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ほんの少しハプニングはあったものの、レイラが行った説明は国民達から一定の理解を得られていた。サキコと神霊種の関係や魔獣の存在、そしてあれ程の規模の戦いが起きてしまったという事に対しては色々と疑念を抱く者もいる。
だがそれ以上に鬼達が周囲に被害を出さない様に動いていた事や最後のマルキスの行動、そしてレイラの有様などから命がけで国のために戦っていたのだという事だけは確かなのだと分かって貰えていた。
しかし同時に今後の国の運営について、特に神霊種区をどうするか等今すぐには説明の出来ない事も多くある。今後も混乱の日々は続くことが予想されるが、それでも最後にレイラはこう締めくくった。
「我々四区は今後も国を守る為、そこに住まう全ての者を守る為、協力して力を尽くしていく事を約束するわ。人類種もエルフ種も獣人種も魔霊種も、もちろんハーフや魔獣すらもその例外では無い。種の垣根を超えて手を差し伸べ、この安寧を壊そうとする者には今回の様に必ず手を下す。誰もが手を取り合っていける未来の為に、私達が力を惜しむことは無いわ」
レイラが言葉を切った所で公人がルネを抱えてマルキスから飛び降りる。そして二人でマルキスの頭を撫でると、マルキスが人懐っこい声を上げてから飛び去っていく。
するとどこからとも無く歓声が湧き、それに釣られるようにして拍手も起こった。レイラの言った種の垣根を超えて協力するという事、それが目の前で示された瞬間だった。
それから一月が経ち、またいつもの様にエルフ種区の城に各区の長である四人が集まる。この所頻繁に集まる事が多いのだが、各々が区に戻らなければ進まない仕事も有る為城に泊まりっぱなしで話しをするという訳にもいかない。移動に時間が掛かる為効率が悪いのは承知の上で、それでも四人は話しをしなければならない。
だがそれも今日で一旦は終わりとなる。重要事項についてはおおよそ話しは纏まっており、細かい事に関しては担当者への振り分けが終わっている。神霊種がいなくなった事で起きた問題の諸々はこの一月で何とか収拾の目処が立っていた。
「長かったわね……あの戦いよりもよっぽど気を使ったわ」
「二人は戦いに参加した直後からだから余計にそうだろうな。何にしてもこれで何とか一段落、しばらくは互いに区の事に集中出来るだろうな」
帰ってからもまだ仕事が有るというのは憂鬱ではあるが、それでもまだ今回の件に比べれば楽な案件ばかりだ。それに今ではある程度自由に使える人材も揃っている為任せられる部分も多い。
特に公人に至っては元区長からしばらく仕事を休めとまで言われている。戦いが終わってからまる一月休み無く働いていたという事もあるが、もう一つ大きな要因があった。
「王も俺達の事は良いから、最後にルネに会ってきたらどうだ?」
「気を使わんで良い。話ならもう十分しておるわ。今後一切会えなくなるという訳でもあるまい」
「そうですね。時折連れてきます」
ルネは戦いが終わったら公人の元へ行くと言っていたが、結局戦後処理が忙しくなかなか引っ越しが出来ないでいた。しかし今日で一段落したということもあり、公人が城にやって来るこの日に合わせてルネと共に公人の家に帰る事にしたのだ。
それもあって元区長はルネが人類種区に来てから落ち着くまで休んでいろと言っているのだ。当初はそれも断ろうとしていたのだが、今の疲労を考えると有り難くその言葉に甘えておいて良かった。
その為ルネも当然今日は仕事がある筈も無く、各所への挨拶を行っているのみだった。しかし最後に挨拶に向かった訓練場で、兵士達から最後だからと頼まれて指導を行っていた。別に人類種区に行ってからでも合同訓練の時に面倒は見れるのだが、それはそれとしてその気持を無下にすることも出来ずに訓練に付き合っていた。一段と気合の入った声が会議室まで聞こえてきた事で、その様子に全員苦笑している。
「では俺もそろそろお暇させて頂きます」
「うむ。折角じゃ、うちの兵士共に挨拶していってくれるか?」
「はい、是非そうさせて貰います」
王がルネを呼びに行くついでに最後までルネを働かせた兵士にお灸を据える様に依頼してきた為、公人はそれを快諾する。空間跳躍で突如訓練場に現れた公人はその場にいる全員をなぎ倒していく。その悲鳴が会議室に聞こえてくるまでものの数秒と掛からなかった。
「ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」
「いえ、丁度今終わったところです。もう準備は出来てますか?」
「もちろんよ。大して汚れてもいないからシャワーを浴びる必要もないわ。それじゃあ皆、お元気で。また人類種区で会いましょう」
兵士達はその場で突っ伏しながら口々に別れの言葉を告げていく。その様子がすこしおかしくて二人は終始笑顔で手を振りながらその場を後にした。
「ここが公人のお家ね」
「えぇ。どうぞ入って下さい」
公人が玄関を開けルネを自宅に招き入れると、家の中からは良い匂いが漂ってきていた。
「二人共待ってたわよ。もうすぐ準備できるから、その間に家の中を案内しちゃって」
公人の家では桜が料理を作って二人を待っていた。というのも帰りの時間が遅くなる可能性や、引っ越しの色々で忙しくなる事を見越して晩飯の支度を依頼していたのだ。そして二人を出迎えた桜以外にも、その奥にもう一人の人物がいる。
「桜、味見してくれないか?」
「はーい。今行くわ」
家の中では夜一が桜の料理を手伝っていた。正直公人は夜一の料理など幼い頃に食べた記憶しか無く、本当に久しぶりに食べる為少しだけ期待と不安がある。
この二人も戦いの後から一緒に暮らしており、現在も戦後処理に忙しい人類種区を手伝ってくれている。特に夜一は人類種区と他種区を繋ぐ連絡係として、国内を走り回っていた。それはこれまで公人がやっていた事なのだが、この所は区内の仕事が忙しくとても助かっている。
そうして公人はルネに家の中を案内する、と言っても城程広い訳でも無いためすぐに案内を終え、リビングで料理が出来るのを待ちながら談笑している。
「お待たせ。今日は腕によりをかけて頑張ったわ。と言ってもお城の料理ほどじゃないけどね」
「とんでもありません。どれもとても美味しそうですよ。ところでこちらの料理は……?」
「それは俺が作った。見た目は少々あれだが、味は桜にも確かめてもらったから大丈夫だ」
「師匠は早い段階で俺に料理を投げてましたからね。むしろあの時よりは上手くなってるんじゃないですか?」
冗談を言いつつも結局夜一が作った料理を一番気に入っていたのは他ならぬ公人だった。特別に美味しいという様なものでも無かったのだが、やはり幼い頃に食べた味が頭の中に残っていたのだろう。だがそれを言うのも恥ずかしい為特に褒めたりはしなかったが、公人の箸が進むのを見れば誰が見ても分かっただろう。
「今日はありがとうございました。お二人の料理、とても美味しかったです」
「どういたしまして。しばらくは二人でゆっくりしててね。いっその事どこか旅行に行ったって誰も怒らないと思うわよ?」
「それは桜さん達もですよ。結局ずっと手伝ってくれてるじゃないですか」
「ははは、これ以上はお互い様だろう。では二人共、またな」
食事を終えてから少しの休憩を挟み、夜一と桜は帰っていく。それから公人は先に風呂を沸かしながら洗い物を済ませ、その間にルネは引っ越し時に持ってきた荷物を整理していた。可能な限り身軽にしてきたとは言え、それでも元王族であり女性である以上荷物は増えてしまいがちだ。
そうして二人共あらかた作業を終えた所で自然とリビングに集まるが、何となくぎこちない時間が続く。二人きりで夜を越すというのは過去に一度だけ、ルネの家に泊めてもらった時以来の事だった。互いに改めて意識してしまった事で、何を話せば良いのか分からなくなってしまっている。
「ルネさん……その……お、お風呂、お先にどうぞ」
「いえ、家主である公人が先に入って下さい。それと一つ、言いたい事があります」
「何ですか?」
「もう私達は夫婦なんですから……せめて二人きりの時はさん付けは辞めて下さい」
「そう……ですね。いや、そうだな。最初は慣れないけど、ルネの為に頑張るよ」
照れながら応える公人だったが、その言葉遣いに慣れないのはルネも同じでありいつもと違う雰囲気を出した公人に思わず吹き出してしまった。結局今は無理に変えようとせずとも、自然とそう呼べる日が来るだろうということにしておいた。
これをきっかけに先程までの緊張感が嘘の様に消え、広い家には二人の楽しそうな声がいつまでも響いていた。




