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4.事件

 カラン、とグラスの中で氷が動く軽やかな音がした。


 事務所と同じビルの1階にあるバー。カウンターとテーブルが2席ほどのこぢんまりした店だ。平日ということもあり、客は俺しかいない。


 俺と同年代のマスターが、カウンターの中でグラスを拭いている。奥では大学生バイトがつまみに注文したアヒージョを作っていた。


「マスター、世の中には不思議なことがあるもんだよな」


「何かあったんですか?」


「守秘義務があるから、依頼人の話はできないんだ」


「では別の話題を。明日の日本代表の試合で……」


「いやー、ほんと不思議なんだけどさー!」


「……話したいんですね?」


「依頼人のことは話せないんだ」


「それ言いたいだけでしょ。相変わらずめんどくさい人ですね」


 6年ほど前、バー「タンニーン」と「蜂須賀探偵事務所」は偶然同じ日に開業した。その縁もあってか、マスターと何となく親しくなった。ちなみに名前は増田。マスターで増田。最初聞いたときはダジャレかと思った。


 更に言うと、バーの名前「タンニーン」の由来を聞いたところ、「小学校の時の担任の先生が好きだった」と照れくさそうに教えてくれた。そんなところに好感が持てた。


「実は、この人を探してるんだが」


 事務所に戻らずにまっすぐ来たので、まだ持っていた卒アルを広げる。


 手元から目を離したせいか、マスターの手からグラスが滑り落ちてしまい、ガシャン、と派手な音を立てて床で砕け散った。


「ああ、すみません。最近手に力が入らないときがあって――年のせいでしょうか」


「おいおい、まだそんな年じゃないだろ」


「若年性ってのもありますからね。いま片付けますね」


 掃除用具を取りに行ったマスターと入れ違いに、大学生バイトのテツローがアヒージョの皿を持って現れた。


「お待たせしました。――ん? ハッチさんの卒アルですか?」


「いや、俺のじゃない。依頼人のことは話せないんだ」


 卒アルを閉じる。テツローは分かったような顔をしてふうんと頷いた。


「俺ぐらいの年代だと、卒アルじゃなくてDVDですけどね。過去の遺物って感じっすね」


「そうなのか? お前もしかして未成年か?」


「失礼な。ちゃんとハタチっすよ」


 テツローはシャツのポケットから手帳を出して開いた。地元の大学の学生証が入っている。生まれ年から計算すると、確かに今年ハタチになっていた。


「ちゃんと学校行って勉強してるか? 親や先生の言うことは聞くんだぞ」


「うわ、昭和ですか? ハッチさん時々オジサン通り越しておじいちゃんみたいですよね」


「おいマスター、この失礼なバイトをクビにしろ」


 アヒージョをつつきながらガラスの破片を掃除しているマスターに声をかける。マスターはケガしないように集中しているのか、俺の軽口にも反応せずガラスを拾い集めていた。


 ***


 メガネ男子あるあるだが、朝起きるとメガネを探すところから始まる。寝るときに手の届く範囲に置いたはずなのになかなか見つからないことがあるが、今日は運良くすぐに見つかった。


 コーヒーを淹れるための湯を沸かす。別にコーヒーが好きというわけではないが、探偵のイメージ的にいちごミルクやバナナシェイクよりもコーヒーだろう。イメージは大切だ。


 テレビを点ける。さて、世間ではどんなニュースが――。


『……神社前の路上で、会社員の一ノ瀬彰悟さんが死亡しているのが発見されました。神社前の階段から転落したと見られています。警察は事件と事故の両方で捜査を進める方針です』


 ニュースキャスターの隣に映し出されていたのは、見覚えのある男の写真だった。テロップに「一ノ瀬彰悟(40)」とある。やっぱり同年代じゃないか、サバ読みやがって。


 いや、そんなことよりも。1日分の捜査費用、せめてかかった経費だけでも回収しないと赤字だ。とはいえ、亡くなった人に請求するわけにもいかないし、遺族に請求するのも気が引ける。


 遺族といえば、そもそも依頼内容は妻探しで、その妻は自宅にいたじゃないか。俺は一体誰を探すために雇われたんだ。


 赤字を諦めてこの件は忘れよう。そうしよう。運が悪かったのだ。


 ***


 死亡事故か事件があったわりに、現場となった神社の前はもの静かだった。階段の下の一角に立ち入り禁止の黄色いテープが貼られているが、見張りに立っている警官は2人だけだ。現場検証が終わった後なのだろう。


 来てみて分かったのは、一ノ瀬の自宅にほど近い神社だということだった。


 一ノ瀬の死亡状況を知りたかったが、警官に聞いても教えてくれるはずがない。都合よく警察に知り合いがいるとか、家族に警察関係者がいるとか、元刑事の探偵だとか、そんなのはマンガや小説の中だけの話だ。


「あれ、ハッチ先輩?」


 振り返るとスーツ姿の男が立っていた。記憶の中の容姿よりは老けているが、見間違いようもない懐かしい後輩の顔がある。


「みーやん?」


 中学時代、同じ野球部だった深山透みやまとおる、通称みーやん。全校生徒30人足らずの田舎の中学校で、部活動の所属が必須だった。そして男子は野球部一択だった。いつの時代の話だと言われそうだが、ほんの25年ほど前の話だ。


「うわあ、偶然ですね! 俺いま仕事中なんですけど、今度一杯どうです?」


 言いながら名刺を差し出される。俺も条件反射で名刺を差し出した。


「え、先輩、探偵やってるんですか?」


「そういうお前は警察官だって?」


 名刺に並ぶ「警察署」の文字が輝いて見える。絶妙のタイミングで都合の良い後輩が現れたものだ。やはり今日は運が良い。


「得意教科を生かして就職しました」


「お前勉強なんかできたっけ? 得意教科って何だよ」


「シャトルランです」


 ぴんと胸を張って自慢げに答える。それ教科か? というツッコミはなしだ。


「で、一ノ瀬さん、事故死なのか?」


「いくら先輩でも捜査の情報は言えませんよ」


「可哀そうにな、足を滑らせたんだな」


「いえ、誰かに突き飛ばされたらしい――あっ! さすが先輩、見事な誘導尋問です」


 言ってしまってから慌てて口をおさえている。


「お前はちっとも変わってないな。タイムスリップしたかと思ったよ」


 昔から考えるより先に口が動いてしまうタイプだった。警察官なんていちばん向いてないんじゃないのか?


「そういう先輩は何を調べてるんですか?」


「調べてるってわけでもないんだが、依頼人が死んだから気になって来てみただけだ」


「そうだったんですか。何の調査を依頼されてたんですか?」


 聞き方を変えて同じ質問をされても回答が変わるわけではない。


「探偵にも守秘義務があるんだ。しかし、突き飛ばされたって、何か痕跡でもあったのか?」


「なんか、目撃者がいたみたいですよ。――えっと、俺、そろそろ仕事に戻らなきゃなんで。後で連絡しますね」


 ひらりと手を振ると、みーやんは黄色いテープで囲まれた現場に向かって走って行った。


 事故じゃなくて事件だったのか。

 昨日姿を消してから、一ノ瀬彰悟に何があったのだろう。


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