5 予知夢
バタフライエフェクト、という言葉がある。
蝶の羽ばたきのような些細な現象が、因果関係の末に大きな結果へ結びつくのを指す言葉らしい。タイムスリップもののSFでは、小さな過去改変が大きな未来の変化を生む、という意味でよく用いられている。
さて、なんでこんな話を急にしたのかと言えば。俺が星宮に進路を変えろなどと言い出したのも、このバタフライエフェクトを狙ってのことなのだ。
進路を変えれば、間違いなく未来は変わる。つまり、星宮の死という未来を避けられる。
ただ、星宮側では当然そんな事情など知らないわけで――。
「……雪平くん。あなた、自分で何言ってるか分かってる?」
静寂の後、星宮が呆れ声で言った。俺は彼女の様子に構わず続ける。
「もちろん分かってるよ。それに、俺は本気だ。星宮が星蘭に進むのは、良くないことだと思ってる」
「……なんで?」
興味を惹かれたのか、星宮が食いついてくる。
とはいえ問題はここからだ。1周目の話をそのまま現実にあったこととして話すのは、流石に荒唐無稽と思われる。だから――。
「星宮のお父さんって、学校法人・星蘭学園の理事長らしいな」
「……よく知ってるわね。学校ではあまり言わないようにしてたんだけど」
「まあ、そんなのは調べれば分かることだよ。……それより、俺はある夢を見た」
「……はあ? 夢?」
狐に摘まれたような顔をする星宮。気持ちは分かる。これは俺にとっても苦肉の策だから。名付けて「『予知夢を見た』で全て押し通す作戦」。まあ、タイムリープよりは説得力あるはずだ。
「その夢の中で俺は、緑川高校を出て、とある大学を出て就職する。そして今から15年後の秋に同窓会へ行くんだ。でも、そこに星宮はいない。気になって酒井たちに聞いたら、あいつらが言うんだよ。星宮のお父さんの経営していた星蘭学園は倒産して、星宮の両親はいなくなり、星宮は……」
「……死んだの?」
「俺の見た夢の中では、な」
「…………」
いくら他人の夢の中とはいえ、自分が死ぬと聞いて心穏やかでいられるやつはそうはいない。星宮もその例外ではなかったようで、俯きがちに黙りこくる。
もちろん、初恋相手の気分を害すのは俺としても気が進まなかった。でも、今は星宮の気を変えるのが最優先。それで彼女を死から救えるのなら、自分が嫌われるくらいは安いものだ。
しばらくして、星宮は顔を上げた。吐き捨てるように言う。
「ばかばかしい、ただの夢じゃない。雪平くんはその夢を根拠に、私に進路を変えろと言うわけ?」
「……まあ、信じろと言われても無理があるよな」
そう、これだけで信じてもらえるとは俺も思っていない。だから、手札はまだ取っておいてある。
「明日の10時から、保土ヶ谷球場で高校野球の試合がある」
「……急に何よ」
「その試合を俺は夢の中で観に行った。だから結果を全て知っている」
怪訝な顔をする星宮にそう宣言すると、星宮は目を見開いた。
「……まさか、そんなはずないわ」
「そう思うんなら来なければいいよ。でも、もし気になるなら……明日の10時に球場へ来い。今言った通り、試合展開を全て当ててやる」
「…………」
星宮は再び壁に寄りかかり、俯き加減に黙りこくった。俺の話をほとんど信じていなかった当初とは違い、迷いが生じ始めたのだろう。なまじ顔が整っているからか、何気ない動作が様になる。
……この辺りで一度引いてみるか。押してダメなら引いてみろ、とも言うし。
「話はこれで終わりだ。そんなに長くなかったろ。……てなわけで、じゃあな」
右手を挙げつつその場を去ろうとすると、「待って!」と背後から声がかかる。振り返ると、壁から背を離した星宮が、両手を腰に当てて立っていた。
「なんだよ。まだ何かあるのか? 弁当食べたいんじゃなかったっけ」
少しからかいの色を込めて尋ねると、「……スマホを出して」と星宮が言う。
「えっ?」
俺は素で驚いてしまった。星宮をまじまじと見る。彼女は頬をほんのり赤らめ、目は明後日の方向を向いていた。そのまま誰かへ言い訳するかのように、早口で続ける。
「だから、スマホを出してって言ったの。連絡先を知らないと、球場で待ち合わせるときにはぐれたら困るでしょ?」
「……あ、ああ、そういうこと」
なるほどな。俺の話をばかばかしいと言った直後に球場へ行くと表明するのが、星宮的にはばつが悪かったのか。
――いや、かわいすぎるだろ。
なんだこの生き物。天使か? 天使なのか?
興奮が伝わらないよう冷静を装いつつ、スマホをポケットから取り出した。星宮とLIMEのIDを交換しながらふと思う。そう言えば、1周目では彼女と連絡先の交換なんてしたか? と。
記憶にある限りではない。つまり、これが初めて入手する星宮の連絡先ということになる。
……ちょっと嬉しい、かもしれない。
中身30のおっさんが、こんなことを考えるのはキモいと分かっている。でも、「星宮希空」というLIMEアカウントのアイコンに設定されている、白いワンピースを着た彼女の後ろ姿を見ると……そう思わずにはいられなかった。