舞踏会
来なければ良いと願った招待状は、すぐに屋敷に届いた。
黒地に金で綴られた招待状は、開くと中に仕掛けた紙が立体になり紙吹雪まで出る。
招待状でこの気合いの入れようだ。
これを1枚1枚送るなんて——手伝ったであろう使用人達はさぞ骨が折れただろう。
当日、ザイラはアンナに支度をお願いした。
ただでさえ緊張しているのに今ベロニカに髪を引っ張られたら、日頃の恨みが噴き出してベロニカの顔を両手で挟んで好きなだけ頬を打ってしまうかもしれない。
アンナは強盛なザイラの髪を美しく編み込んで低い位置で纏め、ダイヤとサファイヤの髪飾りを付けてくれた。
大抵この国にある服や装飾はザイラに似合うものが少ないので、探すのに苦労するが、アンナはとてもセンスが良いとザイラも感心する。
髪飾りはザイラの目の色と合って、鏡の中の自身にとても似合っていた。
アンナにかぐわしい香水を振りかけて貰い、肘上まである手袋を付け、落とさない事だけを祈る婚約指輪を付けると、長いドレスに躓かないようザイラはゆっくりと階段を降りた。
階下には舞踏会様の燕尾服を着たアイヴァンが待っていた。いつもはきっちりとした髪も、今日は優雅に後ろに撫で上げている。
ザイラに気付いたアイヴァンは顔を上げ、2人の視線が交わった。
アイヴァンの姿は息を呑むほど麗しかったが、その表情は相変わらず氷のように変化は無い。アイヴァンにとって貴婦人の着飾った姿なぞ、見慣れた光景なのだろう。田舎で育ったザイラには、都会の景色は石ころ一つであっても物珍しい——とザイラは思い直した。だから、自分がアイヴァンの姿に見惚れても仕方ない——そう自身に言い聞かせた。
アイヴァンは自然な動作で長い腕を伸ばしそっと手を差し伸べる。ザイラも貴婦人らしくその手の上に自らの手を乗せて、残り数段の階段を降りた。
慣れないドレスに階段を無事に降りたは良いが、お互い目を見開いたまま見合って向き合い、暫く黙り込んでしまった。
この沈黙は一体……——
何かあるなら言って!と逸らすことも出来ない視線にザイラは耳まで赤くなり始める。
ザイラの首が熱を帯び始め、思わず叫んで逃げ出したくなったが、二人は手を重ねたままだ。
「……よく似合っている」
抑揚も無い声色で、アイヴァンはそう言った。
「……アイヴァン様も」
ザイラは思わず目を伏せ、本心なのか建前なのかも分からない言葉を受け取り、本心でそう返す。
アンナが横でふふッと満足そうな笑みを溢した。
会場の高級ホテルは既に混雑していた。
入り口をくぐると、まさにそこは別世界だ。
見た事もないような大きなシャンデアがいくつもぶら下がり、壁や天井一面には緻密に描かれた天界の絵が続いていて荘厳さをより際立たせている。
会場が広いので、オーケストラも必然的にかなり規模の大きい楽団が舞踏会の始まりを待っていた。
形式に沿って、ザイラはアイヴァンと腕を組んでいたが、ザイラの手は緊張で強張り、アイヴァンの腕を更にギュッと握る。
「緊張しなくていい。挨拶だけ済ませて途中で抜けても大丈夫だ」
ガヤガヤと響く喧騒の中でアイヴァンがザイラの耳元で呟いた。思いの外力を込め過ぎていたことに気付いて、ザイラは手を緩める。
「この会場を見て緊張しない人間がいますか?」
思わず心の声がそのまま出てしまった。
ザイラはデビュタントを経験していない。表向きは病気療養中としていたが、一体何人がそれを信じただろう。
令嬢達が初々しい社交界デビューを飾っている間、ザイラは少年の格好で野や山を走り回っていた。
ローリー領の領民が、ふざけてザイラを坊ちゃん、とかローリー伯爵家の次男坊、とか言い始めたせいで、未だに次男が居ると信じている者も居るだろう。
伸び伸び好き勝手に過ごしてきたツケが今になって回ってきた。
ザイラは伯爵令嬢の身分なんてすっかり忘れて、正真正銘の田舎者のように口をポカンと開け、上から下から忙しなく首を回して会場を見渡している。
その間にもアイヴァンは2階の休憩室や隣にある軽食や飲み物をつまむホールを案内してくれた。
全く持って落ち着かない——
ザイラとアイヴァンに気付いた人間は、皆ヒソヒソと二人を品定めしている。
ザイラは震えそうな体に力を込めてなんとか抑えた。
すると人々が一斉に入り口へ注目し、ホールの空気が一気に変わる。ザイラも釣られて、そちらを注意深く窺った。
エルメレ人だ——
ザイラは興奮に息を呑む。
7~8人程だろうか、皆体つきがしっかりしていて大柄な男性が多かった。髪の毛はダークブラウンや黒色。目の色は様々だが顔のパーツがはっきりしていて、肌も白というより小麦色やそれよりも濃い者が多かった。
後ろに控えているのは護衛だろう、王国と同じような軍服に見えるが、ジャケットや被りものも装飾が違って緻密で織りの細かい布を肩から腰に掛けて掛けている。
真ん中の2人は体を覆うようにゆったりとしたエルメレらしい衣装を身に纏っていたが、動きやすいようにしているのか下はパンツスタイルであるようだった。
羽織っている織物の美しさといったら……——
なんと艶やかだろう。
物珍しさに興奮して、遠慮もせずザイラはその姿を穴が開くように眺めてしまった。
真ん中の少し小柄の男性が噂の第二皇子だろうか——なんとも華やかな顔立ちで、貴賓がある。
温和そうな雰囲気だが精悍で整った顔立ちは、貴族達がこぞって皇子に取り入りたいと願うのが分かるほどに麗しかった。
そして皇子と同じエルメレの伝統衣装を着た一際背の高い男性は、鋭い目で辺りを警戒している。
側近なのだろうか——
ニコリともしないが、人種を超えた神秘的な美しさになぜかザイラは目が離せなかった。この世で一番美しい人間はアレシアだと確信していたザイラに、その姿は衝撃を与えた。
——と不意にその側近とザイラが目が合う。
周りに居る貴族達は色めきだってエルメレの一行を興奮気味に眺めている。
その男の鷲のように鋭い目には、灰色と金色が混じり、えも言われぬ光彩を放っていていた。その美しさに引き込まれて、ザイラはどうしたって目を逸せない。
皆の注目を一身に集めた皇子にスチュアート侯爵と夫人は満足そうな笑みを浮かべて恭しく挨拶している。
音楽が始まった。
遂に舞踏会の始まりだ。




