8 甲子園
話がある、と星宮にLIMEで呼び出されたのは、二人で試合観戦に行った明後日のことだった。場所は再び体育館裏。昼休みに速攻で弁当を食べ終えた俺は、星宮をおいて先に体育館裏へ向かう。
着いて少しして、星宮がやってきた。
「ごめん、待たせちゃって」
「いいよ。それより、話って何?」
単刀直入に尋ねると、星宮が体育館の外壁に寄りかかった。ローファーのつま先で地面を蹴りながら、俯いて黙っている。そうかと思うと顔を上げ、きっぱりとした態度で言った。
「この間から、ずっと考えてたんだけど……やっぱり私は、星蘭に進学する」
「……そうか」
正直、予想してなかったわけではない。ここ数日星宮と関わってみて、彼女はそういう子だと何となく思っていた。
星宮は続ける。
「お父さんの経営が上手くいってないのは、私にも分かるわ。でも、逃げさえすれば、私の運命が変わるとも思えない。私が星蘭に進学して頑張れば、今より少しは学校を盛り上げられるかもしれないし……あらがえるだけあらがいたいの」
「…………」
どうやら星宮の意志は固そうだ。ここ最近連絡先を交換したばかりの俺が説得できるほど、やわな感じには見えない。
……さて、どうしようか。俺が忠告をした時点で、1周目とは違う。その影響で星宮が1周目より活発に学校を盛り上げたり、星宮から話を聞いた彼女のお父さんが奮起したりして、1周目と違った将来になる可能性はもちろんある。
でも、完全に勘でしかないけど、今のままだと運命を変えるにはまだ不十分な気がする。というより、俺が不安なのだ。星宮が早死にしてしまうかも、という恐れを抱えながらこれからの生活を送るなんて、100%不眠症になる自信がある。
ただ、だからといってどうすればいいのだろう。一応1周目で社会人を経験したとはいえ、俺はブラック企業の下っ端をやっていただけだ。学校経営のことなんて流石に門外漢だし……。
「ごめんね、雪平くん。せっかく忠告してくれたのに」
「いや、それは別にいいんだ。頼まれてやったわけじゃないし」
申し訳なさそうにする星宮に、取り繕うように俺は笑った。星宮も淡く微笑む。
「そう、ならいいんだけど」
昼休みが終わるまでは、まだ時間があった。とはいえ今から教室に戻っても微妙に時間を持て余すので、なんとなく示し合わせて、だらだら雑談を続ける。お互いに感じていた悲壮感を、少しでも減らすように。
「そう言えば、おとといの野球観戦は楽しかったわ。帰ってから、気になって甲子園について調べたくらい」
「へえ。動画とか見た? 甲子園なら、yourtubeにけっこう上がってると思う」
「見た見た。雰囲気がすごかったわ。この間の試合とは違って、ブラスバンドの応援があったし、声援も大きかった」
「だろ? あそこで試合ができれば、絶対楽しいと思うんだよな」
「そうね、私もそう思う」
星宮とは少し距離を置いて、体育館の壁に背中を預けた。星宮が空を見上げる。
「甲子園って確か、全国中継でやってるのよね?」
「ああ」
「なら高校生のうちに、雪平くんは全国デビューできるかもね」
「『かも』じゃなくて、絶対な。もちろんプロ入りもする」
「それも夢で見たの?」
「いや、今のは単なる決意。言ったろ? 夢の中じゃ緑川に行って、酷使で故障して駄目だったって。だから、そうならないように動く」
半分ノリで口にしてみて、そうか、と気付く。俺はやっぱり、野球が好きだ。故障で投手生命が絶たれた1周目でも、野球に未練はずっとあったし……野球から離れられない運命なんだろう。
なら、やっぱり1周目よりはいい結果を残したいよな。プロに行けるほどの才能があるかは分からないけど、せめて高校野球くらいは、笑顔で終わりたいものだ。
しみじみ考えていると、星宮のからかうような声がする。
「すごい自信。でも、万が一実現した時のために、今のうちにサインでももらっておこうかな」
「万が一言うな。というか、サインを書くのは別にいいけど、ちゃんと家に飾ってくれよ? 売ったりするなよ?」
「……もちろん」
「おーい、今間があったぞ」
ふふっ、と星宮が口に手を当てて笑う。1周目じゃできなかった、好きな子との小気味のいい会話。野球も好きだけど、降って湧いたこの幸運も、俺は失いたくない。
……結局のところ、俺は欲張りなんだろう。
「でも、部活の大会で全国中継って、よく考えたら異常よね」
「まあな。とはいえ実際金になるから、テレビ局はやめられない。甲子園で勝ち上がればかなり知名度が上がるから、高校側にもメリットはあるしな。実際、生徒を集める目的で、野球部に力を入れるような高校もあるくらいで……」
――ちょっと待て。今、俺はなんて言った?
「……それ、星蘭でもできる?」
同じことを思いついたのか、星宮が目を見開いている。たぶん俺も似たような目をしてただろう。
今のところ、他に星蘭を経営破綻から救う手段は思い浮かばない。星宮が引っ張って生徒たち主体で文化祭を盛り上げるとか、特進クラスを作って進学校を目指すとか、そういう俺でも思いつくような対策は1周目でもやってたはず。
ただ、軽いノリで「できる」と言うわけにもいかない。この思いつきが実現できるのか、咄嗟に脳内で計算してみる。
……もしかしたらあり得るかも、くらいか。可能性としては十分だ。
「できる、と思う」
「本当?」
目を輝かせる星宮に、考えながらも俺は答える。
「ああ。とりあえず、俺が星蘭に入学するのは確定として……」
「――えっ」
そう、俺が星蘭に入学するのは必須だ。自分で言うのも何だけど、これでも1周目では緑川のエース。全国で通用するレベルかはともかく、県大会ではそれなりに役に立つはず。
それに、甲子園を目指す新設野球部という、博打要素満載の計画に乗ってくれる人材はそういない。神奈川で甲子園を目指すには複数の好投手を揃えるのが必須だが、俺が星蘭に入るだけで、この条件は一気にクリアしやすくなる。
「あとは今のうちに、めぼしい選手をスカウトして――」
「ごめんなさい、ちょっと待って」
ぶつぶつと呟く俺を、星宮が唐突に遮った。なんだろうと彼女を見ると、星宮が愕然とした表情でこちらを見ている。
「雪平くん……あの、あなたが星蘭に?」
「え……うん。まあ、現実的に星蘭が甲子園を目指すならな」
「そう……」
……なんだ? その奥歯に物が挟まったような顔は。もしかして怪しまれてる?
確かに俺の行動を客観的に見ると、同じクラスの関わりが浅い人を、自分の進路を変えてまで救おうとしている酔狂なやつだ。何か裏の意図があるのではないかと思われても仕方がない。
とはいえ、ここで星宮に告白するのも違う。というか、したところでたぶん爆死する。そこで俺は、慌てて言い訳を考えた。
「いや、あの、これは別に星宮のためとかそういうことじゃなくてだな……つまりその、なんだ……放っておけないんだよ」
「……と言うと?」
「もし俺が星宮に中途半端に手を貸して、それで結局夢と同じ未来を辿ったら、なんか嫌だろ。だから、協力するなら徹底的にやりたいんだ」
嘘は言ってない。でも、100%本音でもない。
「……なるほどね」
幸いにも星宮は納得してくれたようで、大人しく引き下がってくれた。そして、ふと思いついたように尋ねてくる。
「でも、星蘭にはそもそも野球部がないわよ。ついこの間共学化したばかりで、スポーツ推薦のようなものもないし」
「そこはこれから何とかする。甲子園を目指すなら、学校側のバックアップもそれなりに必要になってくるからな。……星宮のお父さんって、どんな性格?」
「私のお父さん?」
星宮は目を瞬いた後、考え込むように腕を組んだ。
「そうね……優しいけれど優柔不断で、流されやすいタイプかな。娘の私が言うのも何だけど、組織のトップにはあまり向いていない人だと思う」
……失礼を承知で言うと、後々星蘭学園を倒産させるだけのことはあるな。
まあ、今はそういう性格の方が都合いいか。こちらの主張を通しやすい。
気付くと、星宮が俺の顔を覗き込んでいる。
「また何か考えてる?」
「……星宮、お父さんに会わせてくれ。俺が直接説得しに行く」
「……へっ?」
俺の宣言に数秒間を置いて、星宮は大きく目を見開いた。