1-7. 楽器と歌と、名前
部活終了の時間から少し経った頃合い。
大方ほとんどの部員は帰り道の上か、あるいはどこかで少し遅い昼ご飯といったところだろう。
まもなく3月になろうという土曜日。
今日の吹奏楽部の活動は午前中のみということで、ちょっと珍しい。
いつもなら土曜日は夕方までぶち抜きで、日曜日を昼までという割り振りにするのだが、今週末はどちらも午前中までの活動予定が組まれていた。
「そんじゃあマスター、また来るね」
「おう、気をつけて帰れよー。……って、まだ寄るところあるって話だったな」
マスターの工藤さんに軽く挨拶をすれば、マスターからも負けず劣らずの軽い返事が飛んでくる。
いつもの光景だった。
ホットサンドのコーヒーのセットという一般的なカフェのランチメニューを、『昼のコーヒーとパフェに飽き足らず、夜にはお酒と音楽を嗜む』というまったく普通じゃない店名のカフェでいただいた。
先日の仲條さんとの帰り道でも話題に上がった、例のカフェ兼バルだ。
今はお昼なので、街のこじゃれた雰囲気のカフェとして営業中である。
それにしても、わりと繁盛しているようでなによりだ。
中にはよく見る常連さんも来ているのだが――その人から見ればボクもまたその常連のひとりなのだろうけど――、ちらほらとあまり見かけない人の姿もある。
ご新規さんの開拓も順調そうで何よりだ。
以前言っていた夜営業でやった『歌声バル』も頻繁に開催されているらしい。
アイディア出しを行った立場としては、本当に一安心というところだった。
「……あ、寒」
ホットコーヒーである程度温まったとはいえ、今日は寒い。
数日前には3月下旬の陽気なんて言われていたのに、あっさりとした寒の戻りだ。
冬将軍さまはちょっとした旅行に行っていただけらしい。
気の緩みですぐに風邪をひくタイプだ。
コートの前をしっかりととじて、できるだけの最短距離で地下鉄の駅へと少し小走りになって向かった。
途中下車をしたのは星宮中央駅。
乗り換えとかのために下車することが一番多いが、もちろんこの周辺に用事があることもある。
この街最大の駅はやはり伊達じゃない。
この辺は高層ビルも多いので、その分だけビル風のパワーが強い。
極力地下道を通って駅から西の方面へと歩いて行く。
とはいえ今日の目的地は、地下道の西限よりもさらに西寄りの場所にある。
そこそこの覚悟をした上で地上へつながる階段へ足をかけた。
「……!」
北国らしい2重構造のドア。
開けた瞬間、顔面に勢いよく冷風直撃。
思わず息が止まる。
ちょっと長い階段を上がってきたところでのコレは、さすがに心臓にも悪い。
まったく星宮のビル風は根性が悪い。
さらに3分ほど歩く。
足下を見つめるようになりつつも、ようやく目的地に到着だ。
いわゆるファッションビルのような見た目とは少し違う。
単色ダークグレーのような色合いの壁は、どちらかと言えばビジネスホテルのような佇まいかもしれない。
――斯くして、その実態は。
なんて、大げさなものではない。
自動ドアが開いて、聞こえてくるのは楽しそうな声。
そして、おいしそうな香り。観光客御用達の、わりと全国規模で有名な銘菓のパッケージが並んでいる。
もちろん今日の目的地はコレではない。
――そりゃあ、ひとりの甘党としては、興味がゼロなんてことはあり得ないわけだけど。
少しだけ後ろ髪を引かれつつ、店内脇の方にあるエレベーターホールへと向かう。
上階へと向かうボタンを押すと、3基ある中でいちばん右側の扉がすぐに開いた。
ビル風で乱れた髪を適当に直し終わるとほぼ同じくらいのタイミングで、目的のフロアに到着する。
扉が開けばそこはかなり見慣れた光景。
正面にはたくさんの楽譜が置かれた本棚。
左手奥の方には電子ピアノやオルガン、エレクトーンなんかも置かれている。
さらにその奥には、――まぁ、なんというか、かなり上等な品々が並んでいるわけで。
要するに、今日の目的地は楽器店だった。
先日、春紅先輩がここに行くと言ったときに、他の部員たちの何人かもついて行きたいと言ったのでそれになんとなく乗ってみた。
ある意味それが、運の尽き。
ちょうど気になっていたモノが入荷済みというチラシが貼られてを見てしまった。
そもそも欲しかったモノでもあったのだが、持ち合わせに余裕が無かった。
当然だ。
ただの高校生が学校の行き帰りに即断即決でオーボエのダブルリードなんて買えるか、という話。
――そんなわけで、帰宅後にメールで母・美波に相談をしてみたところ、案外あっさりと購入許諾が降りた。
『アタリが引けるといいわね』、『確率、上げたい?』などと、割と誘惑をするようなことを返信されたが、いろいろ考えて2つほど買っていいという許可をもらって、現在に至っている。
なじみの店員さんにはこの前来たときに『いろいろと許可が下りたら来週来ます』と既に言ってある。
自分に合うモノが残っていればいいのだが、こればかりは運次第だった。
「……楽譜でも見るか」
本当に小さな声での独り言。
あいにく試奏中の人がいないので、かすかに聞こえてくる店内BGMでは消えないかもしれなかった。
エレベーターホール正面から少し奥まったところには、鍵盤楽器や合唱用の楽譜がメインに置かれている。
管楽器・弦楽器の教本だったり、音大受験向けの書籍もこのフロアにある。
鍵盤楽器以外の楽器についてはもう一つ上のフロアで売られているが、ここに来るとなんとなく本題のモノを見るよりも先に、こちらのフロアで譜面とかを見てしまう。
なぜだろう、好きなモノを最後に食べる派ではあるけれど、それもこういうことに影響を与えているとでも言うのだろうか。
自分に苦笑いをしつつ棚の間を移動すると、他のお客さんが来ていた。
エレベーターホールからはちょうど死角になって見えていなかったらしい。
まさか、さっきの独り言なんて聞かれていないだろうな。
ちょっとだけ不安がよぎったが、それも本当に一瞬だけ。
お客さんは熱心に合唱の指導書を読んでいた。
文字のひとつひとつに神経を集中させているようにも見えて、思わずため息を漏らしてしまった。
この感じなら、おそらく何も聞こえていなさそうだ――?
「あれ?」
「……え? わぁ!」
ため息が止まるより先に声が出てしまった。
しかも、わりと大きめ。
もちろんそのお客さんも、さすがにこの声のボリュームには気づいてこちらを向いた。
仕方ないだろう。
見覚えのあるどころではない、その横顔。
まだなんとなく幼い印象のある、けれど大好きなモノに真剣になるときは大人びて見える、その横顔。
――御薗聖歌が、そこにいた。
「びっくりしたー……」
「それはこっちのセリフでもあるかなぁ」
思わず苦笑いしてしまったが、それはどうやら彼女も同じらしかった。
「どうしたの? 楽譜見に来たの?」
「まぁ、楽譜も一応だけど……」
言いながら天井の方を指差す。
聖歌は納得したように首を小さく縦に振った。
ひとつ上のフロアには、管楽器や弦楽器の類いが置かれている。
「っていうか、ひとりで来られたんだね」
昔から地図にはあまり強くない――正直言ってしまえば弱い聖歌だった。
この前のパフェ会の時に道案内をしてあげたのを思い出す。
小さい頃のように手は引いたりしなかったものの、それでもどこか懐かしさはあった。
「あー、ちょっとひどいよそれ」
「ごめんごめん」
「あたしだって、何回か楽譜見に来てるんだから。それくらい大丈夫」
「そっか」
きっと最初の頃、お父さんあたりに連れてきてもらったのは間違いないのだろうけど。
それにしても。
こんな風にまたじゃれあうような冗談を言えるなんて、去年の秋口には予想できただろうか。
たとえ昔と同じようにはならなくても、また新しい付き合い方ができるのならば、今の自分には勿体ないくらいだった。
「……ん?」
思考をほんの少しどこかへ飛ばしていた所為で気が付かなかった。
聖歌の方を見れば、何かを指先でも玩ぶようにもじもじとしている。
そんなマンガみたいなジェスチャーで言い淀まなくてもいいのでは。
でも、気にならないなんて言うのは真っ赤なウソだ。
「どうしたの?」
「その……、みずきくんは何か買いに来たの?」
「……………………へ?」
脳細胞のどこかがショートしてしまったように、間の抜けた反応を返してしまった。
――今、もしかして、名前で呼ばれた?
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
御察しの通り、今日からは聖歌のターン!
……と言い切れる結末になるのかしら。