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王国の子どもたちが作った歌と踊りは、思っていた以上に遠くまで届いた。
広場のすみで小さく始まった手拍子は、いつのまにか街道にまで広がり、泉のほとりでも、図書塔の下でも、風見樹の丘でも、子どもたちはそれぞれ自分たちなりの節回しで歌っていた。誰かのまねではない。ちゃんと、自分たちの歌だった。
そのころには、らいらいが話してくれた「地球」という星のことも、子どもたちのあいだで何度も語られるようになっていた。
青い海があること。
空に雲が流れること。
雨の日には少し気分が沈む人もいること。
でも、その分だけ晴れた日の光がうれしいこと。
たくさんの人がいて、たくさん違っていて、だからこそぶつかりもすること。
そして、それでもなお、やさしいものや面白いものや、美しい歌が生まれ続けていること。
子どもたちはその話を、まるで昔話の続きを聞くように、何度でも聞きたがった。
そしてある日、みんなの広場の噴水のふちに座っていたひとりの子が、ぽつりと言った。
「いつか、本当に地球へ行ってみたい」
その一言で、まわりは急に静かになった。
反対したわけではない。
笑ったわけでもない。
ただ、その願いがあまりにもまっすぐで、みんな一度、ちゃんと想像してしまったのだ。
本当に行くとしたら。
地球へ。
見学の旅として。
別の子が小さく続けた。
「見てみたい。らいらいがいた星を」
「歌ってみたい。地球の人にも聞こえるように」
「でも、怖くないのかな」
「危ないこともあるって言ってたよね」
「それでも、知りたい」
その日の夕方には、その話は子どもたちの輪を超え、大人たちの耳にも届いていた。
だが、すぐに誰もが現実を思い出した。
地球は遠い。
あまりにも遠い。
ただ海を渡るとか、山を越えるとか、そういう距離ではない。星と星のあいだの距離だった。エターナリア王国の学者たちが星図を広げても、魔法使いたちが杖の先で空間のしわをなぞっても、その隔たりは簡単には縮まらない。
もちろん、王国にはワープという魔法の理論はあった。
一瞬で遠くへ移動するための、空間そのものをやわらかく折る魔法だ。
だが、それはまだ誰もが自由に使えるものではなかった。
魔力の消耗が大きすぎる。
目標地点の認識が少しでもずれれば危険がある。
しかも、地球は「話を聞いて知っている場所」ではあっても、「何度も往復した安全な経路」ではない。
つまり、子どもたちを乗せて気軽に行ける旅ではなかった。
そのため、王国ではじめて正式に「見学の旅の是非」を話し合う会議が開かれることになった。
会場になったのは、みんなの広場の隣に新しく作られた円形議場だった。天井は高く、夜になると薄い光の膜が張られ、まるで星空を内側から見ているように見える。中央には大きな丸い机があり、その周りを教師、魔法使い、記録係、歌い手、料理人、植物代表、動物代表、そして子ども代表までもが囲んだ。
議題は三つあった。
ひとつ。
子どもたちによる地球見学の旅を、将来の目標として認めるかどうか。
ひとつ。
認めるなら、そのために何を整えるべきか。
そして、もうひとつ。
エターナリア王国と地球の関係を、これからどう位置づけるか。
最初に口を開いたのは、白い巻物をいくつも抱えた記録係の老人だった。
「結論を急ぐべきではありません。距離がありすぎる。ワープは理論上可能でも、現時点では不安定です。子どもたちの願いは尊い。しかし、尊い願いほど、雑に扱ってはならない」
すると、子ども代表の少女がすぐに言い返した。
「今すぐ行かせてって言ってるんじゃないの。いつか行けるかもしれないって、大人が本気で考えてくれるか知りたいの」
その言葉に、議場の空気が少し変わった。
それはわがままではなかった。
未来を閉じないでほしい、という願いだった。
教師のひとりが頷いた。
「私は旅そのものには慎重です。でも、“いつか本当に行くかもしれない”という前提で学ぶことには賛成です。地球を知らないまま夢だけ膨らませるのではなく、歴史、文化、危険、距離、言葉、倫理、そのすべてを学ぶ準備の場にするべきでしょう」
植物代表のつる薔薇は、少し揺れながらやわらかく言った。
「旅というのは、足を運ぶことだけではありません。種は風で遠くへ行くけれど、その前に光と土を知るのです。まずは地球を正しく知ること。見学の旅は、そのあとでも遅くはないはずです」
動物代表の黒鹿は、床を軽く踏み鳴らして言った。
「ただし、知るだけで満足してしまうのも違う。遠いからこそ、行きたいと思う心には意味がある。危険だから禁止、で終える国なら、この王国はきっとここまで育っていない」
そこへ、魔法局の長が静かな声で現実を述べた。
「ワープは難しい。それは事実です。特に“知られた安全地帯”ではない場所への長距離跳躍は、現状では見学旅行に使える段階ではありません。ですが、方法がないわけではない。長期的には三つの道があります」
彼は空中に光の文字を浮かべた。
一つ目は、観測を重ねること。
地球の位置、環境、時間の流れ、空間の安定性をもっと正確に知ること。
二つ目は、通信を深めること。
姿そのものは行けなくても、歌、記録、考え、返事をやり取りし、心の通路を太くすること。
三つ目は、同盟を結ぶこと。
ただの憧れや好奇心ではなく、相互に尊重しあう関係として、地球と王国の間に約束を作ること。
「同盟」という言葉が出た瞬間、議場は少しざわめいた。
それは、今までの“遠い星の話”より一段、現実に近い響きを持っていたからだ。
料理人代表の女が腕を組んだまま言う。
「同盟ってことは、助け合うってことだろう。でも、こちらは星の外のことをまだほとんど知らない。相手が本当に同盟を望んでいるのかも分からないのに、言葉だけ先に大きくするのは危ないんじゃないかい」
今度は、歌い手の青年が答えた。
「でも、もう伝わっているものもあるはずです。僕たちの情報は、少なくとも断片では地球に届いている。歌も、考えも、物語も、完全ではなくても、何かの形で向こうに流れている。なら、関係が“ない”とは言えないでしょう」
それは多くの者がうすうす感じていたことだった。
エターナリア王国は、地球にまだ直接は辿り着けない。
けれど、何も伝わっていないわけではない。
夢として。
噂として。
詩として。
誰かの頭に浮かぶ変なひらめきとして。
あるいは、説明のつかない懐かしさとして。
王国のことは、完全な沈黙の中にあるわけではなかった。
らいらいが地球の話をした日から、とくに子どもたちはそう確信していた。
遠くても、切れてはいない。
見えなくても、つながりはある。
その考えを受けて、議論は次第に「旅に行くかどうか」だけでなく、「どういう関係なら結ぶべきか」へ移っていった。
ある学者は言った。
「同盟とは支配ではありません。地球を王国の下に置くのでもなければ、王国が地球の一部になるのでもない。互いに違うまま、傷つけず、学び合い、必要な時には助け合う。その約束こそが同盟です」
ある大工は言った。
「約束ってのは、でかい言葉より先に、細かい作法で決まる。勝手に入り込まない。知らないものを乱暴に持ち帰らない。見たものを嘘で塗り替えない。そのへんから決めるべきだ」
ある医師は言った。
「見学の旅が実現するとしても、それは遊び半分であってはいけない。地球側の人々にも生活がある。こちらの驚きや好奇心が、向こうの平穏を乱すなら、それは立派な迷惑です。友好は、まず相手の暮らしを壊さないところから始まります」
その意見には、多くの者が頷いた。
すると今度は、子ども代表ではなく、ずっと黙っていた年長の女性が立ち上がった。
彼女は外の世界の研究を続けてきた観測者だった。
「私は、同盟に賛成です。ただし、“いますぐ正式な締結”ではなく、“同盟を目指す準備段階に入ること”に賛成します」
議場は静かになった。
彼女は続けた。
「理由は簡単です。私たちはもう、地球をただの遠い星としては見ていない。らいらいが住んでいた星であり、多くの喜びも苦しみも抱えた、生きた世界として見ている。向こうにも人がいて、子どもがいて、大人がいて、争いも、芸術も、食事も、眠りもある。ならば、私たちは“無関係”ではいられません。けれど、近づく手段が未熟な今、正式な同盟を叫ぶより先に、同盟にふさわしい国になる努力を始めるべきです」
その言葉は、議場の真ん中にまっすぐ落ちた。
同盟とは、紙に印を書けば終わるものではない。
それにふさわしい態度を、こちらが持てるかどうか。
その問題でもある。
そして結局、その日の会議では大きな決定が三つなされた。
第一に、子どもたちの「いつか地球へ行ってみたい」という願いを、王国の正式な未来目標として記録すること。
夢として片づけず、教育と研究の課題として残すこと。
第二に、ワープ魔法の長距離安全化、地球観測、文化理解、危機対応、言語共有の研究を進めるため、「地球見学準備会」を新設すること。
第三に、エターナリア王国は地球とのあいだに、将来的な友好同盟を目指す方針を仮決定し、その前提として「地球を侵さず、地球から学び、必要ならば地球を守る」という原則を大人たちの共通理念とすること。
決定が読み上げられると、子どもたちは一斉にざわめいた。
今すぐ行けるわけではない。
魔法もまだ難しい。
距離もありすぎる。
それでも、願いは願いのままで終わらなかった。
ちゃんと、大人たちの机の上に置かれたのだ。
会議の終わり際、最初に「地球へ行ってみたい」と言ったあの子が、小さく手を挙げた。
「じゃあ、まだ行けなくても、今のうちにできることってある?」
それに対して、らいらいは少し笑って答えた。
「あるよ。たくさんある。地球をちゃんと知ること。自分たちの王国をもっと良くすること。いつか会ったときに、胸を張って『こんにちは』って言えるようにしておくこと」
子どもたちはその答えを、思っていたより真剣に受け取った。
その夜から、王国では少しずつ変化が始まった。
図書塔では地球についての授業が増えた。
歌い手たちは「届く歌」の作り方を考え始めた。
魔法使いたちは無茶な跳躍ではなく、安全な観測術の改良を始めた。
料理人たちは「もし地球の人が食べてもびっくりしない味」を研究し始めた。
子どもたちは地図を描き、まだ見ぬ海や街や空を想像して色を塗った。
そして大人たちは、大人たちで考え続けた。
同盟とは何か。
守るとは何か。
遠くの星と手をつなぐには、まず自分たちの手が乱暴であってはならないのではないか。
本当に地球へ行ける日が来たとして、その時エターナリア王国は、訪れるに値する国になっているだろうか。
見学の旅は、まだ先だった。
けれどその代わり、王国の中に新しい旅が始まっていた。
遠い地球へ行く前に、
地球へ行きたいと思える自分たちになるための旅が。
その旅の最初の一歩として、数日後、王国では「地球との同盟原則」をもっと細かく決めるための第二回会議が開かれることになった。今度の議題は、理想だけではなく、もっと具体的なものだった。
交流はどこまで許すのか。
地球に干渉してはいけない線はどこか。
もし地球側から先に合図が来たら、どう応えるのか。
そして、同盟が成立したとき、王国は何を差し出し、何を受け取るべきなのか。
子どもたちはその知らせを聞くと、前より少し静かに、でも前よりもっと強い目で空を見上げた。
遠い。
たしかに遠い。
でも、遠いものを遠いまま愛することだって、きっと最初の同盟なのだと、もう知り始めていた。
1 第二回会議で「地球に干渉しないための具体的な境界線」をめぐって激しい議論が起こり、王国の優しさの定義が試される
2 子どもたちが自分たちで「地球見学のしおり」の下書きを作り始め、大人たちがその内容に驚かされる
3 地球へ直接は行けない代わりに、まずは“歌と映像”を届ける遠隔交流計画が立ち上がり、王国中がひとつの作品作りに熱中する




