3.初動
「まあ、そういう事情なら――たぶん何かあると思うんで、あがってください」
意外にも、リュウは明らかに胡散臭い我々を家の中に招き入れてくれた。勝手知ったるという様子で一ノ瀬は遠慮するそぶりもなく二階に上がっていく。
俺は、突然押しかけた気まずさをごまかすように愛想笑いを浮かべながら一礼すると、なるべく音を立てずに階段を上がった。
一ノ瀬は目指す部屋に入ると、壁際の本棚から1冊を抜き出した。以前も来たことがあるのだろう、その仕草に迷いはない。抜き出した本は中学の卒業アルバムだった。
「トモちゃんは写真を撮られるのが苦手で、これぐらいしか残ってないと思うんです」
パラパラとページをめくる。クラス写真のページを開くと、1枚の写真を指さした。「長尾友枝」と印刷されている。一ノ瀬が自慢するのも納得できる、色白で目鼻立ちのはっきりした美人だ。
「こちら、写真を撮らせてもらってもいいですか?」
誰に許可を取ればいいのか判断できず、俺はスマホのカメラを起動しながら一ノ瀬とリュウの両方に確認した。
「どうぞ、そのままお持ちください。僕には不要ですので」
リュウが肩をすくめる。一ノ瀬はそれなら、とアルバムを俺に差し出してきた。持てと言うことか。中学の卒アルを持って歩くのは気が進まなかったが仕方なく受け取る。
「長尾さんの娘さんとは面識はあるんですか?」
当然のことながらどのポケットにも収まらない卒アルを小脇に抱え、ついでに訊いてみる。リュウはゆっくりと首を左右に振った。
「ばあちゃんから話を聞いたことはありますが、会ったことはないんです。ずいぶん昔にケンカして出て行ったって言ってました」
「ずいぶん昔?」
「はい。もう10年ぐらいになるって」
「え、そんなはずないですよ! だって今年の正月も里帰りしてましたよ」
一ノ瀬が驚いたように話に入ってくる。リュウが困った表情になって応じた。
「今年の正月ですか? ばあちゃんが亡くなったの、去年の夏なんですけど……」
「おかしいなあ、確かに実家に行くって言ってたのに」
一ノ瀬は首をひねっている。どうやら彼の妻は、実家に行くと言って正月に出かけていたらしい。それはもう何というか浮気とか不倫とか密会とかそうゆうことなんじゃないのか? 言えないけど。
俺はそれ以上深追いするつもりもなく、収まりの悪い卒アルを抱えて長尾家を辞することにした。一ノ瀬は察しが悪いのか察したくないのか、ブツブツ言いながら俺の後について来る。
外はだいぶ暗くなっていた。
駅の方向に歩き出そうとしたとき、隣の家の玄関が開いて、エプロン姿の女性が出てきた。門灯で照らされた手元に「回覧板」と書かれたファイルがある。
「どうも、こんばんは」
ほぼ条件反射で挨拶をした。探偵たるもの、どこから情報源がやって来ても対応するのは基本だ。
「こんばんは。長尾さんとこのお客様ですか?」
幸運にも、話好きで好奇心旺盛ないわゆる近所のおばちゃんタイプの女性だ。長尾家から出て来たのを見ていたのか、頼んでもいないのに話したそうにしている。
「そうなんです。長尾さんとは親しいんですか?」
「まあ、お隣ですからね。去年おばあちゃんが亡くなって、お孫さん1人になっちゃったから、心配で気にかけてましたの」
「おばあさんが亡くなったのは去年なんですね」
「ええ。夏頃だったかしら。倒れて救急車で運ばれて、そのままだったみたい」
リュウの話と一致している。となると一ノ瀬の記憶違いか、一ノ瀬の妻が嘘をついたのか。
「その後はお孫さん1人で?」
「そうね。うちが5年前に引っ越してきた時から、おばあちゃんとお孫さんで住んでたけど、他に出入りしてる人も見かけないわね。ただ――」
声のトーンを落とし、もったいぶった間を開ける。
「時々、怪しい男がお隣の様子を窺ってるのを見たわ」
それが言いたかったのか。張り込みしてたんですか、と言いそうになって飲み込んだ。が、口に出さなくても顔に出ていたらしく、話好きの女性は取り繕うように回覧板をパタパタ振った。
「あ、いえ、たまたま見かけただけなんですよ。この辺りじゃ見ない人だったし」
「どんな人でしたか?」
「背はうちの息子と同じくらいだから170前後、太っても痩せてもなくて、サングラスしてました」
まったく役に立たない目撃情報の礼を言い、その場を離れることにした。
今度こそ駅に向かって歩き出す。――が、数歩歩いたところで立ち止まった。
「一ノ瀬さん?」
姿が見えない。360度見回しても視界に入らない。まさか先に帰ってしまったのだろうか。
「まさかだよな……」
依頼人が消えた。たとえ1日分とはいえ、まだ調査費用をもらっていない依頼人が消えた。せめて実費だけでも回収しないと、交通費分の赤字になってしまう。
俺がこの世でいちばん嫌いな言葉は「タダ働き」だ。ちなみにいちばん好きな言葉は「タダ飯」だ。
***
依頼書に記載されていた住所を頼りに一ノ瀬の自宅を探す。高級と中級の間ぐらいの住宅街の一角。表札に「一ノ瀬」とあるのを発見し、依頼人の申告が虚偽ではなかったと安堵しながらインターホンを押した。
「――はい」
女性の声。機械を通しているせいか、硬く無機質な印象だ。
「蜂須賀と申します。彰悟さんはお戻りですか?」
「主人はまだ仕事から戻っておりません」
ん? 主人だって?
「あの、失礼ですが、あなたは彰悟さんの――」
「妻ですけど?」
あなたのご主人から、妻を探してほしいと依頼された探偵です。そう言いかけて飲み込んだ。
「差し支えなければお名前を伺ってもよろしいですか?」
「え? お断りします! お引き取りください!」
プツン、とインターホンが切れた。しくじった。得体の知れない相手から、事情も説明されずに名前を聞かれたら気味悪がられるのも当然だろう。
再度インターホンを押す。反応はない。もう一度押してみるがやはり反応はなかった。これ以上押したら警察を呼ばれそうなので、今日は諦めて出直すことにした。