009 - 楽しい謎解きの始まりです
「刑事さん、これはどういうことですの」
当然道利夫人は怒り心頭、今にも蒸気が噴き出て爆発しそうだ。
その矛先は高校生のぼくではなくて、大人の刑事である獅戸さんのほうへ向かう。
「まあまあ。そこの坂江くんはご存じの通り探偵、指野さんはこの事件の当事者でもあります。何も話を聞かず、若き少年を外に放り出すなんて、夫人も人がお悪い」
「……」
獅戸さんが夫人に強烈に睨まれている。あーあ、かわいそう。
でもまあ、事件解決後にあの霊柩車から白浦さんが出てくることが確定してるなら、この一過性の恨みはあんまり気にしなくていいだろう。
権力って、こういう場面では一切役に立たなくなるんだからしょうがないよなあ。
「じゃ、いいでしょうか?」
「手短にやるんだぞ」
獅戸さんが、部下をみんなチャペルの外に追い出した。戸が閉まり、再びキャンドルの明かりだけが揺らめく真っ暗な空間。まったく、部下思いの上司だな、この人は。
では、では、では。
「指野みことは殺されました。蒔苗さんによって、このチャペルで、そこにあるマリア像で殴られた後、ナイフで腹を裂かれ、内臓を引きずり出され、ついでに右手と左手も落とされて、その祭壇上に放置された。――で、なんで蒔苗さんは、そんなことをしたんでしょうか」
道利夫人は、いったんぼくを止めるのを諦めたらしい。あきれ顔で、しかし獅戸さんを睨むことだけは忘れずにいる。
「彼女に元々猟奇的趣味があった? 実は彼女は先月亡くなった道利夫人の見捨てられた娘だった? なんらかの恨みがあった? ――いえ、いえ、いえ。違う」
初山医師が襟元を整える。わずかにその口角が上がるのを、ぼくは見逃さなかった。この人は今、なにかの演劇を楽しむみたいな気分でいるんだろう。良質な立ち合い人だ。
「この事件の謎は、収束させればたった一つだけです。なぜ、祭壇の上には死体が必要だったのか?」
「ど、どーゆーことだ、坂江」
獅戸さんが早速聞いてくれる。あ、そーか。最初の最初から話したほうが良いかな。
「死体って、みことちゃんじゃなくても良かったはずなんです。だって彼女と蒔苗さんは初対面でした。殺害手順も杜撰なものでした。正直、警察の皆さんが来たら、すぐに犯人分かっちゃったんじゃないかな」
実際、蒔苗さんが捨てたらしい指野みことの指紋付きスカーフ、さっそく茂みの中から見つかってたし。
「もしかしたら、しばらく通報されないって思ってたのかもしれませんね。あなたは彼女を庇ったでしょうし」
「……」
「今回の現場、呪術的な趣がありますよね。明らかに何かしらの意図があります。白い花の飾りつけ、ゆらめくキャンドルの炎、赤い鮮血――」
まさにここが現場だった。血が未だ滴っている。
「誰が見たって、これはなにかしらの恨み、嫉み、あるいは何かしらの儀式をとりなそうとした異常者の犯行――と、そのように思うでしょう」
「違うのか」
「違うんです。なぜ違うかというと、殺されたのが指野みことだから。そして、準備が足りないから」
獅戸さんが頷く。この人はおおむね二週間に一度ぼくの推理を聞かされているので呑みこみが早い。
指野みことが被害者である限り、彼女が完璧美少女でかつ犯人と初対面である限り、恨みの線はありえない。そして犯人が殺害に何かしらの儀式的要素を見出していた場合には、犯行は緻密で計画的なものになる傾向がある。だからやっぱりあり得ない。
「てことは、今回の犯人は、こんな猟奇殺人に手を染めた割には、意外とまともな奴ってことか?」
「うーん、快楽殺人犯ではない、という意味ではイエスと言えますけど。
まーでも、無差別殺人犯は無差別殺人犯ですから。やっぱりちょっと、思い込みが強かったり、何かを思い詰めていたり、衝動的でありすぎたりはしていると思います。そういう性格の方だったんでしょう。
殺害は極めて突発的なものでした。彼女はみことちゃんを殺さなければならないと、突然決意した――なぜでしょう。あ、そーだ。みことちゃん、殺人の動機は『許せなかった』『愛してた』『怖くてつい』だって言ってたね」
うん! と指野みことが100点の顔で笑う。
「つまり、『許せなかった』=怨恨、『愛してた』=痴情のもつれ、『怖くてつい』=反撃・あるいは防衛、ということです。動機なんて他にもいろいろあるんじゃないの? って気はしますけど、『殺すこと』自体が目的になっている殺人に関しては、たしかに概ねこの三つで網羅できていると思います。
金銭目的だったり、脅しだったり、うっかり事故だったり――とかとかそういうのじゃなくて、とにかく殺すこと自体が目的のとき、ってことです」
金谷が首をひねっている。今話を聞き始めたばかりの獅戸さんならともかく、お前はそろそろ多少はピンときてもいいんじゃないの、と思わなくもないが……
「では夫人。犯人の彼女は、『許せなかった』のか『愛してた』のか『怖くてつい』のか、どれだと思いますか?」
「どれって……どれでもないでしょう。みことさんのことを知らないんだから、許せないことなんてないし、愛しているわけもない。怖かった、なんてことも……みことさんが、蒔苗を恫喝したというなら話は別ですが」
「ああ、違う違う。指野みことの話なんてどうでもいいんですよ。もっと、彼女にとって重要な人の話です」
「……主人と彼女が関係をもっていたということでしょうか。誓って言いますが、そのような事実はありません」
いや、あるんだな、それが。まーそれも今回の悲劇の遠因でもあるのかもしれないが……この件については言わないでおこう。なんなら蒔苗さんが墓までもっていきたかった秘密なのだ。なぜって? 愛しているから。
「夫人、違いますよ。『愛してた』が理由です。では、誰を?」
「……」
「…………え?」
うるさいぞ金谷。
「どこでお気付きになったのかしら、本当に……」
よし、ビンゴ。ぼくは畳みかける。
「先にこのことに気付いて、だから謎が解けたってわけじゃないですよ。
謎のほうが、どうしようもなくたった一つの事実を示していた、という感じです」
道利夫人は、さっきと同じく少女のように困り果てていた。嘘をつくのが苦手な方だ。
ほんとうにご主人は、彼女の不倫を見破ることはなかったのだろうか?
「愛してたのは、貴女をですよね。道利かおるさん」