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蛇の魔獣は突然身に起こった変化に嫌悪感を示した。信用しろ等と言っておきながら、勝手に身体に干渉してくる図々しさに憤った。
しかし次いで頭の中に流れてきた契約の副作用による知識に戸惑う。この術の効果がどの様なものなのかを理解し、何故こんな事をするのか理解出来なかった。
そして契約の力を使用し澄佳の思考を読み取ると、澄佳が一匹の魔獣と契約した経緯を知った。蛇の同胞達との交渉に、今しがた自分にした事と同じ事を行っていたのだ。つまり澄佳は蛇に命を握られる以前に、既にその同胞達に命を委ねていた。
同胞達が澄佳に何を期待して契約を許したのかまでは分からなかった。確かに我々を助けようとしており、その覚悟は示している。だがこの女がそこまでの力を持っている様には思えない。人類種の中では秀でいるのは間違いないが、それでもサキコは倒せないだろう。今暴れている同胞を止める事も出来ないはしない。
「……なるほど。お前の覚悟は分かった。協力は出来ないが、お前を試してみるとしよう」
澄佳は黙ってその条件を飲むつもりだ。契約によってそれ以外の選択肢が無いのだが、それが無くとも澄佳の意思は変わらない。
「同胞をサキコの術から救い出し、私の元に連れて来い。もし同胞が命を落とすような事があれば、この術によってお前の命を握りつぶす。その後はお前の仲間もろとも、この国を潰す」
「当然、最初からそうするつもりよ。でもその間、貴方はここで待っていてくれるの?」
澄佳の問に他意はなく、蛇の身を案じての事だというのは契約の効果で分かっている。
「問題ない。私を傷つけられる者が、そうそういてたまるか」
そもそもサキコに捕まった理由というのも、同胞が人質に取られていたからなのだ。魔霊種相手に無類の強さを誇るこの蛇は、いかにサキコであろうと簡単に手出しは出来ない。
「信じてくれてありがとう。絶対に助けてみせるわ」
まだ信じたわけでは無い。蛇はその言葉は飲み込みつつ、視線に魔力を込めるのを辞めた。
「もう大丈夫なの?」
「うん。後は佐綾と、戦っている魔獣を、助けるだけよ」
澄佳は額に汗を滲ませ、呼吸を荒くしている。佐綾や公人と違い、まだ魔力に対応出来ないのだ。あれだけの魔力を浴び続ければ当然身体に不調をきたす。しかし表情は晴れやかであり、一つ何かを成し遂げたという気持ちが見て取れる。
「魔獣を助けるって、どういう事?」
「あまり時間が、無いから、向かいながら説明する」
蛇とのやり取りの内容は分からないが、とにかく澄佳にとって満足に行く結果だったのだ。ならば文句を言うことは無い。レイラは結界を解くと蛇に向かって、一度頭を下げ礼をする。
「なら、佐綾と魔獣を助けに行きましょう」
レイラはそう言うと有無を言わさず澄佳の身体を抱き上げた。そして神霊種区に来た時同様、再び高速で空を駆ける。
「うわ、ちょっとレイラちゃん!?」
「疲れてるでしょ?移動は私に任せておきなさい。それにこの方が早いわ」
抵抗するにしても、既に空高くまで飛んでしまっている。澄佳にとっては落ちても問題無い高さではあるが、確かにレイラに任せたほうが早く現場へ向かえそうだ。観念してお姫様抱っこの体勢のまましがみつき、息を整えながら蛇とのやり取りを説明する。
そのやり取りを、契約の効果を使い観察している者がいる。懸念であった魔霊種が、ここまで澄佳と仲良くしているという事に驚いていた。
「まさか、本当に友好的な魔霊種がいるとはな。これも時代の流れ……いや、見届けるまでは警戒を解くわけには」
蛇はそう思いつつ、既にレイラに対する警戒心が薄れている事には気付いていなかった。
もう一方、猪の魔獣と佐綾は戦い続けていた。周囲の建物はほとんど壊れてしまっているが、幸いにして怪我人は出ていない。ヴォルクの迅速な判断がセイジとロイを動かし、二人のネームバリューがあってこそ避難が滞りなく進んだのだ。
佐綾は既にボロボロだった。周辺の避難が済んだことで、多少の被害を気にせず戦えるようにはなった。しかしそれでも佐綾は本気で戦えない理由があった。
忍術を使っていないというのも理由の一つではある。だがそれ以上に、相手の魔獣は明らかに知性が宿っているのを感じる。そしてサキコがその知性を縛っているという事も、同時に見抜いていた。
佐綾が全力を出せば苦戦はしつつも倒せなくは無いが、加減をして生かしておくという選択肢は取れないだろう。実力的にもそうだがサキコに操られている以上、死ぬまで戦い続けるであろう事は火を見るより明らかだ。
澄佳という無類の動物好きが居て、アルカスという身内が居て、組織は魔獣も助けようとしている。この魔獣を殺してしまうという選択など、取れるはずもなかった。
「おらあ!」
既に言葉遣いを気にしている余裕は無い。猪の突進に合わせて、頭部目掛けて拳を叩きつける。猪が一瞬怯み、その隙に牙を掴み投げ飛ばす。猪は背中から地面に叩きつけられるが、すぐに立ち上がり身震いをするだけだ。ほとんどダメージは残っていない。それは幾度となく繰り返されてきた光景だった。




