第14話 太陽のような人
その場所を一言で表すならば、〝闇〟だった。
微かな音も髪を揺らす程の風さえも、何一つ感じる事のない空虚な空間は、〝黒色〟によって暗黒に染められていた。
生物の存在すら感じられない空間に、私は静かに佇んでいた。
何も、感じない。
息を吸っているのか、瞬きをしているのか。
何も、思い出せない。
何をしていたのか、何故ここにいるのか。
何も存在しない暗い空間で、私は何かが迎えに来る時を静かに待っていた。
迎えが来ると思えるのか、理由は分からない。
ただ一つ確信している事は。
この場所に辿り着いた時、私には〝一つの運命〟しか存在していない事。
『……見……い』
幾許かの時間、茫然と暗闇の中に立ち尽くしていた私は、何処からか聞こえてくる音に耳を傾けた。
『クラ……見……下さい』
聞き覚えのある元気で明るい声。
身体の内側から伝わる温かさ。
この場で誰かが発しているモノじゃない。
身体の中から伝えられる意思。
私の属性に残された、大事な記憶の断片。
「クライフ、見て下さい!」
その瞬間、私の視界を埋め尽くしていた暗黒を消し去る程の眩い光が発せられ、私は咄嗟に瞼を閉じた。
―*―*―*―*―
「クライフ、見て下さい!」
その声に反応して目を開いたクライフは、目の前で綾取りをしている一人の少女に目を向けた。
(ここは……農場?)
「ルミナ!」
濡羽色の髪をしたおかっぱの少女は、青色の糸?を両指で掛け替えながら、三段の縦長の棚を作って見せた。
「ヒナ、属性でそんな事して……危ないよ?」
鮮やかに装飾された結晶の椅子に腰掛けていたクライフは、記憶に残された自分自身の言葉をなぞる様に声を発した。
「フフフ、それが大丈夫なんです!」
そう告げたヒナは、水のプラス属性で作り上げた棚を解き、左手を前に突き出した。
すると左手の平から、水のプラス属性で構築された細い糸が複数本出現し、数秒のうちに〝青色の弓〟を編み出した。
「私の弓に付いた弦を柔らかくして〜、円状にクルッと丸めれば〜」
弦だけを残した状態にしたヒナは、まるで柔らかい紐に触れるように水の属性を扱い、綾取りに使う輪を簡単に作り出した。
「はい!出来上がりです!」
「なんで水のプラス属性で……水のマイナス属性の方が安全じゃない?」
「〝扱いさえ間違えなければ〟大丈夫です。それに青色の方が、ルミナっぽいじゃないですか」
「確かにそうだけど……理由はそれだけなの?」
「はいっ!」
ニコニコしながら綾取りを再開したヒナを見つめていたクライフは、ヒナの背後から近付いてくる少女に目を向けた。
「クライフも、綾取りやってみませんか?」
「やってみても良いけど……初めてやるから、変な物になりそう。ふふ、スペシャリストのユカリには、笑われちゃうかも?」
「人のミスを笑ったりなんてしません……それと私は、スペシャリストでも無いですからね?」
三人分のお茶を運んで来たユカリは、軽い冗談を口にするクライフに歩み寄った。
「色々なモノを創造しているのに?」
「あれは属性の力であって、私自身が材料を使って創作している訳ではありませんから。属性さえ有していれば、私で無くても出来ます。職人さん達が時間を掛けて創造した作品には、遠く及びません」
「五十階層もある建造物を、小さな家具まで含めて同時に創造するなんて、私には絶対出来ないけど?」
(大量の創造物を構造、配置、重量、強度諸々……頭の中で、全てを同時に考えて一度に創造するなんて神業……私には出来ない)
ユカリの属性の事を考え始めたクライフは、自身に向けて差し出した湯呑み茶碗に気が付き、意識をそちらに向けた。
「どうぞ?」
「ありがとう、ユカリ」
差し出された茶碗を受け取ったクライフは、緑茶の表面に向かって少し息を吹き掛けてから、中にある緑茶を口の中へと含み、ゆっくりと飲み込んだ。
「お茶には慣れましたか?」
「うん。凄く優しくて、気持ちが安らぐ香りも好きだけど、少し苦味がある所も良い」
「わぁ、良かったです!」
ユカリに茶碗を渡された事で綾取りを中断したヒナは、創造された二脚の椅子にユカリと共に腰掛けながら、クライフの言葉を聞いて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「フフ、クライフはコーヒーが好きですもんね」
「コーヒーは、作業に集中出来るように飲んでるだけなんだけど……でも、毎日飲んでるぐらい好き……って言えるかも?」
クレイドルでの生活を思い出し頬を緩めたクライフを見て、二人は互いの視線を合わせて嬉しそうに微笑んだ。
「クレイドルの事は、全部クライフがやってますもんね……人手が足りない時には、お手伝いに駆けつけますから、あまり無理せず、体調に気を付けて下さいね?」
「ヒナだって日本の事があるでしょ?それに、それはユカリに言わないと。導き手になってから一度も、〝属性を回復する時以外寝てない〟なんて……普通なら考えられない無茶してるんだから」
「それに関しては、ユカリに何度も言ってます!……でも」
顔を曇らせ、心配そうな眼差しを向けるヒナに、ユカリは小さく首を左右に振った。
「世界中にいる数十億人の光の人々と交流し、犠牲になる人を一人でも多く救う為には、寝ている暇なんてありません」
「それなら、今の時間に寝ても良いんじゃない?私は別に——」
「今は貴女の時間ですよ、クライフ」
「へ?」
遮るように発せられたユカリの言葉を聞いたクライフは、二人に隠していた胸の内を読まれた事に動揺し、変な声を発した。
「いつも事前に連絡をくれる真面目な貴女が、連絡も無しに来日するなんて明らかに変ですから……友人の私達に、相談したい悩みがあるんですよね?」
「……うっ」
「クライフは分かり易いですもんね」
「うう、隠し事は苦手なの」
ユカリの的を射た言葉とヒナの言葉を聞いたクライフは、何一つ反論する事なく、隠し事をしていた事を素直に認めた。
「実は、属性の事で悩んでて……」
「属性の事?」
「マリアに属性の事を聞きたくても、彼女は光拠点に留まっていませんからね。以前ヨハネが、剣術や戦術を教えていた頃のような時間が取れないんですよね?」
「……うん。ヨハネ様からは、属性の扱いを学ぶ事は出来なかったから」
そこまで聞いたヒナは、以前クレイドルから送られて来た戦闘記録を思い出し、小さく首を傾げていた。
「でも、どうして属性の扱いを?今のクライフは、私なんかより強いですよ?」
「そ、そんな事ない!ヒナが今でも〝空の弓〟を使っていたら、私なんか到底太刀打ち出来ないよ」
最前線に立っていた頃のヒナを知っているクライフは、今の自分との間に大きな力の差を感じ、少しだけ視線を下げた。
「それならやっぱり、クライフの方が強いですね!」
「え?」
視線を下げていたクライフは、ヒナが即座に返した言葉に反応し、視線を元の位置へと戻した。
「私の役目は、人を生かす事なので……アレを分解して綾取りに使う事はあっても、戦闘では二度と使われる事はありませんから」
「……ヒナ」
ヒナの言葉から全てを悟ったクライフは、それ以上の事を口にする事は無かった。
「クライフは現状の強さで無く、属性の可能性に不安を感じているんですよね?」
「え?う、うん」
ヒナに意識を向けていたクライフは、意識の外にいたユカリの言葉に一瞬戸惑いながらも、肯定するように小さく頷いた。
「では手始めに、私達の真似をしてみるのはどうでしょう?」
「ユ、ユカリ達の真似?」
「そうです。水属性の糸で、編み物をするように作るんです……例えば、自分の——」
ユカリの言葉を聞きながら瞬きした直後、その声は残響も無くパタリと途絶えた。
―*―*―*―*―
「ヒナと私の伝えた事が、少しでも貴女の力になってくれれば幸いです」
目を開けたクライフは、眩い太陽に照らされたユカリの背中を見ていた。
「クライフ、一人で抱え込まないで下さい」
振り向いたユカリは、優しげに微笑みながらクライフと視線を合わせた。
「貴女がどんな立場に立っていようとも、貴女の側には私達が……」
ゆっくりと右手を差し出したユカリは、満面の笑顔でクライフに伝えた。
「頼っても良い、仲間達がいるんですから」
―*―*―*―*―
瞬きをし、次に目を開けたクライフの瞳には、先程までとは全く異なる光景でありながら、記憶に色濃く残されている事を覚えている景色と人物が映っていた。
「クライフ、私達は……貴女が信じられる存在だから、着いていく事にしたんです。もし信頼に足らない存在だったなら、お……私が、最強の座を奪っていましたからね?」
光拠点クレイドルの前に立っていたケフィは、ゆっくりと此方に身体を向けて、不敵な笑みを浮かべていた。
「引き篭もりで、戦闘力皆無のケフィには到底無理だろうけど、私もクライフの事を信じているから着いていく……それだけの話」
ケフィの隣に立っていたアンリエッタは、腰まで流れた黄金色の髪を揺らしながら、此方を見て穏やかに微笑んだ。
「最初の言葉は余け……酷いですよ、アンリ」
一瞬だけ鋭い眼差しをアンリエッタに向けたケフィは、小さく息を吐いた後に再び此方へと視線を向けた。
「だから、ちゃんと私達の前を歩き続けて下さいね?」
「私達が、正しい道を進めるように」
二人が微笑んだ瞬間、二人しか見えていなかったクライフの瞳に、幾多のアメリカ国民が映った。
―*―*―*―*―
潤んだ瞳を閉じ、再び開かれた瞳は、縦に二分された世界を見ていた。
右側は黒色、左側は橙色。
「最初はお前の事を、一人の隊員としてしか見ていなかった」
黒色の世界に立っていた女性は、此方に背を向けた状態で話し始めた。
「だが、お前は私から知恵と技術を学び……属性という、大きな可能性を秘めた力を有している」
徐々に明らかになってゆく紅蓮の髪は、冷たく流れる夜風によって微かに揺らいでいた。
「私が持っていない力を、クライフは持ってる」
声の発せられた橙色の世界に視線を向けると、そこには金色の髪を二つに束ねた女性が立っていた。
「私がクライフに、『クレイドルの頂点に立って欲しい』と言ったのは、貴女と出会った時からクライフが適任だと思ったから」
そう告げた女性は、身体を此方へと向け、薄浅葱の瞳を向けた。
「お前になら」
「貴女だから」
「「任せられる」」
その言葉と共に、黒色の世界は天月に照らされ、橙色の世界は夕日によって照らされた。
紅蓮の髪を有する女性は、夜を照らす天月を背に、優しげに微笑み。
背後へと沈みゆく夕日の光と重なり一瞬しか見えなかったが、金色の髪を有した女性の顔は、微かに笑っている様に見えた。
―*―*―*―*―
再び暗闇の世界へと戻った私は、正面に現れた光に視線を向けた。
そこには、私に向けて手を差し伸べてくれている幾多の人々の姿が見えていた。
その中でも、より強い光を放ち、私の黒く染まった世界を浄化するかのように明るく照らす、太陽のような人達の存在。
ハッキリと顔が見えない。
でも、これだけは分かる。
私は、この人達に救われて……生きた。
まだ何一つ、返す事が出来ていない。
私は、救われてばかりだ。
身体を自由に動かせなかった私は、明るさに慣れ、少しずつ鮮明になってゆく人影の様子を静かに見つめていた。
そして顔を認識した瞬間、温度を感じない涙が私の両頬を伝った。
心の中に感じる温かさで、自然と頬が緩んだ。
私が一番、護りたいモノ。
私が一番、失いたくないモノ。
視線の先にある彼女達が、私に全てを思い出させてくれる。
ああ、そうだ。
私は。
まだ、死ぬ訳にはいかない。
―*―*―*―*―
ドイツ 中心部
ズガァァァァン
炎の柱に背を向けていたクリームヒルトは、何か巨大なモノが炸裂した様な音に驚き身体を強張らせた。
その瞬間、周囲の木々を包み隠す程の白煙が辺り一面に広がった。
「なっ!?」
凄まじい量の蒸気の発生源を確認しようとしたクリームヒルトは、先程まで消えていた気配が再び現れた事に気が付き、大きく目を見開いた。
「う……そ……」
恐る恐る背後に視線を向けたクリームヒルトは、蒸気の発生している場所に立つクライフの姿に目を疑った。
静かに佇むクライフは、露出した肌の大半が火傷によって爛れ、頭部には哀れな黒い猫によって開けられた複数の穴が目視出来る状態だった。
(なんで……あんな状態で、立っていられるの?気配が消えた瞬間、彼女は確実に死んでいる筈なのに……まさか、不死身?)
目の前の状況が理解出来ずに硬直していたクリームヒルトは、立ち尽くしていたクライフの微かな動きに反応し身構えた。
「私は……負けられない」
その瞬間、クライフの頭部に開いた空間を縫い合わせるように、断面から緑色の糸の様なモノが現れ、クライフの負った傷を縫い合わせる様に動いた。
「若輩の私を、信じてくれた大切な人達……一人の隊員でしかなかった私と、共に歩んでくれた人達がいる限り」
徐々に肌の火傷が治癒され、頭部の節々に負った致命的な傷や欠損した部位は、治癒効果を有する緑色の糸によって一時的に補われた。
深手を負っていたとは思えない程の厳然たる立ち姿は、過去に大国アメリカで『天月』と呼ばれた不屈の女性を思わせた。
「私は、決して負けられないっ!!」
その言葉と共に強烈な熱波が辺りに広がり、クリームヒルトの鴇色の髪を激しく靡かせた。
「……私だって」
『クリームヒルト……貴方が悔いている事を、〝二度目〟の人生で叶えられると良いですね』
その時クリームヒルトは、創造の世界で初めて顔を合わせた白髪の少女の言葉を思い出した。
その言葉に心動かされたクリームヒルトは、怯えによって微かに潤んだ緑色の瞳を向けながら、再び紅蓮のハルバードを右手に構えた。
「負けられない!」
(〝運命〟が与えてくれた、たった一度の好機を無駄にしない為に!)
クリームヒルトの瞳に映る女性は、身体の節々が緑色に染まり、全身に紅蓮の炎を纏っていた。
その姿は、アメリカで世界最強と謳われる『命逆の炎姫』を彷彿とさせた。
御拝読頂きありがとうございます。
今回は、死の淵に立たされていたクライフが属性の記憶を糧に再び立ち上がり、クリームヒルトの前に姿を現すまでのお話でした。
次回は、クリームヒルト戦が遂に終結する……予定です。
Twitterにて登場人物についての説明等を画像を使いながら行なっていきます。
ゴシック@S.kononai
次回 第3章 第15話 あの日交わした約束
お楽しみに!




