真ん中
見渡す限りどこまでも続く、真っ白な空間。
当たり前だがそこに人の姿はなく、正真正銘この場には俺とメモリアの2人しか存在していないようだ。
「ここは私の作った空間だ。そんなことより、もっとよく見せろ」
何でもないことのように言うと、メモリアは自身の顔を未だ呆気に取られている俺の顔へと近づけた。
いや、近い近い近い!
「いや、あの、ちょっ、」
「うっせーな、黙ってろ。すぐ終わる」
「すぐ終わるってなン———」
反射的に距離を取り彼女を止めようとすると、口のあたりに猿轡のようなものが出現した。
俺の顔を拘束し強制的に黙らせたメモリアは、更にその顔を近づけてくる。いや、近いって!本当にもう当たる当たる当たる!
「———日本、か」
「!?」
メモリアの顔と接触するまであと数cmというところで、そう呟いた彼女はゆっくりとその顔を離した。
「な、なんで、それを...」
「あ?分かってんだろ?お前の記憶を覗いたからだよ。今までに前世の記憶を持つ奴は何人かいたが、他の世界の記憶を持つ奴はお前が初めだ。しかも、この世界を創った御本人様だとは」
こいつ、本当に俺が異世界から来たってことを知っている…!!しかも、前世での小説のことまで正確に把握されているだと?
「そこでなんだが......お前、私の協力者にならないか?」
「は、え?きょ、協力者?」
前世の記憶を見られた事に動揺する俺へ、メモリアは更に意味のわからないことを言う。
協力者?一体何を言っているんだ?
「そうだ。お前、いやアルト。いや、加藤と呼んだほうがいいか?」
「アルトでお願いします...」
「そうか。アルト、お前は魔族と人間の争いをどう思う?」
どうしてこのタイミングで魔族と人間の争いについての話になるのか。情報が錯綜していて、混乱しきった頭ではすぐには考えられない。
「私は非常に下らないと思う。本当に下らない。資金もなくなれば、戦力も減るだけ。争うことで増えていくのは死体の山だけだ」
無言を貫く俺に対し、メモリアは更に言葉を続ける。
確かに彼女の言うことは正しい。例外として科学技術などは戦争を経ることで大きく向上する傾向にはあるものの、多くの一般市民にとって損失の方が上回ることは言うまでもない。
「だが、私はそう思っていても行動ができなかった。何故だか分かるか?人間と魔族が争わない世界など想像もできなかったからだ」
それはそうだ。
魔族と人間は見た目も全く違えば言語、育った環境、考え方まで何から何まで違う。
話し合いによる協力ができないのであれば、後に残る選択肢は武力による支配のみだ。
「だが私は見た。お前の記憶の中、異なる見た目、異なる考え方の者達が共存する世界を。———私はその世界を実現させたい。そしてアルト。この世界を創造したお前にも、その責任がある。だからお前は私の協力者になれ」
そこで言葉を切ると、メモリアは左手をこちらへ差し出した。その表情は真剣そのものだ。
なるほど、やっと話が見えてきた。
確かにメモリアは小説内でも積極的に戦うキャラではなかったな。実際、さっきもエルフを誰一人として殺していないし。
「あぁ、分かった。そういうことなら俺も協力しよう」
差し出されたその手を取り、メモリアに協力することを決めた。
俺も魔族と戦いたい訳ではないし、共存できるならそれに越したことはない。
「それで、具体的に何をすればいいんだ?」
「そうだな。私は魔王軍の方に人間と協定を結ぶよう働きかけてみる。アルト、お前は人間の方をどうにかしてくれ」
「どうにかって...」
一応彼女にこれからの方向性を尋ねてみたが、中々アバウトな指示が飛んできたものだ。
「あ、そうだ。協力の礼と言ってはなんだが、お前の記憶を戻してやる。ほれ」
「——あッ!?、なんだッ、これ!?」
メモリアが指を鳴らした次の瞬間、俺の脳内には知らない記憶が流れ込んできた。
なんだ、これ。アーネとイヴェルとシエル。そして黒いフードを被った2人とアインス先生とミルト先生。ここは王都の街中?なんだこの光景は。全く身に覚えが————いや、知っている。文化祭の日、その帰り道。
どうして忘れていたんだ。あんな重大な事件を。
「一応言っておくが、私はそれに関与してないぞ。どうやら魔法というよりは、魔道具的な何かで記憶を操作されたらしいな」
「そうか…思い出させてくれてありがとう。重要な記憶だった」
メモリアへ感謝を述べつつ、俺はその記憶の内容を反芻する。何度も何度も再生を繰り返し、それを脳へと強く焼き付ける。
この記憶は絶対に手放してはならない。
「なに、気にするな。私達は協力者だからな。それと、パスを繋いでおくか」
「パス?」
「なんだ、分からないのか。こっちにこい」
聞き覚えのない単語に首を傾げると、メモリアは手で近くに来るよう指示をする。
なんなんだ?パスって。
ガッッ!!
「へ?」
するとノコノコと近づいてきた俺の顔を、メモリアは両手でガッチリと掴んだ。
え?なにこれ?怖い怖い怖い!
「いいか、パスっていうのはな、」
妙に艶かしい声でメモリアがそう言ったとき、
パリィィィィィン!!
甲高い音を立て、真っ白な空間の一部が大きく欠けた。そしてそこには、
「...やっと、見つけた!」
形の良いまつ毛を吊り上げ、片手に翡翠色の剣を携えたオリアが立っていた。
「オ、オリア!?」
「おお、私の領域を見つけて、更には中にまで入ってきたか。アルトお前、中々愛されてるな」
自身の空間へ無理矢理入ってきたオリアに、メモリアも感心したように言う。
「...アルト様を、返せ!」
そのオリアはメモリアを強く睨みつけると、一直線にこちらへと飛んできた。その移動速度はメモリアのそれに匹敵する。
「おー、別にいいぜ。だが、最後に...」
メモリアはオリアとまとも戦う気がないのか、俺の顔を挟んだまま動こうとしない。
だが、
「ん!むぅ!?」
次の瞬間、言葉を失った。
口に何かが重ねられる感覚。そして、目の前にはどアップされたメモリアの顔。口元から伝わる仄かな温もりに、魔族にも体温があるのかなどと思ってみたり。
「パスだけは繋いでおかねぇとな。じゃあなアルト!また連絡する!」
すぐにその顔を離したメモリアはそう言うと、空気に溶けるように消えていった。
「...アルト様!」
メモリアから解放されてすぐにオリアが駆け寄ってくるが、俺はそれに応答することができない。
メモリアが去ったことで崩れていく空間の中、俺はただオリアに肩を揺さぶられていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「...むー」
「むー、じゃない」
メモリア襲撃事件の翌日。
帰り支度を済ませた俺は、エルフの里の門の前にいた。
ここまで早急に里を去る選択をした理由としては、
「...私もアルト様とキスしたい!」
「駄目に決まってるだろ!犯罪だ!」
例の現場を目の当たりにしたオリアが、それ以降というもの俺へ激しく迫ってきたからだ。
腕に抱いていてもよじ登ってこようとし、背中におんぶをしても風魔法を応用して口元へと迫ってくる。挙げ句の果てには一度、俺のことを本気で気絶させに来たのだ。
そのときは何とかして彼女の目論みを阻止することに成功したが、エルフである彼女がそれこそ本気で迫ってきた場合、この身がいくつあっても足りない。
そんな訳で流石に身の危険を感じた俺は、さっさと里を出ることにしたのだ。
因みに現在の彼女は母親の腕の中でしっかりホールドされているため、身動きの取れない状況にある。
「じゃあ元気でな。オリア」
「...むー」
むくれ顔のオリアにそう別れを告げ、里の出口へと足を向ける。
「あ、ちょっといいかしら?」
と、そのとき。後方からオリアの母に声をかけられた。
「えっと、なんですか?」
「一応なんだけれど里を出た後、里の場所とか、特に娘の名前については口外しないでおいてくれるかしら?」
「元々そのつもりでしたけど…どうしてオリアの名前が特に、なんですか?」
オリア母の忠告に、少し気になったことを尋ねる。
普通ならオリアの名前よりも、里の場所の方が最重要秘密だろう。なんでオリアの名前の方に、特にがついたんだ?
「えっと、貴方達人間と違って、私達エルフにとって名前はとても神聖で大切なものなの。だからエルフは自分の名前を普通、他人は明かさないわ。勿論、エルフの間でもね」
「え、」
オリアの母にそう言われてドキリとする。
確かに。言われてみれば、俺は族長の名前もオリア母の名前も知らない。それこそ、オリアの事を名前で呼んでいたのは俺だけだった。
「そ、そうなんですか...で、でも、最初に俺の名前を聞きましたよね?」
そうだ。オリア母は最初に会ったとき、俺の名前を尋ねてきたはずだ。あれはどうしてなんだ?
「ええ、そうね。私は人間に会うのか初めてだったから、人間が名前についてどういう認識なのかっていうのを確かめておきたかったのよ。貴方が娘の名前をあまりにも普通に呼んでいたものだから」
はぁ、なるほど。あの質問は色々と考えた上での質問だったのか。
「それでね、本題に戻るんだけど、私たちエルフが自分の名前を明かすのは結婚する相手に対してだけなの。その人になら、自分の大切な名前を呼ばれてもいいっていう意味を込めてね」
「へ?け、けっこ、え!?」
「だから、貴方には娘の名前を口外してほしくないなって」
オリア母はそう話を締め括った。
え、ちょっと、待って?結婚?うん?頭が追いつかない。
「...そう、私の名前を聞いた時点で、アルト様は私にプロポーズをしたようなもの。アルト様は、もう私が予約した」
「ちょ、ちょっと待って!?」
オリア母の腕の中で小さな胸を張ったオリアは、いつになく大きな声でそう宣言をした。
「...あ、あと最後に。アルト様、耳貸して」
「へ?え?」
オリアの爆弾発言を受け、未だ混乱している俺へオリアが声をかけてきた。
なんだ?ちょっと今、頭から手が離せないんだけど...
「...アルト様は知らないかもしれないけど、伝承にはまだ続きがある。私、本気だから」
「は、え?」
オリアからの唐突な宣言に、脳内ははてなマークで埋め尽くされる。
伝承?それはオリアが俺を見つける際に参考にしたというエルフの里に伝わる伝承のことか?それが今どうして、本気とは一体———
「...隙あり」
次の瞬間、右頬には何か柔らかく温かいものの当たる感触があった。
「あ、や、え。い、いま、のは...」
更に突然のことに、俺はうまく言葉を紡げない。
顔が赤くなっていることが自分でも分かる。積み重なる情報量が脳の許容量を余裕で超している、ああ。脳がオーバーヒートしそう...
盛大に混乱し続ける俺に対し、目の前のオリアは舌を舐めずって言った。
「...今はそこで我慢するけど、次会ったときは———真ん中」




