーした日、みんな宏君のマンションに泊まったじゃない? あの日、私がシャワー浴びてから二人の様子が変だったから、私にやましいことでもしたのかと思った」
未だに気にしている紀美は、宏明にも何か言って欲しかったのだ。
「京子はなんて言った?」
「何もないって言ってくれたよ。私、京ちゃんの言葉、信じるつもりよ。だって、信じなきゃ、友達として失格だもん」
今までにない紀美の言葉に、宏明の胸にズシリと突き刺さった。あの夜、京子が言った紀美と離れるつもりはない、自分にとって紀美は一番の親友だというものに近いものがあったからだ。
宏明は今までの女の友情は、ネチネチしていて、女の火花がバチバチで、仲がいいのは上辺だけだと思っていた。だが、今回、紀美と京子を見ていると、そんなことはないんだ、と気付かされた。宏明は女の友情をそんなふうに思っていたなんて、逆に恥ずかしくなってしまうくらいであった。
「京子の言うとおりだ。紀美が考えてるようなことはない」
「ありがとう。京ちゃんが何もないって言ってくれるまで、私に言えないことが二人の間にあったのかなって思ってた。だから、気になって仕方なかった。でも、二人の答え聞けて良かった」
肩の荷が降りたのか、紀美はいつになくリラックスした表情で言った。
宏明もあの夜のことは語る気もないし、紀美の気持ちも京子の気持ちも大切にすると決めたのだ。
少々、隠し事をしているみたいに思えるが、あの夜のことを紀美に話したところで、紀美を大切にしたいという紀美の気持ちは変わることはない。むしろ、あの夜のことで、自分の気持ちを強く再確認していた。
「私、宏君の彼女で良かったな」
「そんなこと言われるなんて光栄だな」
宏明は照れを隠すように、ホットココアを飲む。
「ココア飲んだら帰るね。急に押しかけちゃって長居しちゃったし…」
紀美が時計を見ると、午後七時になろうとしている。
「晩飯、食っていけよ」
「今日は遠慮しとく。今日、早く帰るって言ってしまったからね」
「そうか。今日は久々に紀美と二人で会えて嬉しかった。明日からも頑張れそうや」
ベッドにもたれかかり、神妙な面持ちで紀美を見つめた。