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「魔霊種区の地図と一致してる。だけどこの印の位置になにかあったかな?」
佐綾は任務の前に詳細な地図を頭に叩き込んでいる。地形から家の形やその並びまで詳細にだ。
普通ならそこまで記憶するのに並大抵の時間では足りないだろうが佐綾は違った。地形を覚えようと思って覚えるのではなく、この場所ならどうやって戦おうか、どう誘導すれば相手を追い詰めることが出来るだろうか、そんな事を考えている内に自然と頭に入ってくる。姉よりも頭の出来が悪いと自負しているが、こうして戦闘に絡めるとすんなり覚えることが出来るのだ。
佐綾は一度神霊種区にある仲間が経営している店へ戻る事にした。折角掴んだ情報でありはやる気持ちもあるが、一旦引くべきだと判断した。
一箇所に長く留まるリスクもあるが、あの地図が罠である可能性もあるのだ。普通に考えれば床下にあんな方法で情報を隠すなんて事はしないだろう。
そんな事を思い付き実現できるのは、組織の仲間以外にはいないと思いたいが、逆に仲間であったとしても気付いて貰えるか分からない方法だ。
もしかしたらサキコ側が残した暗号だったのかもしれない。その為今は情報を持ち帰り、自分が罠に嵌ってしまった場合の保険を掛けておく必要があるのだ。畳を元に戻してから屋敷を後にして走りだす。
「一度お店に情報を持ち帰ってから……そういえばお腹も空いたな。調査は一度何か食べてからにしよう」
思考が食事にシフトしてしまいそうになるのを抑える。昼夜も問わず活動している魔霊種にしては人通りが無い。それでも周囲への警戒は忘れずに隠形術を掛けたまま走り続けるが、何だか空気が重い気がする。
「……気のせいじゃない。何かがおかしい」
走るスピードを緩めて周囲を観察する。この道のみならず路地の反対側からも人の気配がほとんどない。いくら区内に圧力がかかっているとはいえ、多少はいても良い筈だ。警戒を強めながらも足を止めずにいると突然怒声が聞こえてくる。
「なんだてめぇ!ケンカ売ってんのか!?どけって」
そこで急に声が途切れる。常ならば魔霊種区内での喧嘩など茶飯事であり、気に留める必要など無いのだが今は状況が違う。
このタイミングで外を出歩いている者が一体何者なのか、知っておく必要がある。急いで声の方へ向かうと衝撃的な場面に遭遇する。
「ぐっ、てめ……じん……る……」
そこにはやたら体格の良い大男が立っていた。状況からしてもう一人いる筈なのだがその体格の良さのせいで体が隠れてしまっている。
だが時間が経つと共に男の姿が霧のように薄まっていき徐々にその輪郭が映し出される。よくよく見ると男の心臓の位置には刀が刺さっている。魔霊種の身体能力や皮膚の硬さをもろともせず、一撃で息の根を止めたようだ。
魔霊種の体は実体を持っているが死体は残らない。生命活動を停止すると、その場で魔力を放出し肉体は直ぐに風化していく。佐綾が実際に目にするのは初めてだ。
そして重たい空気は放出された魔力が原因だと瞬時に悟る。つまりここに来るまでの間にも、相当な数の魔霊種が殺されているとみていいだろう。
佐綾は直ぐに頭巾を被り目と口元を覆い戦闘態勢に入る。すでに確信しているが、最後に確認の為今しがた魔霊種を殺した存在を注視する。
頭巾を被り顔が殆ど隠れているため表情が読めない。全身を黒い装束で固めており、目に見える武器は腰には下げた日本刀のみ。まるで鏡を見ているようだ。その姿は佐綾と酷似している。それはつまり組織の人物、魔霊種区の調査員である事の証明でもあった。名は桜という。
「ここで、何を?」
聴かなくても分かっているがあえて問う。桜も佐綾と同様に顔の殆どを隠しているが、その目は虚ろだ。おおよそ意思や覇気といったものは感じられない。何者かに操られているのだ。
返事は元より期待していなかったが、問いに対する答えは言葉ではなく行動で示される。腰に下げられた刀を抜き放ち、口元が隠れているにも関わらず、表情が狂気に歪むのが見て取れた。
言葉は不要ということか、対する佐綾も同様に刀を抜き構える。
「やっぱりこうなりますか。それじゃ……せいぜい楽しませてくださいね、先輩?」
表情にこそ出さないが心から楽しそうに呟く。それが戦闘の合図となった。
「うふふ。こんなに早く掛かってくれるなんて」
その戦闘をサキコは遠く離れた場所から見ている。女を監視する為に掛けていた魔法が周囲の映像と音を拾い大きな姿鏡に映し出せされている。
「でも少し早すぎるわね。もっと暴れさせたかったのだけど」
本来の計画ではあのまま魔霊種区で暴れさせて、人類種を犯人にでっち上げるつもりだった。そしてその犯人を捕まえることで信用を勝ち取り選挙を有利に進めつつ、人類種に対して圧力をかけていくという内容だ。
「まぁいいわ。この子の仲間のようだし出来れば生け捕りにして駒にしたいけれど、どうなるかしらね?」
人類種の実力者同士の対戦となれば、楽しいショウになってくれる事だろう。サキコはそんな軽い気持ちで両者を見つめていた。




