001 - ややこしい物語
――はい、はい、また死んだ。
*
死者が出たようだ、という一報が大広間に入ってきたのは九月二十五日の午後三時頃、その場にいたのは屋敷の女主人である道利小百合とその家の使用人である蒔苗・林・五藤、それから客人である若手実業家の金谷氏と医師の初山先生、最後に探偵であるところのぼく、坂江午後。
どうしてこんな説明的な情報をこと細やかに描写するのかって?
それは、これが一応ミステリ小説で、君が読者だからだ。
とはいえ君は決して謎を解かなくていい。ぼくはシャーロック・ホームズのように他の探偵を馬鹿にしたりはしないし、エラリー・クイーンのように挑戦状を突き付けることもない。ただ君には傍観者でいてほしいだけなので。
さて、そろそろすこぶる重要な人物――死体を紹介しよう。ぼくはどのみち脇役だ。
女主人は金切り声を上げ、使用人の蒔苗がその身体を支える。林はマスターキーの場所を大きな声で宣言し、後藤が「今日だけは違う場所にあるのです」とイレギュラーを発表する。実業家はいささか顔色を悪くしているように思えるが、しかしてこれだけで犯人と断定しては可哀そうだ。初山医師はお茶のおかわりを欲しているんだけれど、そうとは言えないこの状況に不満そう。ぼくは言う。「では、すぐに現場に行かなくてはなりませんね」
気絶した女主人は女性使用人二名に任せることにして、後藤、実業家、医師、そしてぼくの、四人の男衆で現場へ向かう。現場がどこなのか、そういや言っていなかったかな。教会だ。この家は豪邸なので、家の敷地内に小さなチャペルが設けられている。
「しかし、あそこにいらっしゃるのは……」
と、金谷がぼくをちらりと見て顔を顰める。実業家って、こんなに表情を隠すのが下手でも成功できるんだなあ。表面上は心配そうな顔作りをしていても、ほんとはゴシップに興味津々であることがよく分かる。対して初山先生はなかなか顔作りがお上手だ。これから死体を見せられるのにふさわしい、峻厳な顔つき。まあ、そういう顔が出来ないようなら医者は務められないのかもしれないが。
ぼくはアントニオ・ガウディの建築が大好きで、だからこの道利家のチャペルに対してもかなりの愛情を抱いている。その、チャペルの扉、結婚式場で花嫁が入場するためにあるかのような美しき純白の扉が、今、赤で汚されている。それどころか内臓が一本、まるでドライフラワー的飾りのように印象的にドアノブに吊るされている。女の子にこんなことするか、普通? 彼女が見たら激怒するぞとぼくは思う。そう、死人はおそらく、ぼくの連れの女の子なのだ。
手袋をした後藤が、その腸を丁寧に取り外し、レジ袋に入れてくれた。最近3円になったこの子のなかに入ると、人体だって20%引きの牛肉に見える。内臓の細かい描写はしない。ぼくはグロテスクなものが好きではない。
そしてチャペルの扉が開かれた。中はたくさんのキャンドルの灯りで満ちている。幻想的で荘厳な空間だ。たったひとつの、しかし確かに異質な点――巨大なパイプオルガンをバックに、祭壇のうえに、美少女の死体がひとつ乗っていることを除けば。
金谷は野次馬らしい好奇心をのぞかせながらも、あまり生の人体に耐性がないようで鼻をつまんで苦しそうにしている。まだ死臭がするような頃合いでもないんだけどな。執事服の後藤は顔を顰めてランタンを掲げたままで、一見取り乱したところはない。とはいえ今日一日を通して殆ど表情の変わるところのなかったこの冷静な男の、汗ばむ額を見られる機会は珍しいんだろう。初山医師は帽子を取って十字を切っていた。カトリックなのかな、もしくはルター派。
「みことちゃん」
ぼくは歩み寄り声をかける。彼女に声をかける。彼女は死んでいる。だから、今の彼女にこんなことをしてもなんの意味もない。
「十六時十二分」
みことちゃんの右手を取った初山医師が、小声で時間を宣言し、それをメモに書きつけてくれる。死亡確認時刻。
ぼくの連れ、指野みことは死んだ。殺された。医学的にも科学的にも精神的にも霊的にも、彼女は完全に死んでしまった。
右手を拾ってあげた。みことちゃんのために。
左手を戻してあげた。みことちゃんのために。
彼女の身体は、言うまでもなく凄惨な状態にあった。高校指定のセーラー服は、血まみれ、血みどろ、言い方はなんだっていい、とにかく赤色。両手の断面と腹部からの出血がひどい。ここまで血を出すには、ただ刺したり切ったりするだけでは足りなかっただろう。搾り上げて捻り上げて、相当な工夫を凝らさなくてはならなかったはずだ。こうしてみると顔には全く傷がついていないのが不思議なぐらいだった。とても綺麗な顔をしている、彼女はなにせ美少女なので。
チャペルの中を改めて見渡す。まるでエンターテイメント施設のように、派手な飾り付けだった。これから挙式でもするのかと聞きたくなるほどの純白さ。キャンドルの明かり、大量の花飾り、シルクのリボン。とても個人の館にあるものとは思えない。死体の前では、はしゃぎすぎていてグロテスクだ。
ぼくは推理をすることにした。これが最後の機会だから。
まず、この教会に入れたのは誰か? 言うまでもなく、いまキーをその手に持っている後藤さんは入れたろう。指野みことは三時間前の昼餐の時間には確実に生きていて、それを全員が目撃している。ごちそうさまをした後、彼女が「じゃ、散歩でも行ってきまーす」といつも通り無防備に一人になって飛び出したのがだいたい一時間半ほど前のこと。たかだか九十分で、彼女を殺し、捌き、腸を出し、ドアノブへ飾りつけまでしなくてはならない。いや、飾りつけは事前でもいいか? そもそもこのチャペルは朝見学した時これほど華美な装飾がなされていただろうか。
後藤さんが言う。
「いつの間にこのような花が……いや、花壇の花しかないだろうが……」
なるほど、飾り自体はこの館の中にあったものなのか。 しかし花壇の花『しかないだろう』という言い方は多少気になる。
「花壇の花しかない、というのは?」
「ああ。昨日皆さんがいらっしゃってから、おそらく誰も館から出ず、そして入ってもいないので」
細かい条件は省くが、これはクローズドサークルものだ。館には高度なセキュリティが施されており、塀もそこそこ高く、第三者機関である監視会社の目をかいくぐって侵入することは不可能。つまり、犯人はこの家の中にいる。
犯人は、凶器も、装飾品も、ついでにいえば被害者も、すべてこの屋敷の中で調達しなくてはならなかった。
では、この花の装飾は一体なんのために行われたのか? なにか目的があったのか、それとも単なる愉悦嗜好か……。
死体トリックが行われている可能性は低い。死んでいるのはどう見ても指野みことだ。まあこれは直に確認がとれるだろう。殺害時間の攪乱がしたいわけでもない。発見時間があまりに早すぎて推測の必要がないほどだし。では犯人がこれほど手間のかかることをやってのけた理由は? ただの怨恨だろうか? 誰に? ぼくの助手に、いったいなんの恨みがある? ぼくとぼくの助手がそれなりの関係にあると気づいたものなら、ぼくへの怨恨によって彼女に刃が向かうこともあろうかという気はするが、それにしても相手を切り刻んだり――
あ。
むくり。
彼女が起き上がる。彼女の肉が、腕が、一度紐が絡まってしまった操り人形が、ゆっくりとゆっくりと、操手の技で糸を解かれまともに動くようになるのを――ぼくは、見ている。
時間にしてはたったの一分。インスタントラーメンさえ出来上がらないような短時間で、指野みことは起き上がった。あーあ、タイムアップ。あんなに頭をフル回転させたのに、今回もまた真相にたどり着くことは出来なかった。
まあしかし、しょうがない。
ぼくは一応挨拶から始める。
「みことちゃん、おはよう」
完全美少女のみことちゃんが、血を付けたままにっこり笑う。
まるで青年漫画の初登場シーンみたいに完璧な笑顔で。
「おはよー! 午後くん、来るの遅かったね」
「そうか?」
茫然自失の後藤さんの手から、ちょいとすみませんねとレジ袋をいただく。
内臓の入った袋を差し出せば、「ありがとう!」とみことちゃんが笑う。よいしょよいしょ、とそのままお腹に戻されていく20%引きっぽい肉たち。大丈夫か、それ、海洋汚染によって胃の中がゴミだらけになったイルカみたいにならないか?
「あれ? 午後くん、他の皆さんは?」
「今、道利夫人が気絶しちゃっててさ。まあでも、そろそろ来るんじゃないの?」
と、言いながら、振り返る。ビンゴだ。チャペルに向かって、みことちゃんを除いた女性陣(道利夫人、蒔苗さん、林さん)が小走りに駆けてくるのが見える。これで全員。
「ま、待ってください? これはどういう事ですか?」
初山医師が信じられないというふうに首を振る。まあ、そりゃそうだろうな。
「わたしは、こんなことは初めて見ました、彼女はどう見ても死んでいたのに――」
「はい、確かに死んでいましたよ。でも、その説明はもっと大事なことを説明した後にしましょう」
女性陣がチャペルのなかに入ってくる。皆、これはどうしたことかと目をひん剥いている。
ここでもう一度キャラクター紹介でもしよう。
いま、この館にいるのは八名。屋敷の女主人である道利夫人とその使用人である蒔苗・林・五藤、それから客人である実業家の金谷氏と医師の初山先生、最後に探偵であるところのぼく、坂江午後と、その助手、指野みことちゃん。犯人はこの中にいる。
という簡単な前提を、ぼくは一応改めて説明する。
「異論はないですか?」
「でも、その子――」
「指野みことは死にました。初山先生、そうですね?」
「たしかに、そうだが――」
「だから、彼女を殺した人は『犯人』『殺人犯』『人殺し』と呼ばれます」
「そりゃー、そうだよねー」
みことちゃんがケラケラと笑う。
そして――そのまま犯人を指差した。
「犯人は、あなたです!」
彼女のその、青い人差し指。まだくっつききっていない二の腕。やっと見えなくなった腸。
みことちゃんが指差しているのは――使用人の蒔苗さんだった。
なんで? いや知らん。
でも彼女なんだろう、だって殺られた本人がそう言っているんだから。
しーん。蒔苗さんがなにか言うだろうかと思ってぼくは黙っていたが、静かな時が流れていくのみだった。蒔苗さんは顔面蒼白の顔のままやってきて、その顔のままみことちゃんに指を差され、そして今は完全に固まってしまっている。そんな蒔苗さんの代わりに、好奇心を抑えきれなくなった金谷が口を開いた。
「ちょ、ちょっと君、探偵なんじゃないの?」
「はい? ぼく?」
みことちゃんより先に、ぼくに話しかけてくるなんて珍しい人だな。
「その通り、ぼくが探偵ですが。何か?」
「いや、こっ、こんなの、反則じゃないか……」
ああ、そのことか。
「なにがです。人を殺しておいて、反則も豚足もないでしょう」
「そっ、そりゃそうか……」
金谷が口元を歪ませている。この若き実業家、楽しんでるな。いやー、性格のお悪いことで。
「まず一つ、皆さんと前提を共有しておきましょう。それは、指野みことは生き返る、ということです」
だいたいこの物語の面倒くささが分かったところで、いったん解説に入ろう。