イベント始動
月日が経つのは早いもので、セインとの再会を果たしてからあっという間に3ヶ月が経過し、遂に借金返済期日当日になった。
俺はその間、練習の合間を縫って孤児院の様子を観察していたが、あれ以来例の男達は孤児院へ来ていない。
そして今、俺はいつものように猫の姿で孤児院の屋根裏にいる。
いつ男たちが来るか分からないので、今日は丸一日孤児院の様子を見ておくつもりだ。セイン達が1000万Gもの大金を用意できたはずはないし、かといって子供達を匿うための場所も時間もない。
そのため孤児院側は警備隊の人間を数人だけ見張りに置いているものの、それ以外は特に何の対策も取れないまま当日を迎えている。
警備隊の人間も雇うこと自体は悪い判断ではないと思うが、今回ばかりは相手が悪いだろう。
警備隊の下っ端が借金を取り立てに来ていたあのスキンヘッドの男とまともに戦えるとは思えないし、そもそも戦うとも思えない。
借金を取り立てに来ていたスキンヘッドの男は中々に強そうだった。あの男に勝てるのはこの村では、俺とセインくらいではないだろうか。父さんでも上手くやれば勝てるかもしれないが。
そんなことを考えていると、
バンッッ!!
3ヶ月前と同じように、孤児院の扉が勢いよく開かれた。
「はいはい、約束の3ヶ月が経ちました。さあさあ、お金は用意できましたか〜?」
3ヶ月前にも来たスキンヘッドの男がそんなことを言いながら孤児院へ入ってくる。
「む、無理です!違法な方法で借金を吊り上げるのはもう辞めてください!」
その男に対し、院長の女性は3ヶ月前と同じように抗議をする。
「おいおい。結構な言いがかりだな。金を返してないのはそっちだぜ?まあ、そんなことは関係ねぇか。約束は約束だ。おい、お前らガキどもを連れてけ」
男は警備隊の人間が孤児院内にいるのにも関わらず、躊躇なく子供達を誘拐する指示を出した。
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、孤児院には10人以上の男達が入ってくる。
「け、警備員さん!子供達が攫われてしまいます!子供達を守ってください!」
院長の女性は警備員に向かって呼びかける。
が、警備員達は動かない。
別に彼らは院長の声が聞こえていないわけではないし、恐怖で動けないなどでもない。彼らは自らの意思を持って、子供達が誘拐されていく様を傍観してようとしている。
「え?ど、どうして動いてくれないんですか?子供達が、攫われようとしているんですよ...?」
「アハハハハハハハ!おいおい、俺が警備員の存在に気がつかないとでも思ってたのか!?そいつらはもう俺に買収されてんだよ!俺らのすることはすべて見逃せってなぁ!」
「そ、そんな...」
動揺する院長はスキンヘッドの男からのネタバラシに膝から崩れ落ちる。
この世界の警備隊に大きな力はない。その上、警備隊の内部は腐っているのだ。この世界はそんなに甘くない。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
「おっ!来たな!来ると思ってたよ天才!」
今の状況を理解したセインが、スキンヘッドの男へ護身用の剣を持って突撃する。
しかしその攻撃は、彼のことを十分に警戒していた男には当たらない。
「僕が!皆を守る!」
鬼気迫る表情のセインは連続して剣を振るい、スキンヘッドの男を追い詰めていく。
「おお、怖い。俺も弱いつもりはないんだけど、やっぱ天才は違うか。このままじゃ俺、負けちゃうかもな。このまま……だったら、な!————ザルス!」
スキンヘッドの男がその名を呼ぶと、孤児院内へは2mを越す巨漢がゆっくりと入ってくる。その大きな体には筋肉が所狭しと並んでいる。
「あー、やっぱり出てくるか。実際に見てみると化け物だな」
ザルス、と呼ばれた巨漢から魔力は全く感じない。
しかしその歩き方や風貌から、身体的にはとても強いことが見て取れる。魔法なしでこいつと戦えと言われたら、今の俺やセインは余裕で負けるだろう。
それくらいに強い男をスキンヘッドの男は従えているのだ。まあ、小説で書いたから知ってたけど。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
セインは自らを鼓舞するように、雄叫びを上げながらザルスに向かっていく。
彼が相手の力量を測れないわけがない。確実に負けると分かっているはずだが、引くわけにはいかないのだろう。
「ムンッ!」
そんなセインの一撃もあっけなく、ザルスに正面から受け止められる。
「ぐぅッ、がァ、」
「...」
更にセインはザルスに顔を掴まれ、殴られ蹴られ、されるがままになってしまう。
「ぐぅぅぅぅぅ...!!!」
「ヌンッ!!」
ドンッッッ
最後には、ボロボロになったセインは孤児院の壁へ投げつけられた。赤い血と紫色の痣で染まったセインはピクリとも動かなくなる。
「あ〜、やりすぎたな。あいつには才能があるから、奴隷にすればいい値段で売れそうだったんだが...まあ仕方ないか。あいつはもう死ぬだろうし、さっさとずらがるぞ」
スキンヘッドの男はそう言うと、仲間達を引き連れて孤児院を出て行こうとする。
どうやら、孤児院の子供達はすべて男達によって捕らえられたらしい。
「待ちなさい!子供達を離しなさい!」
そのとき、孤児院を出て行こうとする男達の前に、院長の女性が立ち塞がった。
「あ?邪魔なんだよババア!黙ってろ!殺ろされてぇのか!」
スキンヘッドの男は躊躇なく院長の腹を蹴り、床に倒れた院長へ更に蹴りを入れていく。
「自分の立場すら、わからねぇのか!お前如きが、俺に指図すんじゃねぇよ!」
更に十数回の蹴りを加えることで気が済んだのか、男は動かなくなった院長に興味を無くしたように孤児院を出て行った。他の男達もそれに続く。また、警備員すらもセインや院長を放置して孤児院を出て行った。
そして、孤児院内にはボロボロのセインと院長、怯えて何もできなかったその他のスタッフだけが残った。
「おいおいおい、誰も動かないとかマジか。このままだと、セインも院長も死ぬぞ」
スキンヘッドの男達や警備員達が孤児院を出て行ってから数十秒経過しても、スタッフ達は誰1人として動き出そうとしなかった。全員がただ茫然と突っ立ている。
勿論、小説内ではセインは死んでいない。
しかし今の彼状態は、本当にすぐに助けなければ死んでしまいそうなくらいのものだ。万が一でも彼に死んでもらっては困る。
彼らの命が危険だと判断した俺は、屋根裏から急いで外へ飛び出し変身を解く。
誰にも見られていませんように!!
人間の姿に戻った俺は、何も知らないかのように孤児院へと入る。
「怪しげな男達がここから出て行くのが見えたんですけど、大丈夫ですか?...って、院長さんとセイン!?大丈夫か!?……これ、どちらとも危険な状態です!誰か、運ぶのを手伝ってください!」
「あ......は、はい!お、おい、院長達を救護室へ運ぶぞ!」
何も知らない一般人を装いそう叫ぶと、茫然としていたスタッフ達は正気を取り戻したように動き出し、院長とセインを救護室へ運んで行った。
救護室にて、改めてセインの容態を確認する。うわ、かなりひどい状態だ。
痣は身体中に見られ、肋骨は何本折れているかわからない。確か小説では、目覚めるのに2日ほどかかったはずだ。焼石に水程度かもしれないが、俺は周りにバレないように少しずつ回復魔法をかける。
それから数分後、いつの間に呼んだのか村で唯一の医者が到着し、セインと院長の治療を始めることになった。小説通りならセインが目覚めるのは明後日になるが、一応明日も見舞いに来よう。
そう決めた俺は、一度家へ帰ることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日の午前中、俺が孤児院を訪ねた時にはセインはすでに目覚めていて、ベットの上でその体を起こしていた。
想定よりも大分早いな。俺の回復魔法の影響で早く目覚めたのだろうか。
しかしこちらの存在に気がついていないのか、セインはこちらへ目も向けず、何もない真正面の空間を見つめ続けている。因みに院長はまだ目が覚めておらず、昨日来た医者はもう帰ったようだ。
「おーい、セイン。お見舞いにきたぞ」
そう声をかけると、セインはゆっくりとこちらへ顔を向けた。しかし、こちらへ向けられた彼の目はどこか焦点があっていない。
「あ....アルト君............」
「大丈夫か?昨日はひどい状態だったぞ。ちゃんと寝てるか?飯食ってるか?」
「ぼ、僕のせいで、みんなが...みんなが...」
「あー、うん。そうだな。みんなの事も大事だが、今は自分の心配を——」
「そうだ、僕のせいで。みんなが、みんなが…」
うーん、駄目だ。会話にならん。
セインはよほど昨日のことを気に病んでいるようで、壊れたロボットのように同じことを繰り返している。ふむ......仕方ない。
パンッ!!
救護室内に乾いた音が響いた。
俺がセインの頬を叩いた音だ。
「...あ、アルト君?」
あまりに突然のことに、セインは驚いたように俺の顔を見る。正気に戻ったか。
「おい、セイン。お前が子供達のことを気に病むのは分かる。だが、お前がそれを後悔するのは今じゃないだろ。現時点で子供達を助けることが出来るのはセイン、お前だけだ。そのお前がそんな状態でどうするんだ」
「あ...」
「子供達を助けたいんだろう?孤児院を元通りにしたいんだろう?だったら、お前は何をするべきなんだ?ここでグズグズと過去の失敗について嘆いていることが、子供達を助けるための最善か?」
「……そうだね。ごめん、僕が間違ってた」
パァン!!!!
先程のときよりも、遥かに大きな音が救護室に響く。セインが自らの頬を叩いた音だ。
「僕は、皆を助ける」
「そうか」
うん、いつものセインに戻ったようだ。
「なら今はしっかり飯を食って、体力を回復させろ。昨日から何も食べてないんだろ」
彼のベッドの横にある机の上には朝食だろうか、一切れのパンと冷めてしまったスープが置いてある。
「いや、僕のせいで皆が苦しんでいるのに、僕がご飯を食べるわけには...」
「はい、アホー!」
「いた!?」
アホなことを言い出したセインに、すかさずチョップを繰り出す。頭を押さえて痛がるセインに俺は続ける。
「なあ、セイン。お前は今から子供達を助けるんだろ?そのことについて俺は何も言わない。そのボロボロの状態でここを抜け出したと言っても見逃してやる。だけど、相手は強い。昨日勝てなかったんだろ?そんな相手にそんなボロボロの状態で、更に飯も食わずに勝てると思うのか?子供達を助ける可能性を少しでも上げたいなら、今は全力で体を休めろ。飯を食うのは当たり前、できることならもう一回寝て安静にしてろ」
俺は机の上に鞄を置く。
中には母さんが持たせてくれたお弁当が入っている。俺が昨日の昼に家へ帰らなかったため、今日は弁当を持たせてくれたのだ。
「母さんのお手製だ。全部やる。美味いから、ありがたく頂戴しろ」
そう言って差し出すと、セインはその中のおにぎりをゆっくりと取り出し、一口食べる。そして更に一口、もう一口と食べ進める。
「......美味しい」
「そうだろう。母さんの料理は王国一だからな」
セインはおにぎり以外の食材にも手をつけ、どんどん食べ進めていく。10分後には、朝ごはんだったと思われるパンとスープも含め、すべて完食した。
「...ご馳走でした。アルト君、ありがとう」
「おう。お前は一旦寝ておけ。あの人数の子供をそれほど早く運べるわけがない。一度寝たとしても、彼らはまだそこまで遠くに行っていないはずだ」
「............わかった。そうするよ」
拒否しても論破されることが分かったのか、セインは大人しく指示に従った。
セインがちゃんと寝ていることを確認した後、俺は救護室を後にする。
小説において彼は目を覚ますのに2日かかり、子供達を助けに救護室を抜け出すのは更に3日が経った後のはずだ。しかしこの感じだと、今日の夜にも様子を見に来た方がいいかもしれない。
孤児院を出た後、俺は変身の練習をしてから一度家へと戻った。
家族と夕食を取った後、部屋からこっそりと抜け出した俺は猫の姿に変身し、孤児院の屋根裏へ忍び込んで救護室を覗く。
そこには未だ目を覚ましていない院長と、その側でうたた寝をしている救護スタッフが1人。
そして、もぬけの殻となったセインのベットだけがあった。
「もうセインは行ったか。でも、時間はまだあまり経っていないはずだ」
現時刻は21時。
電気の通っていないヌレタ村では、殆どの人が眠っている時間帯だ。ここでは19時くらいに就寝する人が多く、遅い人でも20時くらいには眠る準備をする。
きっとセインは誰にもバレないよう、救護スタッフの寝落ちするタイミングで孤児院を出て行ったはずだ。
「セインがここを出てから、1,2時間程度といったところか」
そう結論付け、俺は孤児院の外へ出る。
改めて事態を整理すると、小説の内容に比べてセインの行動がだいぶ早い。これは少し困ったことになるかもしれない。
このイベントはセインが学園に入学するきっかけとなるイベントなのだが、彼の行動が早くなりすぎたせいでそれが正しく進行しなくなる可能性がある。まあ、俺が原因のような気もするが。
その場合、最悪セインが学園へ入学すること自体がなくなるかもしれない。それは非常に困る。
俺はこのイベントの結末を見届けるため、セインの場所を探す。魔力に目に集めてあたりを見渡すと、すっかり暗くなった村の遠くの方に光り輝く巨大なオーラが見えた。
「絶対あれだ」
セインは今、間違いなく攫われた子供達が捕らわれている施設へ向かっているはずだ。
何故セインはその施設の場所を知っているのかって?そんなことを俺に聞かれても困る。主人公補正というやつだ。なんとなく分かるのだろう。
結論から言うと、セインは誰の助けがなくともあのザルスという男を倒すことができる。そしてイベントが順調に進行すれば、セインは無事に子供達を救出に成功し、更にはグレース剣魔学園への入学を目指すことになる。
しかし、セインの行動が早くなったことでイベントに変化が起きていると、セインが子供達を救出したとしても彼が学園への入学を目指さない可能性がある。
まあ、その場合は俺が強引に勧誘すればいいか。セインの入学費くらいなら負担できる。自慢じゃないが金はある程度持っているからな。
そんな事を考えながら、俺はイベントの結末を見届けるため光輝くオーラの方へと駆け出した。




