桜咲イノリ
波の音がやさしくざわめいている。
空は晴れ渡り、雲ひとつない。
ウミネコがにぎやかに飛び交い、和やかさを演出していた。
それはいつもの光景。いつもの見慣れた朝の通学路の光景だ。
「よお、イノリ、お早う!」
「イノリ、夕べはサイコーだったな。お陰で今日は、眠さ倍増だぜ」
後方から声が響いた。
それはスクーターに二人乗りした、ブレザー姿の男生徒だ。
そしてこの二人の登場も、いつもの光景だ。いつでも二人乗りして、後ろから挨拶してくる。
あたしの名は“桜咲イノリ”。私立、海原高校に通う二年生だ。
一応、女ってことで。
因みに二人乗りの手前、運転してる長い金髪の優男は“藤井虎太郎”、後ろの黒髪リーゼントの男は“江原龍次”。
共に、同じ海原高校のクラスメートさ。
そしてこいつらが現れたってことは、次の展開もお決まりのパターンだ。
「龍次さん、虎太郎さんオハヨーっす! イノリさん、今日も気合バリバリっすね!」
「姫。オハヨーっす。今日もお綺麗で!」
「お早うっす。寝不足でアカンす!」
「チーッス。今日もいい天気ですね。ガッコーなんてサボっちまいましょうよ」
後方から響きだす、うるさい雑音。
どいつもこいつも、独特の個性を放つ集団。同じガッコーに通う、多くの仲間達だ。
そのほとんどが、海校のブレザーに身を包んでいるが、中には私服の奴らもいる。
ウチのガッコーは、私服での登校も許されているんだ。
かく言うあたしも、制服なんて着てはいない。裾丈のジーンズに、シャツとアロハだ。
ウチのガッコー、市内では飛び切り可愛い制服なんだが、あたしには不似合いだから。
チャラけた、いかにも女子高生なんて制服、あたしが着る筈もないんだからな。
「へぇーイノリ、髪の毛伸びたじゃん」
突然龍次が、あたしの髪の毛を掴み上げた。
「な、なにをするんだよ?」
咄嗟に振り返り、その腕を払った。
それでも龍次の表情は、にやけたものだ。
「ヤッパ可愛いよ。ショートヘアーもいいけど、イノリは長い髪の毛が似合うって」
躊躇いなく言い放つ。
「ハァ?」
その台詞は、あたしの怒りを呼び覚ますに充分なものだ。
「言ってるだろ。あたしをそんな目で、見るなって?」
困惑気味に言い放った。
あたしはこの、少しだけふんわりとさせたブラウンの髪がお気に入りだ。それを後ろの位置で束ねてポニーテールに遊ばせてる。
本当は龍次みたいに、リーゼント頭で決め込みたいところだけど、流石にそれは似合わない。
クラスの女達は『今どきで可愛いよ』とか『こっちを上げた方がお水系みたいでイケてるよ』なんて言い放つが、そんな流行廃りに乗るほど、あたしは軽くないんだ。
「そう目尻をつり上げんなよ。可愛い顔が台無しだぜ。笑ったときの、かまぼこみたいな目が可愛いのにさ」
「馬鹿、勝手に言ってな!」
あたしは、男のエロい視線が大嫌いなんだ。
この世に女と男がいる限り、好き嫌いっていった、恋愛感情は生まれるもの。それは承知している。
だけど嫌なんだ。女が女らしくあるべきだとか、男は男らしく堂々と振舞えって、下衆な考え。
女がつつましく、男の懐に抱かれて生きるなんて時代は、とうに過ぎたのさ。
女がビジネスの現場に足を踏み入れ、男は強さを求める時代から足を踏み外して、軟弱野郎に成り下がった。
だからあたしは、覚悟を決めたんだ。
女らしさを捨てて、世の中の男共を、足元にひれ伏せてやるって。
その為に女らしさ、可愛さなんて捨ててやるって。
その影響もあってか、後輩たちは、あたしを『姫』と呼ぶ。
『俺は姫を見てるだけで嬉しいッス』とか『くっきりした眉と、少しつり上がって、くっきりした目が美人なんす』とか『姫がホントの姫だったら、綺麗だろうな。白い純白のドレスで、身を包んでさ』とか『ドレスよりナース姿の方が、イケてるって。エロい光景が浮かぶようだ』なんて言いながら、想像力豊かに……
「そういや聞いたか? “鎌田さん”、近じか引退するってよ。寂しくなるよな」
龍次が言い放つ。
「ああ、聞いてる。ガキが出来て、家業に専念するって話だろ。……仕方ないさ、家族ってのも大事だから」
あたしは覚めたように答えた。
もちろん、その言葉に真意はない。
鎌田さんってのは、一個年上の先輩だ。
後輩の面倒見もよく、誰からも好かれる先輩で、男気もある。
一生添い遂げたい女がいて、この春めでたく、新しい命を授かった。
ガッコー側は、『問題だろう』とか『そんな生徒をウチに置いておける訳がない』とかで退学処分に下されたが、あたしらにしてみれば、ヤッぱ尊敬しうる先輩なんだ。
「そうすると、次は後継問題だな。俺らとしちゃ、イノリが適任なんだけどな」
虎太郎が言い放った。
「おいおい虎太郎。俺を差し置いて、イノリを推薦か。 俺の、男の価値が下がるってモンだろ?」
龍次がブーたれた。
それでもその顔色は、不貞腐れたものではない。困惑しながらも、おどけたようなノホホンとしたものだ。
「悪い龍次。別にお前の力を、馬鹿にしてる訳じゃないぜ」
すかさず答える虎太郎。
龍次は男の美学ってものに惹き付けられている。『ケンカ上等』が口癖で、いつも闘いに明け暮れる武闘派タイプな男だ。
逆に言えば、女は一歩下がって付いて来いって言いそうな、硬派な奴。
あたしを女と認識し、『その服装は可愛くない。もっとお洒落な服を着ろよ』とか『少しは化粧しろよ。薄化粧でもすれば、そこらのアイドルにだって負けないぜ』とか、女らしくするよう言い放つ。
対する虎太郎は、見た目通り軽い口調の持ち主だ。『俺はこのままのイノリが、カッコいいと思うぜ? 男っぽい中のキリッとした女らしさ、それこそ俺らのイノリさ』なんて、思ったことを、すぐ口にするストレートタイプ。
それでも女にだけは優しい。ナンパ師って訳じゃないが、ナイトを気取る男なんだ。
「当たりめーだべ? 虎太郎に言われっと、馬鹿にされてるみたいだけどな」
「馬鹿にしてなんかいねーよ。頭は馬鹿だけどな」
こうして龍次と虎太郎はじゃれあう。
ホント、この二人は気の合うコンビだ。四六時中一緒にいて、いつも馬鹿な話に花を咲かせている。
女たるあたしには判り得ない、男どうしの友情、って奴なんだろうな……