セインの長期休み1
前期の主要行事である武術祭、終了試験が終わり、学園が長期休みに入って早一か月が経過した。
数日間の帰省の後に王都へ戻った僕は、クラスメイト達との食事会や大量に出された宿題の消化に追われ、慌ただしく忙しい日々を送っていた。
宿題の消化自体はそれほど負担ではなかったが、王国貴族であるクラスメイトらとの食事会は言葉遣いやマナーなどに気を遣うことが多く、また予定をかなり詰め込んでいたため、ここ一か月間はとにかく動き続けていた。
学園の長期休みは約2か月間あるのに対し、予定をそこまで詰めて消化しなければならないのには理由がある。
それは、
「お、来ましたね。金髪の少年」
青々とした草木の生い茂る山道の中。
程よく開けた地点に到着した僕を迎えたのは、少し汚れた白衣に大きな丸眼鏡をかけた白髪の男性だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
遡ること二か月ほど前。
その日に予定されていた授業が終わり、澄み切るように青かった空も段々と赤みを帯び始めてきた頃。
「セ、セイン君…ちょっと、いい?」
「?、シャーロットさん?どうかしたの?」
数週間後に迫った終了試験に向けて図書館で勉強をしていると、背後からシャーロットさんに声をかけられた。
「あ、あの、さ……長期休みの予定って、もう決まってる…?」
シャーロットさんは自らの指を軽く交差させ、大切なことを確認するように尋ねた。
普段は活発さの目立つ彼女だが、そのときはどこか緊張しているように見えた。
「いや、まだ特に決まってないかな。最初の何日かは故郷に帰る予定だけど…」
「ほ、本当!?」
正直に予定の埋まっていない旨を伝えると、彼女の顔は少し明るくなった。
「…た、確か、セイン君って冒険者登録してあるんだよね?じ、実は、私も少し冒険者に興味があって、長期休み中にダンジョンに行ってみたいと思ってるんだけど…良かったらセイン君も一緒に行かない?」
彼女とは以前、お互いの生い立ちについて少し話したことがある。その中で、冒険者登録などについても話していた。彼女はその話を真面目に聞いてくれていたが、実際にダンジョン攻略を計画するほど興味を持っていたとは意外だ。だが、彼女は一つ大きな勘違いしていた。
「ごめん。僕、冒険者には登録してあるだけで、ダンジョンに潜ったことはないんだ。ダンジョンに慣れてるっていう意味では、アルトあたりが適任じゃないかな」
そう。彼女に伝えたように、僕は王都へ入るために身分証明の一手段として冒険者へ登録しただけで、実際にダンジョンへ挑んだことはない。そのため、僕では助けにならないだろう。
そこで、彼女の提案に最も適任であろう友人の名を出してみる。
「だ、大丈夫!行く予定のダンジョンは初心者用だし、それに経験者の人が付いてきてくれて、いろいろと教えてくれるみたいだから!今回誘ったのはセイン君に教えてほしいって訳じゃなくて、初心者が私一人だと心細いからで......それに、どれだけ適任だったとしても、あいつを誘うのだけは無理」
しかし、それに対して彼女は明確な拒絶を示した。
アルトとシャーロットさんの二人は以前までは仲が良かったのだが、やはり武術祭での出来事が未だ尾を引いているらしい。僕としては二人には仲良くして欲しいのだが…こればっかりはアルトが彼女の信頼を取り戻すのを待つしかない。
少し話が逸れたが、どうやら彼女は僕を指南役としてではなく、ダンジョン攻略の仲間として誘ってくれたようだ。
特に予定が詰まっているわけではないし、彼女がそれで良いのなら僕が拒否する理由もないだろう。
「それなら、お言葉に甘えて同行させてもらおうかな。僕もダンジョンには興味があったんだ」
「ほ、本当!?」
彼女の提案を了承すると、興奮気味なシャーロットさんの声が図書館の内に大きく響いた。
「…ご、ごめんね」
本人としても予想以上に大きな声が出てしまったのか、彼女は少し焦ったように自らの口に手を当てた。
「…それで、さっきも少し言ったんだけど、行くダンジョンは決まってて、セイン君には公国まで来てもらうことになっちゃうんだけど……大丈夫、かな?」
「うん、大丈夫だよ。予定はどれくらい開けておけばいいかな?ダンジョン攻略ってことはある程度の期間は必要だよね?」
確かアルトは2年以上の期間をかけ、1つのダンジョンを攻略していたはずだ。初心者用のダンジョンでそこまでの期間が必要かは分からないが、少なくとも数日で攻略できるようなものでもないだろう。
「一応、聞いた感じだと、少し長めに1か月くらいを想定した方が良いらしくて…長期休みの後半とかで大丈夫?」
「大丈夫だよ。じゃあ、当日はよろしくね。楽しみにしてるよ」
「うん!私も楽しみにしてる!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなやり取りの後、ダンジョン攻略の当日となり。
「こんにちは。オレはトウラと申します。シャーロット君、そしてセイン君。君らの話は聞いています。これから1か月間、よろしくお願いしますね」
予めシャーロットさんと学園で待ち合わせをしていた僕は彼女に案内され、エルト公国内のダンジョン前へと辿り着いた。
そして視界に映ったダンジョンの正面には、前述した白髪の男性と一人の少女が立っている。
「あれ、姉様も来ているの?」
その二人を視認すると、隣に立っていたシャーロットさんがそう声を発した。
「お久しぶりです、シャーロット。貴方がダンジョンに挑戦したいっていうのを聞いて、同行者としてトウラ様を推薦したのは私なんですよ。そこでせっかくなので、私も参加させてもらおうと思いまして」
シャーロットさんの質問に答えたのはトウラと名乗った男性の傍らにいた女の子で、彼女はシャーロットさんの実の姉らしい。その身長はシャーロットさんよりも低いため、てっきり年下かと思っていた。
長い髪の間から除く少女の顔は、意識して見てみればシャーロットさんに似ている気はする。だが、その髪と肌はまるで色が抜けてしまったかのように真っ白で、瞳は鮮血のように紅い。これらの特徴はシャーロットさんには見られないものだ。
「セイン君、でしたっけ。私はティターニア=ナイラ、シャーロットの姉で、ナイラ家の長女です。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします」
ティターニアさんに下から見つめられ、つい体に緊張が走る。丁寧な口調とは裏腹に、僕を射貫く紅い視線にはどこかこちらを観察するような素振りがあった。
「さて、こちらの自己紹介も済んだところで、ダンジョン攻略の説明です。ティターニアは別ですが、オレはあくまでも君らの保護者です。ダンジョンの攻略に極力手を出すつもりはありません。しかし攻略中でも、危険だと判断した場合にはオレの独断で撤退する可能性もあります。そこは承知しておいてください。そして、今回挑むダンジョンですが------」
軽い自己紹介が終わったところで、トウラさんがダンジョンについての説明を始める。
挑むダンジョン----名をフィールドダンジョンという----は全部で10の階層から構成されるダンジョンで、最終層にはボスモンスターが出現するらしい。
冒険者たちの登竜門的な立ち位置にあり、早ければ10代前半の冒険者のみのパーティでも攻略することが可能なんだとか。
「とはいえ、これはダンジョンです。当たり前ですが、このダンジョン内で大怪我を負った者もいます。油断は禁物ですよ」
トウラさんはそう説明を締めくくり、僕たち4人はダンジョン内へと足を踏みいれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィールドダンジョンへ足を踏み入れてから、約2時間ほどが経過しただろうか。
「シャーロットさん!大丈夫!?」
「う、うん…なんとか…だけどセイン君、これ、キリがない!!」
その初心者向けと言われるダンジョンで、僕たちは苦戦を強いられていた。
少し遠くに立つシャーロットさんの無事を確認した後、乱れる息を整えつつ辺りを見渡す。
ここ----フィールドダンジョンの第1層では、僕とシャーロットさんを中心とし、数十体のモンスターが密集している。倒しても倒しても湧いてくるモンスター達と終わりの見えない戦いに、僕たちは体力と精神力を大きく削られていた。
「…そろそろ、ですか。ティターニア、お願いします」
「はい。――ウィンドブラスト」
いつまで戦い続けなければならないのだろうか。
そんな思考が脳裏をよぎった、次の瞬間。眼前を囲っていたモンスター達が宙を舞った。
それに続くように、横や背後にいた大量のモンスター達が血を噴いて地面に伏せていく。
その発生源を目で追うと、そこには真っ白な髪の毛を靡かせ大きく剣を振るうティターニアさんの姿があった。その病弱そうな見た目とは裏腹に、ひしめくモンスター達を一方的に蹂躙していた。
「セイン君、そしてシャーロット君。ハッキリ言いますが、君たちの戦い方はダンジョン向きではありません。学園では目の前の相手一人に集中すれば良かったかもしれませんが、ここでは数十匹の敵が360°どこからでも襲ってきます。柔軟な戦い方を身につけないと、ここではやっていけませんよ」
ティターニアさんがモンスター達の相手をしている間に救出された僕たちは、その後トウラさんから軽く注意を受ける。
……彼の言う通りだ。
ここは四六時中、様々な場所からモンスターが発生するダンジョン内。
ここではモンスターに囲まれないように、少ない体力で多くのモンスターを倒せるように、もっと考えて立ち回らなければならない。アルトは数年も前に、この環境での戦闘を経験していたのか。
初めてのダンジョン攻略だったし、油断をしたつもりはない。だか、心のどこかで驕りがあったのかもしれない。少なくとも、経験の浅さで解決して良い問題ではないだろう。
「まあ、誰もが一度は通る道です。今のうちに、大多数に対する戦い方を身につけておいた方がいいでしょう。それと、ティターニア」
「はい、なんでしょうか」
トウラさんがそう呼ぶと、その隣にティターニアさんがその横に即座に現れる。
その手に持つ剣は赤黒く染まっており、多くのモンスターを討伐したことが窺える。
「彼らのフォローをお願いします。一応言って起きますが、これは貴方の訓練でもあります。自分が弱者であることを努々忘れぬように」
「はい、承知しました。シャーロットとセイン君。よろしくお願いしますね」
そうして僕たちは再度、フィールドダンジョンの攻略を始めた。
攻略を再開してから更に5時間ほどが経過しただろうか。
「申し訳ありませんが、今日はここまでです」
幾度となくモンスター達との戦闘を繰り返した後に、第1層の最も奥の壁、第2層へと続くであろう階段を発見したとき、トウラさんは僕らに撤退を指示した。
「…」
それに反論こそしなかったものの、正直、僕はまだ体力に余裕があった。
攻略再開後は何度か危ない場面があったものの、ティターニアさんのフォローもあったことでダンジョンの攻略自体は至って順調に進んでおり、むしろダンジョン内で戦う感覚を掴み始めていたタイミングだった。
シャーロットさんの方を見ても、彼女も少々物足りないといった様子だ。
それに続いて、ティターニアさんの方へ目を向けて見ると———その時初めて、彼女の異変に気が付いた。
「ティターニア。貴方、熱がありますね」
「えへへ、バレてましたか…」
トウラさんの指摘に、彼女はそれ誤魔化すように頬を掻く。
その顔は元々の白さからは考えられないほどに赤く火照っており、彼女が無理をしていることは一目瞭然だった。
ここまで分かりやすく示されているというのに、僕は彼女の不調に気が付くことが出来なかったのか。
自分のことに精一杯だったとはいえ、自らの思慮の浅さが恥ずかしい。
「分かるに決まっています。過度な運動、それに魔力の使い過ぎが原因でしょう。一晩あれば回復するでしょうが、今日はこれ以上動かすことは出来ません。それに、自身の体調を管理できない人間にダンジョンへ入る資格はありません」
それに続いた、ティターニアさんを責める厳しい言葉。
「ッ!!、な、なんなのよ!それ!―――姉さんは何度もピンチの私たちを救ってくれた!!そして、あんたは一度だって戦おうとしなかった!!それなのに、あんたが姉さんを侮辱しないでよ!!」
その言葉に、我慢ならないといった様子でシャーロットさんが声を上げた。
それには姉の異変に気が付くことのできなかった、彼女自身への怒りも含まれているのかもしれない。
「落ち着いてください、シャーロット」
しかし、それに反論したのは、他でもないティターニアさんだった。
「トウラ様は決して、何もしていなかった訳ではありません。むしろ、私たちが無理のない環境で戦うことが出来たのは彼のおかげなのです。…こんな姿の私が言っても説得力がありませんけど」
トウラさんの腕に抱えられた彼女は、自虐するように笑う。
トウラさんがダンジョン内で何をしていたのか。それに対する答えを今の僕は持っていない。やはり周りが全く見えていなかったのだと、自身の視野の狭さを痛感する。
「…そういう訳です。オレ達凡人は、君達天才と同じように動くことはできません。こちらに合わせろとは言いません。ですが、こちらの努力に文句を言うのはお辞めください。…最後に、仲間の異変にいち早く気が付くこと、これもダンジョン攻略において重要な要素の一つであることを伝えておきます」
最後にそう言い残し、トウラさんはティターニアさんを抱えて進んだ道を戻っていく。僕たちはその後ろを無言でついて歩く。
初めてのダンジョン攻略、1日目。
それは大きな反省の残る、苦い1日となった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
初めてダンジョンへ足を踏み入れてから、3週間ほどが経過した。
「セイン君!後ろから3匹来る!気を付けて!」
「うん、分かった!ありがとう、シャーロットさん!」
シャーロットさんの注意を受け、背後から飛びかかってきたモンスター達を一気に倒す。
僕とシャーロットさんは現在、フィールドダンジョンの9層で戦闘を行っている。
当初はモンスターに囲まれて成す術もなかった僕たちだったが、1週間ほど前からはティターニアさんのフォローなしでも十分に対応できるようになった。
周囲の敵、仲間の動き。そしてそれらから推測される数秒先の未来の動き。
この数週間で培った今までとは全く違う、新しい視点。アルトは普段からこんな世界を見ていたのか。彼の強さの理由、その一端に触れた気がする。
「おつかれさま、セイン君」
「あ、うん。お疲れ様、シャーロットさん」
そんなことを思いながら戦っていると、後方からシャーロットさんに声をかけられた。
気が付けば、周りにいたモンスター達は全ていなくなっていた。どうやら、モンスターは全て倒してしまったようだ。
「二人ともお疲れ様です。ここで少し休みましょう」
それから数秒後、少し遠くで僕たちを見守っていたとティターニアさんとトウラさんが合流した。
ティターニアさんは小さな水筒を手渡してくれた一方、トウラさんは僕らの横を素通りし少し奥の方まで歩を進めた。
不思議に思い彼の方へ視線を飛ばすと、その正面には一本の階段があった。ここはダンジョンの9層、そしてこのダンジョンは全10階層。つまりその階段の先は———
「休憩が終わり次第、すぐに出発しますよ。完全攻略はすぐそこです」




