喫茶店
事務所のドアを開けるなり、私は礼子に聞いた。
「空き地を囲む三ヶ所はいつ、役目を終えた?」
キーボードがカタカタと返事をする。
モニターには記事が次々と開かれていく。
礼子の調査は、相変わらず早い。
「あたし、カスタードプリンと抹茶ラテが欲しいのですが」
礼子は唐突に告げる。
目線はモニターに向けたまま。
私は礼子が座る、背もたれの高い椅子に手を乗せた。
「記事をまとめたらな」
すると突然、モニターは黒に染まった。
私の足は小さく持ち上がった。
けれど、これは違う。
──もっとやっかいなやつだ。
「あー、もう少しなんだけど、甘いものないと調子でないなー」
礼子のおねだりは、やりあっても会話にならないことは私も先輩もよく知っている。
私は背もたれを叩き、コンビニに足を向けた。
「完璧にまとめておけよ!」
椅子越しにふらりと手が上がる。
モニターはふっと、色を取り戻した。
──コンビニに入ると、背中が少しだけ冷えた。
けれど、嫌な感じはしない。
構わずデザートコーナーへ向かう。
だが、カスタードプリンも抹茶ラテも見当たらない。
冷蔵ショーケースが、ぶーん、と低く唸った。
そのガラス越しの空間は、どこか冷たく澄んでいる。
私は革靴を小さく鳴らした。
すると、隣に人影が立っていることに気づいた。
見覚えのある高校生くらいの顔。
頬に手を当て、ショーケースのケーキを眺めている。
「こんにちは。真希さん、ですよね」
声をかけると、ぱっとこちらを向いた。
「あっ!累さん。先日はどうもありがとうございました。おかげ様で自由を満喫しています」
その笑顔は、店内の冷たさをふっと和らげた。
「元気そうでなにより」
私は用事を思い出し、軽く頭を掻いた。
「この近くで、カスタードプリンと抹茶ラテを売っている店、知りませんか?」
真希は小さく笑った。
「あはは。いつも急ですね。また事情があるんですか?」
私は革靴を鳴らして頷く。
「うーん……駅前の喫茶店がテイクアウトをやっていたと思います。
ただ、こうなる前の記憶なので、まだあるかは分かりませんけど」
「助かった。ありがとう」
私は名刺を差し出した。
「何か困ったことがあったら、ここへ」
真希はそれを受け取り、小さく会釈した。
私はそのままコンビニを出て、駅前へ向かった。
駅前でその喫茶店を探すと、その店は裏道に潜むように佇んでいた。
錆付いた看板に、かろうじて店名が見えた。
喫茶店「ポマード」
レトロなショーケースには、メロンクリームとショートケーキが飾られている。
軋んだ木造の建物は長年の歴史を物語っていた。
中に入ると、腰の曲がった年配の女性が「いらっしゃい」と視線を向けた。
紫の洋服を違和感なく着こなしている。
店内には四つのテーブル席があるが、私の他に客はいないようだった。
レジ下のショーケースには色とりどりのケーキと瓶に詰められたプリンが置かれている。
私はその年配の女性に、礼子ご要望の品を告げ、それを受け取った。
上品な見た目と比例するように、とても値段が張る。
店を出ようとすると、年配の女性は私に向けて告げた。
「その革靴、いい音を出しますね」
私は、会釈して店を出た。
──事務所に戻ると、嫌味な声が降ってきた。
「遅い。いつまで待たせるつもりだ?」
先輩も礼子のおねだりの被害にあっていたようだ。
「ふふ。すごいでしょ。累さんも見てください」
礼子はモニターに人々が行き交う街の映像を映した。
「これ、お天気カメラの映像なんです。今の時代、足を使わなくても調査できるんですよ」
礼子は得意げに語るが、先輩はひどく顔をしかめていた。
私は、礼子に買ってきたものを渡す。
「えっ、これ!どうやって手に入れたの?
……幻の逸品だよ!」
私は得意げに語った。
「ふふ、企業秘密さ。
それより早く、資料を映せ。
それ、高かったんだ。下手な資料だったら取り上げるからな」
礼子はカスタードプリンに羨望の眼差しを送りながら、モニターを明るくさせた。
「遅いからさ、ついでに役所のデータベースも覗いといたよ」
「おい」
先輩は冷たい風を吹かせる。
「はは、ちょっとだけだから」
モニターには、整然とまとめられた記事が映った。
「累さんの推測、当たり。
三ヶ所とも五年前から崩れてる。ドミノみたいにね。
最初が病院、その次が廃寺、最後が高校の順」
先輩は訝しげな表情でモニターを見つめた。
「病院の院長は変わったか?」
礼子はピンと背筋を伸ばした。
「はい、五年前に変わってます」
「やはりな。
累。病院を当たれ!
そこに──彼はいる」
先輩は資料を巻き上げながら、消えていく。
私と礼子は資料を押さえながらハモった。
「もっとゆっくり移動してください!」
先輩の返事も姿もそこになかった。
私は病院へ出かける支度をした。
病院は特に危ない。
人々の未練が溜まる場所は、黒い染みが強くなる。
「はぁー、めちゃくちゃ美味しい!
この甘みと苦味の絶妙なバランスと香ばしい香り。
こりゃー、仕事が捗る捗る。
身体の中が溶けちゃいそう!
累さん、今度お店の場所を教えてくださいね」
スプーンを掲げた礼子は、とびっきりの笑顔を浮かべていた。
「あっ。もしかしたら、客が来るかもしれないから、そのときは頼む」
礼子は露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「その客は、その店の場所を知っている」
礼子は立ち上がり、親指を立てた。
「まかせなさい。
……そうだ!これを持っていってください。美味しいプリンのお返しです」
礼子はテーブルに、灰色の小さな骨のようなものを置いた。
「これは……なんだ?」
礼子は首を傾げる。
「よくわからないんです。素材は動物由来ですが、調べた限り何の動物の骨でもないです。
ただ、どこかで役に立つかもって、小さな少年が事務所に置いていきました」
それを聞いた瞬間、私は骨をポケットにしまった。
前に進むにはまず、後ろからだ。
──私は電車を乗り継ぎ、目的の病院に着いた。
その建物は、想像以上に荒廃していた。
黄色いつるが外壁に張り付き、どす黒い影をそこに落としている。
コンクリートは剥げ、ところどころ鉄骨が見えていた。
今はもう、診察も診療もやっていない。
五年前の事件によって、大きくて立派だったはずの病院は、完全に傾いていた。
私は、正面のドアを押し開けた。
ドアの隙間に砂が挟まり、動作はとても重い。
ぎぎぎっという鈍い音は、病院内へ響きわたっていた。




