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7/12

7 間違い

 5回が終了すると、グラウンド整備を挟んで6回が始まる。なので5回と6回の間は、他のイニング間より長い。高校野球の試合観戦に慣れている人なら、この間にトイレ休憩へ行くだろう。


「それで、本当に緑川が勝つのよね?」


 さて、そのグラウンド整備中。からかうような笑みを浮かべた星宮が、こちらを覗き込んでくる。彼女のそんな小悪魔的な顔もやっぱり綺麗だ。


 とはいえ、今は見惚れている場合じゃない。星宮がそんなことを言う理由に心当たりこそあったものの、あえてそこには触れずに答える。


「当たり前だろ。ここまでは夢と全く同じ展開だ」

「……呆れた。本当に強がりなのね。あんな点差がついてるのに?」


 言葉通りの呆れ顔で、星宮はバックスクリーンを指差した。電光掲示板には5回終了時のスコアが表示されている。0対8。横浜実業の大量リードだ。


 この点差でも予想を曲げないのは、確かに強情と思われても仕方がない。とはいえここまでの試合展開は全て1周目と同じ。つまりはこの後も、1周目をなぞってゆくはず。


「強がりじゃないよ。結果を知ってるからそう言うしかないってだけだ」

「でも、8点差を逆転するなんて不可能でしょ」


 不可能、ねえ。


「星宮って、野球にはどれくらい詳しいんだっけ?」


 会話の流れを無視した質問に、星宮は面食らったようだった。それでも、「正直、あまり知らなかったわ」と素直に答えてくれる。


「そっか。じゃあ教えるけど……野球ってスポーツは、最後の1アウトを取るまで決して油断できないスポーツなんだよ」

「だから、逆転もあり得るってわけ?」

「今回の場合は、あり得るというよりそうなるってだけだ」

「……どうだか。そんな風に強がってられるのも、試合が終わるまでかもよ」


 星宮が不敵に笑う。俺も彼女に笑い返した。


「そっちこそ、そんな風に俺をからかってられるのも今のうちだぞ」


 グラウンド整備が終わり、横浜実業の選手たちがグラウンドに散らばった。投球練習が終わると、緑川の2番バッターが左打席に入る。


 ……さて、ここから実際に実況するか。


「横浜実業のピッチャーが、肘に違和感を訴えて降板する」

「……はぁ?」


 急に何言ってるの、と言わんばかりの目で星宮が俺を見る。グラウンドを見ろと指差すと、彼女は納得いかなそうな顔をしつつも渋々指示に従ってくれる。そして――。


「――えっ」


 大きく目を見開いた。


 俺もグラウンドへ目を戻す。背番号1を付けた選手が、マウンド上ですっきりしない表情を浮かべていた。何かを確認するように右腕を何度か回し、そこへ横浜実業の伝令が向かう。伝令はエースと二言三言話した後、ベンチへ戻った。


 しばらくして、ベンチから背番号10の選手がマウンドに向かう。彼がエースの背中を叩くと、エースは頷いてマウンドを降りた。そこへ場内アナウンスが入る。


「横浜実業高校のピッチャー、高橋くんに代わりまして、浜田くん。5番、ピッチャー、浜田くん」

「……嘘でしょ」


 信じられないものでも見たかのように、星宮が呟いた。


* * *


「……信じられない」


 バックスクリーンの電光掲示板を見て、星宮が言う。


「な、言った通りになっただろ?」


 俺はそう返すと、席を立った。まだ放心したような顔で、星宮も後ろに続く。


 正午を少し回った頃、試合は終了した。9対8で緑川の勝利。結局1周目の試合展開をなぞるように、横浜実業は逆転負けを喫した。


「えー……こんなことってある?」


 星宮はまだぶつぶつ言っている。


「そう言われても、実際そうなってるんだから。星宮が信じたくない気持ちも分かるけど、やっぱり俺の見た夢は本当に――」

「違うの。私が驚いたのはそこじゃなくて」

「……え?」


 思わず振り返ると、星宮と目が合う。彼女は目を輝かせていた。


「ほら、8点差ついた時点で、私はもう勝敗がついたものと決めつけてたから……こんな試合があり得るんだって、ちょっとびっくりした」

「あっ……そっち」


 なるほど。星宮は俺の「予言」が当たったことにじゃなくて、試合展開そのものに驚いてたのか。まあ、気持ちはわからないでもない。俺も1周目では、この試合を観て完全に緑川への進学を決めたし。おかげで痛い目を見たけど。


 楽しげに口元をゆるめ、星宮は続ける。


「正直、野球のこと舐めてた。思ったより面白いスポーツなのね、野球って」

「……まあ、喜んでもらえたなら何よりだよ」


 なんか力が抜けるな。想定してた反応とはだいぶ違ったんだが。もっと愕然とした顔をしてるものだと思っていた。


 ……でも、これはこれでありかもしれない。シンプルに考えれば、野球の試合観戦に星宮を連れて行き、彼女が喜んでくれた。デートとしては完璧じゃないか。厳密にはデートじゃないけど。


 そんな風に自分を納得させてから、話を変えて本題に入る。


「夢のことは、もう信じてくれたか?」

「……流石にあれだけ目の前でバシバシ当てられたら、ね」


 星宮は目を逸らした。試合中あれだけ俺を挑発した手前、ばつが悪いのだろう。


「なら、進路を変える気になった?」

「それは……ちょっと考えさせて。まだ頭の整理がついてない」


 目を伏せる星宮。


 そうだよな。今まであまり関わったことのない人に、この二日間妙なことを言われ続けて、はいそうですかってすんなり呑み込めるわけがない。


「悪いな、急かしちゃったみたいで」

「ううん、雪平くんは悪くない。知っている人がこれから死ぬだなんて情報を知ったら、私だって焦るだろうし」

「…………」


 星宮、違うんだ。君がただの「知っている人」だから、俺は焦ってるんじゃない。俺にとって君は初恋の人だから、こんなにも助けたいって思うんだ。


 ……なんて、中身30のおっさんが言ったらキモいよなあ。


「それより、この後はどうするの?」

「あー……俺は午後練があるから、このまま帰るわ。悪い」

「練習なら仕方ないでしょ。……じゃあ、今日はこれで」


 俺は自転車で、星宮はバスで来たので、ここでお別れとなる。なんとなく名残惜しくて星宮の方に向き直ると、彼女はふと何か思いついたのか、パッと顔を明るくさせる。


「あ、そうだ! 私、雪平くんの夢に一つだけ間違いを見つけたわ」

「……間違い? なんだよ、それ」


 全く心当たりがない。試合展開に関しては、概ね言い当てたはずだが。


「本当に気づいてない?」

「気づいてないな」

「へえ……」


 星宮はにんまり笑うと、手で口元を隠すようにして顔を近づけ――。


「夢の中では、試合を一人で観に来たのよね? でも、現実には私と来てる」

「――えっ?」


 思わず星宮をまじまじと見る。いたずらっぽい目をした彼女は軽やかなステップで後退すると、手を振って踵を返した。


「じゃあね。野球、頑張って」

「……あ、ああ」

 

 こうして残されたのは、ぼけっと突っ立っている俺一人。


 ……今まで俺の星宮に対する認識は「初恋の人」だった。それは今恋をしているのとは違う。俺にとって彼女が特別なのは、あくまで1周目で好きだった人だからであり、中身が30歳の今となっては、恋愛対象にはならないと思っていた。


 でも、気持ち悪いのを承知の上で言うと――。


 俺の心は今、星宮にときめいてしまっていた。

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