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レイラは島の結界を調査しながらもサキコの様子をずっと伺っていた。結界によって僅かながらサキコの回復を遅らせる事には成功しているが、それでもサキコの状態は戻りつつあった。急がなければすぐにでもレイラの結界は破られ、再びサキコが動き出すだろう。そうなれば次こそ狙われるのは今最も怪しい動きをしているレイラかもしれない。
そうして島の結界に魔力を流していると突如として手応えを感じた。その手応えを信じたレイラは既に破られかけているサキコの結界を解き、その分の魔力を島の結界に流し込む。
「これでどうにかなってよ……!」
レイラのその願いが通じたのか、結界から膨大な力が流れ込んできた。しかし魔力とは違った強大な力の奔流は、一瞬でも気を緩めれば意識すらも飛ばしてしまいかねない程のものだった。
魔力の制御とは違い何とか気合だけで意識を保つと少しずつ結界の力にも慣れ始め、その事で先程から感じていた公人の気配を更にはっきりと感じていた。
「これなら……話しが出来るかも?公人!聞こえる!?」
「レイラさん!聞こえます!」
レイラの目論見は上手くいったが、今のやり取りで完全にサキコがこちらの状況に気付いてしまっていた。慌てて逃げようとするが、しかし結界から手を離そうとした瞬間に再び結界の力がレイラに襲いかかる。完全に制御しきる前に手放してしまえば、恐らくこの力は暴走してしまうだろう。
「急いで戻ってきて頂戴!私はこれの制御で手一杯なのよ!」
もはや形振りかまっていられず公人に助けを求める。下を見れば既にサキコは翼に光を集めており、今の状態では避けることすら出来そうにない。
だが公人はどうやら間に合いそうに無かった。結界の向こうではルネが冷静に結界の説明をしており、一応聞いてはいるがそれどころでは無いと言うのが正直な気持ちだ。しかし何とか出来るとすればこの結界の力に頼る他無く、この短い間に聞いた内容だけで結界を制御してみせるしかないだろう。
「さっきのサキコへの攻撃も忍術だって言うなら、私も使って見せれば良いんでしょ!」
そうしてレイラは先程見た光景を思い出し強く心の中でイメージする。サキコが斬り飛ばされ、燃やされ、殴り飛ばされる。しかしそれはただの妄想にしかならず、現実のサキコは今まさに光を放とうとしていた。
「間に合わないの……!?誰か……お願い、佐綾!」
レイラが精神的に追い詰められた時、思わず助けを求めたのは佐綾だった。しかし佐綾はただでさえ手負いの状態であり、サキコを止める力など残っている筈が無い。そんな理屈などお構いなしにレイラが今わの際に求めてしまうのが佐綾という存在だった。
そしてレイラは神霊種の力、そして忍術がどういうものなのかを身を以て知ることになる。
「レイラちゃんに!手を出すなぁ!」
夜一とグライフを探していた筈の佐綾はレイラの窮地にその役割を放棄し、自らの身体の状態など考えずにサキコに飛びかかった。
だが既に佐綾は脅威認定から一度外れていた為、サキコは全く動じていない。多少の警戒こそしているがそれは忍術に対してであり、忍術も使わずにただ突っ込んでいった所で返り討ちにされることは目に見えていた。
「今更死にに来たんですか!?」
「死ぬのはお前だ!」
何の変哲も無い佐綾の飛び蹴りはあろうことかサキコの尻尾を弾き飛ばし、その衝撃でサキコの体勢が大きく崩れる。
「一体どこにそんな力が!」
「愛の力に決まってるだろう!お前には分からないだろうがな!」
「私に愛が分からないですって!?ふざけた事を!私だって愛している人はいます!」
佐綾の言葉にサキコはかつて無いほど激昂した。どうやらサキコはライルに振り向いてもらえない事を気にしていた様なのだが、そんな事を佐綾が知っている訳も無いし、知っていたとしても当然だと言う感想しか抱かないだろう。
だがそのおかげで見事にサキコの意識はレイラから外れていた。危険だとか厄介だとかそんな事は完全に度外視して、佐綾を殺さなければ気が済む事は無い。
「恥ずかしい事を叫び合ってるけど……今のうちね。おかげでこの力の事も大体分かったわ」
これは愛の力だと佐綾は叫んでいたが、あながちその解釈も的外れでは無かった。ただこうなって欲しいという願望の様なものでは無く、それ以上の自信や確信といった強い気持ちに反応するのだろう。
公人の場合は仲間を信頼していた結果として、あの不可思議なサキコへの攻撃が忍術となって発現していた。そしてレイラは佐綾に対して強い信頼があり、この窮地を救ってくれるのは佐綾しかいないと思っていた。それが忍術として発現し佐綾に再びサキコと戦う力を与えていた。
「やらなければいけないでは無くて、絶対に出来るという気持ち。忍術は心の力っていうのはそういう事だったのね」
そういう事であればレイラは何も迷うことなど無かった。元々ここには自分たちならばサキコを倒せるという強い確信を持って来たのだ。その強い確信の中に、誰かが欠けてしまっての勝利というものは含まれていない。
「当然貴方達も無事な筈よね?いつまでも寝てないで、そろそろ起きて頂戴」
レイラのその言葉と同時に瓦礫の一箇所が唐突に吹き飛び、直後に二つの人影が飛び出してくる。
「ったく。こっちは怪我人だってのに、魔霊種区は獣人種区よりも人使いが荒いな」
「そう言うな。戦いの最中に寝る時間をくれるだけ優しいじゃないか」
レイラの呼びかけが聞こえたのか、正しくそのタイミングで夜一とグライフが戦いの場に戻ってきた。二人にはほとんど外傷らしいものも見当たらず、万全の状態に近い。だがグライフだけは先程と様子が違っていた。
「グライフ、翼の光はどうした?」
「……流石にあの攻撃は俺だけじゃ防げなかったからな。八号に肩代わりさせたんだが……そのせいであいつは死んじまった」
契約の効果に自身が受ける傷を肩代わりさせるというものがある。その結果として八号はアルカスが受ける筈だったダメージを全て受け、そのせいで人知れず死んでしまっていた。その上でまたアルカスも気を失う程のダメージを受けていたのだ。
「気に病む事は無い。全てサキコのせいだ。ならばその助かった命でサキコを倒すべきだろう」
「ったりまえだ。別に気にしてねぇよ」
グライフは神霊種の力を失っていたが、それでもかつてない程の力が身体に湧いてくるのを感じていた。大怪我をしていた佐綾がサキコに対抗出来ている様に、グライフもまた同じだけの力を結界から貰っている。
そして二人が参戦した事でサキコもこの事態にはっきりと気付く。この短時間で三人が三人共傷が癒えているというのは明らかにおかしい。この再生力は自分も利用している神霊種の力を用いたものだと確信した。
「あの小娘!面倒な事をしてくれるわね!」
「よそ見をしている暇は無いぞ!」
レイラをどうにかしなければこの三人は何度倒れても傷を治して向かってくる。これまでサキコが何度も身体を再生しながら戦っていた様に、いつまで経ってもこの戦いは終わらないだろう。だがレイラ達はそれで良かったのだ。
結界の力はレイラが制御してはいるが、それも関係無しにサキコは力を吸収し続けている。想定外の事態ではあったが、当初の目的であった神霊種の力を消耗させるという事に関して言えば加速的に進むのだ。後は当初決めた役割を変更してサキコを倒すだけだった。
「ルネ、まだ聞こえてるわね?最後は貴方がサキコを捕まえなさい。流石に私はそんな余裕が無いわ」
「しかし、私は結界が……」
「貴方なら絶対出来るわ。私の、この忍術を信じなさい」
レイラはそれだけ言うと一方的に会話を打ち切った。なんだかんだ言いつつも結界の制御には相当神経を使っている為、あまり雑談している余裕もないのだ。
ルネはその言葉を受け取ると覚悟を決めて、自らの魔法で島まで打ち上がる。そして戦いは全て他の者に任せ、サキコを捕まえる結界を作る事だけに全神経を集中し始めた。




