138
「おじいちゃん、危ない!」
澄佳が頭領を突き飛ばす。実体化した影の腕には鋭利な爪が付いており、澄佳の背中を切り裂いた。背中から血を流し倒れる澄佳を、一つしか付いていない目で見下し嗤っている。
「くくく。こんな老いぼれを助ける為に身を差し出すなんて、お前馬鹿か?」
「おじいちゃん……逃げて……」
「アルカス、行くぞ」
「しかし……済まない!」
「おいおい、行かせるわけ……ん?」
澄佳は先程まで只の影だった男の足を掴んでいる。その力は思いのほか強く、男は追いかける事が出来なかった。
「ちっ……まぁいい。すぐ追いつく。にしても酷えジジイだな。孫をこんなにあっさり見捨てちまうなんて」
「おじいちゃんを悪く言わないで」
「お前今の状況分かってんのか?俺はいつでもお前を殺せんだぜ?……簡単には殺してやらねぇけどな」
男は自分の足から澄佳を引き剥がし、腕を吊るして無理やり立ち上がらせた。
「頭領!澄佳を助けなければ!」
「良い、あいつは大丈夫だ。それよりも周囲の警戒を怠るな」
「しかし!」
走りながら訴えるアルカスだが、頭領は全く聞き入れない。自分だけでも助けに行くべきか悩んでいると、頭領が突如語りだした。
「戦いとは、単純に力が強ければ良いと言うものではない。それは状況の判断や作戦、駆け引きや経験、或いは相手の性格。些細なことも上げればキリがないが、様々な要因が複雑に絡みっている。それは分かるな?」
アルカスは答えず、黙って聞く。突然の事で一体何を言いたいのか分からない。
「儂はな、佐綾と戦っても今でも勝てると思っている。佐綾は凄まじく強いが、真っ直ぐなのだ。圧倒的な実力差が無い限り、そういう強さには必ず付け入る隙が存在するのだ。しかしな、儂はどうも澄佳にだけは勝てる気がせんのだ。澄佳にはそういう底が知れない強かさがある。こと対人戦、それも一対一であれば組織の中にも澄佳に勝てるものはいないだろう……本人には言ってくれるなよ?だからこそ儂の療養中は、澄佳に頭領代行を任せておったのじゃ」
片腕で身体を吊られている澄佳は苦悶の表情を浮かべている。背中の傷も痛むのだろう。その表情を見て男は下品な笑みを浮かべる。
「いいねぇ、そういう表情。可愛い女が苦しむ姿は最高だぜ」
男は完全に実体化し、その姿を現した。
「あなた……見たことがあるわ。確か、神霊種区で事件を起こしていたはず」
「へぇ?詳しいな。そうさ、俺は暇つぶしに女を襲ってたんだ。そしたらあのクソジジイに捕まっちまったんだが、意外と悪く無ぇ。制限は付いてるが、今日みたいに好き放題出来るんだからな」
「制限……?どういう事?神霊種は一体何を企んでるの?」
「それはな、うぐっ!」
男は突如言葉に詰まり苦しみだした。腕の拘束が緩み、開放された澄佳は仰向けに倒れこむ。
「はぁ。ちっと喋り過ぎちまったか。気ぃとり直してやっちまうか」
男は澄佳の腹に足を乗せ体重を掛ける。澄佳は呻き声を漏らし耐える。
「ん?何だお前、よく見たら殆ど裸じゃねぇか。誘ってんのか?」
男は屈み込み、上衣を締めている帯に手を掛ける。しかし帯は緩む気配が無い。面倒になった男は胸元に手をかけ、無理やり服を脱がせようとするがやはりビクともしない。
「おにいさん、ちょっと下手過ぎない?そんなんじゃモテないよ?」
「あぁん?……は?何でお前、いつから!」
男が振り向くと澄佳は冷たい目で見下ろしていた。そんなはずは無いと、改めて男の下にいた筈の澄佳を見ると、只の丸太が転がっているだけだった。
「っていうかおにいさん、丸太相手に興奮するなんて……かなり気持ち悪いです」
「てめぇ、馬鹿にしやがって!」
男は憤るが身体が全く動かない。手が丸太から離れないのだ。丸太ごと持ち上げようとするが、今度は足が立たない。しかし次の瞬間男の視界がひっくり返る。先程とは逆に澄佳が男の腹の上に足を乗せている。
「……お前、さっきから俺に何してんだ?何が起きてるんだ?」
男の表情が恐怖へと変わっていく。勝ち目が無いと気付き、抵抗の意思が薄れていく。
「それは秘密。それよりあたしの質問に答えてほしいな。いいよね?」
男は声も無く首を縦に振り、そこからは澄佳の尋問が始まった。先程の様子から男は、重要な事は話せないようにされている様だ。
どうやら神霊種は犯罪者達をどこかに集めているらしい。しかしその目的や規模は分からないままだった。
「それじゃあ最後の質問。神霊種とサキコ、それに人造種の事。いつ頃から繋がってるのか、誰が主導権を握ってるのか、知ってることがあったら全部話して。そしたら解放してあげる」
男はその言葉に笑みを浮かべ、喜々として語ろうとする。しかし、口を開いた瞬間男は爆発した。爆発で吹き飛ばされている丸太を、近くの木の上から眺めながら澄佳は呟く。
「予想通りすぎて、逆に呆れちゃうな……口封じってことは、やっぱり繋がってるってことよね。利用されてるだけならまだしも、協力してるんだとしたらちょっと面倒だな」
一部始終を木の上から見届けていた澄佳は、急いで頭領達を追いかける。




