30.
なんつーもん食わせてくれとんじゃ、と思ったけれど、口には出さない。
ダークエルフ流の最上級のおもてなしなのだ。幼虫はブヨブヨしてて噛んだらドロッとクリーミーな中に酸味と生臭さがあって、その美味しさは俺にはよくわからないけれど、ダークエルフたちは俺に美味いものを食べさせようと命がけで採集してきたというのだ。
どんな文化でも受け入れられる懐の深さこそ王の器、俺は笑顔で出されたものを完食した。次から次にお代りを勧められたが、それは丁重に遠慮した。
異文化に触れる宴会はお開きだ。酒もないし、今日の本題はこれからだ。
「で、教えてくれるんだろう、その布の材料」
ヤオレシアの羽織を指さして聞いてみた。今日の羽織もみんなが着ている麻布みないなものではなく、一人だけ明らかに高級そうな素材でできている。
俺があんまり期待満面で聞いたせいか、ヤオレシアは少々引き気味だったが、すぐに気を取り直して立ち上がった。
「いいだろう、ついて来い」
そして俺の返事も待たずにさっさと家を出る。最初のあの気品に満ちた挨拶は何だったのか、この高慢ちきな態度がヤオレシアの素なのだろう。無礼だけど魔王相手にも臆さないのは悪くない。
俺も素直についていく。どこへ行くかと思いきや、ヤオレシアは村の結界を出て行く。
何人か護衛が付いてくるけれど、ヤオレシアが先頭で目くらましの結界を張っているから、襲ってくる魔物はいない。
防御結界だと攻撃は阻めるが襲っては来るから、目くらましの結界を張ればよかったんだ。俺は一つ学んだ。
それほど歩くことなく、村のすぐ近くに同じく結界に囲まれた場所があった。村と同じように木の上にシャボン玉みたいな丸い結界があるが、村よりも一回り程小さい。
結界の外に衛兵らしきダークエルフが潜んでいる気配があるが、村長が先導しているから顔パスだ。
中は村と違って建物は二つしかなかった。
大木を何本か跨いでいる大きな家だから、上空によくもこんな大きな建造物を作れるもんだと俺は感心する。
一つは三本の大木を跨いだドーナツ型の家、もう一つは四本の木を柱にした四角い家だ。
「ここが我らの蜘蛛糸と毒染めの工房だ」
「蜘蛛……虫の糸だったのか」
ヤオレシアの後に続いて俺は階段を上る。工房は結構高いところにあるから、ちまちま階段を上るよりも飛んだ方が早そうだ。でも、作業する場だと言うし、虫を飼っているそうだから、無暗に飛び込むわけにはいかない。
虫から糸を作るのは珍しくない。前世でも絹糸は虫の繭から取っていたし、蜘蛛が糸を吐くのは前世でも今世でも同じらしい。
毒染めはよくわからないけれど、染色と言えば草木染めというのもあったし、植物の樹脂を利用する技術でいえば漆なんて皮膚をかぶれさせる毒物だった。
この世界に同じような技術があっても不思議じゃない。
ただ、どれもこれも知識だけで、俺は実物はほとんど見たことがない。工房なんてどんなもんか想像もつかない。
大木を中心にした螺旋階段を上ってから、ドーナツ型の工房の扉を開けると、中は厳重な二重扉だ。
前世の工場みたいに殺菌するとか作業着に着替えるとかの工程はなかったが、小さなゴミも持ち込まないように全身を箒でバサバサ叩かれる。
それからようやく中へ入れた。
「うわぁ」
俺は思わず嫌な声が出ていた。
中は巨大な虫籠で、網の向こう側にわさわさと無数の虫が蠢いていた。
「心配するな、このキヌ蜘蛛たちは群は作らないから小動物しか食べない」
ヤオレシアの説明には安心できる要素があまりない気がする。網の中にいるのは全部同じ種類の蜘蛛らしい。俺の拳くらいの大きさはあるけれど、単独で狩をするから鼠みたいな小動物しか襲わないという。
つまりは、蟻みたいに群をなす虫ならば、自分よりも大きな生き物を集団で襲うこともあるというわけだ。樹海やっぱり恐い。
俺だって虫は平気な方だが、ここまで一つの場所に大量にいるのは気味が悪い。
灰色っぽい毛に覆われたモコモコの蜘蛛だから、一匹だけなら可愛らしく見えるかもしれない。だが、今はもう、木造の壁が見えないくらい真っ黒の塊になってゾワゾワ動いているのだ。流石に気持ち悪くて鳥肌が立つ。
しかし、いつまでもビクついているわけにはいかないし、全面網で覆われているから身体を這い回られることもない。
俺は鳥肌を我慢して工房の中を見回した。
ドーナツのように円形の家は、見た目通り外側がぐるぐる回れる廊下になっていて、内側の方が虫籠になっている。
虫籠もぐるりと円形になっているが、今は三分の二しか使われていない。空いているスペースは掃除用で、毎日仕切りを動かし蜘蛛を移動させて、三分の一ずつ掃除をするという。
廊下には点々と作業員のダークエルフが座り込んでいて、網目の間から鼠らしき餌をちらつかせ、蜘蛛をおびき寄せて糸を吐かせている。足元にバケツがあるから、まるで牛の乳しぼりみたいだ。
作業員の手元を見れば、糸自体は布袋に入っていき、バケツの中には糸についている粘液が落ちていっているらしい。
「キヌ蜘蛛の糸は獲物を捕縛するものです、糸自体は非常に細く切れやすいですが、ベタベタの粘液で覆われていて、この液体は乾くと固まって非常に硬くなります」
なるほど、捕縛に特化した糸だ。例えその場では逃げられても、糸が絡まっていればそのうち固まって身動きができなくなるというわけか。
「我らはこの糸から芯だけを取り出す魔法を編み出した」
ヤオレシアが自慢げに説明するが、これはとても高度で革新的な技術らしいので、自慢げになるのも仕方がない。
曰く、粘液を纏ったままでは乾くと硬くなって糸として使えない。針や櫛のように使うならわざと粘液の付いたまま固めるらしいが、糸として使うのならば芯と粘液を分離させる必要がある。
しかし、キヌ蜘蛛の糸の芯はとても脆いから、芯だけにしてしまっても糸としては使えない。芯に硬くなり過ぎない程度に粘液を残したまま固めて糸にするという。
その絶妙な力加減をダークエルフたちは編み出した。
糸を採取している作業員の指先を凝視すると、ほとんど見えないくらい僅かに水魔法と風魔法が展開されていた。水魔法で芯から粘液を洗い流し、残った粘液を風魔法で素早く乾かしているらしい。
仕組みは単純だが真似はできない職人技だ。
魔法は使えても大技しか使えない草原の獣や森林のオーガには無理だろう。沼地のゾンビならできそうだが不純物が入りそうだ。案外、岩場の雑魚どもなら、魔力が弱いからこういうちまちました作業が向いているかもしれない。
ダークエルフの作業員の練度も様々で、手慣れていそうなやつは次から次へと蜘蛛を渡り歩き、糸を溜めるスピードも速いし、溜まった糸も均一でツヤツヤしている。
まだ慣れていなさそうなやつの糸はボコボコしていたり固そうだったり、糸としての質は悪そうだ。中には手元で粘液が絡んで、糸摘みどころではなくなっているやつもいる。あいつは修行中なのだろう。
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