第1話 現状
お久しぶりです。書きたい欲が復活してきたので、また参上いたしました。
少年の体全体が殺気を、より具体的に言えば迫りくる『熱』を感じ取った。
視界に映る、美しく夕焼けしていく空。その薄いオレンジを切り裂く、更に濃色な幾筋ものオレンジの閃光――――『ブレイズアロー』の名で呼ばれるその火矢の魔術が、視界を埋め尽くさんばかりに迫ってくる。
「……!」
少年――――桜庭龍司は、地を蹴って横へ跳ぶことでその火矢を回避した。つい今しがたまで彼が立っていた空間を、10を超えるほどの火矢の群れが通過していく。全弾が直撃すれば、骨すら残さず燃やし尽くされかねない魔術の雨を浴びて、しかし彼は冷静に状況を判断する。
冒険者歴数か月足らずの龍司は精神防護の魔術を掛けることで、本来なら恐怖で身がすくんでしまいそうな状況下でも冷静さを保てるようにしていた。この世界で生きて行く以上、魔物との命のやり取りは必須だ。いちいち恐怖で固まっていたら、命がいくつあっても足りやしない。
攻撃はまだ終わっていなかった。火矢に追尾性能でも付加されていたのか、火矢の群れが弧を描き再び龍司のもとに殺到する。
「……めんどくさい!」
そう呟いて、龍司は右手を軽く振るった。
その振るった手にいつの間にか1メートルを超える長さの直剣が握られている。夕日に照らされて黒光りする刀身がギラリと鋭く輝いた。だがすぐに、その刀身が薄い白色の光に包まれ、そしてまたすぐに、刀身に吸い込まれるようにその光は消えた。
龍司はそのまま右手を円を描くように振り回し、迫ってくる火矢を狙い違わず全弾撃ち落とす。
顔をしかめる龍司の前で火の粉が飛び散り、花火のように宙を舞う。しかしその火の粉を無視して、彼は『敵』の姿を今一度その目に捉えた。
『敵』――――ネコ科の動物を一回りか二回りかくらい巨大化させて二足歩行にし、いかにも魔術師風なローブを着せればこんな風になるのだろうか。依頼をこなして街に戻る途中、夕暮れの茜色に街道が染まるころ、ふらりと姿を現した『ジャガーマジシャン』という名のその魔物は、20メートル程離れたところで、犬歯を大きくむき出しにしてニタリと気味の悪い笑みを浮かべていた。数は全部で3体。
これ以上無抵抗に火矢を撃ち込まれ続けるのは得策ではない、――――そう判断して、龍司は強く地を蹴りつける。その姿が一瞬ブレたかと思うと、20メートルもあった距離が、一瞬で0にまで縮まっていた。
突然の出来事に目の前に浮かんだ気味の悪い笑みが凍りつくのを視界に捉えつつ、龍司は右手を水平に振り抜いた。振り抜かれた直剣が易々と肉と骨を切り裂いていく。胴体に刀身が吸い込まれるように潜り込み、あっさりと反対側から抜けていった。遅れて、鮮血をしぶかせて『ジャガーマジシャン』の上半身と下半身が別々に転がる。
その死に様に、自分が作り出したとはいえ龍司は口元が強張った苦笑いを浮かべるのを感じた。
と、
「ガァアッ!!」
という耳障りな叫びと共に、真横からネコ科特有の鋭い爪が龍司目がけて振り下ろされた。しかしその一撃が龍司を捉えるより早く、彼は危なげなくバックステップで回避し、体勢を整える。早くも硬直から回復した1匹が飛び掛かってきたらしい。
攻撃を回避された『ジャガーマジシャン』もすぐに身を翻し、再び爪を振るう。
しかし、次々と放たれる爪による一撃を龍司はステップを駆使して躱しに躱しまくる。そしてその連撃が一瞬鈍った隙を見逃すことなく、龍司は右手の直剣を勢いよく突き出した。それは寸分違わず『ジャガーマジシャン』の喉元を捉えており、剣の切っ先が『ジャガーマジシャン』のうなじにあたる部分から飛び出す。 『ジャガーマジシャン』は一度大きく痙攣すると、動かなくなった。
これで残り1匹。
『ジャガーマジシャン』の喉元から刀身を引き抜き、龍司は油断なく最後の1匹に向き直る。
冷たい殺意を向けられた『ジャガーマジシャン』は、血走った目を揺らして一瞬の逡巡を見せるが――――どうやら自分の命を優先したらしい、あっさりと龍司に背を向けて、逃走を選択した。ネコ科の生物らしいしなやかな身のこなしで、あっという間にトップスピードまで加速する。
――――しかし。
「逃げたからって見逃してやるほど甘くはねーよ」
そう呟くと、龍司は直剣の切っ先を真っ直ぐに逃走する『ジャガーマジシャン』の背中に向けた。
「……『ライトニング』」
言の葉と共に、切っ先から紫電が解き放たれた。弾けるような音を撒き散らしつつまさしく雷速で駆け抜けていくその『いかずち』が、遠ざかる『ジャガーマジシャン』に突き刺さる。一瞬の目がくらむような閃光と、バチバチバチッ! という火花の音。50メートルほど先で、黒焦げになった『ジャガーマジシャン』がドサリと地面に転がった。
雷鳴の余韻が夕暮れの空気に溶けていき、街道は静けさを取り戻す。
龍司は右手で剣を振って血を払い飛ばし、そしてそれから左手を軽く振った。その手にはいつの間にか鞘が握られている。龍司はその鞘に直剣を納めると、何事か小さくつぶやいた。すると鞘に納められた直剣が淡い光に包まれ、光の珠と化したそれが徐々に縮んでいく。『武器縮小化』の魔術である。光が消えたとき、龍司の首には剣を模したペンダントが掛けられていた。
それからしばらく、オレンジ色の世界でぼんやりと立ち尽くしていた龍司だったが、大きく安堵のため息をついてから街に向かって歩き出した。
日暮れまであと少し。『この世界』に、夜道を照らす街灯なんて便利なものはほとんど存在しない。あっても精々よほど大きな町にだけ。『元の世界』と比べて、いわゆる『科学』が発展していない『この世界』では、夜の道は少々――――暗すぎる。
▽▽▽▽
数えれば1年ほど前の事になる、とある寒い寒い冬の日の事だ。
ファンタジーな世界などではなく、普通の、それこそファンタジーなんてものは本やゲームの中でしか語られることのない世界。高校で陸上部に所属していた龍司はその日、練習を終えて帰路についていた。
いつになく冷え込んでいて、道路はツルツルのテカテカに凍り付き、車道を走る車もこわごわ走っているようで牛歩のごとく流れが悪かった。
その状況に苛立ってしまったのだろう。1台の車が少々、強引な運転をしたのだ。
――――結果として、その車は完全にコントロールを失った。数台の車に衝突しつつ、それでも勢いを失わず、歩道に突っ込んできたのだ。
そして不運にも、車の向かう先には龍司と同じように帰宅していた中学生くらいの女の子がいたのだった。近づいてくる車に気が付いたのだろう、驚愕の表情を浮かべ、しかし凍り付いたように動けずにいた。
――――考えるより早く、龍司の体が動いていた。跳んで、必死に手を伸ばし、少女を車の進行軌道から外へ突き飛ばす。
龍司の視界が正常な世界を映したのはそこまでだった。
速さを伴った強大な質量が、龍司の体を打ち据えた。
少しでもその暴力を抑えようと伸ばされた手が、あらぬ方向に折れ曲がった。
体が弾き飛ばされ、そしてその体が路肩にあった塀に叩き付けられた。
新たな衝撃が龍司を襲うが、想像を絶するであろう激痛にささやかながら精神の防衛機能が働いたのだろうか、靄がかかったようなぼんやりとした鈍痛が龍司の体を包んでいた。
視界がブラックアウトした。
痛みはそれほどでもなかった。しかし先程までとは比べ物にならないほどの寒気が龍司を襲った。
体から大切な何かがどんどんと失われていくのを感じた。
周囲のざわめきや悲鳴を捉えた聴覚にもノイズが走った。
うすぼんやりと霧に包まれていく意識の中でそこまで認識して――――龍司の意識は、そこで完璧に途切れたのだ。
そこからしばらく記憶が途切れている。暗闇の中で、誰かの声が聞こえてきたような気がしなくもないのだが。
ブラックアウトしてしまっていた意識が回復した時には、龍司はどことも知れぬ場所、元居た世界とは全く異なる世界に存在していた。
その時の驚きはまるで昨日の事のように思い出せる。ボロボロになっていたはずの体には傷1つついておらず、同じく血まみれだったはずの学生服も新品のようだった。凍てつく真冬だったはずの気候はさわやかな風が吹く初秋に変わっており、さっきまで存在していなかった豊かな草原が金色に輝き、遠くの方に見えている木々は紅葉が始まっていた。
そして元居た世界では感じられなかった、大量の何かが体の中を巡り、あふれ出しそうになる感覚。更に、それと同種の力の流れが視界を薄靄のように覆っているのも感じられた。
突然の出来事に混乱しつつもあちこちさまよい歩くうち、異形の怪物――魔物に遭遇するが、龍司は幸運にもそいつを撃退することに成功する。
しかしさらに幸運だったのは、その後、かつて大陸最高と謳われた高名な魔術師に拾われたことだろう。
その人物のもと、この世界の言語(何故か会話はできたのだが)、地理、常識、魔術、体術、武器の扱い方などを学ばせてもらった。他の弟子たちとも友人として付き合いを深め、先刻の武器縮小化の魔術も、彼らと共に生み出したのだ。
そうして龍司は約10ケ月、訓練・修行を重ね、2ヶ月ほど前から冒険者として活動を始めている。
異世界転生におけるテンプレとして転生者の強化があげられるが、龍司もその先例から外れることなく、非凡なセンスと膨大な魔力を保持しており、それらを存分に振るう戦い方は少しずつ街で噂になりつつあった。
――――これが、今の龍司の現状だった。突然に元の世界での生活を奪われた少年は、別の世界で、必死に生き始めていた。