003 - 推理の前の下ごしらえ
「わからん。なんだって、蒔苗は彼女を殺す必要があったんだ? それもただの殺しじゃあない」
やけに生き生きしはじめた実業家の金谷が場を仕切り始めるのを、ぼくは興味深く見ていた。
ぼくは探偵だが、別に目立ちたがり屋ってわけじゃない。出なくていいときには黙って背景に徹するのがむしろ賢い探偵ってもんだ。
さっきから五分以上、金谷はこのチャペルの祭壇を借りてそのまま喋り出している。まったく不敬なことだ、マリア様もイエス様も呆れていらっしゃることだろう。
「このチャペルの中を見てみろ、真っ赤、真っ赤、真っ赤っか!
しかもこの花の装飾……ええっと、なんて花なんだっけ?」
「百合」
「そう、百合! こんなの庭に咲いてたか?」
さっきからこの調子だ。どうやら飽きちゃったらしい指野みことが、ねー、と呆れた声を出しながらぼくの腕を引っ張る。
「あの人の名前って、なんなんだっけ?」
「金谷さん」
「ちがうちがーう、それはあの、お金の香りしかしない人でしょ? 犯人さんのほう!」
「蒔苗さん、だよ」
「そっかー、何も死ななくてもいいのにね」
「何も殺さなくてもいいのにね、じゃなくてか?」
「だってー、なんであんな酷いことされたのか、いつも通り、さっぱり分かんないしー」
「なんか言ってなかったのか、動機について」
「ぜーんぜん! 突然殺されちゃったもん」
指野みことは、殺されても殺されても生き返るという超人的(というよりも神業的)特徴を持っているが、しかし、ただそれだけだ。
別にミステリに傾注しているわけでも、他人の心が読めるわけでも、悲しいことに、頭が良いわけでもない。まあこれはぼくも同じことだが……。
だから、彼女には、彼女が殺された理由が分からない。動機が分からない。
指野みことはどこまで行ってもただ一人の美少女でしかなくて、殺人鬼の心のなかを解釈して説明できるような精神は持ち合わせていない。ある意味とても普通の桃色の心臓を持っている。
だからぼくが、それを解く。
みことちゃんと初めて会ったのは、ぼくらが五歳の頃だった。ここで長い長い回想を挟んでもいいんだけれど、そういうのって番外編のSSでやるべきことのような気もするし、なにより幼稚園児の死体の話なんて始めてしまったらさすがに読者も減るだろう。加えてちょっとした事情もあり、できればこの話はしたくない。
あと、そろそろずっと喋り続けている金谷もそれに付き合わされている初山医師のことも少し可哀そうになってきたので、今回は横道に逸れるのはやめてみよう。さて、さて、現実に戻ろう。
「――金谷さん、ずいぶん、推理ごっこがお好きですね」
「あんたはそうじゃないってのか?」
「まさか。ぼくは未成年の探偵です。高校にいって勉強して模試でA判定取るだけで親が褒めてくれるような年頃の子どもなのに、わざわざ仕事をしてるんですよ。推理大好きオタクに決まっているじゃあないですか」
「じゃあ、一緒に考えろよ。えーっと、警察? が来るまであまり時間がないんだろ? 残り時間は数時間もないんだぞ」
実は警察が来てからでも時間稼ぎはたっぷりできるわけなんだが、やけに短いタイムリミットにドキドキしている金谷から楽しみを奪わなくてもいいだろう。
道利邸。
クローズドサークルものだ、とさっき少し話したかもしれないが、ここは色々あって悪路としか繋がっていない山のなかに位置しており、ヘリやらなんやらを駆使しても警察が来るまでには最低二時間以上かかる。
しかも、今回はぼくが一報を入れてあり、状況がある程度伝わっているのでさらにゆっくり来ることだろう。――なんて勝手が許されているのは、道利夫人が依然として気絶中だということも関係している。
彼女の権力がどこにまで及ぶのかよく分かっていないけれど、この豪邸を見るに、日本でトップクラスのお金持ち、権力者、はてさてその力は公権力や警察組織にどれほどの影響力があるものか。
「じゃ、急がないとだろーが。あの夫人、絶対に自分とこの使用人を庇うに決まってる」
たしかに。まあぼくは謎さえ解ければその後のことなんてどうでもいいわけだけど(特に、今回は犯人もいなくなってしまったし)、推理の邪魔をされるのは面倒だ。館のなかを好きに客人の顔をして歩き回れる今のうち。
「まあ、そういう状況である以上、このチャペルでずっと喋っていても仕方がないですね。後藤さん、もしくは林さんに話を聞いたり、館のなかの怪しい本棚を調べたりしないと。道利夫人を起こす以外のことをぜーんぶやってしまいましょう」
そう。実はいま、ここに館の人たちはいない。
ぼく、みことちゃん、金谷、初山医師だけが残されている。
当然だ、倒れた夫人(しかも今回はすぐには目を覚まさず割としっかりめに昏睡している)の看病のため、二人は飛んでいってしまった。今も夫人の傍に付き従っているのだろうか、だとするとちょっと近づきづらいな……。
「もう行くの? みことちゃんは、もうすっかり元気なので大丈夫です!」
ほんとかよ、という顔で金谷がみことちゃんの腹を見ている。ぼくは腕時計を見る。すでに十五分が経過していた。指野みことの身体はすっかり元通りになっている頃合いだ。
こほん。と、初山医師がわざとらしい咳払いをしてぼくたちを見た。
「わたしはもう疲れましたので、ここに座って待たせていただきますよ。犯人はもういないとはいえ、現場を保全する者もいたほうがいいでしょう」
たしかにそうだ。そして、初山医師なら信用できるような気もした。
この人が実は黒幕……なんてパターンはなさそうだ。ぼくはいつもこういう勘を頼りに誰かを信用したり疑ったりして現場を乗り切っている。実は探偵には最も必要なものだ――敵にも味方にもならない中立的なNPCを、ただしく的確に早期に見つける能力。
「はい、ここをお任せします。……あ、そうだ、先生は口は軽いほうですか?」
「医者には守秘義務といったものがございますね」
「重視されていますか?」
「学生のとき、記述問題が不得手で医療倫理の成績は悪かったのですが、それでも自分を非倫理的な人間だと思ったことはありません」
イエスでもノーでもない答えだったので、ぼくはそのまま質問を続けることにした。
「――ぼくがそもそもここに来た理由に関係してくることなんですが、先月亡くなられた道利主人は、誰かに恨まれるようなことをしていましたか」
そう。犯人は、みことちゃんを直接的には恨んでいない、そのはずだ。
何の意味もなく殺したか、誰かと間違えて殺したか、もしくは、誰かを殺すこと自体に意味があって、相手がみことちゃんでなくても良かったか。
とかくもこの館で事件がなにか起きたとなれば、怪しいのはやはり道利《主人》だろう。この人も死者ではあるが。
今は亡き道利主人の主治医だった初山医師は、すこし唸った。
「そうですねぇ……ご夫人も含め、使用人の三人とも、お屋形様には大変お世話になっておりました。だからこそ、この中に犯人がいる、という話になったときには仰天しましたよ。正直、金谷さんが犯人かと思っておりました」
「わ、わたしが?」
「失礼、でもそう思ったのです。彼女、蒔苗さんが人を殺したということも信じられませんでしたが……この家の使用人が、このチャペルをこんなに荒らした、ということにも、今も驚いております。道利さまは、ここを大変大事になさっておられました」
……ふーむ、なるほど。
と、いうことは。やっぱり『誰でもよかった』のだろう。
むしろ恨んでいたのは《主人》のほうで、彼にとって神聖なこの場所を汚してやりたかった、とかそんなところだろう――てゆーか、それ以外ないんだよな、今回の場合。
どう考えてもみことちゃんに恨みがあろうはずがない。
犯人の死に際の態度や言葉からも、みことちゃんへの恨みは一切感じられなかった。
相手を実際に殺せるほどの殺意って、そんなに簡単に隠せるものじゃない。
「ということは、どうして使用人・蒔苗は、このチャペルを穢したかったのか、穢さなければならなかったのか――ということが、次の命題になるわけですね」
「……そうなりますか?」
「そうなりますね。先生、どうもありがとうございます」
どういうことだ? と金谷が首をかしげている。指野みことはこういう推理には関心がないので、百合の花をつんつん突いて遊んでいる。それ、おまえの血が付いてるぞ。
「とにかく――誰かにヒアリングしましょう。一旦、犯人の動機を《道利主人への怨恨》に仮置きします。使用人の女の子から主人への怨恨、となれば、①実は非嫡出子で娘だったのに見放された、か、②実は不倫していたが捨てられた、のどちらかしかない。どちらにしても、道利主人は不倫している」
「そんな暴論」
「真実です」
「……まあ、確かめるか。で、誰に聞く? 夫人にお聞きしたところで、答えてもらえないだろう」
「そりゃそうでしょう。ま、消去法で考えるしかないですね。
口が堅そうなので、あまりいい選択肢とは言えませんが――後藤さんに聞きましょう」