第2話:悪の秘密結社
僕は空を飛べる。
だからといって宇宙まで行けるわけじゃない。戦闘機のようにスピードが出せるわけじゃない。
高速道路を走る車と並走できる程度にすぎない。
昨日と同じく遅刻間際の空の旅を堪能していたその時、それが目に入ってきた。
朝の通勤時に混み合う自動車にぶつけるようにして無理矢理走る一台のバス。
変身すると上がる五感を全力稼働させてバスの中の状況を把握する。
小さな子供の悲鳴、甲高い叫び声、そして低い男の声が高らかに叫ぶ。
「ふははははっ! この幼稚園バスは世界征服を企む悪の秘密結社ブラックデモンの刺客ブラックスパイダー様が乗っ取った!」
は? 一瞬呆けてしまった。悪の秘密結社? 世界征服? ブラックデモン?
いやいや、ちょっと待て。確かに変身ヒーローがここに存在してるんだから悪のなんちゃらが存在してたって不思議ではない。
不思議ではないが、何故に幼稚園バス? 世界を狙う割にはちょっと小さくないか?
事件の被害者にしてみればたまったものじゃないが、それは無いだろうと突っ込みたくなる。
思考の海に迷い込んでいた時、バスが高速道路に入り込む。
警察か何かが動いたのだろうか、周りにほかの車の姿は無い。
猛スピードで走るバスの天井にそっと降り立つ。
そのまま這いつくばるようにしてフロントガラスの隅からそっと覗きこむ。
おっと。運転手さんと目が合った。そのままそのまま、とジェスチャーで合図。
首をガクガクと揺らすように何度もうなずいた彼は前方を凝視する。そろそろ精神的に拙いのかもしれない。トドメは僕のせいかもしれないけれど。
問題のソレは運転手の脇に背中を向けて立っていた。
本物の怪人はやはり迫力が違った。カブトムシのような黒い表皮に包まれた異形の人間。
背中しか見えないが八本の剛毛に包まれた突起が飛び出してわさわさとそれぞれが別々に動いている。
そういえばブラックスパイダーと名乗っていたはず。ということはあれはクモの脚なのだろう。
虫嫌いの人なら卒倒するレベルにキモい。
とりあえず、アレを何とかしよう。
運転手さんにしばらくしたらブレーキを掛けてもらうように頼む。もちろん、そこは気合でだ。
甲高い擦過音と突然の衝撃。
これを合図にして窓を蹴破って飛び込む。
もちろんその先にいるのは異形の怪人。
うわっまじでキモい。正面から見たその姿はまさしくクモ。
複眼というのだろういくつかの真っ黒いガラス玉のような眼が顔に並んでいる。
背中の八本脚に人間と同じく二本の脚……? 合わせて十本になるんだがいいのか?
そう思いながらも飛び込んだ姿勢のまま車外へと蹴り飛ばす。
怪人が吹き飛ばされて反対側の窓から路上へ落ちるまで、この間わずか二秒。
変身時は思考すらも加速する。
異形の怪人が消えて、そこにいたのは青いボディースーツに身を包んだ僕。
顔を上げた子供達は何を思ったのだろうか? それを確認しないまま、運転手さんにここを離れるように言い、怪人の後を追う。
よろよろと起き上った怪人は叫ぶ。
「殺す気か!? 死んだらどうする!?」
「いや。いやいやいやいや。あんなことしといてそれはないでしょ」
意外に気弱な事を言う怪人の抗議に僕は右手でバスを指し示す。
窓の割れたバスは安全な速度で遠くへと去っていく。
「あー何という事だ。大首領ブラックデビル様に何と申し開きをすればいい。これで何度目の失敗だと思っているんだ君は」
また新しい名前が出て来たよ。僕の方こそこんな愚痴を言われてどうしろって言うんだ。
「こうなったら貴様の首を手土産にしてやる!」
怪人が右手を勢いよく振り回すと指先から糸の塊がいくつも飛び出す。
クモの癖に糸を出すのは尻でなくて指ときた。せめて口から出してくれれば格好もつくのに。
「ブルーショット」
そう口にするとどこかからともなく現れた銃が僕の手に握られ、青い光線を放つ。
紙が焼けるような音で蒸発する糸。
もう片方の手も振り回し、そこからもまた同じように糸が飛ぶ。
そして、それもまた冷静に撃ち落とす。
本当にどうしたものだろう?
両手を振り上げた態勢で茫然と固まる怪人をはたして撃ってもいいのだろうか?
そうこうしているうちに遠くからパトカーのサイレンが響いてくる。
途端に身をひるがえして走り去ろうとする怪人。咄嗟にそれに追いすがる。
「我々は秘密結社だ。表の社会にその存在をバラすわけにはいかん!」
「あれだけ堂々と名乗っておいてそれはないだろ!?」
警察から遠ざかるように走りながら世迷言を叫ぶ怪人と、それを追いかけながら突っ込む僕。
傍から見るとどんな光景に映った事だろう。
やがて怪人は高架下に跳び下りてその姿を消す。
「ふはははは。お仲間にも言っておけ。この礼は必ず返すとな」
声だけが反響して聞こえるが姿はどこにも見当たらない。
空に飛び上がってみてもそれは変わらない。完全に見失ってしまったようだ。
それにしても、あいつの言葉が気になる。
「お仲間、か……」
校舎の時計は既に九時を過ぎている。
間違いなく遅刻確定だ。授業で静まり返った校舎内を静々と歩き、目的の教室の扉を開ける。
「すみません! 遅刻しました!」
「ふむ。理由は何かね?」
その言葉に考えこむ。まさかヒーローしてましたとは言えない。やはりここは常套手段。
「いやあ、電車が遅れまして」
「君だけが、かね?」
仲の良いクラスメイトはニヤニヤと笑っている。ここは覚悟を決めよう。
「すみません、寝坊です……」
「はい。蒼井宗太郎くん、遅刻減点一つ」
クラスに笑いが広がる。
晩御飯を食べながら母親と一緒にテレビを見ていると朝の事件が報道された。
バスジャックから保護された子供達が口々に叫ぶ。「ヒーローに助けてもらった」と。
「そうちゃん? あれ、そうちゃんがやったんでしょ?」
「うん。そうだけど?」
僕は肝心な事を忘れていた。例え相手が母親であろうともその質問に答えてはいけなかったのだ。
秘密を守る事を忘れたヒーローの宿命はいつも決まっている。
「じゃあ、また遅刻したんだ?」
しまった。つい本当の事を言ってしまった。
その質問に答えられないでいると非情の宣告が下される。
「今度遅刻したら今月の小遣い半額って言ってたよね?」
迫る母親にゆっくりとうなずいてみせる。
喜ぶ母親の姿を見ながら僕は地獄の扉を開いたような気分だった。
テレビの中では子供達が無邪気にはしゃぎ、ヒーローの活躍を話す。
それは明日の朝刊のトップを飾る事にもなる。「新たなヒーロー現る!」の見出しと共に。