2 タイムリープ
暗い夜の闇を切り裂くようにひた走る電車の中。長座席の端に座ってぼんやり向かい側の窓の外を眺めていると、靄のかかった脳裏にふと、酒井の言葉が雲のように浮かぶ。
「星宮は、亡くなったらしい」
その言葉を耳にすると、俺は周囲からどう思われるかも気にせず、星宮について酒井たちに根掘り葉掘り尋ねた。そうして彼らから聞き出した話によると、彼女が亡くなるまでの流れは次のような経緯だった――。
星宮の父は、とある学校法人を経営していた。しかしその法人傘下の学校はいずれも少子化のあおりを受け、ついには定員割れが起きる。
もし星宮の父が経営者として優れていたら、どうにか巻き返せたかもしれない。ただ、実情はむしろその逆で、彼の手腕はお世辞にも良いとは言えなかったそうだ。
実際、数年後には法人が倒産。星宮の父は連帯保証人だったため多額の借金を背負うこととなり、思い詰めた末に失踪してしまう。その後星宮の母は自殺。父の借金を背負わされた星宮も、心労が重なって後を追うように病死したのだそうだ。
念のためスマホでも調べてみたが、流石に星宮家の一家離散の話までは出てこなかった。ただ、星蘭学園が倒産し、傘下の高校も廃校になったという無機質な情報が載ってるだけだ。
「世の中って、やるせないよなあ……」
人気の少ない車内で、ぽつりと呟く。斜め前に座る女性が声に反応して俺をちらりと見たが、すぐにスマホの画面に目を戻した。
不意に「将来」の2文字が浮かぶ。すると、不安と絶望の波が押し寄せてくる。
今の俺には、何もない。金も持ってなければ、愛し合う異性もいない。そのうえ初恋相手はこの世にいない。後は俺をこき使うブラック企業で、いつ終わるとも知れない重労働に身を投じ続けるだけ。夢も希望もない、ゴミのような人生だ。
……もし、人生をやり直せたらなあ。次はもっと、上手くやってやるのに。今は亡き星宮だって、救えたかもしれないのに。
まあ、やり直しなんて無理なんだけどな。漫画やラノベじゃあるまいし。だから俺は自分の情けない現状を受け入れて生きるしかない。明日も明後日も、1年後もだ。……死にてえ。
でも、死ねない。みんなそうだ。「死にたい」とかぐちぐち言いつつ、明日も普通に会社に行く。そういう人生を、世の中のけっこうな割合のやつが送っている。俺もその一人のはず、だったんだが――。
「死ねえ、くそがっ!」
電車を降りて人気のない住宅街の夜道を歩いていると、不意に不快な声が響き渡った。あっという間に思考が現実へと引き戻される。見ると、黒のパーカーを着てフードを被った男が、すぐ近くでナイフを振り回していた。
男の他には、俺と反対側から来た女性が一人だけ。けっこう綺麗な顔立ちをしている。俺の脳はなぜだか冷静。これが通り魔ってやつか、と他人事のような感想を抱いている。
――いや、こんな人気のない通りでやるか? 普通。
やるならもっと大通りでやれよ、と心の中でツッコむ余裕すらあった。バックを胸に抱え、住宅の塀にできる限り身体を寄せて震えている女性とは大違いだ。
……でも、その時の俺の冷静さは、決して勇気から生まれたものではなくて。むしろ自分の人生に対する失望とか、初恋相手の死を知った虚しさとか、色んな負の感情が混ざり合って投げやりになっていた、と言う方が正確だと思う。
その証拠に――気付いたら俺は、女性と男の間に立ちはだかっていた。
女性に向けてナイフを突きかけた男の顔が驚愕に歪む。よく見るとパーカーの下の顔は、意外に幼かった。男の動きがスローモーションに見える。でも、俺の動きもスローモーショーンだったから、来ると分かっていても避けきれない。
ぶすり。
一瞬にも永遠にも思える時間の後、尋常じゃない痛みが腹部を襲った。あっという間に意識が遠のき、脳裏には今まで見た光景が、洪水のように流れてくる。
……ははっ、これが走馬灯ってやつ? てことは俺、死ぬんだろうな。
死にたい、なんてさっきは考えてたけど。
いざ死がやって来ると、やっぱりこわくて仕方ない。
結局俺、ろくに親孝行もできなかったな。
ごめんよ。父さん、母さん。
* * *
「っはあ、はあ」
荒い呼吸とともに目を覚ますと、白い壁が視界一杯に広がっていた。あくまで天井じゃなくて壁だ。俺は寝返りを頻繁にうつタイプで、子宮の中で丸まる胎児みたいな格好でいつも寝ている。
……ん? 俺は今死んだんじゃないのか。それともさっきのは夢? 随分リアルな痛みだったから、どうも死んだものとばかり思ってたんだが。
それともあれか? 病院に緊急搬送されて、奇跡的に助かった的なやつ? にしては身体の調子がやけに良いが。社会人になって以降では、最高潮と言っても過言じゃないくらいだ。
状況を確認しようと、ひとまず壁の反対側を見回す。ごちゃごちゃと散らかった勉強机に、小学校の頃図工で作った謎のオブジェ。反対側の壁には好きなプロ野球選手のポスターが貼られ、本棚には小学校の卒業アルバムがあった。
間違いない。ここは俺の部屋だ。それも、今現在一人暮らししているアパートの一室じゃなくて、実家の2階にある俺の部屋。
……どういうことだ? 高校を卒業して以来、俺は実家に寄り付いていない。今更ここで目を覚ますなんて、何かがおかしい気がする。それに、あんな大怪我をした後なら、普通は病院で目を覚ますはず。
他にも気になることはある。枕元に置いてあるススマホの機種が古い。こんなの何世代も前のものだ。それこそ、俺が中・高生くらいの頃に持ってたやつじゃないだろうか。
「えっ……?」
スマホの電源を付けてみて、さらに驚く。日付がおかしい。今日は11月中旬のはずなのに、画面には4月15日金曜日と表示されている。いくら大怪我したとはいえ、半年間も眠りこけるなんてあり得るのか?
――いや、よく見ると年号もおかしい。なぜか15年前の西暦が表示されている。15年前と言えば、俺が中学3年生の頃だ。昨日中学の同窓会に出たせいで、変な夢でも見てるのだろうか。でも、夢にしてはリアルすぎる。
「……意味分からん」
まるで浦島太郎にでもなったかのような気分で、俺はベッドから出た。もうちょい色々見て回るかなんて考えつつ、部屋の脇に置かれた縦長の鏡を見て、俺は思わず固まる。
いつもなら寝てる間に伸びている顎髭がほとんどない。顔色は良くて肌もつるりとしている。顔周りは無駄な肉が取れてシャープになってるし……どうなってるんだ、これ。
「冬馬ー、早く起きてきなさい。そろそろ出てこないと遅刻するわよー」
考えごとをしてたその時、階下から母さんの声が聞こえてきた。
――遅刻って、何に。そりゃ、会社に決まってるだろ。
などと自問自答しつつ、俺はスマホで改めて時間を確認する。現在時刻は7時50分……おい、遅刻確定じゃないかこれ。
慌てて衣装棚からスーツを探す。でも、一向に見つからないし、そもそも服のバリエーションがおかしい。中学生が選んだような服ばかりで、何なら中学の制服がご丁寧にハンガーに掛けられている。30にもなって制服って。コスプレかよ。
それでもがさごそスーツを探していると、ガチャリという音が背後からした。振り返ると、そこには中学の制服を着たツインテールの少女が、腕を組んで立っていた。呆れ顔で彼女は言う。
「お兄ちゃん、何してんの?」
そう、彼女は俺の妹・雪平冬華のはず。でも、決定的に何かがおかしい。なぜなら冬華は俺の二つ年下で、今年で28になる成人女性だ。それが今更中学の制服を着るのもおかしいし、ちゃんと似合っているのも妙だ。
「……何してんのって、それはこっちのセリフだよ」
なんとか声を絞り出してそう応じると、冬華が「はぁ?」と片眉を上げる。
「どう見てもこれから学校行くとこでしょ。何、寝ぼけてんの?」
「……分からない。寝ぼけてるのかもしれない」
色々と混乱した頭のまま俺は答えた。冬華がため息をつく。
「……とにかく、早く制服着て降りてきなよ。お母さんも言ってたけど、のんびりしてると遅刻しちゃうよ」
背を向ける冬華をよそに、俺は高速で脳みそを回転させていた。
スマホに表示された西暦が15年前。顔は若返り、ナイフで刺されたにも関わらず身体は好調。衣装棚にスーツはなく制服が置いてある。妹が中学の制服を着て、これから学校へ行くと言っている――。
そこから導き出される答えは一つ。まさかとは俺も思う。そんなのあり得ないだろ、と理性は告げている。でも、直感はそれしかないと言っている。
「ちょ、ちょっと待て!」
今にも部屋の扉を閉めそうな冬華を、俺は呼び止めた。冬華が「……何?」と機嫌悪そうに振り向く。ばかな質問だとは思いつつも……思い切って、俺は尋ねた。
「今、俺って何歳だ?」
「……お兄ちゃん、ほんとに寝ぼけてるんだね」
冬華がさっきより大きなため息をついてから、答えを告げる。
「お兄ちゃんは今14歳。今年の春で中3になったんでしょ」