4 星宮希空
4時間目の数学の授業中、ちらりと隣を見る。星宮が手を動かしてノートを取っていた。頬にかかったプラチナブロンドの髪を、さらりと耳にかける。中学生とは思えない色気だ。見てはいけないものを見たような気がして、そっと目を逸らす。
隣に初恋の少女がいる。それだけでこんなに胸が一杯になるとは思わなかった。
中身30歳のおっさんが気持ち悪いよな。実際、自分でもそう思う。しかしこの気持ちは、中学を卒業して15年という月日が経ち、タイムリープしたからこそのものだ。1周目でも、ただ星宮が隣にいるだけでここまで感情は昂らなかった。
理由は分かっている。星宮が同じ教室で呼吸しているのは当時の俺にとって当たり前で、今の俺にとってはそうじゃないのだ。中学を卒業すれば、彼女は別の高校へ行く。そのうえ、星宮は15年後にはもう亡くなって――。
いや、ちょっと待て。せっかくタイムリープしてきたんだ。自分の未来を変えるだけじゃなくて、彼女の未来も変えられるんじゃないか? そう、例えば、星宮を死の運命から救うとか。
そうだ。俺は今朝、1周目より良い人生を送ると誓った。初恋の少女が将来死んでしまうと分かっていながら、彼女を見捨てて良い人生なんて送れるか?
……いや、送れない。彼女を死なせてしまったら、俺は絶対に後悔する。
なら、やることは一つ。まずは星宮に、話しかけないと。
* * *
1周目の俺には、本命の少女に自分から話しかける勇気なんてなかった。でも、今は違う。社会人を経て多少なりともコミュ力は上がったし、何より星宮が将来どうなるかを知っている。少しでも早く行動に移さないと、という焦燥感がある。
「星宮、今いいか?」
昼休みに入るなり、俺は星宮に声をかけた。鞄から弁当を取り出そうとしていた星宮が、手を止めてこちらを見る。
「……これからお弁当を食べるつもりだったんだけど」
当時、俺は星宮とあまり関わりがなかったはずだ。その証拠に、俺に話しかけられて彼女は困惑している。これが一定以上の仲なら、こういう反応にはならなかっただろう。
周囲から視線が集まる。でも、このくらいの注目なら会社のプレゼンやら何やらで慣れている。それに、相手は中学生だ。子供だからと舐めてかかるのも良くないけど、大人を相手にする時よりかは精神的に余裕が持てる。
「ごめん、なるべく早く終わらせるから。実はちょっと、話があって」
「それ、ここじゃできない話?」
「ここじゃできないな。……駄目か?」
「……別に駄目ではないけど。本当に早く終わるのね?」
「ああ、できるだけ早く終わらせる」
「……ならいいわ」
なおも訝しげな顔をしていたものの、星宮は従ってくれた。出しかけた弁当箱を仕舞うと、俺の後に続いて席を立つ。ざわり、と教室内の空気が揺れた。おおかた告白か何かだと思ってるんだろう。
クラスメイトの眼をくぐり抜けるように、俺は星宮を連れて外へ出た。行き先は体育館裏。内緒話にはうってつけの場所だ。
* * *
「それで、一体何の話?」
体育館裏に着くと、星宮は腕を組み体育館の壁に寄りかかった。表情は無に近く、何を考えているのか分かりづらい。
……まずいな。連れ出してきたはいいものの、何から話せばいいものか。まさかいきなり「俺はタイムリープして来たんです!」なんて言うわけにもいかないし。言ったところで、頭のおかしいやつ扱いされるのがオチだ。
ここはとりあえず、ジャブ程度に軽い質問から入るか。
「星宮は、どこの高校に行く予定なんだ?」
「……は?」
意表を突かれたのか、星宮が目を大きく見開いた。しばらく黙り込んだ後、彼女は目を細めて言う。
「それを聞いて、雪平くんに何の得があるの?」
うん、パンチの加減をミスったかもしれない。そうだよね。中学生にとって、進路ってまあまあ重い話題だったよね。
「あ、いや、本当に興味本位で。ちなみに俺は今のところ……緑川に進学予定」
取り繕うように、自分の進路を俺は言う。
ただ、緑川にはおそらく行かない。また酷使されて甲子園に行けずじまいなんて嫌だから。とはいえそれに代わる進路を見つけたわけでもないので、とりあえずそう言っただけだ。もちろん、野球は続けるつもりだけど。
こちらの進路を聞いても、星宮は特別何の反応も示さなかった。
「知ってる。あなた、いつも教室で言いふらしてるじゃない。『緑川の野球部に入って、甲子園に行ってやるんだ!』って」
「……あ、あはは。だよなー」
薄々分かってたことであるけど……中学の頃の俺って、人伝に聞くとただのやばいやつだな。というか、猿か何か? いや、それは猿に失礼か。教室で自分の進路を叫ぶなんて、猿でも流石にしないはず。
さて、しばし沈黙が流れた後。気まずさに耐えきれなかったのか、それとも俺の進路を聞いておいて、自分の進路を言わないのは不公平だとでも思ったのか。星宮がぽつりと漏らす。
「私は星蘭に行く予定。雪平くんは知らないでしょ、そんな学校」
「……へえ、星蘭」
何気ない風を装って相槌を打ちながらも、きたな、と俺は思っていた。
1周目の同窓会で酒井たちから聞いた話によると、星宮の父が経営していた学校法人は星蘭学園だ。そして、今星宮の言った星蘭は、名前が示す通りその傘下。1周目でも彼女の進学先は星蘭だったらしいが、念の為確認しておきたかった。
「……話はこれで終わり? なら、もう帰るわ」
考え込む俺を前に、星宮が壁から背中を離す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話はまだ、終わってないんだ」
「……なるべく手短にって言ったはずだけど」
「じゃあ、手短に言う」
予め、星宮に言おうと考えていたこと。それは彼女からすれば、突拍子もない提案に違いない。口にすれば、間違いなく変なやつだと思われるだろう。でも、俺が言わなければ、たぶん誰も言ってくれない。
……なら、俺が言うしかないじゃないか。
「星宮、進路を変えないか」