005 - 情報の整理
「さて、色々情報は得られたが、命題は変わったのか?」
「いえ、変わらないですね。『どうして使用人・蒔苗は、このチャペルを穢したかったのか、穢さなければならなかったのか』のままです。不倫していたことは、これらの動機の裏付けに多少はなっても、動機そのものにはなりえません」
「んー、まあたしかにそうだな。でもここまで来れば、残りは警察が上手いこと書類を作りそうなもんだが」
「被害者の証言がある。犯人の自供もある。――警察がどうこう、って話をするなら、この事件は開幕直後にすでに解決してますよ。それだけじゃ分からない『細部』を探偵してるところでしょう」
「ん、そりゃそうか……不倫してた主人が死んだところで、見知らぬ少女を教会で惨殺する理由にはならない、ってことだよな」
「とはいえ、分かったことも多少はあります。一応状況を整理しておきましょう」
殺されたのは指野みこと、殺したのは道利家使用人の蒔苗さん。
被害者と犯人の間に繋がりは殆どなく、彼女らは今朝初めて会ったばかりだった。
指野みことはマリア像で殴られた後、ナイフで腹を裂かれ、内臓を引きずり出され、ついでに右手と左手も落とされて、その祭壇上に放置された。フルフルの飾りつけ付きで。
――なんで?
「ここまでが確定情報です」
「全然進展してる感じがしねぇんだが……」
「次に、副次的な情報というか、ちょっとぼんやりしていて、まだ手がかりにもなっていない曖昧なぼやけたインフォメーション、というものについて見ていきましょう。情報としてはほぼ確定あるいは信ぴょう性が高いのだけれど、それがどう事件に繋がってくるのかがよく分からない――という、はめ込む前のピースのようなパーツたちです」
先月亡くなった道利主人は、使用人三名全員と不倫をしていた。夫人がそれを知っているのかどうかは不明。なお、道利夫人はどうやら犯人の蒔苗さんを庇いたがっていたような気がする。蒔苗さんはかなり以前から道利家に仕えているらしい(とすると、彼女の不倫という裏切りもそれなりに長いということになるのだろうか……)。チャペルは道利主人が大変大切にしていたものなので、このように穢すようなことを使用人の一人がしたとはとても思えない(初山医師談)。そういえば犯人は、指野みことが生き返った時「殺した意味がない」と言った――
「犯人にとって、チャペルを穢すことには『意味』があった。ぼくは勝手に段々、こう思い始めてきたんですが――この犯行は、怨恨によるものではないような気がします」
「ほんとに唐突だな。なんでそう思う?」
黙る。うーん、仮説はあるんだが、ぜんぜん裏付けが取れていないんだよなぁ。どっちかっていうとただの直感に近いが――怨恨だった場合、殺人に失敗したとして『意味なんてなかった』って言うだろうか? 怨恨だった場合、痴情のもつれが原因だった場合、見知らぬ第三者を殺す理由になりえるだろうか? っていう、些細な違和感だけ。ぼんやりそう思った理由さえ言えない。
「おい、坂江」
「あ、すみません、一人で考え込んでいました。大抵の探偵と同じく、ぼくも、間違える可能性がそこそこある状態では自分の推理を人に話したくないです」
「なんじゃそりゃ。……まあいい」
教えろ教えろと駄々をこねられるかと思ったが、意外と素直に流してくれた。金谷には『助手』の適性がある。
「で、どーするんだ、次?」
「そうですね、元の依頼にとりかかってもいいかもな、という気がしています」
「元の依頼? って、ああ、探し物か」
「そうです。犯人が指野みことを殺した理由はまだよく分かりませんが――でも、この館にとって、先ほどの殺人事件以前にあったいちばん大きな出来事といえば、どう考えても道利主人の崩御ですよね」
「なーるほどな。主人の死によって、何かしらの状況が変わり――それによって、殺人の動機が生まれた、と考えることもできるわけか」
さすが実業家。教えてやれば、ステータスのロードが早い。
「となると……えーっと、ご主人が死んだのって先月だったか。ここ一カ月程度での急変ってことだな」
「そうですね。実際この犯行、とっても衝動的なものですよね」
「まあなあ……でも、あのチャペルの飾りつけ、あの用意周到さ、丁寧さを見ると、『衝動的』って言葉もなんか似合わないような気がするんだよなあ……」
「分かります。『衝動性』と『丁寧さ』と『ウキウキ感』を一気に感じるんですよね。で、彼女はどうやら最終目的を達せられなかった、みことちゃんが生き返ったがために。そして自死。つまり、失敗したら自分が死にたくなるほどの計画。ぼくって、実はこの三つが重なり合う感情っていうのを一つ知ってるんですよ」
「衝動的なのに丁寧で、かつウキウキして、失敗したら自分が死にたくなるもの?」
「そう。金谷さんお分かりになりますか」
「うーん、一番近いのは戦略投資する直前の気分とかかな。ウキウキするし、失敗したらまあ死にたいが――いやでも、衝動的ではないか……まあ人によるけど……」
「そう。丁寧にやるくせに衝動的、っていうところが一番真逆な感じですよね」
「ああ、そうだな。そこの二つが特に喧嘩してる感じがする。衝動的で、ウキウキすることってのはケッコーあるんだよ。――まあ、殺人がそれだって人間は少ないだろうが」
衝動的で、ウキウキすること。そして入念な準備。これ以上ない丁寧さ。
たぶん、これは愛の犯行なのだ。
と、間違っていたらこれ以上ないほど恥ずかしいのでぼくは金谷にそうとは教えなかった。
「じゃ、いったん殺人事件は諦めて、探し物を再開すんのか?」
「どっちも別に諦めませんよ。でも、殺人事件のほうは、直近調べられることがもうないでしょう」
「そういえば、俺、凶器の確認してないな。まあ、血が付いてて怖くて触れなかったってだけだけど……」
「ああ、現場検証――」
ま、それもいいか。凶器、確かにぼくも触っていない。そういえば、とぼくはふと、まったく根拠のない仮説を口にした。殺人事件の推理じゃないと、ぼくの口も意外と軽くなるもんだ。