遺跡調査は定時で帰ります ~政略結婚で嫁いだ先が古代遺跡だらけの辺境伯領でしたが、夫の『好きにしろ』を真に受けて発掘現場を改革したら、なぜか領地が大繁栄しました~
◇ 第一幕 ◇
私の結婚生活は、初日に終わった。
正確に言えば、結婚式の夜、夫となったアルベルト・フォン・ヴァイゼンベルク辺境伯は、寝室の扉の前で私を見もせずにこう言った。
「好きにしろ」
それだけ言って、隣の書斎に消えていった。
初夜も、挨拶も、最低限の会話すらなかった。
普通なら泣くところだろう。花嫁道中で何度も言い聞かせてきた覚悟が、あっけなく試される瞬間だ。
でも、私はむしろ安堵していた。
前世の記憶がある。日本で生まれ、大学院で考古学を専攻し、発掘現場と論文に明け暮れた末に、徹夜続きで意識を失った。目が覚めたら異世界の赤ん坊だった。
没落男爵家の四女。持参金代わりに辺境伯家へ嫁がされた「数合わせの花嫁」。政略結婚というよりも、借金の利子を一人分減らすための人身売買に近い。
だから「好きにしろ」は、むしろ最高の言葉だった。
前世で学んだことがある。上司が無関心で放任主義の現場は、実は一番やりやすい。口を出さない代わりに責任も取らない。つまり、成果を出せば全部自分のもの。
翌朝、私は屋敷を出た。
ヴァイゼンベルク領は「遺跡の墓場」と呼ばれていた。
領内のあちこちに古代文明の遺構がある。ただし、誰もその価値が分からない。石壁は家畜小屋の建材に転用され、碑文は「呪いの石」として川に捨てられ、精緻な装飾品は二束三文で行商人に売られていた。
前世の私が見たら卒倒する光景だ。
いや、前世の私が見ている。
「……なんてことを」
私は領地の南端にある最大の遺跡群——通称「灰の円環」の前に立ち、言葉を失った。
直径百メートルはある円形の遺構。壁面には精緻なレリーフが刻まれ、中央には崩れかけた祭壇のような構造物がある。層位学的に見て、少なくとも千年以上前の遺跡だ。
そこで、二十人ほどの労働者がつるはしを振り回していた。
記録なし。グリッドなし。層位の区別なし。出土品は木箱にまとめて放り込まれている。
前世の発掘現場でこれをやったら、教授に破門される。
「あの、すみません」
作業員の一人に声をかけた。四十代くらいの日焼けした男が、胡散臭そうに振り返る。
「あ? 誰だお前」
「昨日嫁いできたリーゼです。辺境伯夫人」
「……ああ、旦那の新しい嫁さんか。で、何の用だ?」
「この発掘、何時に終わりますか?」
「終わり? 日が暮れるまでだが」
「日が暮れるまで、というのは何時ですか?」
「知らねえよ。暗くなったら帰る」
私は息を吸い、吐いた。
そうだ。ここには「時間管理」という概念がない。前世の大学発掘チームだって、最初はそうだった。先輩が「気合いで掘れ」と言い、後輩が過労で倒れ、それでも何も変わらない。
変えたのは、私だった。
◇ 第二幕 ◇
三日間、私は発掘現場を観察した。
朝の鐘から日没まで、休憩なしで掘り続ける。水分補給は各自の判断。記録係はいない。出土品は「金属」「石」「その他」の三分類。陶片の属性記録もなければ、層位の写真もない。
そもそも写真がない世界だが、それは別の方法で補える。
四日目の朝、私は作業員全員を集めた。
「今日から、いくつかルールを変えます」
二十人の男たちが、怪訝な顔で私を見る。
「まず、作業時間。朝の鐘から六の鐘までとします。六の鐘が鳴ったら、何があっても手を止めて帰ってください」
「は? まだ明るいうちに帰るのか?」
「はい。そして、午前と午後に各一回、三十分の休憩を入れます」
「サボれってことか?」
「体を休めることです。疲労が蓄積すると判断力が鈍り、貴重な遺物を壊します。前の……いえ、私が以前見た発掘現場では、疲労による破損事故が全体の損失の四割を占めていました」
嘘ではない。前世の修士論文で書いたデータだ。
男たちはざわめいた。
「次に、グリッドを設定します。遺跡全体を五メートル四方の区画に分割し、各区画に番号をつけます。どの区画から何が出たか、必ず記録してください」
「記録って、字を書くのか?」
「字が書けない方は、私が用意した記号で記録してもらいます。丸、三角、四角、バツ。それだけで十分です」
そう言って、私は前夜に作った記録シートを配った。木の薄板に蜜蝋を塗り、尖った棒で書き込める簡易タブレット。前世のフィールドノートの代用品だ。
「最後に。出土品を三分類で放り込むのはやめてください。材質、サイズ、出土層位、状態。最低でもこの四項目を記録してから収納します」
「そんな面倒くさいこと——」
「面倒くさいことをする代わりに、六の鐘で帰れます」
沈黙が落ちた。
半数の作業員は「貴族の嫁の道楽」だと思っているだろう。残り半数は「六の鐘で帰れる」に食いついている。
最初はそれでいい。
前世でも同じだった。新しいシステムを導入する時、最初に必要なのは理解者ではない。「利があるから従う」人間だ。理解は後からついてくる。
一週間が経った。
効果は想像以上だった。
まず、作業員の表情が変わった。六の鐘で帰れることが分かった途端、朝の作業開始が正確になった。遅刻がなくなり、午前中の集中力が上がった。
次に、休憩の導入で判断力が維持されるようになった。午後の破損事故がゼロになった。ゼロだ。前世のデータでは四割減を目標にしていたのに。
そして——グリッド記録が思わぬ効果を生んだ。
「リーゼさま、C-7区画とD-7区画で同じ模様の陶片が出ました」
作業員のハンスが、記録板を持って駆けてきた。五十代の寡黙な男で、最初は一番懐疑的だった人物だ。
「見てください。こっちが赤い文様で、こっちが青い文様。でも模様の形は同じです」
私は二つの陶片を並べた。
息が止まった。
これは——対になる祭器の破片だ。赤と青が対をなす祭祀用の器。前世でメソポタミアの遺跡から出土した双子壺に似ている。もし完全な対が揃えば、この遺跡の宗教体系が解明できる。
「ハンスさん、この二つの区画の層位は?」
「えーと、記録板には……C-7が第三層、D-7が第三層。同じ深さです」
「完璧です」
ハンスは照れたように頬を掻いた。
「記録ってのは、こういう時に使うもんなんだな」
そうだ。記録は「面倒な作業」ではない。「過去の声を聞くための耳」だ。
前世の私が、教授から最初に教わった言葉を思い出す。
『掘ることは壊すことだ。だから記録だけが遺跡を永遠にする』
ハンスは、それを一週間で理解した。前世の私は三年かかったのに。
◇ 第三幕 ◇
一ヶ月が経つ頃、「灰の円環」から異例の発見が相次いだ。
双子の祭器は完全な対として復元され、中央祭壇の下から精緻な金属板が出土した。古代文字で何かが刻まれている。
私には読めない。前世の知識は地球の古代文字にしか対応していない。だが、文字の配列パターンから、これが何らかの記録——おそらく祭祀のマニュアルか、歴史の記述であることは推測できた。
「リーゼ」
初めて、夫が私の名前を呼んだ。
夕食の席。結婚以来、同じテーブルで食事をするのは三度目だった。
「お前、遺跡で何をしている」
「発掘をしています」
「発掘? 女が?」
「女だからできることもあります。繊細な出土品の取り扱いには、指先の感覚が重要ですから」
アルベルトは眉をひそめた。三十代前半の、険しい顔立ちの男。辺境伯としての重圧を一人で背負い続けているせいか、眉間のしわが深い。
「作業員から報告が上がっている。六の鐘で全員帰すようにしたと」
「はい」
「なぜだ。日が暮れるまで掘らせれば、もっと成果が出るだろう」
「逆です。短い時間で集中した方が成果は出ます。実際、先月と比べて出土品の数は二倍、破損率はゼロになりました」
アルベルトは黙った。反論できないのだろう。数字は嘘をつかない。
「……それと、金属板が出たと聞いた」
「はい。古代文字が刻まれた記録板です。おそらく千年以上前のもの」
「価値はあるのか」
「金銭的な価値は分かりません。ですが、学術的にはこの大陸の歴史を書き換える可能性があります」
「学術的な価値では領民は食えない」
「直接は食えません。でも——」
私は一瞬迷い、それから言った。
「王都の大図書館に鑑定を依頼すれば、この領地に学者が来ます。学者が来れば宿が要ります。食事が要ります。案内人が要ります。遺跡が学術的に保護されれば、王宮からの助成金が出ます。この領地は『遺跡の墓場』ではなく、『古代文明の聖地』になれます」
アルベルトの目が、初めて私を見た。
見た、というのは比喩ではない。結婚以来、彼は私の方を向いて話すことすらなかった。今、初めて——正面から、私の目を見ている。
「……お前は、何者だ」
「リーゼ・フォン・ヴァイゼンベルクです。あなたの妻」
「そういうことではない」
「では、一人の考古学者です。前世の、ですけど」
最後の一言は聞こえないくらい小さな声で付け足した。
翌週、アルベルトは黙って発掘現場に姿を見せた。腕を組み、遠くから作業を眺めている。質問もしなければ、干渉もしない。ただ、見ている。
それが三日続いた。
四日目、彼は私のところに来て、ぶっきらぼうに言った。
「記録板の解読。王都に送る手配をした」
「ありがとうございます」
「礼はいい。成果を出せ」
そう言って踵を返す背中を見ながら、私は小さく笑った。
前世の教授もこういうタイプだった。口は悪いが、価値が分かれば黙って支援する人。研究費を出してくれたのに、「礼はいいから論文を書け」と言った人。
アルベルトの背中と、教授の白衣の背中が重なった。
◇ 第四幕 ◇
金属板の鑑定結果が王都から届いた。
大図書館の主任司書が直々に書簡を寄越してきた。
『この記録板は、失われた古代ヴェルド文明の祭祀記録であると推定される。現存するヴェルド文字の資料としては、世界最大規模の発見である。ヴァイゼンベルク領が大陸古代史の重要拠点であることは疑いない。至急、現地調査団の派遣を要請したい』
アルベルトは書簡を読み終えると、無言で私に手渡した。
「……言った通りになったな」
「はい」
「学者は何人来る」
「書簡によれば、初期調査団として十二名。本格調査が始まれば五十名規模になるかもしれません」
「五十人分の宿と食事が要るのか」
「年間契約になれば、領地に安定した収入が入ります」
アルベルトは窓の外を見た。遠くに「灰の円環」の石壁がうっすらと見える。
「あの遺跡は、百年間ただの石の山だった」
「石の山じゃなかったんです。最初から宝物だった。見る目がなかっただけで」
「……俺も、見る目がなかったということか」
その言葉の意味が、遺跡だけに向けられたものではないことは、私にも分かった。
でも私は何も言わなかった。前世からの癖だ。自分の価値を主張するより、結果を積み上げる方が性に合っている。
調査団が来た日のことは、忘れない。
十二人の学者が、馬車三台に分乗してヴァイゼンベルク領に到着した。全員が「灰の円環」を見た瞬間、馬車から飛び降りた。
「グリッドが設定されている!」
「層位記録がある! この辺境で!?」
「出土品の分類体系が——これは誰が作ったんだ」
学者たちが興奮する中、私は少し離れた場所で作業員たちと一緒に記録板に書き込みを続けていた。
主任調査官のエーデルシュタイン教授が私のところに来た。白髪交じりの六十代。鋭い目。前世の指導教授にまた似ている。
「この発掘体系を構築したのは、あなたですか」
「はい」
「どこで考古学を学んだのですか?」
「……独学です」
「独学で、ここまでの体系を?」
教授の目が細くなった。疑っているのではない。純粋な驚嘆だ。
「一つ聞いてもいいですか」
「はい」
「なぜ六の鐘で作業を終えるのですか。日没まで続ければ、一日の成果は三割増えるでしょう」
「三割増えた成果のうち、どれだけが正確な記録に基づくものになりますか?」
教授は沈黙した。そして——笑った。
「あなたの師匠に会いたいものだ」
「もういない人です」
「そうですか。惜しい方を亡くされた」
嘘はついていない。前世の教授は、私が死ぬ二年前に亡くなった。過労で。
あの人も、六の鐘を知っていれば死ななかったかもしれない。
夕方、六の鐘が鳴った。
作業員全員が手を止め、道具を片付け始める。学者たちが驚いた顔をする中、ハンスが笑って言った。
「うちはこれがルールなんです。定時退勤。リーゼさまが決めたルール」
「定時?」
「暗くなる前に帰って、家族と飯を食う。それが一番大事な仕事だって、リーゼさまが」
私はそんな大層なことを言った覚えはない。ただ「六の鐘で帰れ」と言っただけだ。
でもハンスは、その言葉の裏にある意味を、自分で見つけたのだ。
アルベルトが、遠くからその様子を見ていた。
腕を組んで、いつものように。
でも今日は——ほんの少しだけ、口元が緩んでいるように見えた。
◇ 第五幕 ◇
調査団の駐留が決まり、領地の経済は目に見えて動き始めた。
宿屋が二軒増えた。食堂が一軒できた。遺跡の案内人として雇われた領民が十人。遺物の修復工房を作りたいと申し出た元鍛冶屋もいた。
「遺跡の墓場」は、半年で「古代文明の聖地」に変わりつつあった。
ある夜、アルベルトが書斎ではなく、居間のソファに座っていた。珍しいことだった。
「リーゼ」
「はい」
「今日、エーデルシュタイン教授と話した」
「何の話を?」
「お前のことだ」
私は紅茶のカップを置いた。
「教授が言っていた。『あの人は考古学者だ。貴族の嫁ではない。考古学者として遇するべきだ』と」
「教授らしい言い方ですね」
「俺もそう思う」
アルベルトは珍しく、私の目を真っ直ぐ見た。
「すまなかった」
「何がですか?」
「『好きにしろ』と言ったこと」
「あの言葉のおかげで、好きにできましたが」
「そういう意味じゃない。俺はお前に無関心だった。数合わせの嫁くらいにしか思っていなかった」
知っている。分かっていた。でも傷ついてはいない。前世で上司に無関心に扱われることに慣れていたから——ではない。
正直に言えば、少し傷ついていた。ほんの少しだけ。
「今は興味があるんですか?」
「ある」
「遺跡に?」
「お前に」
前世の私なら、ここで茶化していただろう。「ありがとうございます、上司」とか言って。
でも今世の私は、少しだけ正直になることにした。
「……私も、あなたに興味があります」
「遺跡の予算を出す人間として?」
「最初はそうでした」
「今は?」
「今は……遺跡を見る目が変わった人として」
アルベルトは少し笑った。初めて見る笑顔だった。眉間のしわが消えると、意外と穏やかな顔をしている。
「明日も六の鐘で帰るのか」
「もちろんです」
「なら、一緒に夕食を食おう」
「……はい」
窓の外では、ヴァイゼンベルク領の夕暮れが遺跡の石壁を琥珀色に染めていた。千年前の誰かも、同じ夕暮れを見たのだろうか。
前世の私は、六の鐘を知らなかった。
だから、夕暮れの色を知らないまま死んだ。
今世では——毎日見ている。
帰るべき場所がある人間の特権だ。
「さて」
私は翌日の作業計画に目を落とした。D-8区画の第四層から、新しい碑文の端が見え始めている。
明日もきっと、六の鐘が鳴る。
それまでに、千年分の物語を掘り起こそう。
定時で。
(了)




