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僕の厄介な日常

作者: 葉野亜依

 これまた酷い場面を見てしまった。


 自分の目の前で、一人の少女が思い切り地面に突っ伏したのだ。それはもう盛大に、だ。


 その少女が見ず知らずの子だったら、まだ傍観者でいられたのだろう。けれど、何もないところで躓いた少女は、まごうことなき僕の幼馴染であった。

 そのあり得ない程見事なまでのこけっぷりに最早溜息しか出なかった。周りからはくすくすと笑い声も聞こえてくる。色々な意味で頭が痛い。

 無視することは簡単だがそんなことはしないしできない。


 自然と足が動き出し、未だ地面に突っ伏したままで起き上がろうとしない幼馴染に近づいていく。


「いつまで突っ伏してるつもり?」

「なんか、起き上がるのが面倒臭いなぁと思って」

「汚いからさっさと起き上がれ」


 そう言っても起き上がろうとしないので、べしりと頭を叩いてやれば、「……痛い」と呟きながら渋々といった様子で彼女が起き上がった。


「……何かが足元を通った気がしたの」


 ぽつり、と彼女が言う。

 転んだのは私のせいじゃない、と言外に訴えていた。

 けれど、傍から見たら彼女が何もないところで一人で思い切り転んだようにしか見えなかっただろう。中には彼女のことをドジな奴と思った人もいるかもしれない。


 でも、こんな出来事は彼女にとって序の口なことで。

 蛇口をひねれば水が噴水のように飛び出して来てびしょ濡れになる。

 扉を開けようとしただけなのにその扉が倒れてくる。

 外を歩いていたら店の看板が落ちてきて下敷きになりかける。

 ホームで電車を待っていたらぶつかられて線路に投げ出される。

 エトセトラエトセトラ。


 不幸としか言いようのないそんな出来事。中にはしゃれにならないものもあるけど、それが彼女にとっては日常茶飯事なのだ。


 命が幾つあっても足りないと僕は思う。マジで。


 彼女の身体のあちこちにある傷は最早あって当たり前。けれど、何が起きてもかすり傷や打撲などの軽傷だけで済んでおり、当の本人は「いつものことよ」とすました顔でいる。


 全く、不運なんだか……強運なんだか……。


 皆、彼女が不幸体質であるから、こんな災難に遭っているのだとよく言っている。だが、実際のところそうではない。

 確かに、彼女の体質が関係していると言ってもいい。しかし、彼女が引き寄せてしまうモノは不幸ではない。


 彼女が転んだ原因である『それ』は、今も僕の視界の片隅で嬉しそうにぴょこぴょこと飛び跳ねている。大方、彼女を転ばすことができて喜んでいるのだろう。

 普通の人には視えない、けれど、僕にははっきりと視えている『それ』。

 姿形は多種多様。人のような姿をしているモノもいれば、色々な動物の姿をあわせたようなモノ、言葉では言い表しにくい姿をしているモノもいる。

 それは、所謂『妖怪』と呼ばれるモノたちのことで――。


 そう、僕は妖怪が視える体質の持ち主なのだ。


 ……本当に厄介だな。


 頭を抱えたいのを我慢し、代わりに今なお飛び跳ねているそれをひょいと摘んだ。そして、思い切り遠くへとぶん投げた。


 憂さ晴らし?ああ、そうだよ憂さ晴らしだよ。

 何やら叫び声が聞こえたが気にしない。人間よりは丈夫だから、雑な扱いしても平気だろう。

 それに比べて――


 ちらりと幼馴染を見遣れば、その身なりは酷いものだった。

 転んで膝は擦りむいているし、服も汚れている。更には、転んだ拍子に鞄の中身をぶちまけてしまって、辺りには物が散乱していた。


「これまた酷いな……」

「いつものことよ」


 当の本人は自分に起きたことなど特に気にしていないといった様子で、荷物を拾い集めていた。無表情ではあるが、その姿は何処か哀愁が漂っているように見える。何だかとても哀れに思えて、僕も荷物を拾うのを手伝った。


「本当に厄介だなその体質」

「自分でもそう思う」


 僕の体質も厄介だとは思うけど、彼女の方が僕を上回っている。


 僕の体質よりも厄介な彼女の体質。

 それは、彼女が妖怪を引き寄せてしまう体質だということだ。


 彼女の意思に関係なく妖怪たちは近寄ってくる。それだけでも厄介なのに、当の本人にはその妖怪たちが視えていないから尚更だ。

 彼女は妖怪を引き寄せることはできても見ることはできない。何かがいることを何となく感知することはできるようだが、肝心の姿がはっきりと視えないのだから防ぎようがなく、気付いた時には時既に遅しな状態となっている。

 彼女が妖怪たちを引き連れて……もとい引き寄せているのを見る度に、「またか……」と呆れてしまうのにはもう慣れた。

 いや、慣れたくはなかったのだけれども悲しきかな、彼女にとっての日常茶飯事は、彼女の幼馴染である僕にとっても日常茶飯事になってしまったのだ。

 妖怪たちが彼女に害を為す前に、視える僕ができる限りそれを防ぐなんていつものことだ。


 それを煩わしいと思いながらも、無視することなんてしないしできない。

 だって、彼女は僕の大切な幼馴染なのだから。


 けれど、全てを防ぐなんてことは勿論できないわけで。

 幼馴染とはいえいつも彼女の側にいるわけではないし、いられるわけでもない。それに、例え僕がその場にいたとしても、不意を突かれればおしまいである。


「本当に厄介な体質だよな」

「そうね。でも、嫌なことばかりじゃないのよ?」

「いや、どう考えても嫌なことしか起きてないだろ」

「そんなことないわ。だって、」


 ――こうやって貴方が助けてくれるんだもの。


 柔らかな笑みを浮かべる彼女のその顔を見て、大切なことを告げるように囁いた彼女のその言葉を聞いて、僕は思わず黙り込んでしまった。


 じわりじわりと自分の顔が熱くなっていくのを感じる。

 その顔を彼女に見られたくなくて、僕は顔を俯かせた。


 全く、普段は無表情なくせに微笑みながらそんなことを言うなんて!


 ……やっぱり妖怪よりもこいつの方が厄介かもしれない。


 僕は知らぬうちに溜息を零していた。そんな僕を見て、彼女が不思議そうに首を傾げる。


「溜息吐いたら幸せが逃げるわよ?」


 誰のせいだ、誰の!


 他人事のように言った彼女に、ふつふつと怒りが込み上げる。腹の虫がおさまらなかったので、何か文句を言ってやろうと口を開こうとしたその時だった。

 僕が言葉を発する前に、視界から彼女が消えた。


「……今、何かが通った気がしたの」


 地面に突っ伏して彼女が感情無く呟く。先程拾ったばかりの荷物は再度散らばり、その傍らには先程とは違う小さな妖怪が一匹。



 ……ああ、もう本当に厄介だな!


 振り出しに戻った目の前の光景に、僕は頭を抱えた。

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