006 - 内臓を暴け
「あっ、午後くーん! おかえりっ!」
「ああ、おかえりなさい。何か発見はありましたか?」
チャペルには、指野みことと初山医師がいた。みことちゃんはどうやら先生に構ってもらっていたようだ。
「そんなに収穫はないですね。使用人のお三方は皆さん不倫していたことが分かりましたが、でも、まだまだ動機の真相には辿りつけていません」
「おお、それは、それは……痴情のもつれ、というやつですかな。いやーしかし、林さんは怪しいと少し思っていましたが、他の二人もだったとは……」
初山医師が腕を組んでうんうんと唸っている。三人とも、結構うまく隠していたようだ。
「指野のほか、誰もこのチャペルには近づいていませんか?」
「ええ、誰も来ていません。なにかの隠蔽のご心配はなさらなくて大丈夫ですよ。……あ、わたしがしたという可能性もあるのかな」
「でも、みことちゃん、すぐチャペルに来てたよー、先生はだいじょーぶだよー」
指野みことの証言は原則あてにならないので、ぼくは微笑んでおくだけにとどめた。
いいんだよ、初山先生はNPCなんだから、怪しくないから。
「えーっと、あれが像?」
金谷が、鼻をつまんで像を睨んでいる。
いや、もう臭いはしないって。てゆーかそれ、単純にみことちゃんへの悪口になっちゃうぞ。
「そうです、これが、像。二対になっているんです」
像。というと、凶器のマリア像のほうのことを想像されるだろうが、ここで言う『像』はもう一つの像のことだ。
凶器のマリア像と対になっていた、もう一つの像。女性の像。
ぼくはあんまり宗教文化には詳しくないので、この人が誰なのかはよく分からない。
しかし――マリア像と対のように、ものすごく似ている像だ。
なので内部構造が同じでも全然不思議はないじゃないか、と言ったが早いが駆け出す金谷、まったく追いつくのが大変だった。
金谷は拘りなくその『像』を手に取った。
初山医師、指野みことも興味津々といった様子で注目している。目立ちたがり屋の彼にとっては格好の舞台だろう。マリア像の中にはナイフが隠されていた――では、こちらの像の中には何がある?
「開くぞ……?」
はい、どーぞ。
手で合図すると、金谷はもう七秒ほどもったいぶってから、像のよりあわせ部分をかちっとずらしてオープンした。
白い石膏が割れて、ひずみが現れる。その、硬質な内臓とは?
あ。
「あ!」
金谷、初山医師、みことちゃん、そしてぼく。全員で仲良く叫ぶ。「あっ!」
そこに入っていたのは封筒だった。なんの変哲もない、なんの捻りもない、ただの茶封筒。道利家の公印が押されている。中身はきっとアレしかない。
まさかここで見つけられるとは。いや、むしろここでしか見つけられなかったか。ぼくは自分の口がにんまりと、勝手にわらってしまうのに気づく。いやー、これで、着手金に加えて、成功報酬もぼくのものだ。
「ねー、それなに?」
これ? 最高のものさ。とある人にとっては最高のもので、とある人にとっては最悪のもの。たぶんね。まだ読んでないから知らんけど。
「――現時点で見つかっているもののなかで、もっとも最新の日付が書かれた、つまり最も効力の高い、亡き道利主人の遺言書さ」
ぼくと指野みことは今日、そもそもこれを探すために道利邸に来たのだった。
初山医師は見届人、金谷氏は遺産が無事相続された際の資産運用を相談される相手。
今日のお題は、そもそもこの一枚の紙なのだ。
「開けちゃおっ」
「あっ、ダメダメ!」
ぼくは慌てて指野みことの手を引っ張る。まったく、何でもかんでも開こうとするんだから、ほんとうに危ない。
「遺族である道利夫人はもちろん、それに加えて第三者の目――少なくとも五藤さんと初山先生の目があるところで開けないと。これ、封蝋がされてるだろ? ここでぼくらが開けちゃったら、なにか修正を施したと誤解されかねない」
「でも、そこに殺人事件の動機が関係している可能性、高くないか?」
みことちゃんのみならず、金谷もこの遺言を開けたくてたまらないようだ。初山医師もらんらんと目を輝かせている。いや、あんたはいい年の立場ある大人なんだから止めてくれ。まったく……
「この遺書に殺人事件の動機が関係している可能性――は、高くない」
「いやっ、なんでだよ!」
「それは、殺されたのがみことちゃんだからだよ」
死んだのが、道利夫人、あるいは最低でも後藤さんをはじめとした使用人のうちの誰かだったなら、たしかに金銭目的の線も考えられる。
でも、死んだのはみことちゃんだ。
ぼくはみことちゃんが道利主人の相続人になっている可能性が一切ないことを断言できる。
遺言書の中に指野みことの名前が書かれているのでもない限り、彼女を殺す動機はない。
「――と、いうわけです」
「いやーっ、……例えばだな、その遺言書の中に、こう書いてあるんだ。
命題は、『どうしてチャペルは穢されなければならなかったのか?』だろ?
チャペルの中が穢れるようなことがあれば、遺産は夫人には渡らない……とか、そんなことが書いてあったんだ、どうだっ!」
たくましい想像力。
「まあ、読んでない以上、ないとは言えないけどね……」
「だろ?」
「しかし、そうなりますと……犯人の蒔苗さんは、道利夫人がなにかしらの理由で遺産を相続できなかったときに、その遺産を受け継ぐことができる――とか、そういうことになっていたのですかな。これは金銭目当ての合理的な殺人だった、と?」
「そうそうそう! 猟奇殺人なんかより、ずっとずっと分かりやすい!」
分かりやすい? まあ、たしかに、そうだ。
人間はどうして人間を殺すのか? 殺すと良いことがあるから殺すのか、それとも殺すことで悪いことを打ち消すために殺すのか? 利益があるから殺すのか、恨みのために殺すのか?
――でもこういう命題が成り立つのって、被害者と加害者にお互い面識があるときなんだよなあ。この事件は、無差別殺人事件なのだ。
少なくとも犯人の蒔苗さんは、指野みことを殺したかった、というわけではない。
もしかしたらぼくでも金谷でも初山医師でもよかったのかもしれない。まあ、この部外者四人の中からなら、一番非力な指野みことを選んだのはそれほど不思議なことじゃない。
でも、なんで? なんで彼女は人を殺す必要があった?
「で? 整理、できそうか?」
金谷が聞く。ぼくとのやり取りも、かなり手慣れてきたようだ。
「そうですね……命題は変わりません。どうして犯人は、チャペルを穢す必要があったのか? のままです。
でも……チャペルを穢す動機が、この直近で起きた巨大イベント――道利主人の死にあるとするならば、遺言書、財産分与、このあたりのゴシップ的生臭いものがテーマになっている可能性は高いでしょう」
「だろーな。さっさとその遺言書を開きたいところだ」
「それは、ダメです」
「石頭。てか、マネーか。あの凄惨な現場を見てたから絶対恨みだと思っちまってたが――たしかに、人が人を殺す、しかも無差別に、なんて、なにかしらの利益がないとやらないよな」
――凄惨な、現場。うーん、たしかにそうだ。両手を切り落とし腹を開き。しかもアンバランスなことに、チャペルの中では無数のキャンドルが灯って幻想的だった。白百合の花びら一つ一つに炎の揺らぎが落ちていた。女の子がきゃっきゃっと喜びそうな感じだった。死体だけが不釣り合いだった。指野みことは、一番目立つところで死んでいた。
「ねー、金谷さん。このおうちって、やっぱりお金持ちなんだよねー?」
「うーん、まあ、そうだな」
意外と歯切れの悪い返事だな、とぼくは思う。
ぼくのこれまでの推理では、この犯行は金銭目的のものではない。
――というわけで、道利家に金があってもなくても、なにかの手がかりになることはない。
「すてきー。それでそれで? 具体的には何憶万円?」
「みことさん、突然数字に興味持ち始めたね……。それがなー、ぶっちゃけたところ、よく分からないんだよ」
――え? おっとこれは失敗したかな。
そういえば、後藤さんや初山医師には色々ヒアリングをしたし、道利夫人にも(今日の朝の時点で)色々話を聞いてはいたが……金谷、こいつとは全然話が出来ていなかった。金銭目的の犯行には見えないからと思って道利家の事情についてはあんまり調べず無視してきたが、ひょっとするとひょっとして。
「ここの家、資産管理を委託してる管理人がいないんだ。だからちょっとカオス状態ってわけ。
一応、道利主人がそこそこ整理をつけていて、日本円の純資産の他、国外財産、新興国株式、債券、宝石類、買取著作権、あとはこの家と土地だってそうだな――等々、ありとあらゆる形式に財産が変換されている、ってのが特徴なんだ。ってわけで、総資産額は今この瞬間も変動し続けてる」
「財産の分散……それって、リスクヘッジされている、ということですよね」
一介の高校生であるところのこのぼくですら、金持ちというものはその莫大な資産を現金だけで持つことはないらしいと知っている。ぼくの親ですら学資保険とか不動産とか持つぐらいだもんな。その意図や規模は大きく異なる話ではあるものの。
「おー、よく知ってんな。現金より取りまわしは効かないが、超富裕層と言われるような連中にはありがちな金の持ち方だ。
俺のように事業もやる人間だと、すぐ動かせるマネーがあったほうが身動き取りやすくていいんだけどな。ま、道利夫人は投資には興味ないだろうし、ご主人の資産ポートフォリオをそのまま受け継ぐんじゃないかなあ」
「単純に換金していくらの資産、という状況ではないということですね」
「端的に言うと、そうだな。とはいえもしも遺言書の中に他の相続人が現れて分割となれば、すべての財産についてある程度の査定を行わないといけないだろう」
ひえー。面倒くさそうな作業だな。ま、ぼくがやるんじゃないのでどうでもいいことだけれど。
「とはいえ、道利夫人は正妻だから当然法的に最低限相続できる遺留分があるはずだし、それだけでも十分に相当なもんだ」
「じゃ、なんでさっき、ちょっと言いよどんだんですか?」
「……え?」
金谷がすこし目を見開く。嘘をついているとまでは言わないが、なにかをごまかそうかどうか、考えているときの人間の表情だ。ぼくは一度笑ってみる。
「なに誤魔化そうとしてるんですか、助手のくせに」
「いやいやいやいや、別になんも隠してないって……」
「今この瞬間まではね。でも、十五秒後に嘘つこうとしてたでしょ」
「わかるー、あやしい顔だったー」
「い、いや、みことさんまでそんな――」
「おやおや。もし、金谷さんが言いづらいなら私の口から言いましょうか?」
お。同じ証言を取るなら、初山医師のほうがいい。
サブ助手よりもNPCのほうが、証言には信憑性がある――というか、疑う必要性が低い。
「ぜひ、ぜひ。お願いします」
「道利さんは――さほど、現金はお持ちではなかったと思いますよ。
勿論、日本でトップ1%、いや0.1%には確実に入るお金持ちではありますし、医者の私としても羨ましいぐらいの富裕層ではありましたが、いわゆる定義上の超・富裕層にはあたらなかったかもしれません」
「えーっと、定義上の、というのは?」
「純資産が……えーっと、何億円以上を超・富裕層と呼ぶんでしたかね、金谷さん?」
「五億だか十億だかですかね。いや、でも、さすがに道利さんもその位は手元にあるんじゃないかなあ……多少はないと、税金が払えないでしょうし」
二人が腕組みして、どうだろうと考え込んでいる。
まったく、五億とか十億とか……とんでもないことだ。
多数の資産の他に、追加で現金が億単位あるなら十分だろ、とぼくなんかは思うわけだが。
よく考えたら初山先生は金持ちをターゲットにした医者だし、金谷も若くして大成功した実業家だし、金の数え方が全然違うのかもしれない。
マクドでシェイク買って三時間粘るぼくらとは違う世界の生き物だ。彼らが、殺人事件に隔週で遭遇するぼくたちのことを《違う世界の生き物》と思うのと同じぐらいに。犯人は、どっちかっていうとぼくらの方の金銭感覚に近そうだな。
「しかし……金持ちのくせに、財産管理人を持たなかったというのも不思議な話ですね」
「財産管理人というか――顧問弁護士とか、資産管理会社とか、なんか一つでもあればよかったんだけどな。そういう人がいないから、死に際に言ってた最新の遺言書はどこなんだってことで、こんなに大騒ぎになったわけだ。まあ、ご本人、まだ全然死ぬつもりじゃなかったってのもあるだろうが……」
「道利主人は、他人にお金を任せるのはお好きではなかった?」
「明確に聞いたことはなかったけど、ま、そうだったんだろーな。あと、専門家が嫌いだったな。俺みたいな叩きあげというか、その辺から生えてきたような人間が好きだったんだよ。士業の連中が好きじゃなかった。……あ、初山先生のことは、さすがにお好きだったみたいですが」
「まあ、わたしも、もう少し医者然としすぎていたら嫌われていたのではないか、と思いますよ。さすが金谷さんの人間観察はお見事です」
ふーむ、なるほど。ご夫人と、自分の愛人たちと、初山先生と、金谷。これらが数少ない、亡き道利主人のお気に入り人物たちだったってわけだ。
「あれれー、そういえばみことちゃん、気が付いちゃったんだけど。金谷さんって、なんで今日ここにいるんだっけ?」
「初山先生は、道利主人の死に際の言葉を聞いてた数少ない人間だったから、ですよね。たしかに。金谷さんはなんで?」
「おい、突然俺のことを疑い出すな。べつに俺だってわざわざこんな僻地まで来たくなかったさ」
「じゃ、なんで来たんですか?」
「なんならこれを機に投資してもらおうかと思ったから、かな。
まーでも、道利さんには世話になってたし、夫人が世間知らずなことも知ってたから、とりあえず呼ばれたんで様子だけ見に。
まさか遺言書が隠されていて、見つけられず、しかも殺人事件まで起こるとは思ってなかったけど」
殺人事件でうやむやになりかけていたが、たしかに今日の本題はこの遺言書。財産の相続のお話。
今、金谷の手の中にあるあの遺言書を読むことこそが、本来の今日の最終目的であったのだ。
「で、どうするんだよ。そろそろ起きちゃうぞ、ご夫人」
「まー、起きてもらって、この中身を読むってのもこれまた一興ですけどね。金谷さん、さっきからあなた、それ勝手に開きそうで怖いんでこっち渡してもらっていいですか?」
「失礼な奴だな、さすがに開けたりしないっての……」
未練がましい態度だ。ぼくは金谷の手から遺言書を引き抜き、封蝋の現状をしっかりと確認して――って、ん?
「……」
「どーした、封筒の裏になんか書いてあったか?」
「いいえ、何も。でも、ぼくはこの中に何が書いてあるのかを、一秒でも早く確認しなくてはならなくなりました」
「だから、皆そう言ってんじゃねーか!」
ひらいちゃおっ、ひらいちゃおっ、とみことちゃんが囃し立てる。いや、それはダメなんだって。
「そうですね、これは無視できない。道利さんに会いに行きましょう。皆さんもよかったらご一緒に」
「やったー!」
と、指野みこと以外に金谷も初山先生も一緒に叫んだ気がする。人が死んだってのに気楽なものだ、今日は犯人も合わせて二人も死んでるってのに。
「とはいえ、なかなか目を覚ましませんな」
まあ、あの人、今日だけで三回失神しているもんな。
「一回目と二回目のときは、比較的すぐに目を覚ましてたよな。もう最後に倒れて一時間以上経ってるぞ」
うーん。しかし、目が覚めても、泣き腫らしているかもしれないな。ぼくならそーする。まあこの場合、『ぼくなら』という仮定は道利夫人にとってかなりの皮肉になると思うが――
「すみません」
え、誰? ああ、後藤さんだ。チャペルの入り口から、すこし遠慮がちにこちらを覗いている。この人、まさに生粋の使用人というか――話しかけられるまで、そこにいると分からせない影の薄さがあるんだよなあ。
「夫人がお呼びです。もし、ご迷惑でなければお会いいただけませんか」
噂をすれば、ついに目を覚ましたか。
会いに行くしかない。キーになるのは夫人と、そして今見つけたこの遺言書だけだ。ぼくは頷いた。