熊出没!
「お~い。かんいっちさん、かんいっちさ~ん! おるかのぉ!」
”ごっご” ”ぱっかん!”
「ん? おお? 端野さんかい? どした? 茶でも飲んでけ!」
冬場の薪ストーブ用の薪割りの手を止め、汗をぬぐう99歳。朝から元気である。
「相変わらず元気じゃな。かんいっちさんはぁ! 本当に100かいな? いやなぁ、今、村回ってんだ。注意喚起での。ほれ、今朝、テレビのニュースでやっておったろう?」
「うん? ああ、隣(町)で熊が出ったってやつかぁ?」
斧を傍らに置き、タオルで汗をぬぐいつつ応える爺さん。100には到底見えない。
そう、今朝からのテレビを賑わかせている事件。隣町、そこに大きな熊が出没し、怪我人が多く出たという。ニュースやワイドショーは、朝からしつこいくらいに繰り返し伝えている。
――そういや、TVに役所の酒井さんが出ておったのぉ。次会ったら揶揄ってやるか。
と悪戯心に思う爺さん。
「そう、それだ、それ! 旭町でさぁ。何人かさぁ大怪我したってよぉ!」
「そうかぁ。今年はドングリやら、栗の育ちが悪いからなぁ。それに、山菜取りも良いが、ここらは素人さんにはキツかろにのぉう。人の臭いを付けて回られるのもかなわんわ」
昨今の山菜、キノコブームで都会から態々こんな山奥まで街の人が多くやって来る。レジャー感覚で。
山、といっても、大抵、車で横付け出来てお気軽に入れる山には地権者(地主)がおり、管理している。勝手に入ってはいけない私有地だ。
しかも、その奥、立ち入りが難しい山だって大抵が国有林。本来であれば、ホイホイ勝手に入って良いものではない。ましてや、その森の恵みを勝手に取ったり、木切れを勝手に拾ってバーベキューなんてもってのほかだ。
そういった時に出るゴミ等も野生動物の生活に悪い影響を与えている。食べ残しのゴミ、そして人を恐れなくなる。人は”食べ物”を持ってる『便利な存在』と覚えられ、猿やら猪に襲われる。熊に至ってはそのまま”人”自体が”餌”になってしまう最悪の事件も起こる。
そういった個体が、味を占め、今回のように山を下り人を襲う。
山は元々が動物たちの領域なのだ。動物たちにとってもはた迷惑な事だろう。
「だなぁ。熊のテリトリーに入るんだからの。国有林じゃぁて、本来は立ち入り禁止なんじゃがの。おおっと、ちゃんと鍵かけて、雨戸も閉めとけよぉ。じゃ、隣さ、行くわぁ」
「おう! ご苦労さんだな」
「いやぁ~、かんいっちさん程じゃぁねえって。じゃ、気を付けてよぉ」
村の世話役の背を見送る。二も十年前まで長年勤めて来た役職だ。
「おう! お互いにのぉ。熊のクソになるのは御免じゃわい!」
「違いない! はっはっはっは」
”かこん””ごとり!”
再び重い斧を振りかぶり、薪を割る二。
「熊か……のぉ」
そう呟き、深い森に目を向ける。
――ふぅ、孫が帰った後で良かったわい。
と、しみじみと思う爺さんだった。
・翌日
『深山村役場です。緊急情報。熊による受傷事件がありました。皆さん、今日は外に出ないように。親戚間での電話による安否確認を行ってください。繰り返します……』
肌寒い、田舎の朝。澄んだ空気に、あちらこちらに建てられた村内放送のスピーカーが同じ文言を叫ぶ。
そして、役所の青い回転灯を点滅させた軽自動車も繰り返し同じ言葉を吐きながら走り回っている。
「うん? 今日は朝っぱらから騒がしいの。昨日の熊でも近くに出たか?」
ポチりとTVの電源を入れる。昨日は被害が出なかったせいか、幾分熱も下がり、熊について放送してるニュースチャンネルがない。
ワイドショーにはまだ時間がかかる。村内放送があれだけ、がなり立てているのだ。未だ駆除はされていないのであろう。
”わんわんわん”
”ぅおう! おん!”
山の中に多くの犬の鳴き声が。クマたちも応えるように吠える。
普段、人など集まらない村に多くの車が。その車から、犬、オレンジ色のジャケットを着た連中が吐き出される。猟友会の連中だろう。
……
”どん! どん!”
食事を終え、茶を一杯。そんな時に玄関を荒々しく叩く音が家中に響く。
『かんいっつぁん! いるかぁ?』
「おう! タツかぁ! 鍵なんかかかってねぇ! 勝手に入って来い!」
インターホンを鳴らさないで玄関のドアを叩くのは数えるくらいだ。村の連中に至っては勝手知ったるなんとやら。自由に入って来る。
居間に大柄の。がっしりとした年の頃、40くらいか。隣り村にいる、半農猟師のタツ――木崎 達也。がのそりと現れた。
「おう! いたいた。かんいっつぁん! 熊が出た。熊が! でけぇのが! ちゃんと鍵かけておいてくれよ。喰われちまうぞぉ!」
「おう! 茶でも飲んでけ。そいつは困るわぁ。曾孫と来年まで頑張るって約束したばかしだからの。で、どうだい? この山に入ったかのぉ?」
どっかと居間に腰をおろし、茶を煽るタツ。その表情は渋い。
「……ふぅ。ああ。まだわからねぇがな。おそらく……な。ま、用心のためだ」
「おう。うん? じゃ、ワシも犬連れて、勢子に加わるか?」
勢子とは、犬などを連れて、大声を上げ獲物を追い立てる役だ。おわれた獲物を鉄砲を構えた猟師たちが仕留める寸法だ。
「そうだなぁ。かんいっつぁん、犬、借りるわ。ハナとクマ。鼻利くし、あいつら熊相手でも怯まねぇもんなぁ」
一考し、二の犬の貸し出しの申し入れを受け入れるタツ。
タツの言う通り、二の飼う、二頭のハスキーは恐れ知らずの猟犬としても有名だ。もちろんその飼い主も。
「ぃよし! んじゃ――」
「かんいっつぁんは、自宅待機だ。」
と、タツが制するも、
「はぁ? ワシが行かんと、犬も十全な働きが出来んぞ! それに、ここいらの山は、タツ、お前さんにも負けんぞ!」
ここらの生き字引、”森の主”とも呼ばれている二だ。その頑固な性格と共に知られている。絶対に行くぞ。という爺さんの気迫に負けたタツ。
「ちっ! ……仕方なしか。わしらの犬にも頭ぁ欲しいしなぁ。クマが一番だ。かんいっつぁんは大人しくしてんだぞ。昔みたいにナタ一本で、熊さ、おどりかかって行くなよぉ。もう猟師じゃないんだからな」
「わかっとるわい! 曾孫と約束したしの! それに猟師になった覚えはこの歳までないわ! 生まれてこの方、わしゃ農家一本じゃ!」
「そうか? ん? まぁ、いいや。そうそう、このジャケットきてくれよぉ! 仲間に撃たれちまうぞ!」
「了解じゃ! んじゃ! 準備するかのぉ!」
ばっと立ち上がり、納屋に向かい農機具メーカーがくれた真っ青な作業用のツナギを身にまとい、腰には手ぬぐいと愛用の藪払い(山刀)。猟友会のオレンジ色のジャケットを羽織り、そして、正面に農薬の名前がデカデカと入った野球帽を被れば準備完了! 完璧だ。
……
タツに続き、クマたちを連れ熊狩りに来た人々の元に。
「わわ!? 二さん!」
「お元気でしたか? 二さん!」
集まっていた猟師の連中、皆一斉に老人に頭を下げる。憧れの人物を見る目で。ナタ一本で大きな人喰い熊を斬り倒した話は今なお猟師の中で語り継がれている。
何をバカなと疑った連中も、この老人の前に立つと納得してしまう。雰囲気がそうさせるのか。
「ご苦労様です。二さん」
「おお? 酒井さんじゃったか。こんなとこまで大変じゃのぉ。田舎の役場に勤めるのものぉ」
先ずは、山男に似付かぬ、ぽっちゃりした中年男に声を掛ける。町役場に勤める酒井だ。
「えぇ、まぁ。やっと、第一種(銃猟免許)とれましたよ。まさか、私が熊退治やら、鉄砲撃つようになるとは思いもしませんでしたよぉ」
「はっはっは。酒井さんは都会の人じゃからのぉ。もうじき鹿も降りてくるぞ」
「猪も大分増えたわ。そうだ! 酒井さん、役所の方でゴミ集積所、どうにかならんか?」
「だな。漁り目的で集まって来よる。ほれ、街の人は食えるもんも捨てるじゃろ?」
この機会にと、猟師の間から要望が上がる。最近町で問題になっている点だ。都市部だとこれに”餌付け”という問題も絡んでくる。
「ええ。役場でも検討はしてるんですがねぇ。何せ金が。ほら、今度、国道沿いに”道の駅”作るでしょ?」
と、酒井。
「今、ブームだからなぁ」
「道の駅? ほぅん? そんな話が出とるのか? タツよ」
「ああ。町長がトチ狂っての。かんいっつぁん、知らなかったのか? ま、この村は離れてるで説明会も無かったか?」
「ほら、二さん。町の職員が、町長の不正土地売買を告発したってワイドショーでやってたぞ? ほれ、自分の土地を役所に高額で買い取らせてってな」
「はぁ? 何やってんじゃか……」
「それでもつくるんか? 酒井さん?」
「ええ。村おこしと銘打って。議会通って予算付いちゃってるからね」
役所の良心……酒井氏が苦々しく答える。もっと”良心”の立場が大きければ”中止”案も出ようが……町長は地元の名士。おまけに副町長やら、役所のおえらいさんも。この事業で甘い汁を吸う連中は古い家の連中だ。返還賠償訴訟も起こされないだろう。
「ったく……次の選挙は荒れるかの?」
「それまで持つかぁ? なぁ、酒井さん?」
「そうですねぇ……結構問題ある人ですし。東京のTVも結構騒いでますし? 危ないでしょうねぇ」
「ほう?」
雑談に興じる猟師たち。狩猟の前の緊張をほぐすかのように。 <つづく>