88.
「お待たせ、裏の倉庫から直接出すって」
リオが戻ってきた。村一つ分の麦の買い出しだから量が結構なものなのだろう。俺たちは荷物を持って商家の裏手に回る。
そういえば、なんとなく近付きたくない精神魔法がかかっていたのに、リオは普通に近付いてきた。特定の人物だけ除外するような面倒な術ではなかったのだが、リオは簡単な魔法くらいなら弾き返せるだけの魔力を持っているということだろう。
リオが買い取った麦は本当にすごい量で、大きな麻袋がどんどん積まれる。流石に背負子にも載せられないから、商家が台車を貸してくれた。
本当なら馬が引くような台車に麦の詰まった袋を満載しても、リオは軽々と引っ張っていく。一応俺も後ろから押している体だが、実際はただ後ろを見張って付いて行っているだけだ。
今日の買い出しは、村全体からの代行ということになっているが、この量は子供二人に頼むおつかいではないだろう。どんだけリオの馬鹿力を当てにしてるんだ。リオは本当に王都になんて行けるのだろうか。村人全員に引き止められたりしないだろうか。労働力として。
馬車に戻るとまだ誰も戻っていなかった。
麦の袋を台車から馬車に積み替えて、リオは台車を商家へ返しに行く。
俺はまた荷物番。馬車の上でボーッとしてたら黒猫のルビィが戻ってきた。
「どうだった?」
「退屈」
「しっかり飯食ってきたくせに」
ルビィを見れば多少魔力が増えていることはわかる。どこで精力を奪ってきたのか知らないが、サキュバスにとってはただの食事だ。悪びれた様子もない。
「教会に出入りしてた行商人に良い男がいたの」
「あんなところでよーやるわ」
俺も別に神様に敬意を払う気なんて毛頭ないし、ルビィだって最低限物陰に隠れて襲ったのだろうが、教会を囲っていた結界は光魔法だった。魔力が見えるやつから見れば、光魔法はピッカピカに明るいのだ。
つまり、真昼間から眩しいくらい明るい場所で淫らな行為に励んできたわけだ。まさか町中で服を脱ぐようなことはしなかっただろうから、淫夢の魔法を使ったのだろうが、それでも俺だったら萎えるな。魔王に生まれ変わってから性欲というものを感じたことはないが。
「あの程度の結界どうってことないですもの」
ルビィは得意気だが、やっていることは拾い食いなので自慢できたことではない。その行商人の男もよっぽど溜まっていたのだろう。
しかし、光魔法の結界をものともしないのは、流石は魔法は得意だと豪語するだけはある。それ以外の才能は乏しいから、残念サキュバスの汚名は拭えないけれど、ピーパーティンだったら、勝手に結界に引っかかって自主的に焼き鳥になって終わりだ。
「で、中はどうだった」
「ぜんぜん大したことありませんでしたわ、一個だけそこそこ光魔法の籠った像があったけど、それ以外は飾りね、牧師も貧相で枯れた男で魔法も使えない雑魚」
ルビィのことを見直して損した。枯れているというのは、欲に塗れていないということで、牧師としてちゃんと修行している証拠だ。
そもそも田舎の小さな教会に大した結界もなかったらしい。牧師だって別に戦闘員でもなければ教会の防御も職務外だから、魔法が使えないのも当然だろう。
あるいは教会が病院も兼ねていて、聖職者が回復魔法などを使えるかとも思ったが、この町は他にも診療所があったから、牧師は本当に教会の管理をするだけなのだろう。
「学校はどんなだった」
「どうって……ただガキが机並べて本読んでただけでしたわ、何人か大人が文字とか教えてたけど、あいつらはきっと農民ね、手が汚かったもの」
やはり学校というより、ボランティアがやってる塾みたいなものらしい。集まっている子供の年齢もバラバラ、各自で好きなことを勉強して、たまに大人が教えてやるというフリースタイルな学び舎のようだ。
「教会に併設して図書室もありましたわね」
「えーいいじゃん、俺も行けばよかった」
人間界の知識を得るには本が一番だ。テレビやネットがあるような世界じゃないから、本に勝る情報ツールはないだろう。
「でも入るには身元の証明が必要みたい、アンやトニーも村の名前とか村長や親の名前書いた板を見せていたわ」
「それもそうか」
村で本らしい本は一つも見たことなかったし、この町でも書籍というものは見かけなかった。紙自体が少ないから、きっと本は貴重なのだ。教会の蔵書も誰にでも公開できるわけがない。
でも、猫のルビィが忍び込めたのなら、俺も鼠にでも化ければ侵入できるだろう。
「ここにいる間に忍び込む隙あるかな……」
ぼやいているうちにリオが戻ってきた。村長の息子も一緒にいる。途中で会ったらしい。遠くから教会の鐘の音も聞こえるから学校も終わりだ。
子供たちが戻ってくるのを待って、来た時と同じようにみんなで荷物の隙間に座って町を出る。
ガキどもは聞いてもいないのに俺やリオに歴史の勉強をしたとか、算数のテストがあったとか、学校で何をしたか勝手に話し出す。
算数はともかくとして、歴史の話しはまあまあ興味深いので耳を貸していたら、思い出したようにアンが鞄から何か取り出した。
「ギルにこれあげる」
それはたぶん本だった。紙ではなく、革職人のオッサンが使っていた革の切れ端を束ねただけの代物で、文字も手書きだったが丁寧に書かれている。
「文字の勉強する本、古いやつを牧師様がくれたの」
「わあ、懐かしい、僕もこの教科書使ってたよ」
確かに大分使い古されていて、端の方がめくれてしまうほど擦り切れているが、中身はまだ充分読める。
田舎の学校では本を買うような余裕のない子供に、こういう手製の教科書を貸し出して使い回すそうだ。その一番古くなったやつを貰えたという。
「いいのか? ジムとかメイが使うんじゃないのか?」
リオの兄弟の三番目のジムは、来年から学校に行くようになる。
たぶん兄弟が家でも勉強できるようにと、アンは古本を貰ってきたのだろう。地元の子供にも満足に教科書を渡せないのに、知らん浮浪児にまで恵んでやる余裕は教会にもないはずだ。
「いいの、あの子たちは学校に行けば借りられるから」
アンは俺が読み書きできないことを知っているし、読み書きできれば仕事の幅が増えることもよくわかっている。
まあ、俺はこの世界で勉強したことないだけで、憐れまれるほど無学なわけではないけど、この国の文字を知れるのは有難い。
ここで金を払ったら、アンが教会からタダで貰ったものを転売する悪いやつになってしまう。この借りはいつかどこかで返そう。
空が夕日に染まる中、ガキどものお喋りは続く。たぶん陽が完全に沈む前に村に帰れるだろう。
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