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セインの事情

「んぅ...もう朝か...」


翌日、目を覚ますと時刻は午前10時過ぎ。


重い体を引きずって部屋を出ると、じゃぶじゃぶと水の流れる音が聞こえた。母さんが洗い物をしているようだ。父さんの姿は見当たらない。既に仕事へ出かけたのか。


「おはよう、アルト。よく眠れた?」


洗い物をしながら母さんが話しかけてくる。俺のことを気遣って起こさないでいてくれたようだ。


「おはよう、母さん。お陰でよく眠れたよ」


母さんは一度洗い物をやめ、机の上に朝ご飯を用意してくれた。自分で何をせずともご飯が出てくる。こんな当たり前のようなことにも感謝しなきゃな。


「ありがとう、母さん。いただきます」


俺は母さんに礼を言って朝ごはんを食べる。

うまい。昨日の夕食もそうだったが、昔からずっと変わらない味だ。


「アルトは学園の入学試験まではここにいるの?」


再度洗い物を始めた母さんが尋ねる。


「うん。入学試験まではここにいる予定だよ。あと2年くらいかな?」


「そっか。その間に何かする事はあるの?」


「う〜ん、特にないかな。強いて言えば、剣術と魔法の練習くらい」


本当のことを言えば威圧や変身などのスキルから空中歩行の練習、セインに起こるであろうイベントの観察など色々とやりたい事はあるのだが、言えるわけがない。


「そう。無理はしないで頑張ってね」


「うん」


そんな会話をして、数分後には朝ごはんを食べ終える。


「ご馳走様。美味しかったよ」


「お粗末様。ありがとう」


母さんに食器を預けてから部屋に戻り、俺は家を出る準備をする。これからセインに会いに孤児院へ行くのだ。


「じゃあ、行ってきます」


「いってらっしゃい。気をつけてね」


心配からか玄関までついて来た母さんに見送られ、俺は孤児院へ向かう。この調子だと、正午前には孤児院へ着くだろう。


セインは昼食の準備などで忙しくしているかもしれないが、忙しそうなら久しぶりに手伝いをするとしようか。

そんなことを考えながら歩いていくと、遠くの方に見覚えのある孤児院が見えてきた。


「なんか少しボロくなったか...?」


孤児院を最後に見てから2年ほど経つので経年劣化もあるだろうが、それにしても少し汚れすぎな気がする。明らかに掃除が行き届いていない。そんな印象を抱いた。


「こんにちは〜」


とりあえず孤児院へ入ってみる。

そこでは丁度お昼の時間だったらしく、玄関近くのホールで子供達がご飯を食べていた。


「…まさか、ここまでとは」


その様子を見て、俺は一瞬言葉を失う。


孤児院の内側の状態は外側のそれよりも酷く、壁や床には無数のヒビが入っていた。


子供達が使っている机や椅子は一度壊れたものを無理矢理修理して使っているようだ。そして子供達の服だが、洗濯をまともに行えていないのだろう。元々真っ白であったであろうその洋服は全体が茶色く汚れていて、中には穴が空いた状態で使っている者までいた。


また、子供に用意されている昼食も酷い。色の薄いスープのようなものが一皿とパン一欠片のみ。育ち盛りの子供達にはそんな量では到底足りないだろう。それを裏付けるように孤児院の子供はみな痩せ細っており、太っているものどころか標準体型の子供すら見られない。


そして何よりも酷いのは、その子供達の雰囲気だ。全員が昼食を黙々と自身の口へと運んでいる。誰も喋ろうとせず、ただただ食べ物を口へと運ぶ動作を繰り返している。

俺が孤児院へ入って来たことに気がついた子供も数人いたが、彼らはこちらへ一度視線を向けただけですぐに昼食を口へ運ぶ作業へと戻った。これは無駄な体力を使いたくないという心理状態の現れだろう。そこまで孤児院の子供達は追い込まれているのだ。


「ひとまず、セインを探すか」


このまま突っ立っているだけでは意味がないことを悟り、セインを探すことにした。

部外者である俺が孤児院内を歩き回っても、子供達は目では追うものの、静止しようとする者は誰もいなかった。


暗いホールを横切り、俺は厨房へ向かう。

すると予想通り、そこには金髪の少年、セインが忙しなく動いていた。その姿は2年前と比べるとかなり痩せ細っている。


「セイン...」


「あ、アルト君...」


彼の名前を呟くと、彼はやっと俺の存在に気がついた。


こちらを見たセインは俺の無事を確認できて嬉しい反面、こんなところを見られたくなかったという悲しさが入り混じったような表情をした。


「ど、どうしたんだこれは?なんで、孤児院はこんなことになってるんだ?」


「あ、そ、そのことなんだけどアルト君、しばらくここには来ないでくれると...」


バンッッ!!


セインがそう言いかけた時、突然に孤児院の扉が勢いよく開かれた。


「おお〜い。約束の金は用意できたか〜?」


その開かれた扉からは、柄の悪い男達が孤児院内にゾロゾロと入ってきた。それに伴い、今まで黙々と食事をしていた子供達が目に見えて怯え始める。


「ま、まだです。もう少しだけ待っていただけませんか...?」


そしてすぐ、孤児院の責任者らしき中年の女性が男達に向かって頭を下げる。


「同じことを何ヶ月も言ってんじゃねぇよ!」


男達のうち、スキンヘッドの男が威圧するように近くに置いてあった椅子を乱暴に蹴った。蹴られた椅子は勢いよく壁に衝突し、その脚が折れてしまう。それに周りの男達も同調し、いくつかの椅子と机が壊されていった。


それに対して、責任者らしき女性とセインは何もしない。いや、できないのか。

セインはその両手を強く握りしめ、悔しそうにしている。


「よし、これが最後の通告だ。3ヶ月だ、3ヶ月だけ待ってやる。それまでに借金の総額1000万Gを耳揃えて用意しておけ。それが出来ないんだったら...ここにいる孤児は全ていなくなるだろうなぁ!」


「そ、そんな!3ヶ月以内なんて無理です!そ、それに借金の量も、ま、また、増えてますよね!?————きゃあ!」


「うるせぇ!今言った通りだ。いいか?3ヶ月後だぞ?1000万G、用意できなかったら覚悟しておくんだなぁ!」


孤児院の責任者である女性を押し退け、そう宣告したスキンヘッドの男達は孤児院を出て行った。


「なるほどね...」


厨房から一部始終を見ていた俺は、1人呟く。

セインへ視線を移すと隠し通すことは無理だと悟ったのか、口をゆっくりと動かし始めた。


「...半年くらい前から来るようになってね。この孤児院が少しお金を借りてただけなんだけど、その借りたところがまずくて。いつの間にか本来返す額の数十倍までその額が膨れ上がってて」


「そして孤児院の改修や十分な飯の供給ができていない、と...」


「...そういうことだね。これは孤児院の問題で、アルト君を巻き込む事は出来ない。だから、アルト君はもうここには来ない方がいい」


男たちの退出後、静寂に包まれる孤児院のホールを眺めてセインは言う。


まあ、彼ならそう言うだろう。

実際、初めから俺は彼の手伝いをする予定はない。正直、今の俺の財力でならこの問題を解決することはできる。しかしそれではセインの成長に繋がらない。


「分かった。セイン、無理はするなよ」


「うん。ありがとうアルト君。今更だけど無事で良かったよ。本当は再開を喜びたいところだけど、ごめんね」


「謝るな。セインが悪いわけじゃない」


俺がそう言うとセインは少し安心したように微笑んだ。


小説内においては、彼は1人でこの問題を解決する。しかし、この現実においてもそれと全く同じように事態が進行するとは限らない。一先ずは何かそれと違うことが起こらない限り、俺は静観を貫く予定だ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



セインに別れを告げて孤児院を後にした俺は、近くの森の中へと入る。そこから5分ほど森の中を進むと少し開けた場所に出た。


ここは幼少期から剣術や魔法の練習するときにずっと使っていた場所だ。木に囲まれていて周りからも見られないし、人が近くまで来ることもほとんどない。そのため、練習場所としてはもってこいの場所なのだ。


ここへ来たからには勿論スキルの練習をしようと思っている訳だが、威圧は対象がいなければ練習ができないし、空間収納は練習する必要がない。


「なら、変身の練習だな」


変身の練習をすることに決め、俺は目を瞑り全身の魔力に意識を集中する。変身をするときは変身したいものを脳内で丁寧にイメージすることが大切だ。

何に変身しようか。まずは小動物...猫にしてみるか。

頭の中で猫を思い浮かべる。猫...猫...猫.........


「変身!」


そう唱えると視界はみるみる地面に近づいていき、それから数秒程度でその視点の変化は止まる。


「おお、変身できたか」


自らの手を見てみると、それは黒い毛に覆われていて手のひらには肉球が付いていた。


「ニャルほどね〜」


俺はその姿のまま森を抜け、村を散策する。


変身をしている間は一定時間が経過するごとに魔力が少しずつ減っていくものの、その量は多くなく丸一日くらいなら変身しながらでも過ごせそうだ。


猫の姿で移動することにも慣れたところで俺は孤児院へと向かい、それの屋根裏へと忍び込む。猫のような小動物でなければ入ることのできないような場所だ。


板の隙間から下の様子を観察すると、丁度セインと孤児院の責任者である女性が話し合っているところだった。


「院長、流石にこれは横暴です!警備隊に助けを求めましょう!」


セインが中年の女性へそう訴えかける。

彼のいう警備隊とは付近の村一帯を管轄する組織のことで、ヌレタ村に駐在するような警備隊は存在していない。


「私も既に何回も抗議をしているわ。でも、警備隊が取り締まれるのは犯罪の決定的な証拠を取り揃えてからなの。今回の件に関しても、違法な金額を請求しているという証拠がなければ警備隊は動けないわ。」


セインの訴えに、女性は首を振って応答する。


実際、彼女の言うことは正しい。この世界の警備隊には日本でいうところの警察のような強い権限は与えられていない。

警備隊が取り締まれるのは現行犯のとき、もしくは犯罪を犯したという決定的な証拠があった場合のみだ。証拠を探すための家宅捜索などを警備隊が強制的に行うことはできない。


そのため決定的な証拠がない状態では、相手側にしらを切られる限り警備隊は何もできないのだ。更に言えば警備隊の上層部は犯罪組織と裏で繋がっており、彼らは自らの利益のために躊躇なく他人を切り捨てるような人間ばかりだったはずだ。


「そんな...じゃあ、奴らの好きにさせるしかないってことですか!」


「...今の私たちにとれる手段はないわ」


結論、今の彼らの取れる手段は3ヶ月以内に借金である1000万Gを集めることしかない。

しかし、この孤児院の現状は普段通りの運営すらままならない状態だ。1000万Gを集められるとは到底思えない。


「クソ...」


セインは悔しそうに拳を握りしめて下を向く。...話はこれで終わりかな。


「取り敢えず、3ヶ月間はこの姿で孤児院の様子を見守るか」


セインの学園入学へ向け、本格的に状況が動き出すのは3ヶ月後だ。それまでは孤児院の様子を見守りつつ、俺自身の特訓に重きをおいた方がいいだろう。


そう結論付けて孤児院を後にした俺は変身の解除を行うため、森へ向けて歩き出す。その道中、最もこの状態で会いたくない人に出会ってしまった。


「...猫、かしら?」


「...」


出会ってしまった相手、それは我が母親だ。


こちらをじぃ〜と見つめる母さんは買い物へ出ていたのか、手には少し膨らんだバックを持っている。


流石にこの猫が俺であるとバレることはないと思う。だが母さんは変なところで勘が鋭いため、一刻も早くこの場から離れたい。

とはいえ、下手に動くのもリスクがある。一体どうすればいいんだ…


お互いがお互いの様子を観察し、見つめあったまま数分が経過する。


「あ、早く帰らないと、夕飯の支度が間に合わなくなっちゃう」


すると突然、母さんは思い出したように声を上げた。そして俺の横をすり抜け、家の方向へと向かっていった。


なんとかバレずに済んだか...

そう思った俺は、母さんとは逆方向へと進もうとする。すると、母さんは思い出したように振り返り、


「じゃあね、アルト。夕飯時までには帰ってきてね」


と言った。


は〜い。もう少し練習してから早めに家に帰るよ.........って、え?

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