消えた記憶と王宮襲撃
「自分の名前は言えるか?」
「アーネ=エルトリアです」
「年齢と出身は?」
「歳は16で、アルクターレという少し郊外の街の出身です」
学園長からの質問に、その対面に座るアーネさんは1つ1つゆっくりと回答する。
「…アーネは自身の身辺情報から、我々の名前や関係性まではっきりと覚えている。ただやはり、」
「アルトについての記憶だけが、すっぽりと抜けているってこと…ですか」
長らくその意識を失っていたシエル先輩やアーネさんには、幸いにも大きな後遺症等は無かった。
ただアーネさんの記憶からは、アルトに関するものだけが綺麗さっぱりと消えていることも判明した。
「アルト…お前は一体何がしたいんだ…」
ベッドに腰をかけたイヴェル先輩はその額に手を当て、今は遠くへ行ってしまった友人へ問いかける。だが当然、それに答える声は無い。
アルトがここへ来た直後、アーネさんとシエルさんの2人が目を覚ましたこと。そしてアーネさんの失われた記憶。
これらが偶然の一致だとは流石に考えにくい。アルトが何かしらの工作をしたと見るのが妥当だろう。
「それにこのアクセサリーさ、アーネちゃんがつけてる奴と同じ種類…だよね。アルト君が置いていった?でも、どうして?」
保健室の傍へと移動したシエル先輩はいくつかのアクセサリー、いや魔道具を手に持って呟く。
アルトが去った後、保健室の傍らにある小さな机の上にはいくつかの魔道具が置いてあった。
赤色の指輪、緑色のネックレス、茶色のアンクレット。
これらはアーネさんの腕につけてある青色のブレスレットと同系統の魔道具とみて、まず間違いないだろう。
そして、かつてアーネさんはそのブレスレットをアルトから貰ったと言っていた。これらの間違いなくアルトが置いていったものだろう。その真意は全く掴めない。
「あの〜、皆さんかなり深刻そうにしてますけど、別に私は大丈夫ですよ?記憶が消えたといっても実感はまるで無いですし、その程度の記憶だったってことじゃないですか?」
「「「…」」」
深刻な部屋の空気に耐えかねたのか、アーネさんから飛び出したそんな言葉に僕達は何も言うことが出来ない。
記憶が無いからこそ今の彼女はこう言っているが、以前の彼女のアルトに対する想いは尋常なものでは無かった。
彼女から強く想われていたことは、アルト自身も自覚していたことだろう。そして、記憶を消すという行為が彼女に対して最大の冒涜であることも。
それを犯しててもやらなければならない理由があった?ではその理由とは?その真意は?
それらの疑問に対する答えは、正答はおろか手掛かりすら掴めない。だが、このまま放っておく訳にはいかないというのは確かだ。
というか、魔王になったアルトは人の記憶すら操れるのか?
その実効力はどの程度までかは分からないが、少なくとも”選択した記憶の削除”は行うことが出来る。もしかすれば、記憶の改竄等も行えるかもしれない。
アーネさん以外の僕達ですら、記憶を弄られた可能性が無いとは言い切れない。アルトが全員分の同じ記憶を削除していれば、それらを僕達が確かめる術はない。…いや、これ以上は考えても意味は———
「あ、あー。マイクテストー、マイクテストー。あれ、これ聞こえてますー?」
と、そのとき、保健室内の雰囲気にそぐわない間の抜けた声が聞こえてきた。
声の発生源は窓の外、そしてその声には確かに聞き覚えがある。
「ッ!!、アルト…!!」
僕は急いで窓を開けて外を見るが、地上にアルトの姿はない。
「あー、多分いけてるか。まあ大丈夫だろ。こんにちはー、こちら魔王カトウです。地を這う愚かな生命体達〜、見てますか〜?」
しかし、その声は確かに聞こえてくる。その音を集中して聞けば——その発生源が真上だと言うことが分かった。
「!?、なにこれ…」
「本当にアルト君は、とんでもない力を手に入れたようだな…」
僕と同じように窓の外を見たシエルさんと学園長は、絞り出すように声を漏らした。その2人の視線は上——つまりは、上空を見上げている。
「アルト…君は一体…」
夏の日の明朝、午前7時過ぎ。
澄み切った空気の中、上空に聳える青色の広大なバックスクリーンには、魔王城だと思われる場所で大きな椅子にその腰を下ろすアルトの姿が映っていた。
「これだけ広大な範囲に自らの姿を投影するとは……桁外れとかというレベルではないぞ」
上空を見上げた学園長は、目の前の光景にその頬を引き攣らせて言う。学園長がここまで言うとは、僕では想像の及ばないくらいに高度な魔法なのだろう。
「あの人が…アルト?さん、ですか…?」
「ああ、そう…だね。アルトだったもの、かもしれないけど…」
ベッドに座り、空を見上げるアーネさんの質問に僕は曖昧に返す。
あれは果たしてアルトなのだろうか。
魔王城での異変の後から、その行動の真意が全く読めない。しかも自らをカトウと名乗っていたし、あれはアルトとは別の何かなのだろうか。今の僕には、それすらも分からなくなってしまった。
「あー、そろそろいいか。はい、この世界の皆さんこんにちは。俺は今代の魔王、カトウアキラといいます」
空に映るアルトは椅子から立ち上がり、正面へ向けてゆっくりと一礼した。
「魔王カトウ…?」
そんな呟くような声がどこからか聞こえ、校庭の方を見てみるとそこには、十数人の生徒が上空を見上げてざわつき始めていた。
現在学園は長期休業中であるが、部活の朝練等のために学園へ登校していたのだろう。
「えー、この放送自体は数分程度で終わるので静聴頂けると幸いです。さて、早速ですが本題からいきましょうか。俺から皆様へ伝えたいことはただ1つだけ。———俺は1年半後を目処に、この世界を滅ぼそうと思っています。そのため、皆様にはその準備と覚悟をして欲しいなと思っています」
そして空に映るアルトは、笑顔のままではっきりとそう告げた。
「世界を、滅ぼす?」
「冗談…だよね?」
そのあまりにも突拍子のない宣言に、アーネさんとシエル先輩は本気であるはずがないと判断する。
それはそうだ。この広大な世界を滅ぼすなど、途轍もない時間と労力がかかる。あまりにも現実味がない。だから、そんなことは起こり得ない。
「あ、因みにですが。滅ぼすと言っているのは文字通りこの世界の全てを、です。人類や魔族、エルフなどの種族で区別はしません。俺はただただ無差別にこの世界を壊す予定です」
僕はそこまで分かっていながらも、そんな恐ろしいことを笑顔で喋るアルトの姿を見て、加速する胸の鼓動を抑えることが出来なかった。何故なら、魔王になったアルトと数回対面していた僕には分かっていたからだ。
———七魔仙を含めてアルト達には、世界を滅亡させることが可能なくらいに大きな力があることを。そして今の僕ではアルトはおろか、七魔仙1人の相手すらままならないということも。
「「…」」
そんな僕の予感が間違っていないことを示すように、実際に彼と対面したイヴェル先輩と学園長はその口を閉ざしたまま何も言わない。きっと僕と同じことを考えているのだろう。
「てか、あいつ、学園を退学になったやつじゃねぇか?あの黒髪黒眼、見たことある気がするぞ」
「あ、言われてみれば!学園を中退になった、嫌われ者の分際で調子に乗ってんじゃねぇよ!オラ!」
すると校庭の方から、アルトの一方的な宣言に反発する声が聞こえてきた。
そちらへ視線を移すと、そこでは運動着姿の複数の生徒達が中級魔法や上級魔法をアルトの映る上空へ向けて放っていた。
魔王を名乗る者に対して恐れではなく攻撃の意思を見せているのは、彼への嫌悪感が強いという証拠だ。ここまで彼が嫌われていることには、国王の意思操作が強く影響しているのだろう。
———そのことに僕が気が付けていれば、この未来は変わっていたのだろうか。
「きっと皆さんは、言葉で言われただけでは信じてくれないでしょうね。……と、言うわけで、」
様々な魔法に晒され続ける上空の画面内では、アルトは元から信じて貰う気など無いとでも言うように再度その椅子に腰を下ろし——画面が切り替わった。
次に画面に映ったのは、僕も見たことのある場所——王宮内、国王陛下の個室の内部だった。
「俺の意思表示の為、取り敢えずグレース王国の国王及び側近達を今から数人、実際に殺してみようかと思います」
そして転移したのであろうアルトの真隣には、椅子に座り大きな窓を見上げる国王の姿があって———
「な、」
「では、さようならです。国王陛下。次は貴方が俺の礎になってください。その命を以って」
「や、やめ——」
「さようなら」
急いでアルトから距離を取ろうとする国王へ、彼は一切の躊躇なくその右手を突き出した。直後、アルトの掌から黒色の球が飛び出し———それは国王の胸を、いとも簡単に貫いた。
ドスン、
そんな鈍い音が酷く鮮明に響き、少し前まで騒がしかった世界は時が止まったのかの様な無音に包まれる。
映像を映し出す真っ青なスクリーンとは対照的な、その領土を着々と拡大する真っ赤な液体だけが、ただ時間が停止していないことを証明していて。
「一丁上がり。さて次は——」
「———か、かかれ!こ、国王陛下の仇をとるのだ!あの悪魔を絶対に逃すな!」
その沈黙を破る様に呟いたアルトへ、我に返った兵士達は一斉に襲いかかる。
流石は国王側近の兵士達。
即座の行動だったのに関わらず彼らの動きは統率のとれたもので、普通の相手ならすぐにその首を刎ねることが出来ただろう。…流石に今回はその相手が悪いが。
「魔王様に手を出すな」
十数人の兵士は四方八方から、悠然と立ち尽くすアルトへと一気に接近し———すぐに、それとは逆方向に吹き飛ばされた。
「おー、流石だな」
「お褒めに預かり光栄です」
気がつけば、アルトの正面に一人の女の魔人が割り込んでいた。
ピンク色の魔人だ。保健室でも見た、七魔仙の1人と見てまず間違いない。兵士達を吹き飛ばしたのは彼女だろう。画面越しでも、その強さが圧倒的であることが窺える。
「さ、他の幹部達を探しにいくか」
「はい、魔王様の赴くままに」
「ぐぅゥゥ…ま、まてェ…」
壁や床などに強く衝突し無力化された兵士達を置いて、アルトと魔人の女は恐ろしい速度で王宮内を駆ける。勿論、その速度についていけるものなどいない。
「あ、宰相見っけー」
国王の部屋を出てから僅か十数秒、アルト達は王宮内に隠れる様に潜んでいた宰相を捉えた。
「ま、待ってくれ!話せば分かる!一体何が欲しいんだ、金か地位か、女か!?私ならその全てを用意することができる、だから命だけは———」
「ばいばい」
叫ぶように必死に命乞いをする宰相に対し、その頭を鷲掴みにしたアルトは無慈悲にも一方的に別れを告げ———
「ぐぅぁあぁああァァァ!!!」
次の瞬間、宰相はその掴まれた頭を押さえ、必死にその足をジタバタと動かし始めた。
アルトの手にはそこまで力の入っている様子は無い。だが、その手を掴まれた宰相の顔は次第に青白く——いや紫色に変色していった。
「ア、アア、アァァ……」
最終的に宰相の顔はそのすべてが紫色に変色し、ある時を境にピクリとも動かなくなった。
「さーて、後一人くらいは処分しておきたいところだが———お、いいところに」
アルトはその右手に掴む宰相だったものを地面へと離し、何かに気がついた様にその真上を向いて薄く笑った。
ドンッ!!
その直後、アルトの視線の先——その部屋の天井には大きな穴が開き、アルトはその開けた穴へ向けて高く跳躍した。
彼の向かったその先には———
「こんにちは、奇遇ですね。アイラ皇女殿下?」
僕の異母兄妹であるアイラ=グレースが、小さく震えながら床にへたり込んでいた。




