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弁当

アーネが目を覚ましてからあっという間に1週間が過ぎ、学園は長期休みへと入った。

因みにその1週間の間、俺はアーネと会っていない。というか、そもそも彼女は学園に来ていないようだった。


話し合いの準備を進めているのか、はたまたそれとは全く関係のない理由があるのか。詳しい事情は分からないが、取り敢えず体調面に問題はないことは確認済みだ。


と言うのも、確認のために彼女の部屋を訪ねてみたところ、彼女は頗る元気な様子で出迎えてきてくれたからだ。休んでいる理由は教えてくれなかったが、心配しないよう言われた。



そして現時刻は11時55分。

生徒会室の前には、緊張した面持ちの男が一人立っている。


「...ふぅ」


その男は一度大きく深呼吸をし、目の前のドアノブへ手をかけるが——


「いや、少し落ち着こう」


すぐにその手を離し、自身の胸に手を当てて大きく息を吐く。この一連の動作をこの黒髪の男——俺は何度も繰り返していた。


「はぁ、本当に嫌になる...前にもこんな事があったな」


扉を開ける勇気の出ない自分に嫌気が差しつつ、思い出されるのは俺が初めて生徒会室へ訪れたときのこと。

あれは...もう2年前のことか。


あのときも今と同じように生徒会室の前でうろちょろしていた俺へ、シエルが声をかけてくれたんだっけ。


「...いる訳ないか」


なんとなく後ろを振り返るが、そこには誰もいない廊下がただ真っ直ぐに伸びているだけだった。どうやら、俺のことを助けてくれる者はいないらしい。


そろそろ約束の時間になる。このままでは怒られてしまうし、俺も覚悟を決めるしかないか。



ガチャッ


そう思い前方へ視線を戻したとき、生徒会室の扉が内側から開いた。


「アルトさん、さっきから一人で何してるんですか?」


そう言って生徒会室から出て来たのは、制服姿の茶髪の美少女だった。


「あ、アーネ...?」


「む、どうして疑問符がついてるんですか!どこからどうみても可愛いアーネちゃんでしょう!」


「い、いや、なんだろうな...」


先を越されたと思うよりも前に、俺は出てきたアーネの姿に驚いた。いや、特段なにかが変わったという訳ではない。その顔も髪の毛もいつも通り。


だがアーネの纏っている雰囲気とでもいうのだろうか、それがここ数ヶ月のもの…いや、それ以前のものとも大きく異なっていた。

今のアーネの纏っている雰囲気は何というのだろうか、とても大人っぽく感じる。


……本人に直接それを言うのは、流石に気が引けるが。


「いや、何でもない。少し緊張しているだけだ。すまない」


「緊張、ですか?」


適当に誤魔化したその言葉に、アーネは小さく首を傾げる。


「ああ、ほら、アーネと2人でちゃんと話すのは久しぶりだろ?だからちょっと、な」


誤魔化して出た言葉とはいえ、俺が緊張しているのは事実なので彼女へと説明をするが——改めて口に出すとなんだか恥ずかしくなってきた。


「...ふふ、緊張する必要なんてありませんよ。ほら、アルトさん。中に入りましょう?」


「うお、」


その言葉にアーネは可笑しそうに笑った後、俺の手を取って生徒会室へと入っていく。


俺を引くその手には、青色のブレスレットが綺麗に輝いていた。







「じゃあアーネ、早速だが——」


「ところでアルトさん、お昼ご飯ってもう食べましたか?」


アーネに案内されるまま席に着き、早速話を切り出そうとすると、それに被せるように彼女はそんな事を尋ねてきた。


俺は特に何も食べていなかったため、その旨を伝えると


「なら話し合いはご飯を食べてからにしませんか?私、お弁当準備してるんですよ」


そう言ってアーネはガサゴソとバッグを漁り、風呂敷に包まれた直方体の物体を取り出した。


その風呂敷が解かれると、そこには見覚えのある2段の重箱が頓挫していた。彼女がその蓋を開けると、色とりどりの美味しそうな食材達がその姿を見せた。


「...流石だな」


「えへへ、そうでしょう。今日に合わせてちゃんと準備しましたからね!」


ふと呟いた言葉に、アーネは自慢をするようにその胸を張る。

彼女手製の弁当を見るのは初めてではない。


それはまだ、俺とアーネが屋上で昼食を食べていた頃のこと。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『アルトさんってずっと購買のパンばかりですよね。それじゃあ、健康に悪いですよ?』


『ん、ああ。自分でもそうだと思うが、こればっかりはどうしようもなくてな』


ある日の昼下がり。

いつものように購買で適当に買ったパンを口へ運んでいると、アーネがそのように口を開いた。


完全寮制である我が学園では、朝食と夕食は寮で振る舞われるものの昼食は各自で供給するという形をとっている。


その特性上、なんやかんやで昼飯は適当なものになりがちだ。



健康的な整った食事がしたいのであれば学園の食堂にでも行けばいいのだが…多数の目がある中、下級生の女の子と2人でそこへ向かうのは少し気が引ける。勿論、自炊してる者もいるのだろうが…昼飯の為だけに自炊するのもな。


とはいえ、斯く言うアーネも昼飯は何も食べない、もしくは俺の買ってきたパンをせびるかのどちらかなのだが。




『——と、いう訳で早速作ってきました!』


『早速が過ぎる…』


そんな会話があった次の日。

大きな2段の重箱を持ってきたアーネが意気揚々とその封を開けた。


『おお、』


顕になった重箱の中身を見て、思わず感嘆の声をあげる。その中では食材が彩り良く、非常に綺麗に配列されていた。


いや、まだだ。これを食べるまではアーネの実力は分からない。これだけ見た目が綺麗でも、味が壊滅的と言うのが良くあるお約束。


アーネに許可を貰い、それを一口食べてみるが——


『———美味い』


確かに、一見非の打ちどころない美少女が実は料理だけは絶望的に出来ない、というのは物語等で非常に良くあるテンプレではある。だがアーネはそのテンプレに該当しなかったようだ。


物語的に言えば、完璧超人のヒロインの少し抜けているところを描写することで、読者の庇護欲をそそるという狙いがあるのだろう。

その点から言えば、アーネはあまりにも非の打ち所がなさ過ぎる。それは読者からすれば、少しとっつきにつくいキャラクターとして映ってしまうのかもしれない。


まあ、現実にいて欲しいのは間違いなくアーネではあるが。


『へへん!どうですか!すごいでしょう!』


そんな今となってはどうでも良い考察をしていると、正面のアーネは小さく胸を張った。


だが、その彼女の姿勢に少しの違和感があった。自らの両手を自分の背に隠している。まるで、その指を見られたくないとでも言いたげに。


その様子が気になった俺は不意に手を伸ばし、彼女の右手首を手に取った。


『あ、ええっと…これは、ですね』


その顕になった指には、いくつかの絆創膏が貼ってあった。


あぁ。彼女は完璧そうに見えながらも、本当は慣れない料理に苦戦しながら弁当を作ってくれたのか。と、通常であればほっこりするところかもしれないが。


『えいっ』


『痛!?』


俺はその絆創膏の1つを素早く引っぺがす。

当たり前だがその下には、アーネの指があった。傷一つついてない、肌色の綺麗な指が。


『……ええっと、ですね』


それを見られたアーネは、気まずそうにその目を後ろに逸らす。


まあ、そんなとこだろうとは思った。

基本能力のハイスペックさに目が向きがちな彼女だが、その計算高さやあざとさも甘く見てはいけない。


だが、今回はそれらとも少し違ったようで。


『…………回復魔法の痕跡』


『!!』


そう呟くと、アーネはこの会話をしてから初めて本気で焦ったようにその右手を引っ込めた。その少しだけ赤く染まった顔は、強い驚きに満ちていて。


『…わ、分かるんですか?』


絞り出すように、そうとだけ尋ねた。


『…まあ、嘘だが』


『~~~~~~~!!、アルトさんの意地悪!』


そうネタバラシをすると、全てを悟ったアーネの声が屋上に響いた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



そんな出来事がありつつ、それからというものアーネは週に1, 2回弁当を持ってきてくれるようになった。

因みに、魔法の痕跡が実際に見えるようになった今、彼女のその指を見てみると—— 弁当を用意するにつれて大きく上達したのだろう、回復魔法の痕跡は全く見られなかった。


改めて、そこまでして尽くしてくれていた彼女を裏切ってしまったことは素直に反省しなければならないと思う。


「...分かった。そうしよう。これは貰っても良いのか?」


「はい、勿論です!」


特に断る理由もないので昼食にすることを了承すると、アーネは眩しいくらいの笑顔を向け——


「アルトさん、あーん!」


箸で適当な具材を掴み、それを俺の口元へと運んだ。


「…」


「あーん!」


「ええっと、これは…」


「あーん!」


「あ、あーん…」


アーネの圧に押されて口を開くと、すぐにその具材が口の中へと押し込まれた。


「……美味い」


「当然です!私が丹精込めて作ったんですから!さあ、どんどん食べてください!」


あーんは1回で気が済んだのか、彼女はこちらへ箸を渡すとその重箱を広げた。腹の減っていた事もあり、俺はアーネから勧められるままにその弁当の具材を口に運んだ。


その口にした具材は全て美味しく、彼女はこれを準備していたんだなぁと思いながら何も疑わずにそれを食べ進めていった。



だが、考えても見て欲しい。

普段から料理をしている訳ではないので詳しいことは分からないが、弁当の準備だけで1週間も掛かるわけがないのだ。そして今思えば、アーネ自身は弁当の具材を取り分けるだけで、それらについては一度も手をつけていなかった。





———それからどれだけの時間が経ったのだろうか。


「ぅん......?......ッ!?、な、なんだこれッ!」


気がつくとそこは知らない部屋で、俺はベッドに仰向けで寝転がされていた。


更に両手両足にはそれぞれ一つずつ手錠が付けられており、それらの片側はベッドの柵に括り付けられている。


「あ、起きましたか?」


状況を飲み込めず混乱する俺の耳に、そんな上機嫌そうな声が届いた。


真横から聞こえたその声に恐る恐る目を向けると、そこには——


「おはようございます、アルトさん。良い夜ですね」


窓から射す月光に照らされ、妖艶に微笑むアーネの姿があった。

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