「不都合」
1−6 「不都合」
【交差点】
獅子原レイジによってダークレコードは一変した。全てのステータスを奪われ、ゲームから出られなくなったプレイヤーたちは、その状況を理解するまでに時間がかかった。何度もログアウトを試みる者や仲間同士で話し合う者、とにかく辺りを走り回る者、なかには「これって運営からのドッキリなんじゃ?」と現実逃避する者もいたが、どのプレイヤーも時間が経つにつれて、受け入れがたい現実を受け入れるしかないと思い始めていた。
「おい、見てみろよステータス。なんか能力がついてるぞ」
すると、さきほどまでなかったはずなのに突如それは付与された。獅子原博士からあった変更点の一つである能力の変容であった。今までの能力は失われ、全く別のものに変わっていた。気づいたプレイヤーたちは次々にそれを確認すると様々な声があがった。
「はっ!? 俺の能力ぜんぜんちがうものになってんだけど!」
「うそ。・・・なにこれ」
プレイヤーたちはさらに混沌とした状況へ流れていくのだが、このとき、はじめは一人交差点から離れた場所でその様子を見ていた。人混みが苦手だからという理由に加え、元々このゲームをソロでプレイしていたこともあり、声をかける相手もいなかったからだ。この混乱が徐々に過激になっていきそうで、はじめはそれを見たくなくて歩きだした。
しばらく歩くと人気がかなりなくなり、そこで崩れかけのくすんだビルの間に吸い込まれるように入った。壁に背をつけてそのままズルズルと腰が落ちてへたり込んでしまった。
「どうして? ・・・どうしたら、いいの? わた、・・・はじめ、怖いよ。お兄ちゃん」
はじめは膝を抱える。胸を埋め尽くす恐怖の感情から逃れたくて、葉太の顔を思い浮かべるが同時に信頼する兄の顔にノイズが走る。自分が崩れそうになりかけた時、不意に肩を触られ声をかけられた。
「ちょっと大丈夫? しっかり」
はじめは驚きといっしょに顔を上げるとそこには見知らぬ女の人がいた。
「具合悪い? ほら、大したものじゃないけどこれ食べる?」
手にはウラムベリー、赤黒い食用のベリーがあった。どこにでも群生している果物だ。はじめはサッと目を逸らして首を振った。
「むー、そっか。・・・あなた名前は? ・・・あいや、まず自分からだよね。私はリューカっていうの。よろしく!」
「・・・・・・」
はじめにとっては兄以外の人間と会話をするどころか対面することがまずなかったため、すぐに言葉がでなかった。はじめは目を合わせないようにしながら、そのリューカというプレイヤーをみた。
灰色のゆるやかなロングヘア、全体的にふんわりとした雰囲気で目は丸くクリっとしている。はじめを怖がらせないように瞳が柔らかく三日月型になっている。服装は七分袖の白いリネンのチェニックに黒のスリットパンツ。首から銀のネックレスをつけていた。
「いやー、しっかし大変なことになっちゃったねー。もうわけわかんないよ。しかも私、このゲーム初めたてだからただでさえまだ慣れてないってのに。なんか変な運もってるなーって感じ」
「・・・・・・」
「それにせっかく能力も飛行【フライ】にしたのに、全然ちがうやつに変わってるし。なんじゃこりゃだよね。そういえばあなた年いくつ? 私は19。大学生なんだー」
「・・・・・・」
リューカは回転がかかったように喋り続けている。聞いてもいないのに自身に関することを話しだした。人見知りのはじめにとってはどう反応して、なんて声を発すればよいのかわからず、心の中はずっとアワアワしていた。
「はあ、これほんとにゲームから戻れなくなったら大学の単位どうなるんだろ? 留年? 下手したら退学になんのかなー。・・・ってやば! 名前、あなたの名前聞いてないや!」
はじめは肩をビクリとさせた。どうしようかと迷ったが意を決して「・・・はじめ、です」と答えた。
「はじめちゃんね。カワイーね。なんか小動物っぽい! あっ、そうだ私実家で猫飼ってるんだけど。はあ、また会えるのかなー」
と、リューカはまたベラベラと話しだしたので、はじめは、ほとほとどうしようかと困ったが、立ち去るタイミングもつかめずそのまま黙って聞いていた。だが、そうしているうちに、この状況がどこかおかしく感じてきて、思わず笑みが溢れると、リューカは「あっ笑った!」と嬉しそうに言った。はじめは恥ずかしくなり頬を染める。
「ふふ、笑ったらもっとカワイーね。うんうん。・・・ていうかごめんね。私ばっかりずっと喋ってて」
リューカはいまさらながら謝ると「よしっ」と言って立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ行こっかな。ありがとね。話し相手になってもらって」
その言葉にはじめは安堵よりも寂しさが胸を掬ったようになって、そのことが自分のなかでも意外だと思った。それが顔に出ていたのだろう。リューカはなにかを察したように右手を差し出した。
「ねえ、よかったらしばらく一緒にいない? 正直言って私まだゲームに慣れてなくて不安だったんだよね。嫌だったら無理しなくていいし、途中で解散でもいいから。最初だけ、・・・どう?」
差し出されている右手と、リューカを交互に見上げながら、はじめは少し迷い、恐る恐るその手を掴んだ。しかし、はじめは握手に慣れていないせいか左手で手の甲を握り返した。
「・・・わたしゃあオラウータンか! ・・・ふっふふ」
リューカはおかしそうに笑いながら、優しくはじめの手をとり直してそのまま引っ張り立たせると強く手を握った。
「それじゃ、よろしくね。はじめちゃん!」
「・・・うん。よろしく」
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「・・・大丈夫? しっかりして」
鈴をゆっくりと転がすような声が近くで聞こえた。視界が白くぼやけていたものが徐々に晴れていく。聞き覚えのある声に少しずつ脳が働きだそうとしているのを感じた。
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから・・・」
無意識に言葉が出て反射的に体を起こそうとするが制止された。それに抵抗できずストンとまた体が戻った時に、自分は気絶して、いま妹の部屋の床に寝ているのだとわかった。
「いま水もってくるから、動かないで」
「あ、ああいや、ごめん」
あれ? 俺はいま誰と話しているんだ?
そう思った時に、頭はだいぶはっきりとしてきて、襖を通っていく後ろ姿は、自分の高校の制服だった。
俺は、立ちくらみして一瞬気を失ってたのか。そして、それをいま・・・?
「勝手にコップつかったから。・・・はい、お水」
そう言ってコップをもって戻ってきた山田ハンナは水を差し出す。
「え!? なんで? ・・家にいる?」
状況が追いつかなくて素っ頓狂な声がでた。しかし、そうである。なぜ山田ハンナがここにいるのか。その理由も、ましてやなぜ俺の家を知っているのかもすべてが理解できなかった。夢でもみてるのかと思うほどだ。
「・・・鍵が、開いていたから。そうしたら、あなたが倒れていて」
「あー、ありがとう。・・・っていや、そうじゃなくて! だからって勝手に入るのもあれだし、そもそもなんで俺の家知ってる!?」
「それは、・・・そこらへんの人に、聞いたから」
一瞬、間をおいてハンナは答えた。いやいや、誰だよそいつは。
でも一応は倒れていたのを助けてくれた。ってことになるのかな。俺は冷静に改めて礼を言った。その言葉をどこかじっくりと聞きこむような感じで少し黙り、ハンナは頬をゆるめて微笑んだ。
俺は水を飲み、時間を確認すると驚いた。19時を回っていた。一時間以上、気を失っていたのだ。
「あっ! はじめ!!」
慌てて振り返ると、はじめは変わらずベッドの上で寝ていた。そこにいることへの安堵と同時に、まだ目を覚まさないことの絶望に心が嫌に揺れて、俺はそっと、はじめの手をとった。
「あなた、・・・それ」
「ああ、そうだ。ゲームやってて、それで目が覚めなくなって」
「そう。・・・・・・そう、やっぱり、そうなのね」
・・・・・・
はじめの手を強く握った。
部屋には俺と眠る妹、山田ハンナだけがいる。カチ、カチ、カチと時計の音を認識できるほど、静かだ。
俺は心のなかではじめに声をかける。
斜め後ろでハンナが立ち上がった気配がした。音もなく、家の中は静かなままだ。
「・・・ねえ」
はじめ、頼む。・・・誰か、俺はなにをすればいいか教えてくれ。
「ねえ、・・・あなた。・・・岩波、葉太」
そ、そうだ。救急車を呼ぼう。目が覚まさないなんて言ってるけど、今の医療なら治せるはずだ。
そう思った矢先に俺の頭には過去の映像が流れる。病室のベッド、眠る母、細い手首、白髪混じりのほつれた髪。病に伏した母の姿が呼び起こされる。
はじめを失いたくない。俺の、たった一人の妹。俺とはじめ、二人だけの家族なんだ。
スッと視界の端に影が伸びて、俺は手を掴まれた。青白いその手は、思ったよりも温かかった。
触れられる違和感を脳が処理しきれず、ゆっくりと横を見ると山田ハンナの顔がある。
「聞いて、ほしい」
静かなのに、耳にはっきりと届く声で言った。
あれ? 山田ハンナの声って、こんなにも血が通ったみたいなんだなと思った。
「あなたの妹は、・・・もう亡くなっている。一年前に、死んでいるのよ」
カチ、カチ、カチ、というのは、時計の音ではなかった。
この音はきっと、俺の頭の中の音なんだ。こうやって、メモリを合わせるように回すと、きっと俺は、不都合を切り替えられるんだ。
「は? ・・・なに、言って、るんだよ。はじめはここにいるだろ」
はじめを見る。そこにいる。はじめの手は、どこか薄ぼんやりとしていた。
カチ、カチ、カチ、カチ
「・・・ちがう。あなたの妹は、もうっ」
「な、なにを言ってるんだ! ふざけるな! 妹は、はじめはここにいるだろうがっ! ここに寝てるだろうが! いまこうしてゲームに囚われて、きっと、怖い思いしててっ!」
ハンナの手を振り払うとベッドを指さす。その先には、はじめが眠っている。
「ちがう。それは、・・・あなたが心の中で作り出してしまったもの。本当は一年前に亡くなっ」
立ち上がり、ハンナの口を手で塞ごうとした。しかし、その腕を掴まれて抵抗される。細い腕なのに力が強く、頭に血がのぼり目がチカチカとする。息を吸っているのか吐いているのかわからなくなる。
「現実を見て。目を逸らさないで。でないと、あなたの心がっ」
「うるさいっ! うるさいうるさいうるさい! 妹は生きてるんだ! 妹はここにいるんだ!」
「あなたが、こわ、壊れてっ、壊れてしまう!」
「い、妹はなあ! 俺の妹は、優しくて、可愛くて、人見知りなところもあるけど自慢の妹で、だけど不登校になって引きこもりになって、外に出るのが怖いからって言ってだけど頑張ってまた学校にいけるようになりたいって言っててけど外に出ようとすると体が震えてだから俺はそんな妹を支えようと思って、母さんが病気になって必死にやってきたんだ学校だってバイトだって家事だってやってたんだ母さんが病気になって見舞いだっていって母さんは弱っていって辛くて泣いていたって俺は妹を守るために部活はやめたし進学はやめたし母さんは死んだんだ日に日に母さんはやつれていってそしたらはじめが俺が学校にいっている間に外が怖いはずなのに母さんの見舞いにいくために怖いはずなのにだからだけど外に出てその途中でっ」
言語と記憶の機能が馬鹿になったみたいだ。
カチ、カチ、カチ、頭の中で音が鳴る。
ハンナの腕を振り払い、そのまま腕をつかみ強引に部屋を出て、玄関から外へ押し出した。
その時になにか言われたような気がするし、俺もなにか言ったような気がするけど、もうなにもわからなかった。頭の中のメモリが、きっと俺の不都合を消しているから。
玄関の扉を閉めて鍵をかける。扉を外からドンドンと叩かれる。
「やめろ。はじめが起きるだろ」
・・・いや、ちがう。はじめは、そうだ。ゲームに囚われているんだ。
きっと、今頃ゲームの中で怖い思いをしているはずだ。
救いを求めているはず。
俺は、はじめの部屋へ向かった。襖を通る時に棚にある写真が倒れていた。心の一片が引かれそうになるがすぐに、忘れた。
妹は、はじめのベッドには、はじめがいる。
なんだ。やっぱりいるじゃないか。
ベッドの、枕の横にはゴーグルが無造作に置かれたままだ。
「・・・そうだよな。はじめは助けを待っているんだ。だから、俺が守りにいかないと」
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俺は、スイッチを押した。