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「博士とゴミ拾いと帰り道」




 1−3 「博士とゴミ拾いと帰り道」



 【6月某日 G&Aカンパニー ゲーム開発室】


 開発責任者の田所は徐ろに胸ポケットから電子タバコを取り出した。一応この会社内は禁煙で、タバコを吸うときは喫煙スペースでという決まりになっている。いつもは外の駐車場にある外付けの喫煙室まで行くのだが、今の田所は一仕事終えた余韻もあり、動く気にならず、椅子にゆったりと背中を深く預けている。もし誰かがやってきて注意を受けたら、その時に喫煙室までいこうと考えていた。田所のデスクにある数枚の大型PCモニターには、専門的な記号がずらりと羅列されて上から下へ流れている。田所は吸い込んだ煙を肺にじっくりと入れた。

「あー、間に合った。あーしんど。獅子原博士の長い無茶ぶりもこれで完了だ」

 特にここ数ヶ月の間、追い込まれていた疲労の全てを開放するようにタバコの煙を吐き出した。ピコンと音が鳴る。それは全ての最終確認が完了したことを意味していた。


 約四年前にG&Aカンパニーはダークレコードを発売した。発売当初はお世辞にも高い評価は得られなかった。VRゲームの限界に挑もうと開発局一丸となって取り組んでいたものの、どうしても超えられない壁のようなものに打ちのめされ、結局は既存のゲームと似たものになってしまった。

 そんな折、現れたのが脳神経学者である獅子原ししはらレイジ博士であった。どういった経緯なのかは不明で、G&Aカンパニーの代表が直々に引き入れたという噂もあるが、真意は誰も知らない。

 だが、その獅子原博士の知識、経験、才能が注ぎ込まれたことにより、ダークレコードは進化した。追求された仮想現実の精密さは他の追随を許さないほどの完成度で、そこに世界観とゲーム性が加わったことで史上最高傑作のゲームという称号を手に入れた。まさに歴史を塗り替えたと言っても過言ではない。

 そんななか一年が経った時に、獅子原博士から急遽ゲームシステムの変更の申し出があった。

 「このダークレコードは更に先へ進むことができる」と獅子原博士は力強く語った。開発部の全員はその発言と考えに驚いた。そして非難があがった。

「すでに完璧なゲームとされているのにどうしてそんなことをする必要があるんですか!」

「そんな荒唐無稽なこと、無理に決まっている!」

 だがしかし、G&Aカンパニー代表から獅子原博士の言う通りにするようにと指示があり、開発部は渋々、新たなシステムの開発を行うこととなった。当時、まだ責任者ではなかった田所や開発部の社員は皆「無理だ」「できるわけがない」と口を揃えて言ったが、今は違う。

 

 なぜなら、できてしまったから。


「まっ、大変だったけど。確かに・・・獅子原博士は天才だ。まったく、・・・こりゃまた売れるなー」

 と、田所は獅子原博士への畏敬の念を抱きながら携帯電話を取り出した。もし獅子原博士がいなければダークレコードが本当の意味で生まれることはなかった。自分は良いタイミングで開発責任者になれたと、先日購入した高級外国車の画像を眺めながら思った。納車までが待ち遠しく何度も見ては仕事の活力にしていた。ただそれも一段落ついたことで、あとは楽しみに待つだけだと自然と笑みがこぼれる。すると、開発室の扉が開いた。

「あっ! 博士お疲れ様です」

 田所は慌てて携帯を上着のポケットに入れた。現れたのは獅子原博士だった。クセのある白髪、博士らしく白衣をまとい、目の下には隈が濃く浮かんでいる。年は40代後半だが、白髪と顔の深いシワからそれよりも上に見える。田所に向けて「おつかれ」とだけ言った。乾いたしゃがれ声で、どことなく疲労感がにじみ出ている。田所はそんな博士のことをいつも、死神に生気を吸い取られているみたいだと思っていた。

「田所くん。ご苦労だったね。いやあ、よかった」

「ええ、正直不安でしたがなんとか完成してよかったです。あっ、そういえばこのあと何人かで開発部の飲み会があるそうっすけど。獅子原博士もよかったらどうです?」

「いや、私は遠慮しておくよ」

 田所の想像通りの答えが返ってきた。もう何年も獅子原博士とともに仕事をしているが、こういった飲み会に参加したことは一度もない。それどころかプライベートの話など誰かとしていることは一切見られることも聞くこともなかった。

「そうですか。じゃあ、私はそろそろ退社しますので。それでは」

「ああ。パソコンはそのままでいいよ。私がやっておく」

「え? あっ、わかりました。ありがとうございます」

 田所はパソコンから手を離すと代わりに電子タバコを胸ポケットにいれて、首にかける社員証を乱雑に掴むと開発室から出ていった。


 ・・・・・・


 室内は急に静かになった。いや、耳をすませばいたるところから微かに電子音とモーター音が聞こえる。ただ、それだけだ。

 開発室の真ん中に獅子原博士だけが立っている。さほど広くはない部屋は十数人程度が仕事ができるスペースで、さらに半分は電子機器とパソコンで埋まっている。部屋の一番奥の中央の壁には一面にスクリーンがかけられてある。獅子原博士は白衣のポケットに手をいれながらぼーっとそのスクリーンを見ている。真っ暗でなにも映されていない。

 そして、徐ろにポケットから手を出すと妙なUSBメモリが握られていた。それは一般的なものとはちがう。長方形のガラスケースのようなものに黄色のラインが入っていて、ガラスの中には液体がはいっていた。獅子原博士はそれをさっき田所がいたパソコンに差し込んだ。


「・・・ようやくだ。ようやく、先に進める」



 ーーーーーーーーーー



 7月1日、日曜日、時刻は午前8時半を過ぎたくらい。俺は駅前にいる。これから遊びに行くわけでもなんでもない。学校のボランティア活動の一環で、駅周辺のゴミ拾いをするためにここにいる。

 貴重な日曜日のこの時間帯は、大半が年寄りで、あとは何組かの家族連れが行き来している。そのなかで学校の指定ジャージを着て、軍手をはめて片手にはゴミ袋、もう片方には長いトングを持ち、人を待っていた。

「・・・本当にくるのかな?」

 俺のなかでは半々だった。なんせ今日のゴミ拾いのペアは、あの山田ハンナだったからだ。思えば、俺はまだ一回も喋ったことがなかった。先日の学校でのことを思い出す。ボランティア班の話し合いでもずっと黙っていた。物静かというより無口で人の話を聞いているのかもよく分からない。まあ学校に遅刻することもないし、時間にルーズだとも思わない。と、考えていると岡野が話していたことを思い出した。

 そういえば、隣町にカラオケに行くのって今日じゃなかったっけ?

 そのときの話を頭のなかで反芻していると背中に衝撃があった。


「うおっ!」

 感覚的に手で叩かれたようである。振り向くとまた衝撃、いや軽くはない衝撃があった。山田ハンナがそこにいた。右手が変に前に突き出したようになっていて、おそらくそれは俺の背中を叩いた時の名残だろう。

 

 いや、いったい、なぜ?


「・・・つい」

 

 は?


 「つい」とはいったいどういうことだ。つい、うっかり、叩いてしまったという意味なのだろうか。そう追求というかツッコミをいれたくなるが、まだ山田ハンナとの距離感を測りかねていた俺は「そう、ですか」となんとも微妙な返事をすることしかできず、思いの外、痛かった背中をさする。

「ごめん」

 すると、俺の曖昧な返事のせいか、居心地の悪い間を嫌ったのか、山田ハンナはそう言って頭を下げる。

「えっ、い、いや。俺の方こそごめん。・・・えーっと、おはよう?」

 と、どういうわけか俺は頭に手を当ててヘコヘコと頭を下げる。

「・・・おはよう」

 

 なぜだろう。なんだかもう帰りたい気分になる。

 そんな奇妙な朝の挨拶を済ませたあと「それじゃあ」と言ってそそくさとゴミ拾いを開始した。

 

 山田ハンナは私服であった。紺色の薄手のパーカーにデニムのショートパンツ。服の色味が濃いせいか、余計に肌の青白さが目立つようだった。服装はシンプルだが着ている人間が美人なせいかオシャレに見える。ただ、その手にはゴミ拾いの道具一式がしっかりと握られている。なんだかそれすらも奇をてらったファッションに思えてきた。そう俺がまじまじと眺めていると。

「なに?」

「えっ! あっ、ああ。悪い。ジロジロ見て。次こっち、行きますか」

 そう言うと一度うなづいただけであとをついてくる。


 ボランティア活動のゴミ拾いは二ヶ月に1回、二人一組で各エリアに分かれてゴミを拾う。ちなみに前回は一人だった。ボランティア班の人数が奇数であったため俺だけがあぶれていた。ただ、さっさと終わらせたい身としてはむしろ気楽に感じていたのだが、いま横には山田ハンナが一緒にいる。

 ハンナは黙々とゴミを拾っていた。今のところ会話はない。「わからないことあったら聞いて」と言ってみたが、それが会話のきっかけになることはなかった。二人とも甲斐甲斐しく町の美化活動に貢献している。

 さすがにずっと沈黙なのもなあ。と思いながらなにか話題がないか考えていると視線を感じた。横にいるハンナの薄白色の大きな瞳があった。しかし、目が合っているようでどこかあっていない。見られているようで、なにも見ていないような不思議な感覚だ。

 「どうかした?」と尋ねるが、ハンナははたと気づくと少し迷いながら首を横に振ってまたゴミを拾い出した。


 ゴミ拾いは小一時間ほど行うとそれを学校まで持っていく。他のエリアの人たちと合流してみんなでゴミの分別をしてまとめる。それが終わるとリーダーの大木が「じゃあ、これで」と言い、ボランティア活動は終了となった。

 俺が携帯で時間を確認していると背後に気配を感じた。

「ちょっと、いいかしら」

 鈴をゆっくりと転がすような声で、一瞬気のせいかと思った。パッと振り返るとハンナが立っていた。意表をつかれたように、頭が固まった。「え、あ、はい」と妙に高い声がでた。

 今朝のこともあって、背後にいると緊張するな。


「・・・帰るの?」

「あっ、うん。そうだけど」

「・・・・・・」


 え? なに?

 

 ハンナはなぜか黙っている。俺が話しかけられた側だよな?

 気まずい沈黙が流れる。

「えーっと、山田さんもまっすぐ帰るの?」

 ハンナは首を縦に振り、肯定を示す。

「・・・そ、そう。それじゃ、おつかれ」

 いったいなんなんだ。

 わからないまま校門を出ようとすると、微かな抵抗感がある。見ると服の裾がつままれている。ハンナは眉間に皺をよせてどこか睨むようで、さらによくわからない状況にさせられた。そして意を決したようにハンナは口を開く。


「いっしょに帰りましょう」

「へ? なんで?」

 

 そう、理由がほしいことを言われた。一緒に帰ろうと思うようなきっかけもなにもないはずなのに。もしかしてドッキリにかけられているのではと思い周りを見回してみたが、誰かいる様子はない。グラウンドの方で運動部の活発な声が聞こえるくらいだ。

 俺が考えているとハンナは返答も待たずに歩き始めてしまった。なにが起こっているのかわからない。自分がなにか不快にさせたのかもしれない。そんなことまで考えてみたがなにも見当はつかない。困惑したまま意味もなく携帯で時間を確認した。9時半過ぎだ。今日のバイトは急遽シフトが変わり10時半からで、さっさと家に帰り部屋の掃除をしようと思っていたりもして。


 ・・・いや、掃除はバイトが終わってからにしよう。


 俺はハンナの背中を追いかけた。



 


 いつも自転車通学をしている者としては、こうして歩いて坂を下るのは新鮮だ。ゆっくりと景色が後ろへと流れる。7月になったが、今日はほどよい気温で、時折吹く潮風が気持ちよかった。しかし、目や肌で感じるものは清々しいはずなのに、俺の心情は至って落ち着かない。


 ・・・・・・

 ・・・・・・


 え? 俺が喋らなきゃだめなの?


 俺は何度も歩きながら思った。そもそも山田ハンナが転校してきて一週間弱。話したことは一度もないわけで、話している姿も授業中に教師から当てられた時くらい。印象といえば物静かというよりも無口で無表情だ。クラスのイケてるやつらが周りにいて賑やかそうだが、特別に誰かと楽しげにしているようにはみえない。一人が好きなタイプなのかなと勝手に思っていた。だからこそ、こうして隣で一緒に歩いていることが不思議であった。

 そういえば、岡野たちのカラオケは今日だったはず。このあと行くのかな。

 話題もなかったのでちょうどいいと聞いてみるが、ハンナは首を傾げる。


「あれ? なんか岡野がカラオケだって楽しみにしてたけど・・・。あー、岡野ってわかる? 俺の隣の席のやつだけど」

「・・・知らない」

 なんだか、岡野、気の毒だな。

「あなたは、・・・どうしていかないの?」

「俺? カラオケ? ・・・俺はバイトがあるから。まあ、バイトなくてもあんまり出歩きたくないんだよね。休みの日はなるべく休みたいっていうかさ」

「バイト?」

「そう。隣町にあるおおたけ屋って知ってる? いや知らないか。そこでバイトしてんの」


「・・・あなたは、つかれてる」

「え? ・・・いや、そんなことないけど」

 なんだ急に。心配されてるのか? それとも疲れた顔しているかな?

 頬に手を当ててみるがいまいちピンとこなかった。


「・・・ねえ、あなた、家族は?」

「家族? ・・・妹がいるけど。なんで急に?」

「お母さんは?」

「・・・いや、いないけど」

「そう」


 それ以降、特に会話はなかった。表情が顔に出ないせいか分かりづらいが、時折ハンナはなにか言いたそうしていたと思う。ただ、俺から何か言うことはなく、帰路が分かれるまで、黙って歩いていた。

 

 ハンナは最後に「気をつけて」と言い残し去っていった。

 離れていく背を少し眺めたあと、俺は団地に向かった。言葉少ない会話を思い返しながら、不思議な気持ちになった。この感覚は何に似てるのかと考えたが、小学生の時にクラスで一番メガネが似合うといわれた小森くんが急にバク転をした時みたいだった。

 ようは、意外なんだ。人に興味がなさそうで、人と一緒にいるのが苦手そうで、人を嫌煙していそうなハンナが、まさか、急に人の背を叩いてくるとは思わなかった。一緒に帰ろうと誘われるとは思わなかった。山田ハンナが、話しかけてくるなんて思わなかった。

 「気をつけて」なんて言われるとは思わなかった。

 

 さっきまで心地よいと感じていたのに、心の隙間に潮が入り込んでいるような、妙な居心地の悪さを感じながら家路についたのだった。



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