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もう1つの約束

日が明け、王都へと向かう当日。


俺とセインは王都への旅支度を整え、カイルさんの店へと向かった。

店についたのは出発時間の30分前で、少し早すぎたかとも思ったが、その中には既にカイルさんとアーネが待機していた。


「「おはようございます」」


俺たちは同時に挨拶をする。


「おはようございます。アルトさん、セインさん」


それに対して挨拶を返したのはカイルさんで、アーネはカイルさんの服の袖を掴みながら俯いたままだった。


「ほら、アーネ?アルトさんとセインさんに挨拶しなさい?」


「...」


カイルさんの言葉にもアーネは反応を示さず、何も言わない。




やれやれ。


「カイルさん、セイン。少しだけ、アーネと2人で話をさせてもらえませんか?」


「は、はい。私は構いませんが...」


「分かった、僕も外に出てるね」


その言葉を聞いたアーネはカイルさんの裾から手を離す。そして事務所の中には、俺とアーネの2人だけとなった。


俺は彼女の目の前まで移動し、少ししゃがんでその顔を下から見上げる。


彼女は泣いてはいなかった。

しかし、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。


俺たちと喋ってしまうと別れが悲しくて泣いてしまう。それが分かっているから、話そうとしなかったのだ。


俺はアーネの手をとり、両手で包み込んで話しかける。


「アーネ」


その名前を呼ぶと、アーネの肩が小さく震えた。


「ア、アルトさん。わ、わたし...」


彼女は何か言葉を紡ごうと口を動かすが、上手く喋ることができない。その顔はずっと泣きそうなままで、声も涙声だ。


「無理して喋らなくていい。ただ、俺の話を聞いてくれ」


できるだけ優しく言うと、それを聞いたアーネは口を閉じた。泣かないように我慢しながら、俺の話を聞こうとする。


「アーネ。2年ぶりに君と会って、俺は成長した君に感動した。数年前まで幼気な少女だった君が見違えるほど逞しくなった。アーネがこの2年間どれだけ頑張ったのか、俺には想像もつかない。そして俺は嬉しかった。約束を守るために、君がそこまで一生懸命に努力をしてくれたことが。ありがとうアーネ。君は俺の誇りだ」


「ア、アルトさん...」


「そして、俺は確信している。アーネは来年、確実に学園へ入学することができると。だからあと1年間の辛抱だ。…って言いたいところなんだけど、アーネはここまでたくさんの我慢と努力をしてここまで成長したんだよな。だから今は我が儘になっていい。アーネの思っていることを全部吐き出してくれ。どうせここには俺しかいない」


今述べたことは、間違いなく俺の本心だ。

それを真剣な面持ちで聞いていたアーネは、その口をゆっくりと開き始める。


「ア、アルトさん...」


「なんだ?」


「わ、私、アルトさんとお別れしたくないです。で、でも、しなきゃいけないことだって分かってます」


「そうか」


「分かってるんですけど、2年ぶりに会ったのにすぐに行っちゃうなんて、酷いと思います」


「そうだな。すまない」


「あと、アルトさんはギルドの受付嬢の人にデレデレするし、私のことを子供扱いするし、家に泊まってくれないし、折角おめかししたのに気の利いたこと一つも言ってくれないし、私のこと興味ないのかなって思っちゃうし、詠唱魔法の練習に付き合ってくれないし、嫌われてるんじゃないかと思っちゃうし、」


「アーネ」


決壊したダムのように自身の気持ち————主に俺への文句————を吐き出し、暴走し出したアーネを止める。


「アーネ。色々と弁解したいこともあるが、とりあえず1番大切なことだけ伝える。俺はアーネのことを嫌っていない。そしてこれ以降、嫌うこともない。さっきも言ったが、アーネは俺の誇りだ。嫌いになんてなるはずがない。来年、君が学園に入学して、また会えることを楽しみにしている。それ現実にするため、あと1年だけ頑張ってくれないか?これは俺からのお願いだ」


アーネの肩を両手で掴み、その目を真正面から見つめて彼女へ語りかける。すると彼女はゆっくりと瞳を閉じ、その顔を俯かせた。


「........アルトさん。最後に1つ、我が儘言ってもいいですか?」


彼女は顔を俯かせたまま、小さな声でそう尋ねる。


「ああ、ドンとこい」


「...私の顔を見ないで、抱きしめてくれませんか?」


「……分かった」


屈んでいた姿勢から立ち上がり、そのままアーネのことを抱きしめる。すると、俺の胸のあたりから鼻を啜るような音が漏れ始めた。


「わ、私、アルトさんと離れるのが寂しいです」


「ああ」


「でも、アルトさんに嫌われるのはもっと嫌です」


「俺はアーネを嫌っていない」


「私、アルトさんに嫌われているのかと思って...」


「俺がアーネを嫌うことなど金輪際ない。だから、安心しろ」


「わ、わたし.......うわぁぁぁぁ!」


今まで堰き止めていた感情の波が一気に溢れてしまったのか、アーネは大きな声で泣き出した。そんな彼女を、俺はただ無言で抱きしめ続けた。





それから5分後、落ち着きを取り戻したアーネは腕の中から離れた。彼女の目元は赤く染まっており、誰が見ても泣いた後であるとわかるだろう。


「ぐすっ...アルトさん」


その目元を服の裾で拭きながら、アーネが口を開く。


「どうした?」


「私、入試までのあと一年半は我慢して頑張ることにします」


「そうか、ありがとう」


「でも来年、私が学園に入学して、再開できたそのときは、それまで我慢した私を思いっきり甘やかしてください」


先程まで泣いていたとは思えないくらい、彼女ははっきりとそう主張する。

まあ、何か褒美があった方がモチベーションの維持には繋がるか。


「ああ、分かった。学園で再開したら、そのときは散々甘やかしてやる。約束だ」


「約束ですからね!忘れてたら許しませんよ!」


俺とアーネは最後にそんな約束を1つして、セインとカイルさんを呼んだ。


「アーネさん。大丈夫?」


「はい。アルトさんのお陰で、問題なくなりました」


「そっか。なら良かったよ」


セインはアーネの様子に心から良かったと思っているようで、カイルさんはホッとしたような顔をしていた。それから適当に雑談をしているとあっという間に時間は過ぎ去り、事務所の前には王都行きの馬車が到着した。


「じゃあ行ってくるね。アーネもカイルさんもお元気で。また会いましょう」


「色々とありがとうございました。また、機会があればよろしくお願いします」


「アルトさん!入学試験頑張ってください!落ちたら、私の2年間の責任をとってもらいますからね!」


「アルトさん。セインさん。行ってらっしゃいませ。どうかお元気で」


俺とセインはアーネたちに別れを告げ、馬車へと乗り込む。乗り込んでから間もなく、馬車はゆっくりと発進した。


窓の外を見れば、アーネがこちらへ向けて大きく手を振っている。その表情は明るく、元気潑剌と言った様子だ。


俺はそのアーネに手を振りかえす。


「本当にアーネさんは、アルト君のことが好きなんだね」


ふと、セインがそんなことを言う。


「...そうだな」


その言葉に一応の返事をしつつ、俺は少しアーネについて考える。


セインは鈍感系主人公だから、今の好きはlikeの意味で用いたのだろう。


しかし恋愛観に少し疎いものの、俺はセインのように超絶鈍感ではない。本人からは何も言われていないので確定はできないがほぼ確実に、アーネは俺のことをloveの意味で好いてくれているのだろう。勿論、俺は彼女のことを嫌いではない。むしろ好意的に思っている。

しかし少し大人びてはいるが、彼女はまだ13歳の少女だ。恋愛をするにはまだ若すぎる。


それにアーネの好意は、俺が2年前に彼女を助けたことに起因するものだ。彼女の体験から俺を美化したり、幻想を抱いている可能性もある。そんな子供ながらの安直な判断をしている少女に、何か手出しをすることなんて俺にはできない。


俺たちの目指すグレース剣魔学園には、才能のある優秀な生徒が集まる。セインを始めとしたそんな生徒達と共に過ごしていくに連れ、その想いが幻想であったと自覚する可能性は十分にあるのだ。だから俺は学園でアーネと再開をしても、特に男女として何かをする予定はない。


ただ、彼女が学園での生活を通して心身ともに成長した後。それでも尚、俺のことを好いていてくれるのなら。俺はそれ相応の判断を下さなければならないだろう。


まあ結局のところ、そんな起こるのか分からない未来のことを今ここで考えたところで何の意味にもならないのだが。


「やっぱり、乙女心って難しいな」


そう小さく呟かれた言葉は、地面と擦れる車輪の音に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。

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