アルトという少年
『勇者セインの学園英雄譚』は、辺境の村であるヌレタ村の孤児院で育てられたセインという青年がその才能と圧倒的な努力、そして可愛い女の子達との絆を遺憾無く発揮することで、身分を理由に見下してきた教師や同級生を見返し、最終的に学生という身分でありながら魔王の討伐を果たす、という物語である。
まあ、最後の魔王討伐の部分は構想を練っていただけで更新は出来ていないが。そのような物語にする予定だった。
この物語を実際に執筆していたのは正真正銘この俺であるが、アルトという少年を登場させた覚えはない。なんなら両親に関しても、俺の考えた人物ではない。
そもそもヌレタ村の住人で小説に登場するのは、セイン、孤児院のシスター、孤児院の子供達、孤児院に勉強を教えにくるボランティア人達くらいだ。その他の住民は一切登場しない。
主人公の育った村ではあるが、物語の主な舞台は学園だ。そのため、ヌレタ村でのことは小説ではあまり多く触れなかったのだ。
つまり、俺は小説内において名前の与えられていない、いわゆるモブに転生したことになる。
ふむふむ、なるほどなるほど。
いやいやいや、著者を転生させてるんだろ?
それなら主人公に転生させてくれても良くないか?そこまで贅沢でなくとも、学園に入学予定の貴族とかなんか色々あるだろ?最悪、魔王とかでも良かったよ!物語とある程度は関わることが出来るからね!どうして著者の転生先が、セインの育った辺境の村に住む名前のないモブなんだよ!下手したら物語に全く関われないじゃん!物語の最後を見届けられないじゃん!著者に対してそれは酷くないか?
え?それはお前が物語を完結させられなかったのが悪いって?その通りです!ごめんなさい!
ふぅ...一旦落ち着こう。
つまるところ、どうやら俺はここからかなりの努力をしなければ、楽しい学園生活を送るどころか、物語を見届けることすらできないようだ。多分だが、小説内においてアルトという少年は村の防人としてその生涯を全うしたのだろう。知らんけど。
なんにせよ俺は、著者ですら知らない人物に転生してしまった訳だ。
しかし逆に言えば、俺はこのアルトについて何の設定も施していない。つまり、このアルトという少年がどれだけ強くなることができるのか、その可能性は無限大であるということだ。
また俺は著者としての前世の記憶から、この世界の仕組みや強くなるための最短経路を知っているつもりだ。なんたってこの世界を創造した本人だからな。
よく考えれば、このアルトという少年は著者である俺が転生する上で器となった体だ。どんな可能性が秘められていたとしても不思議ではない。というか、なんの才能もない方がおかしいとすら言える。
もう一度言うが、著者である俺の転生先となった器だ。きっとアルト少年は、俺の知らない何処かでその才能を遺憾なく発揮していたのだろう。知らんけど。
よしよしよし、希望が見えてきた!
更に言えば、転生先が主人公じゃなかっただけで主人公になることを諦めるのは早計な気もする。
例えば、俺がめちゃくちゃ強くなってセインが物語の中で成し遂げることをぜーんぶ先に達成しちゃえばそれは『勇者セインの学園英雄譚』ではなく、『勇者アルトの学園英雄譚』になるのではないか?
はぁ...俺は天才だったようだ。
これだ。このプランで行こう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
と、そんな人生設計を立ててから3年が経ち、俺はもう4歳になった。
猿みたいな顔だったあの頃に比べて、自分の顔立ちも大分わかるようになった。
顔が整っているかはよく分からないが、まあ至って普通の顔だと思う。ただ唯一違和感があることとしては、俺の容姿は黒色の髪の毛に加えて瞳の色も黒色という、the 日本人みたいな見た目だったことだ。
両親はどちらも茶髪で母の瞳は青く、父の瞳は緑色である。
「遺伝学的には明らかに、両親から俺みたいな子供が産まれることはおかしいんだけど...よく分からないな。なんにせよ、それが原因で浮気云々とかの喧嘩にならなくて良かった」
髪の毛や瞳の色についてあまりにも両親と俺が似つかなすぎたため、母親が浮気でもしていたのではないかとか、この世界には遺伝という概念が存在していないのではないかなどと様々な思考を巡らせたのだが、当の両親は大して気にしていない様子だった。
また自身の身にも転生という非科学的なことが起きていることを思い出し、俺はこれらの問題について深く考えることをやめた。
そんなことはともかくとして、俺の体の方は少しずつ成長し、もう一人でしっかりと歩けるようになった。また、体を流れる魔力についても少しずつ感じることが出来るようになっていた。
そう、勿論この世界には魔法が存在する。まあ、ラノベを読み漁った青年が異世界転生ものの小説を書く上で魔法の存在が無い方がおかしいだろう。しかし今はまだ具体的な魔法は使えない為、これらの説明は後に取っておくことにする。
さて、本題の学園に入学するための特訓についてだが、身体的な面についてはまだ体が出来上がっていないために特訓という特訓は何もしていない。魔法については、体に流れる魔力を意識的に体の一点に集中させたり、体全体を循環させたりするなど魔力操作の練習をしている。しかし、こちらもまだ体が成熟していないため、それ以外の事は何もしていない。
ではこれまでの期間、俺は主に何をしていたのか。勿論、優しい両親のもとでただただ惰眠を貪っていたわけではない。
学園の入学試験では剣術試験と魔法試験、それに筆記試験を加えた3つ試験が行われる。
"剣術試験"では、ランダムに選ばれた他の受験生と実際に木刀を用いた立ち合いを行う。
そして審査官によって、その立ち合いの内容についてのみを評価される。つまり、立ち合いの勝敗は評価に影響しない。そのため立ち合いに勝利したとしても良い評価をされているとは限らないし、敗北したとしても自分の全力を出し切れていれば落ち込むことはない。
"魔法試験"では、人と同じ大きさの人形に1人3回まで自由に魔法を放ち、それらの威力や精度などについて評価される。
"筆記試験"については、文字の読み書きや計算、歴史上の人物、魔法の簡単な理論などについて問われた問題が出題される。それら3つの試験の点数配分は同等であり、どれも手を抜くことは許されない。
戦闘の才能があってもバカであれば学園には必要ないということである。まあ、逆もまた然りであるが。
その3つの試験の中で最も有利に戦うことのできる試験、それはズバリ筆記試験である。
俺は前世の記憶を手に入れたことで脳が非常に発達しているらしく、赤ん坊の頃から様々なことを思考することができた。これは他の受験生と比べて、間違いなく大きなアドバンテージとなるだろう。
そこで剣術及び魔法の本格的な特訓を始めるまでは、勉強の方を優先的に行うことにした。そして後々、剣術及び魔法の特訓を行うようになったらそれらの時間を多く取ることにしたのだ。
というわけで今日も今日とて、俺はお勉強に励む。
一般的な大学生程度の学力さえあれば、そもそも勉強なんてする必要はないのでは?
そんな疑問が浮かぶのは最もである。更に言えば、この世界の教育水準は日本に比べてかなり低い。
入試で出題される問題は、日本では高校入試程度の難易度だろう。
だが、分からないことはある。
俺が著者であるからといって、この世界の全てのことを知っているわけでは無い。アルトという少年の存在も、その一例に該当するだろう。
特に細かい地名や歴史、魔法なんてものは原理すら分からなかった。それらに関して俺は全くの初学者であり、勿論それらは入試に出題されるものである。
そんなわけで、お勉強からは逃げたくても逃げることは出来ないのだ。まあ、それらの新しい知識を学ぶことは普通に面白いのだが。
因みに、ここは辺境の村ではあるものの紙や本は珍しいものではない。
流石に個人で本を購入することは難しいが、村には1つだけであるが小さめの図書館があるのでそこへ行けば誰でも本を読むことができる。俺はその図書館へ毎日のように通っており、朝から晩まで一日中ずっと本を読んでいる。
進捗としては、前世において俺は普通の人よりも長い時間机に齧り付いていたこともあり、筆記試験においてはほぼ確実に満点を取れるレベルまで達することができたと思う。だからといって何もしないわけにはいかないので、今は入学試験とは関係なく様々な本を読んでいるところだ。
今手にしているのは、表紙に魔法工学入門と書いてある分厚い本。これも前述のものと同様、小説内において定義した覚えのない概念の一つだ。これらの知識を吸収しておいて損はないだろう。
当面の目標としては、この図書館内にある本を全て読破することである。
小さいとはいえ、村にある唯一の図書館だ。所蔵されている本の数は決して少なくはない。
「どうせ今は剣術も魔法もまともに練習出来ないし、知識をつけておくに越したことはないよね」
この図書館内の本を一通り読み終える頃には体もある程度成長しているであろうと、魔法工学発展と書かれた本に手を伸ばしながらそう呟いた。