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「転校生と妹」




 1−1 「転校生と妹」



 転校生の山田ハンナは、こんな田舎の小さな高校において、それなりの衝撃があった。潮臭い停滞した日々に流れる清涼剤のようなものなのかもしれない。

 クラスのなかで、とりわけ目立つグループの女子たちがハンナの机を四方囲み、興味と物珍しさをもって矢継ぎ早に質問を重ねていた。ハンナがなんと受け答えをしているのかはわからない。隣の席の岡野はチラチラとその様子を見ていて、岡野だけではなく他の男子もどうすれば近づけるのかと伺っているようだった。休み時間には隣のクラスの生徒まで見にやってくる。

 しばらくはこの落ち着かなさのなかで過ごさないといけないのか。

 毎日やってくる勉学と労働に追われているせいで、この賑やかな休み時間をしっかりと休息にあてたい俺にとっては少々うんざりにさせられた。

 ただ、これだけ色々な人がやってくるからかクラス内の情報収集班によって山田ハンナの情報が集まってきたようだ。それは流れるように岡野を経由して否応なく耳に届く。例えば、この町にくる前は大阪にいたらしい。親の転勤でこの町にやってきたらしい。父親が外国人らしい。金持ちらしい。モデルをしていたことがあるらしい。と、語尾にらしいとつく情報ばかりだ。

 俺にとっては別段、気になることもなかったが金持ちということだけはチクリと胸をついた。あまり考えないようにしよう。


 放課後、俺は急いで教室を出る時に後ろの方で山田ハンナの周りをイケてるグループ数人が集まっているのが見えた。何やら遊びに誘っているようだった。それを横目に見た時、ハンナと目が合ったような気がした。温度のない大きな瞳だ。一瞬、睨まれているようにも見えたが、すぐに気にならなくなり、教室を出た。

 学校から自転車で坂を下る。湿った空気を顔に浴びながら、まっすぐ駅へと向かった。



 ーーーーーーーーーー



 スーパーのバイトというのは、一応、学校の許可を得て働いている。ただ、学校に申し伝えている時間とは少し違う。最後の荷整理を終えると休憩室へ戻った。支給されたエプロンをロッカーに入れて、時間を見ると、20時をまわっている。校則では、生徒のアルバイトは休日のみ、しかも18時までと決まっている。しかし、それを守っていては貯まるものも貯まらない。自分以外にも規則を破ってバイトしている人がいることも知っているので、たぶんそれで罰則があるというものでもないのだろう。と勝手に解釈している。

 バイトを終えて家に帰ってくると、玄関の前に配達員がいた。手には小さな小包を持っていて丁度、不在届票を郵便受けに入れている時だった。俺は「うちです」と声をかけ、サインをしてそれを受け取った。届け先の名前の欄には、妹の岩波はじめと名前が記されている。


 家に入ると、居間全体は薄暗く、妹の部屋の前を通り明かりを点けた。台所のテーブルに小包を置いた。手を洗い、うがいをすませて冷蔵庫を開けると作り置きしていたご飯がそのまま残っていた。バイトがある日は毎朝、3食分のご飯を作って冷蔵庫に入れて学校に行っている。しかし、どうやら妹はまだ食べていないようだった。昼ごはん用のおにぎりさえ一つも食べられていない。

 せめてご飯くらいは食べてくれよ。思わずため息が溢れる。

 夕飯を取り出しレンジで温めると、それを盆に載せて妹の部屋まで運ぶ。襖をノックするが、何も返事はない。出てもこない。仕方なく「開けるぞー」と大きめの声で言ってから開けると、案の定、パソコンの前で座りゴテゴテとしたゴーグルを着けた妹の背中があった。部屋にはベッド、机、棚 (ゲームやDVDや漫画などがびっしり詰まっている)それに、いつ注文したのかわからないネットで購入した名残のあるダンボールが積まれてあった。カーテンは閉め切られ窓も空いておらず、部屋は独特のこもった匂いがした。

 妹はゲームに集中しているのか俺が入ってきたことにも気づかない。妹の肩を軽く叩いた。すると、はじめは予想以上に驚き、「うわぁ!」と声をあげて振り向いた。少し紫がかった長い髪が揺れると、月みたいに青白い顔が現れた。目は見開き、ピタッと顔も体も止まった。


「お兄ちゃん!!」


 はじめは椅子から飛び上がるとそのまま勢いよく突進してきた。妹としては華麗にハグをしにきたのかもしれないが、俺からするとそれはほぼタックルである。みぞおちの辺りに妹の頭頂部が見える。ツンとした匂いが鼻についた。

「はじめ、ご飯置いとくから食べろよ」

「ううん。一緒に食べよ。お兄ちゃんと食べる。はじめ、そのために待ってたんだもん!」

 そう、はじめは笑みを見せて言うが、たぶん俺のことを待っていたのではなく、単にゲームに夢中で忘れていただけだろう。ただ、それをいちいち言うことも億劫に思い、俺ははじめのしていたパソコンをチラリと見た。

「おい、いいのかあれ? なんかゲームそのままだぞ」

 俺が言い終わるや、はじめもすぐに思い出したように素早くパソコンに向き直りゴーグルをまた装着した。顔の下半分しか見えないが、どこか表情はなくなり、むしろ感情をどこかに捨てたかのようにみえる。こういう時、声をかけてよいものなのかよくわからないが、とりあえず盆を持ち帰りながら「飯、食えよ」とだけ言い部屋を出た。


 妹のはじめは、まあ、身内が言うのも変ではあるが、可愛い妹だ。それは家族びいきの兄バカと思われるかもしれないが、客観的に見て可愛らしい顔立ちをしている。現に昔、東京に家族旅行にいった時にはタレント事務所にスカウトされたこともあった。それに勉強もできた。常に好成績で学校内の評判も良かった。しかし、そういった客観的な評価は中学に進学する前に止まってしまった。なにが原因なのかわからないが、不登校になり、外にでも出なくなった。一日中部屋にこもり、好きなことをして生活をする毎日を送っている。

 どうして学校に行かないのか、なにか嫌なことがあったのか、それとなく聞いたこともあったが、はじめはなにも答えなかった。まだ少しでも学校に未練があるのであれば、高校だけでも卒業してほしいと兄ながら思ってはいる。ただ、もしかしたら妹はずっとこのままの生活を望んでいるのかもしれない。だとすれば俺にできることは少しでも金を貯めることだろう。せめて、妹がどんな選択をしたとしても苦労のない生活を送ってほしい。

 俺は自分の分の夕飯をレンジに入れた。どうしてだろうか。居間のベランダに出られる大きな窓の近くにある棚、その上に置かれた母の写真が目についた。



 10分ほどして、はじめが部屋から出てきた。俺が先にご飯を食べているのを見て「ああっ!」と、少し立腹したような顔になる。前髪は上げた状態でヘア留めをしている。俺は「一口しか食べてないから」とつまらない言い訳をするが、それを聞いていないようで食卓に向かい合うように座り手を合わせる。俺も一度箸を置いてから一緒に「いただきます」と言い、改めて我が家の夕食の時間となった。

 今日の夕食はちくわと野菜の煮物、野菜炒め、ご飯と味噌汁に漬物だ。どの料理にも妹の嫌いなものは入っていない。いつも夕食の時間は互いに黙々と食べる。まあ妹はずっと部屋にいるし、俺も学校とバイトを行き来しているだけで話題も積もらないわけなのだが、はじめがスッと箸を止めた。


「・・・お兄ちゃん」

「ん?」

 不意にはじめの瞳が揺れているようにみえた。

「お兄ちゃんは卒業したらどうするの?」

「え? なんだよ急に」

「急じゃないよ。だってお兄ちゃん高二でしょ? すぐじゃん。・・・やっぱり大学とか行くの?」

 はじめは少し泣きそうな顔をしている。俺は首を横に振る。

「いや、行かないよ。卒業したら地元のどこかで働くさ。まあ、心配するなって、はじめのことはちゃんと養っていくから。大丈夫だよ」

 はじめはまだ泣きそうな顔のままだった。やはり今の生活が不安なのだろう。正直、ギリギリの生活だし、世の中は就職難だったりブラック企業なんて言葉も珍しくない。


「ほら、俺の煮物、食べるか? いいぞ?」

 煮物の入った小鉢をはじめの方に寄せたが、それは押し返されて、はじめは味噌汁をずびっと飲み干した。


「ねえ、最近学校で楽しいことあった?」

 急に話題は変わり、はじめは笑顔を見せながらそう質問した。学校に行かなくなり、外に出なくなったはじめだが、定期的に俺の学校での様子を聞いてくることがある。本で読んだことのある引きこもりのイメージだと、外界をシャットアウトしたがるものだと思っていたが、そればかりではないのかもしれない。と、はじめに関しては思う。楽しいことと聞かれても話せることは正直ない。しばらく考え込むと丁度いいことがあったと思い出した。

「うーん。・・・あ、そういえば転校生がきたよ」

「転校生!? へえ、どんな人?」

 俺は山田ハンナのことを話した。とはいえまだ話したこともない転校生について伝えられることがほとんどない。とりあえず、小耳にした語尾にらしいとつくことを話した。

「ふうん・・・」

 はじめはあまりおもしろくなさそうな顔をする。まあ、興味もない話題だよな。と思っていると「きれいな人なんだ」と呟いていた。はじめがどういう感情なのかよくわからないため、話題を変えようと、さっき届いた小包について聞いてみた。

「あれは・・・。えっとね、・・・なんだっけなー」

 変にとぼけた顔をして、漬物をバリバリと食べた。



 夕食を終えると、はじめが部屋に戻ろうとしたためそれを引き止めた。

「ちょっと待て。ゲームするのはいいけど、その前に風呂入ってからにしろよ」

「えー、明日の朝はいるからー」

「だめだ。昨日も一昨日もその前もそう言って入ってないだろ。体にカビが生えるぞ」

 はじめは頬を膨らませているが、しかし本人もどうやら頭が痒いようで、「わかったよ」と観念したように風呂にいった。その間に洗い物をして、そのあとに妹の部屋を片づける。それらが終わると食卓に学校の課題を広げてとりかかっていると、風呂場の方からはじめの声が聞こえた。

「お兄ちゃーん、着替えもってきてー」

 俺は仕方なく妹の部屋から着替えをもって風呂場へ行くと、「置いとくぞ」とだけ言って扉の前に置いた。その後、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注いでおいた。


 着替えを終えてさっぱりとした顔をするはじめが出てきた。髪はまだ濡れていて、「ちゃんと乾かせよ」と注意したが、それを聞かずに食卓の麦茶を流れるように取りゴクゴクと喉を鳴らして一飲みする。

「めんどうくさがると、風邪ひくんだぞ」

「はいはい」

 はじめはコップを置くと、俺が広げていた課題のノートをちらりと見たが特になにも言わず、お待ちかねといった様子で嬉しそうに部屋へはいっていった。それを見送り、俺は改めて課題に取り組むことにした。

 課題を終わらせたあと、明日分のご飯を作り、生ゴミをまとめ、日課の家計簿をつけると、布団を敷いて眠りに就いた。

 居間の電気を消すと妹の部屋からはまだ起きてなにかしているのだろう。そんな気配がする。

 何時まで起きているのやら。俺は目を瞑った。




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