66.おれらとおんなじ農民だ――SIDE王子
これでいい。優しい老人や夫婦が傷つく姿を見たくない。妹や弟のように思える子ども達が泣くのも嫌だった。それくらいなら、僕が苦しい方がいい。
裕福ではないのに、僅かな稼ぎの中から僕に食事を与えた。彼らの恩に報いるため、ベッドの上に宝石を置いてある。後で気づいて売り払えば、今より柔らかいパンが食べられるから。
宝石や金銀を美しいと信じてきた。でも違う、本当に美しいのは……両手にマメが出来て潰れた痛みに顔を顰めながら、必死で働く国民だ。過去の僕がそれを知っていたなら、前回の僕がこれを理解していたら。国はもっと豊かで、父上や母上も共にいてくれただろう。
机の上で覚えた勉強より、痛む手のひらの方が価値があった。顔を上げて顎を逸らし、王族であった頃の所作で足を踏み出す。襲われて死んでもいい。それで彼らの気が済むなら、どんな死に方も受け入れよう。それが神に逆らい、お告げの花嫁であるフランシスカを苦しめた罰だ。
物のように独占しようとした今回も、物のように捨てた前回も。僕の罪の重さは大して変わらない。
「来い」
ぐいっと僕の腕を掴んだのは、隣の家の家主である男だった。握っていた手のひらを開かせ、マメが潰れた酷い手を村人に向ける。
「こいつは農民だ。鍬のマメが出来る痛さも辛さも知ってる。おれらとおんなじ農民だ」
ざわっと人々が顔を見合わせ言葉を交わし、数人が離れていった。ばらばらと帰って行く人々を前に、僕は声を張り上げる。
「僕は王子だったんだ!」
「もういい」
「無事で良かった」
世話になった家の夫婦が僕を前後から抱擁した。何が起きたんだ? 僕を殺しにきたんじゃないのか! 混乱して「王子、なのに」と呟く。
乱暴に僕の手を掴んだ隣人は、頭の上にぽんと手を置いた。がさがさに荒れて、切り傷や擦り傷が髪に引っ掛かる。それでも撫でる動きは優しかった。手のひらの温かさは、父上と同じだ。
「もう王様はいねぇ。お前はおれらの子だ」
僕を拾った男の言葉に、もう父上とは会えないのだと理解した。唐突に悲しくなり、涙が溢れる。
「長男として、家族を助けてちょうだい」
母上は亡くなった。僕は一人になって……でも今は孤独じゃない。いろいろな想いが絡まって、身体中の水分がなくなるほど泣いた。声を上げて泣くのは、どのくらい振りだろう。みっともないし、王子らしくないのに。もういいのだと思ったら、止まらなくなった。
農民なら、泣いてもいい。だから泣き終えたら、この人達に恩を返そう。いつか必ず、フランシスカに謝ろう。許されなくて当然で、殺されると思うが、逃げたくなかった。
あの日、冷たい風が吹き上げる崖の上で……フランシスカは涙を零さなかった。その絶望は、父上や母上を失った僕より深い。騎士団長は無事だっただろうか。最後まで戦わず、逃げていて欲しい。昔の僕なら絶対に思いつかなかった言葉が、ぽろりと口をついた。
「ありがとう、ごめんなさい」
ここで気づく。僕は彼らの名前さえ知らなかった。




