65.自ら名乗り出た――SIDE王子
絶望に打ちひしがれた王子イグナシオを拾ったのは、近隣の村人だった。王族とは知らず、行き倒れた子どもを助ける。目覚めても口を利かない僕を、彼らは精一杯面倒を見てくれた。
王侯貴族に苦しめられた仲間と認識したのだろう。質素な食事を分け与え、寝床を貸し、穏やかに時間が過ぎる。村人の生活は朝も夜も早い。そのリズムに合わせて生活するうち、僕の心境に変化が現れた。
夜明けから日暮れまで働いて、見たことがないほど小さな額の収入しか得られない。貧しいながらも年老いた親の面倒を見て、子どもを育てる。文字を習う場もなく、両親の手伝いをする幼い子ども達。明らかに自分より幼い子が、重い水汲みを行っていた。
鍛錬や学びの時間はなく、追われるように一日が過ぎていく。この生活の先は、両親のように身を粉にして働き、やがて年老いた祖父母のように動けなくなって終わる。まるで押し出されるように、同じ生き様を繰り返す人々の姿は胸に堪えた。
これほど貧しいのに、話さない見ず知らずの子どもを助けた。彼らの心の豊かさに、負けを感じる。ああ、そうじゃない。勝った負けたではなく、勝負にならない。もう王家はなく、母の実家も焼け落ちた。ならば、父や騎士団長が望んだように……ただ生きてみようか。
必死で大地にしがみつき、この手を汚して。僅かなその日の糧を得るために、働く。以前なら唾棄する生活も、悪くないと思った。緊張しながら村人に話しかける。元王子の肩書きを捨てるつもりで、単語だけぽつりぽつりと語った。尊大な口調は、村人を萎縮させると思ったのだ。
鍬を振るうと、腕や腰が痛んだ。剣を振ってきたのだから、簡単だと思ったのに。見る以上の重労働だが、見様見真似で鍬を土に突き立てた。硬い石を拾い、柔らかく耕す。城で簡単に手に入るパンが、これほどの苦労をして作った麦から生まれるとは、知らなかった。
魔法のように作られたパンは、顎が痛くなるほど硬い。スープに浸し、何度も噛んで飲み込んだ。そんな生活に慣れてきた頃、突然思い出す。発狂しそうなほど、ひどい過去を……いや、前回? 過去であり未来でもある記憶は、醜悪だった。
叫んで飛び起きた僕は、己の過ちに震える。可愛い上に、金を持っているアデライダに乗り換えた。父も否定しなかったし、公爵だってそれを望んだ。お告げで縛られた婚約者は痩せ細り、見た目も気味が悪い。青い目は悪くないが、白い髪なんて老婆みたいだ。隣に並んでも映えない。
アデライダは肌も艶があって、薄茶の髪も綺麗だった。いつもいい香りがして、明るく笑っている。だから彼女を選んだ。邪魔だから、前の婚約者を捨てた。婚約を破棄して白紙に戻し、神殿騎士に腹を刺されて落ちる彼女を見ても……何も感じなかったんだ。
今なら分かる。絶望に染まった瞳の意味も、吐き捨てた呪いの言葉も。僕は最低の行いをした。
「逃げろ、ナシオ」
駆け込んできたのは、僕を孫のように可愛がるこの家の老人だ。悪夢のようなあの光景を、彼も知ったのだろう。そう察した。
「だけど」
僕は罪人だ。罰を受けるべきなのでは? そう思えたのは、彼らに恩を受けたから。王子のままの僕はきっと気づけなかった。
「逃げなくていい。ナシオは王子様なんかじゃないんだ」
「そうよ、私達の子に生まれ変わったんだもの」
両親のように僕を守ると、農民である夫婦は言う。それが叶うなら……どれほど幸せか。僕は一筋の涙を流し、首を横に振った。この家に迷惑はかけられない。そう告げて、扉の外へ出た。近隣の村人が集まり、僕をじっと見つめる。
「僕が王子のイグナシオだ」
自らそう名乗って、付け加えた。
「脅して、この家に隠れていたが、見つかったなら仕方ない。そこをどけ」
傲慢だった頃の口調で、村人達を睨んだ。




